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2021年 8月

涅槃図を見ながら

2021/08/31

(失神している阿難)

千代田区の保育の未来を考えたり、人々の「しあわせ」について思い巡らしていると、なんとなく「ブッダの教え」を思い出したり、涅槃図を眺めたりしてしまいます。約2500年も前に実在したゴウタマ・シッダルータが80歳で亡くなられた時の様子を描いた絵のことです。いくつもの種類がありますが、横たわるブッダの周りに天からは母親のマーヤーが泣き腫らしながら降りてきて、周囲には僧侶や共に過ごした人々が取り囲んでいます。

またありとあらゆる動物(ミミズも描かれていますが)や虫や草木までもが、悲しみを堪えて集まっています。どの涅槃図を見てもつい探してしまうのが気絶している一人の弟子です。彼は悲しみのあまり気絶してしまうのですが、私がこの気絶している弟子が大好きなのは、彼はお釈迦さまがいなくなってしまったあとをどうして生きていったらいいのかと嘆き悲しむのではなく、それよりも何よりも、ひたすら求めているのに悟りに至らない自分を顧みて気絶してしまうような一途さが描かれているように思うからです。彼こそがアーナンダ、阿難です。

これは人生のテーマですが、これを保育のテーマにトレースしてみると、保育の質がわかった!と悟ったつもりになっても、なんのなんの、所詮はお釈迦様の手のひらの上ではないか。そんな風に考えてみたときに、大事なことを、この涅槃の様子が表している気がします。

大いなるものに繋がっている/いたいという実感。それが失われていく渇望。その奇跡がしめす幸いということ。

千代田区就学前プログラム

2021/08/30

千代田区は「就学前プログラム」を持っています。これは「千代田区の地域特性を踏まえ、各園の特色を尊重しつつも、区立・私立等の設置主体の別や、保育園・幼稚園といった認可形態の別にとらわれることなく、子どもの発達や学びの連続性を考慮し、0歳から5歳の発達段階に応じて確実に経験させたい内容を明らかにしたもの」です。作成されたのは平成25年3月なので、新しく改定することになり、本日30日、その第1回目の策定委員会が開かれ参加してきました。

20210830 第1回 千代田区就学前プログラム策定委員会 開催資料

委員は15名。区内小学校代表として「番町小学校」の渡辺裕之校長、区立幼稚園からは「千代田幼稚園」の穴原江実園長と「九段幼稚園」の横澤峰紀子園長、区立保育園からは「西神田保育園」の永野京子園長と「四番町保育園」の小宮三枝子園長、私立保育園からは私と「ほっぺるランド西神田」の吉田ひとみ園長、認定こども園からは「グローバルキッズ飯田橋こども園」の小松崎珠美園長、地域型保育事業からは「ゆうてまち保育園」の射場紀江施設長、幼保一体施設からは「小学館アカデミー昌平保育園」の手塚知子施設長、そして関係団体区民代表として主任児童委員の佐藤祐子さん、発達支援事業からは「児童発達支援・放課後等デイサービスぴかいち」の中田弾代表理事。委員長は学識経験者として参加された青山学院大学の福元真由美教授が任命されました。また副委員長は区立教育研究所の大関邦子教育研究専門員が指名されました。教育委員会から清水章子ども部長が参加しました。

今日の会議は、委員・副委員の選任に続いて、新井玉江子ども支援課長がこのプログラムの性格と改定の趣旨、今後のスケジュールを説明。その後、福元委員長が「就学前教育をめぐる国の動向」を解説しました。今日は初顔合わせの意味もあり、自由に意見を交換しました。

20210830 千代田区就学前プログラム改定について

20210830 就学前教育をめぐる国の動向

20210830 千代田区共育大綱

私は議論したいこととして、使いやすいプログラムの表現スタイル、保育の質の考え方を挙げました。「目指す子ども像を検討することは、子ども観を検討することであり、それは人の発達観と保育観を話し合う必要があります。保育の質は自明のものではなくて、皆さんと何がよいことなのかを丁寧に話し合いたい」と申し上げました。

今日配られた資料をここに載せておきますので、皆さんもご覧ください。時代の危機は約10年後の2030年に到来します。その時点までに軌道に乗せておかなければならないことが山積みです。そこを見通して、今後の就学前の子育てのあり方を議論します。次回の会議は11月と3月です。保護者の皆さんもご意見があれば、ぜひ教えてください。

