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はじまりシリーズ(国語)

民主的社会の基本的資質を育てる (ウ 協同性)

2025/11/05

11時4日(火)の様子がホームページのクラスブログ「わいらんすい」に今日、紹介されています。子ども同士の関わりの中で、主体性が育ってきた姿かよくわかります。民主的社会の基本を、こうやって身につけていくのです。

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今日は、わいわい組の子どもたち8人が屋上で過ごしました。
部屋と屋上のどちらで遊ぶかを自分で選び、屋上に集まった子どもたちは、それぞれがやりたいことを見つけながら、思い思いに遊びを広げていました。

屋上に出てまず印象的だったのは、子どもたちが自分たちで空間を分けようとしていたことです。
「緑のマットのところは鬼ごっこをする場所」「青いマットのところはコンビカーを走らせる場所」といったように、遊びの内容に合わせて屋上を2つのエリアに分けていたのです。
誰かが「ぶつかっちゃうから分けよう」と言い出したのをきっかけに、自然と子どもたち同士で話し合いながら決めていく姿がありました。自分たちでルールを作り、みんなで守ろうとする気持ちは、この年齢の子どもたちにとって大きな成長のあらわれです。

鬼ごっこでは、「どうやって鬼を決める?」「スタートはどこからにしよう?」といった相談をしながら遊びが進んでいきました。
こうしたルールづくりや話し合いの積み重ねの中で、子どもたちは“みんなで一緒に遊ぶために大切なこと”を少しずつ理解していきます。社会の中での約束や思いやりを守ろうとする芽生えとなる大事な学びが、遊びの中で自然に育まれていることを感じました。

一方、コンビカーを使ったグループでは、「パウパトロールごっこ」が始まりました。子どもたちは「ぼくはマーシャル!」「ぼくチェイスね!」とそれぞれ役を決め、パトロール隊として屋上を走り回ります。悪者役を引き受ける子もいて、みんなで協力しながら物語を作り上げていました。アニメの世界を再現しながらも、自分たちなりのストーリーを加えて展開していく姿は、とても生き生きとしていました。想像の世界を共有する中で、「こうしよう」「それいいね」と友達の意見を受け入れ合う場面もあり、協調性や共感する力が育っていることを感じます。

また、ほったらかしゾーンでは「パーティーをしよう!」という声をきっかけに土のケーキ作りが始まりました。土や砂を集めながら「もっといるね」「こっちに持ってくるね」と協力する姿が見られ、ひとつの目的に向かって一緒に取り組む楽しさを味わっていました。
遊びの中では砂がかかってしまったり、手が当たって痛がる子がいたりといった小さなトラブルもありましたが、そのたびに「大丈夫?」「ごめんね」「気にしていないよ」とやりとりが交わされ、思いやりや優しさがみられました。

 

4月の頃には、それぞれが思い思いに動くことが多かった子どもたちも、今では友達と相談したり、ルールを作ったりしながら、みんなで遊びを楽しむ姿が見られるようになりました。
屋上でのびのびと身体を動かしながら、友達との関係を深め、遊びを通して生きる力を育んでいる子どもたちの姿が、とても頼もしく感じられた一日でした。

さまざまな感情が芽生える一日に

2025/10/21

今日のちっちさんの保育日誌を読んでいると、なるほど!と嬉しくなる表現に出会いました。それがタイトルの「さまざまな感情が芽生える一日に」です。

どうして、さまざまな感情が思わず沸き起こってきたのかというと、お手伝い保育があったからです。これは年長のすいすいさんが、午前中に乳児室で過ごしたからです。

<今日は、すいすい組のお兄さんお姉さんたちがお手伝い保育で来てくれました。楽しいことやおもしろい遊びをいっぱい見せてくれて、ちっちさんたちも興味深々で思わず笑顔になったり、ちょっとびっくりしたり。いろんな刺激があって、さまざまな感情が芽生える一日になりました。>

赤ちゃんは安心できる親御さんとの安定した関係が1歳前後までに成立すると、今度はその関係を起点しながら、人間関係も広がっていきます。そのときに生じる「人見知り」は、大好きな親と他人を見分ける認知能力が育ってきたことを示すのですが、大人と子どもでは、その時に生じる警戒心が異なります。知らない大人には恐れや警戒心をもつのですが、なぜか子どもにはもちません。

その証拠を見てみたい方は、初めて入園した赤ちゃんが、年長の子どもたちと出会う様子をご覧いただく機会があるといいでしょう。子どもは子どもに親しさを感じるのです。それはお手伝い保育の様子でもわかります。そして今日はその関係の中で生まれる様々な感情を先生たちが見届けたようです。

 

子どもの何気ない優しさに人間性の本質を学ぶ

2025/09/16

大縄跳びの順番をまっているとき「もう一回やりたい!」というらんらん組の子どもの気持ちと、次に待っているわいわい組の子どもの気持ちがぶつかりました。そのとき、年長のすいすい組の子どもたちが、双方の気持ちを受け止めて伝え合い、お互いの気持ちが自然な道筋を見出していく姿を、担任が克明に拾っています。

ホームページのクラスブログ「わいらんすい」です。

ぜひ読んでみてください。このようなことは、私たち大人が、もっと学んだ方がいいことのように思えます。

 

保育環境セミナー二日目 個別最適な援助としての異年齢保育

2025/09/09

昨日に続き二日目の保育環境セミナーは終日、座学での受講になります。このセミナーでは初日と3日目に保育園見学ができるのですが、その見学園のなかから二園が実践を紹介します。9月は千代田せいが保育園と新宿こだま保育園が保育園の実践を紹介しました。

その後は「見守る保育・藤森メソッド」の解説を私が担当。今回は「個別最適な学び(異年齢児保育を含む)」について説明しました。異年齢保育というと、学年を超えた園児の生活と遊びを意味するのですが、そのねらいのなかには、子ども一人一人にとって、年齢の異なる関わりがある方が、それぞれの子どもにとって、経験が豊かになるという意味があります。

たとえば、いろいろなことができるお兄さんやお姉さん(一般に年長の子といいます)がいると、年下の子(年少の子といいます)は、その姿に憧れたり、真似してやってみたいという意欲が刺激されたりします。同じ学年集団だけよりも、魅力的に思える世界が広がるのです。

また反対に年長の子にとっては、ただその空間で遊んでいるだけでも、年下の子どもにとってはモデルとなり、また魅力的な世界へ誘うことになります。モデルになっていると意識していなくても、年少の子どもにとっては意味がありますし、モデルになっていると意識していると「みられているからちゃんとやろう」「真似されてもおかしくないようにしなくちゃ」という自覚も育つのです。

さらに年長の子は年下の子から慕われ、その子たちの安全基地を提供することにもなります。いろいろなことを求められるので、自分の持っている知識やスキルを「教えてあげる」という経験になります。教えるということを通じて、自分のもっている知識やスキルも定着しますし、何にも増して、それを共同性のなかに役立てるという経験になるのです。

結果的に、小さい子どもをよく観察したり、どうしたいと思っているのか、その小さい子どもの気持ちに気づいたり、心を通わせたり、優しさを発揮したりすることにもつながります。またコミュニケーションの力もつき、手伝うことや貢献することへの楽しさや、子どもなりのやりがい、手応えも感じます。

私の解説のあとは、子どもたちの育ちを客観的にアセスメントして振り返るための「ミマモリング」の使い方。午後からはドイツ視察の報告。そして保育の疑問に藤森代表が答えるQ&Aがありました。

 