また今日の資料にも掲載されていたのですが、今年1月に中教審が答申した「令和の日本型学校教育」について、日本PTA全国協議会が動画にしているので、わかりやすいのでご紹介しておきます。小学校の教育は「個別最適」と「協働的学び」がキーワードの学習に変わります。これは当園での「遊び」を「学び」へ転換するものであり、とても馴染みのあるものと言えるでしょう。この辺りのことを、皆さんと9月のリモート茶話会「コーヒータイム」で語り合いましょう。

http://www.nippon-pta.or.jp/news/apleht0000001l5m.html

 

こんな子どもの姿に寄り添いたい

2021/08/27

(園だより9月号 巻頭言より)

子どもの意見や考えに耳を傾け、心を寄せることができる大人になりたいと思うときって、ありますか。私も含めて「子どもは不完全で、大人は完全だ」と勘違いしている大人がいっぱいです。なので、子どもの意見や考えに近寄ろうとしないとダメだあ、といつも反省することばかりです。でも、どうやって? どういうことが子どもに寄り添うということなんだろう? そんなことばかり考えながら、これまで保育の仕事をしてきました。

そこで、私にとってヒントになったのは、次の5つの「ウェルビーング」の視点です。この視点で子どもを見つめてあげることでした。

 

まず、一つ目は子どもが遊びに没頭している姿です。時間を忘れて、我を忘れて物事に積極的に関わっているとき、子どもは「その子らしいな」と感じます。園生活に遊び込んでいる時間をたくさん作ってあげたいと思います。

二つ目は、子どもが闊達に感情が躍動している時です。楽しい、嬉しい、面白い、おかしい、愉快だ、すご〜い!そんな姿の時は子どもの心がポジティブで「今、新しい世界を見つけたんだよ!」とでも言わんばかり。私たち大人の心も明るくなりますね。

三つ目は、子どもが「ねえ、できた!」「これ、みてえ!」と何かを達成したときです。やったあ!という達成感や満足感が全身からあふれ出そうになっています。わあ、すごいねえ。よし、飾ってみよう。みんなに見せてあげよう。子どものセンスや努力や興味・関心の力強さが表れています。

四つ目は、友達や仲間との心のやり取りです。これはみていて微笑ましいし、人が人であることの証を見せてもらっているような幸せを感じます。妹思いのお兄さん、弟思いのお姉さん。じつの兄弟姉妹ではなくても、異年齢の大家族のような生活の中に芽生えるやさしさ。助けてあげたり、教えてあげたり、分かち合ったり、思いやりを受け取り、与え合う関係の発達が園生活にたくさんみられます。

そして五つ目は、こんな子どもの存在自体が愛おしく、その「かけがえのない命」の営みの神秘、不思議さを感じながら、ともに子育ての仲間である所属感を充実させること。それができることへの感謝。子どもたちから、勇気づけられ、生きる意味を見出せることへの充実感。

この五つに名前をつけるなら、「没頭」「ポジティブな感情」「達成」「思いやり」「人生の意味」ということでしょうか。こんな子どもたちの姿が混ざり合い、響き合いながら、毎日の生活を常に新鮮な時間に蘇らせていきたいと強く思っています。

 

幸せの条件について

2021/08/26

子どもは不足してる存在で、発達や成長していくことで豊かになっていくと考えがちですが、そのような見方をやめて、初めから豊かであり、有能であり、大人以上に幸せであると私は考えます。どのような視点を大切にするかで見方は変わってくると思います。

赤ちゃんは生まれながらにして有能であり、人と気持ちを通わせたがっていることの説明に、よく引き合いに出される話があります。赤ちゃんを抱っこして授乳している時、赤ちゃんは時々飲むのをやめることがあります。すると保育者は「ほら、どうしたの、飲んでごらん」などと言って、親や保育者は体を静かに揺すぶってあげることを無意識にします。これは赤ちゃんがあやしてもらうことが心地いいので、それを期待して「飲むのをやめる」という解釈があります。赤ちゃんの方が大人の行動を引き出すように働きかけているのです。