今年2回目の保育環境セミナー開催(東京・高田馬場)に全国から参加

2025/09/08

保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表・省我会理事長)は、保育環境セミナーなど、いろいろなテーマの研修会を開いているのですが、毎回、全国からたくさんの参加があります。保育や幼児教育の世界では、いろいろな団体があるのですが、いわゆる「動員」をかけなないで、これだけの自主的な参加がある研修会は、とても珍しいと思います。

なぜかと考えみると、子どもたちが自立していく保育のあり方を、長年に渡り、本気で追求し続けてきたこと、質の高いその具体的な保育実践が豊かであること、国や世界が目指している保育や教育を具体化していること、そういうことが保育現場から強く求められているからだと思います。

今回の研修会で印象に残ったことは「学びは模倣からはじまる」というよく聞く話ではあるのですが、このギビングツリーで始まったゾーン保育や、子ども主体の「環境を通した保育」などの具体化は、真似をしてやってみて、全国にどんどん広がり、海外からも注目されるようになりました。

そして、その園の子どもの実態に合わせてアレンジが繰り返されて、さまざまな実践が展開されています。いわば型を学び、それを守ることから次第に破り、その園独自のものへ離れていくように。でも理念が一貫しているので、その実現されている保育はお互いに参考になるのです。そういう保育事例をたくさん学びあえる研修会は、まず他にはないのではないでしょうか?

見守る保育藤森メソッドを見学したい

自立に向かう援助とは何か?

2025/09/02

自立に向けてどう援助するのか?保育の核にこれがあります。大人がやってあげるわけでも、子どもにやらせるわけでもなく、子どもが自らやっていくこと。この違いの理解が保育の出発点になります。

この違いを確認したくて、保育ボランティアの高校生にも、昨日から来ている大学の実習生にも、同じテーマについて語りました。もちろん話し方はちがうのですが、趣旨は同じです。

私たちは子どものためと思って一生懸命になればなるほど、つい「やってあげたり」「やらせたり」することに傾きがちです。そんなことを思っていたら、まったく偶然ですが、主任が全職員に、次のような文章を投げかけました。

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理事長の藤森先生が話されていたエピソードを思い返す機会がありました。改めて先生方と共有し、私たちが大切にしたい保育の視点としてお伝えします。

「やってあげるから見守る育児へ」という本にも書かれていますが、保育者は子どものために良かれと思って“やってあげる”ことがあります。それ自体は大切な行為ですが、一方で、子ども自身が自ら気づき、考え、行動する経験は、自立への重要なステップです。

少子化により大人の目が届きやすくなっている今、「丁寧さ」が「大人が先回りしてやってあげること」にすり替わってしまうことが少なくありません。

<具体的な保育場面の例順番の場面>並んでいるときに、ある子が順番を抜かしてしまったとします。保育者はつい「順番抜かさないでね」と声をかけがちですが、よく見ると、抜かされた子は特に気にしていなかったり、「別に入ってもいいや」と思っていることがあります。子ども自身が嫌だと感じたなら、そのときに「やめて」と自分で伝えることが大切ではないか。もちろん、うまく伝えられずに泣き出してしまったときには、そこで初めて保育者が援助する。この“待つ姿勢”について1つの選択肢に入れるのはどうでしょうか。

<集まりの場面>朝の会や集まりのときに、先生が話している中で、友達同士で話をしている子がいて「聞きづらい」と感じる子がいるかもしれない場面で、私たちはつい「静かにしようか」「お友達が聞こえないよ」と言ってしまいがちです。しかし、本当に聞きづらいと感じているのは誰か? それは聞いている子どもたち自身です。その子たちが「聞こえないよ」と自分で友達に言えることが大切であり、保育者が「お話が聞こえないと思ったら、そうやってお友達に伝えていいんだよ」と声をかけることで、子どもが自分の意思を伝える機会が経験できるのではないでしょうか。

このように、大人がすぐに介入することが「親切」や「丁寧」ではない場面もあるのです。あえて関わらない、あえて見守るという選択が、子ども同士の関係を豊かに育てる土壌となります。

今日の保育を振り返る中で、このような場面に出会った方もいるかもしれません。ぜひ、日々の実践のヒントとして心に留めてみてください。

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このような視点を大切にしています。ご家庭でもこれを大切にしてみませんか?

今年度初の保育環境セミナー開かれる

2025/07/22

当園の法人、社会福祉法人省我会の藤森平司理事長が代表を務める保育研究団体「保育環境研究所ギビングツリー(略称GT)」の、今年最初の保育環境セミナーが今日22日から24日まで3日間開かれます。全国から100人を超える参加者が、保育について学びます。

今年の同セミナーは、参加者が多いことから4回に増やしました。7月9月11月12月にあります。コロナ禍の頃は対面で集まることが難しかったのですが、ここ数年は毎年、実際に保育を見学したり子どもや保育者の「生の」実際に触れることが求められているのことを実感します。

4回のセミナーには、それぞれ少し重点テーマをもたせ「見守る保育・藤森メソッド」の5つのポイントのうち4つをそれぞれの回で詳しく掘り下げます。今回のテーマは「子ども同士の関わり」です。

 

<本来の保育ドキュメテーション>をめざして

2025/07/10

この保育ドキュメーションという言葉は、保育界独特もので、おそらく2010年代ぐらいから日本で言われ始めた気がします。もっと遡るとイタリアのレッジョ・エミリア市の公立の幼児教育施設で始まったものが、世界から注目されるようになって、その後日本でも使われるようになってきたというおおまかな経緯あります。

当園でつかっている「保育ドキュメンテーション」というのは、毎日の活動日記のようなもので、今日はこんな活動をしました、という活動内容を保護者のみなさんにお伝えするという目的が中心になっています。これは写真やネットがなかった時代には、紙に手書きで書いていた連絡帳やお便り帳と呼んでいたものの、代わりになってきたものといえるでしょう。

ところが、それとは別に<本来の>(とって、何が本来かは、それもまた議論があるのですが)「保育ドキュメンテーション」とは、子どもの姿について、複数の保育者がとらえたものを語り合い、その遊びや活動のなかにみえてくる「学びのプロセス」を可視化して共有しようという営みです。

そうすることで、とくに子どもの感情、思考、対話、関係性などに着目して、子どもの「つながりのある学び」という視点がみえてくるところに醍醐味があります。さらに保護者のみなさんの見え方も重ねていくことで、さらに立体的な本当の姿に迫っていけるかもしれません。

これまでの「保育ドキュメンテーション」と呼んでる活動記録は続けますが、その回数を減らして、話し合いや振り返りの時間を増やさせてください。先生たちは「毎日 活動記録で日中の様子を送っていますが、そうでない時間帯の子どもの姿もたくさん記録に残しておきたいものがあり、配信回数を減らして、そのぶん印象的だったトピックや、保育者が見た育ちの姿を記録に残していきたい」と考えています。

この先生たちの思いを汲んでいただき、きっとそこにこれまでとは違う、子どもの姿が描かれるのではないかと思っています。よろしくお願いします。

 

このこと、書きたいな、と思う時について

2025/06/04

日々の保育ドキュメンテーションでは、書きたいな、と思っても字数が足りないので書けないということを先生から聞きます。では、どんなことを、どんなふうに書きたいのかというと、クラスブログを見てもらうとわかりやすいかもしれません。保育ドキュメンテーションが、ほぼ毎日あるので、クラスブログはクラスによって、あったりなかったりするのですが、最近では「わらす」に、ちょっと長いエピソードが報告されています。

ちょっとした瞬間の一コマことだったりするのですが、そこに見えてくる子どもたちの姿の「いいなあ」というあたりが描かれています。そこには先生の主観も盛り込まれているのですが、そこに何を大切にしているのかという子ども観や保育観が現れていて、どのようなことに保育の意味や価値を感じているかということも併せてお伝えしていることになります。