人との関係の中で、積極的に働きかける力があり、それを達成させると嬉しくなり、その行動に没頭します。この時赤ちゃんは幸せな時を過ごしていると言っていいでしょう。この事例の中に見られる要素を取り出すと、まず他者との良い関係があると人は幸せです。保育者から望んでいる援助を受けています。2つ目は何かを達成していることです。望んでいることが達成できることは幸せです。3つ目はポジティブな感情に満たされることです。嬉しい、美味しいという内的受容感覚が満たされます。4つ目は時間を忘れて積極的に関わっています。没頭している時間が流れています。大人になると、これに「人生の意味や意義の自覚」が加わります。自分は何のために生きているのか。自分ともっと大きなものとの関係を意識します。大人は人生の意味の物語を作るのです。

このような状態を幸福で健全な状態、つまりウェルビーングといいます。幸せになる条件とは、成長や発達を条件にしているのではないのです。今できないことができるようにならないと幸せになれない、ということではなく、すでにいくつかの条件があれば、幸せな状態は作り出せるのです。このような「子どものイメージ」を選ぶことが、価値選択です。大人が何を良いこととみなすか、どんな価値を選択するのか、何を大事な価値とみなすのか、ということです。

「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」という子ども像は、目標として捉えることができると同時に、赤ちゃんの頃から実は持っているものであり、発達のそれぞれの段階にふさわしい姿に変容していくものなのではないでしょうか。すでにあるものが条件によって引き出されたり、形を変えて何かに「なる」というものが成長なのかもしれません。

何を大切にするかを一緒に考えましょう

2021/08/25

保育のことを保護者の皆さんと語り合いたい。そういう思いに駆られています。そして、日本の保育界が今、大きな帰路に立たされていることを、皆さんにお伝えしたいと思います。昨日24日、開園前のことを区役所の担当者と話し合いました。そして思い出したのが、その方が開いていた勉強会のことです。

千代田せいが保育園が開園する前に、千代田区役所の小さなブースで平日の夜、月1回ほどの勉強会が開かれており、そこに毎月参加していました。参加者は多くて10人ほど。千代田区の公立や民間の先生も来て、ぞれぞれの園から話題提供して語り合うというものでした。その頃、私は「地域を園庭に」の構想を具体化するために、平日は八王子市の「南大沢駅」まで通勤していましたから、休日に千代田区を歩き回り、日々の散歩コースやバス遠足の候補地を探し回っていました。また千代田区には「園長会」がいまだにないので、少しでも知り合いを増やしておきたいという思いもあって、夜7時ごろから9時ごろまでの「勉強会」に毎回参加していたのです。千代田で働くことになる職員も誘い、情報収集に協力してもらいました。

私たちの仕事はパブリックワークです。公的な仕事です。日本の保育施設は、1990年台から顕著になったのですが公立から民間へ、いわゆる「民営化」がどんどん進んでしまいました。背景には新自由主義の「市場原理」を教育や福祉にも導入し、施設同士の競争によって質を向上させ、保育サービスの多様化を図ることが「政治決定」されたからです。待機児童解消というテーマが政治問題となり、ますます民営化へと拍車をかけました。

その導入は比較的簡単でした。「規制で守られているから創意工夫が足りないんだ、規制緩和しよう」というと、反対する人はあまりいません。反対は職域が減らされていく公立の保育園の先生たちぐらいでした。規制緩和というといいことのように聞こえますが、国が定めた最低基準(面積や保育士の数)を下回ってもいい、というわけですから、狭いところに詰め込まれるし、人はたりなくなるし、保育士の仕事は3Kになってしまいました。パートさんを増やすしか方法はありません。やめていく保育士を補充するために、派遣会社に頼るしかありません。市場原理を導入した経済学者は、人的流動性が高まったので「よし」と肯定します。

自治体の行政サイドも、公立保育園を増やすよりも、民間セクター(社会福祉法人、株式会社など)に任せてしまった方が、運営費が安く済みます。保育のコストは8割が人件費ですが、公務員が保育をするので、組合との力関係もあり民間に任せた方が遥かに安上がりなので、議会も民営化をどんどん進めてしまいました。この20年で子育てが豊かになったでしょうか。待機児童は減って働きやすくなったかもしれませんが、幸せになったでしょうか。子どもたちの虐待が減ったでしょうか。小中学生の学力や生きる力が「公教育」で向上したでしょうか。塾などの民間セクターの任せっぱなしのままで「公教育」はいいんでしょうか。

保育の質が公教育としての質ではなく、保育サービスの商品の質のようになってしまったことで、失われていくものに気づく必要があります。皆さんが保育園を選ぶという行為は、保育の質を選んでいるのですが、その背景には政治的な力学が働いていることになります。競争原理で質を高めるのではなく、子どもと子育て家庭のウェルビーング(幸福・健全性)の質を高めていきたい。ウェルビーングの子どもの姿は、園だより9月号の巻頭言で少し説明します。この質を高めていくために、皆さんと対話の場をぜひ作りたいと思います。9月からコロナ禍でもできる「コーヒータイム」「リモート懇談会」などをやりましょう。ぜひご参加ください。

10歳未満の陽性が増えることが心配

2021/08/24

東京パラリンピックが開会する本日8月24日(火)、5機のブルーインパルスが夕刻の空を3色の線をひきながら滑空しました。その一方で、コロナ禍で重症者は全国で1日で2000人に迫り、東京はすでに医療崩壊に直面しており、自宅待機中に11人が亡くなるという事態に至っています。

千代田区は児童生徒のパラリンピック学校連携観戦は中止しましたが、非常に気になるのが10歳未満の子どもの「陽性者」の増加です。東京はオリンピックが始まる前(7月18日から24日の1週間)は466人だったのに、1ヶ月後の先週(8月15日から21日)は約4倍の1804人にまで増えました。夏休みが終わり学校が再開すると、さらに悪化するかもしれません。

これだけ感染防止対策を講じても、RSウィルス感染症が流行っているように、乳幼児同士を触れ合わせないで保育することはほぼ不可能であり、これからどうなるのか正直、不安です。大人から子どもへ移さないということから、今後は子どもから子どもへ、さらに子どもから大人へ、さらに家庭へ、というルートもあることを覚悟しないといけないのかも知れません。

政府は今夜、9月12日までの緊急事態宣言の対象に、北海道など8道県を追加することを決めましたが、このペースで感染者が増え続けると、重症者もしばらくは増え続けます。医療の逼迫によって、子どもが受診できず治療が受けられないという事態になったら、と想像するとゾッとします。子どもの場合、これまでのように陽性になっても感染していないか症状が軽いままで治癒することを祈るばかりです。

本日、今年度第1回目の保護者アンケートをコドモンで配信しました。締め切りは2回の週末を挟む9月6日(月)です。ご協力のほど、よろしくお願いします。

 

本物を見せてあげたい

2021/08/23

カバのなき声って、聞いたことありますか? 私は今日初めて聞きました。にこにこ組のYRくんとOYさんが、レゴブロックで「動物のおうち」を作っていました。

ゾウさんが亀の親子のように背中に乗っていたので、私が「ぞうさんだね、ぱお〜、ぱお〜」と言ったら、二人は「ぱお〜」と真似して、にっこり。すると OYさんが「カバは?」と聞くのです。ゾウの隣にカバもいたのです。

「え、カバかあ・・・カバは、なんてなくんだろう? くあばあ〜かな?」と答えると、このやりとりを聞いていた山口先生が、さっそくスマホで調べてくれました。

すると「*%+#お〜」となんとも表現し難い声だったのです。にこにこさんたちがスマホの周りに集まってきて、輪ができます。

好奇心から動物のなき声しらべになったのですが、こんなきっかけから、もし「じゃあ、◯◯は?」となっていくと、好奇心から探究心へと、興味・関心が深まっていくことになります。

これはゾウさん、これはカバさんと、名前を知っているということと、それらが「どうなっているんだろう?」と関心を深めることとは、学びの質が異なります。

物や自然、動植物などの生き物など、いろいろなものの「性質」に関心をもつと、対象との関わりが深まります。このタイミングで上野動物園へ、連れて行って、本物のゾウやカバに出会わせてあげたいものです。今は動画で見ること、聞くことが簡単にできるようになりましたが、間接的な体験ではなく、実際に実物に触れることにはかないません。今はしまっている動物園ですが、早く開いて欲しいものです。