また先週のにこにこ組の味の探究の報告も、読み応えのある振り返りが、掲示されてます。このような出来事を読んでいただくと、保育の楽しさ、子どもたちの生活の息吹、それぞれの子どもの個性がよく伝わってきます。それと先生たちのもっている雰囲気や大事にしていることが見えてきて面白いのではないかと思います。

保育カンファレンスは動的な環境の調整のようなもの

2025/05/19

特定の子どもを選んで、じっくりと観察して、そのあとで話し合って保育の援助計画を修正しています。この話し合いを保育カンファレンスと読んでいますが、先ほどそれが終わりました。

子ども本人してみると、「きっと、こんな感じのことが無自覚に起きているのかもしれない」と想像しながら、支え方をああかな、こうかなと話し合います。だったらこんなふうしたら相互作用が変化するんじゃないか?とか、こんなふうに誘ったりすると、うまくいくんじゃないだろうか? こんなものや空間にしたらどうかとか。・・・

保育の話し合いでやっていることは、それぞれの子どもにとって、周りからの「呼びかけ」のあり方と、その子が「どう応答しているか」という関係を分析していることになっていそうです。そこで気づいたことがこういうことだろうから、こう思わず動いたのだとしたら、ここに空隙があって、越えられなかったからかもしれない、とか。

たとえば車の運転にたとえると、入ってくる視界情報と路面とスピードの関係を考えながら操縦している主体(子ども)は運転手です。当てずっぽうに運転する子どもの運転技術の度合いの違いが個性や発達の度合いで、保育とは、その車体がどう走りたがっているか、またそのスキルを想像しながら(この子はこうだね)、視界情報や路面環境などを整えているのに似ているかもしれません。

空間を止まったり走ったり常に動いている車の動的な動向を環境の方からうまく走らせていくような感じ。

運転手にとって、環境からの呼びかけ方は「聴覚からよりも視覚からのものがよさそうだ」とか、「声かけが先だと抵抗するから、そっと見えるように置いておいて、何気なく始まってしまった方がいいだろう」とか。そのカーブでは一時停止の標識は確認しにくいねとか。標識が多すぎて判別しずらそうだから、他の標識を隠してしまったほうがいいみたい、とか。運転しやすい道路空間のデザインを考える感じです。

子どもの姿が車の運転ぶりだとすると、この道路空間は「いつも走っているから、こうだ」と見通して安心できると好きなことに集中できる(車を快適に運転できる)が、予想外のものから呼びかけられたり、時間的にちょっと先に始まることの見通しがもてないと不安に感じたり、しているのかもしれない。急に「いやだ〜」になってしまったりするのは、どうして?その話し合いから、こんなアナロジーに似た感触を話し合いました。

本人にしてみたら、たとえば気持ちよく運転しているときに急に視界が遮られて、思わず急ブレーキを踏んでしまうようなことかもしれない。きっとこうなるとパターン化されているならできるが、未知の世界への入っていくときは、何かの既知からのつながりのある未知でないと不安なのだろうか?あるいは、「やりたいことがあってもできないことからのもどかしさ」がそうさせているのではないか?とか。

たとえは車の運転が相応しいかどうかわかりません。波乗りサーファーや川下りのカヌーのようなものでもいいかもしれません。いずれにしても動的な動きのある空間の例えがいいような気がしました。

それにしても私たちは本当に知らないことには不安を覚えるものです。その既知と未知はどうつながっているのだろう。そのつながり具合を工夫しているのが保育のようにも思えます。楽しい、面白いと思えるように世界への通路を作っているのが保育なのだとしたら、既存の世界と未知の世界の繋ぎ方として、楽しく運転していたら、新しい世界にはっていったというような形で運転をサポートすることが保育なのでしょうか。その微妙な調整の仕方を話し合っているのが保育カンファレンスのように感じました。

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