笑顔の納涼会でした

2021/08/21

今日の納涼会は、お囃子のBGMが流れる保育園の中で、1階で記念写真、2階でスイカ割り、3階でヨーヨー釣りとピンボールゲームを楽しんでもらいました。

2階に展示した「御神輿」には、ご家庭で作っていただいた「手作りの風鈴」を飾ったのですが、その前で家族写真を取る方も。階段で外に出ていただき、1階の外通路では「焼きそば」屋さんの雰囲気を味わってもらいました。

スイカに棒が当たると「やった、当たったねえ」と喝采を浴び、ヒビが入ると「やったあ、割れたねえ」と歓声が上がるので、やっている本人の方がよっぽどすごいことをやったみたいな気持ちになる子もいたりしたかもしれません。

見ていると、ほとんどの子がヨーヨー釣りも初体験だったみたいで、「釣れたね」「やったね」とみんなに「おめでとう」と言われて、しかももらえちゃうので、得した気分も味わえたんじゃないでしょうか。

ピンボールゲームは3回のうち1回でも「当り!」に転がると「いいことがあるよ」という、天任せの超簡単ルールですが、大抵は「当たり!」になるので、もれなく景品の「しゃぼん玉セット」をゲットしてにっこりでしたね。こちらもなんだか「当たったあ」「もらえたあ」と喜んでくれたみたいです。小さい子はまだよくわからなかったり、見られている中でやるのが恥ずかしかったり。いろんな笑顔が見られた納涼会でした。

可愛らしい浴衣姿も華やかで、せっかく用意した浴衣も「着る機会がなかったから嬉しい」という方や「久しぶりに着たら丈が短くなっていて」なんて方も。他愛のない行事と言ってしまえば、それまでですが、それでも子どもにしてみるとキラキラ、ウキウキの時間になってくれたんじゃないかと思います。天気も味方をしてくれて、最後まで心配した雨も降りませんでした。

残念ながら今日参加出来なかったご家庭の方には、残念がっているお子さんもいらっしゃるかもしれません。体調不良や日程が合わなかったり、仕事の都合がつかないことなどで、参加したい行事に参加できないということは、長い保育園生活の中で、どなたにもありうることです。保育園には他にも楽しいいろんな行事があります。今日の納涼会と同じものは無理だとしても、参加したのと似たような別の機会を色々と考えますので、残念がっているお子さんにはそのようにお伝えください。

子どもたちが楽しみにしている明日の納涼会は・・

2021/08/20

夏の暑さを避ける「避暑」の方法として、戸を開け放して葦簀(よしず)を立てかけて風通しをよくし、軒下に風鈴を下げて、打ち水をした路地裏では桶にスイカを冷やし、子どもは花火をしたりて涼をとる。こうした夕涼みの風情は、高度成長期の新三種の神器(カー、カラーテレビ、クーラー)によって、蚊帳は姿を消しながら、冷気を逃さないように戸は閉まっていき、テレビで室内で過ごす夏への変わっていきました。そして外へ出るのは、車で海や山や川のある自然や避暑地に向かい、登山や海水浴やプールやキャンプといった過ごし方になりました。

大方の子どもにとっては夏休みであり、帰省や旅行が心に残る夏の思い出になっていきます。旧自宅外から離れたニュータウン、ベッドタウンに多くの人が住むようになっていくと、そうした伝統的は納涼は体験できません。住んでいる町のコミュニティで、祭りや納涼会が楽しめるのは限られていきます。自治会や地域がしっかりあった地域には、たとえば神田明神に納涼祭があるように、ある種の伝統が息づいているのでしょうが、大抵は学校コニュティに受け継がれました。学校の校庭を開放して、自治会がテントを貼って、盆踊りや秋祭りを主催するものです。

そうした戸外で見られる「夏らしさ」「秋らしさ」が、今の大人の思い出になっているのは、多分、親子でいっしょに何かを楽しんだことが嬉しかったからではないでしょうか。特に大人が大事にしているお祭りの趣旨よりも、そこに出店される駄菓子屋さんや、お面、綿菓子、りんごあめ、ヨーヨー釣り、金魚すくい、宝探しなどが、やりたくて仕方がなく、金魚掬いやヨーヨー釣りなどは、何度かやるうちにコツを覚えて上手くなっていったという経験と重なったりします。

子どもは難しい趣旨はわからなくても、大人以上によくわかるのは、その時間が普段とは異なる、キラキラと輝く「ハレ」の何かだという感覚です。お祭りなら、大人もそれに輪をかけて「無礼講」だの、「年に一度だから」だのと、何か普段とは違う例外を許してもらえるような、社会学でいう「祝祭における蕩尽感覚」を醸し出すので、子どもはそうした雰囲気を敏感に感じ取っているのでしょう。

さて、明日の納涼会は、大人の方も、少しそうした雰囲気を出して、子どもに感じてもらいたいと思ったりしています。家族同士の触れ合いや交流は今回、あまりできませんが、親子で楽しんでもらえたらと思います。ちょうどRSウィルス感染症が流行ってしまい、乳児で体調を崩されたご家庭もありますが、しっかり療養して早く回復なさることを願っています。明日参加できなくても、規模は小さくなりますが、少し代わりの機会を設けるつもりですので、どうぞお大事になさってください。

お店屋さんごっこはアナログな拡張現実

2021/08/19

お店屋さんごっこ、といっても昔のような市場でやられていたような「売り買い」を、このあたりでみかけることは滅多にないような気がします。三井記念病院の先にイトーヨーカドーがありますが、そのちょうど向かいに八百屋さんがあって、そこでは「今日は〇〇がお得だよ」などと、威勢のいい声を聞いたことがあります。

ある調査で子どもの「お手伝い」の内容が時代でどんなに変化したのかを調査したものがあって、それによると昔よくあった「おつかい」が、今はほとんどなくなっているという結果が載っていました。それはそうかもしれません。交通事故や誘拐事件などの事故に遭わないかと心配ですし、今は宅配という便利な方法も増えました。さらにこの、コロナ禍で人と会って言葉を交わして何かを買う、という行為そのものを避けるような便利さがさらに進行しています。レジで「レジ袋入りますか」と「〇〇円です」しか話さないアルバイト店員のコンビニでさえ、さらに自動支払い機の導入で、全く無言で買い物が成立するようになってきました。

≪・・お客さんたちは受付でチケットにハンコを押してもらい、どれを買おうかとお店の商品をじーっと見て・・・恥ずかしそうに「これください」。本格的なお店屋さんごっこに、お互いちょっと照れながらのやりとりがありました。≫

昨日までの納涼会プレイベント「屋台のお店屋さんごっこ」では、そんな会話の様子が報告されています。

人と話すという基本的なスキルを身につけるには、人と話す機会を設けることですが、赤ちゃんが言葉を獲得する(学ぶ、ではありません)ためには、他者に何かを伝えたい、という心情がなければそうなりません。自分の思いや考えを他人に伝えようとするには、伝えたい相手と伝えたい気持ちがないと言葉は動き出さないのです。その状況は生まれた直後から、親と子の関係を起点としがら発達していくのですが、核家族だけでは、その相手が不足します。保育園のような集団のある場所で、さらに年齢の異なる色々な子どもや大人との交流が起きる生活は、家庭にも地域にも、全くなくなっているのです。

地域で人と人が出会い、会話をかわし、気持ちを交流するような公的空間、井戸端会議や立ち話を含めて、人が何かをやりとりするアナログな機会を、私たちは子どもの生活から奪っているんだという事実を知っておくべきです。それを補うかのように、保育園の生活は色々な人間関係の体験の場になっています。「いらっしゃいませ」「これください」「〇〇円です」・・ごっこ遊びの世界は、こうやって現実では体験できにくいことさえできる機会だと考えると、このアナログな拡張現実(AR)こそ、大事な経験のような気がしてなりません。

今日の夕方、妄想公園に行ってきました。デジタルデバイスを使って、目の前の空間を魚の群れが泳いだり、電車が走ったりします。それはそれで大変面白い体験だったのですが、子どもへの与えたかは微妙だなぁと思いました。その話はまたしますが、アナログな「お店屋さんごっこ」こそ、子どもにとっては必要な拡張現実だと思います。その前に実際の体験がもっと必要なのですが。そこで、子どもが大好きな模倣遊びのことを、デジタルのARに代わって、アナログのAを頭につけて、AARこそ大事と言っておきたくなります。

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