MENU CLOSE
TEL

保育アーカイブ

主体性には過去から未来へのまなざしが含まれる

2025/11/10

今月のセミナーで講師を務めるために、子どもの主体性について複数の先生と話していて、あることに気づきました。それは3週間前から「すいすい組」の年長さんが「そういえば週案を作っています」といいます。

何年も前から大体この時期になると、年長の子どもたちは、来週の計画を自分たちで話し合って決めるのす。計画といっても、どの公園に行くかとか、週のどのあたりで何をするか、といったことです。週5日の枠のなかに、いきたい公園、候補として挙がっている活動などを、埋め込んでいく感じです。

たとえば今週は、写真のようになっているのですが、これは先週6日(木)に話し合い、翌日7日(金)の夕方には、「来週はこうしよう」と決めました。その計画を思い描いて週末を迎えるのです。

このような計画が立てられるようになるには、何が育ってきたからなのでしょうか? 主体性の育ちと関係がありそいうなので、話し合ってみたのです。するといろいろな視点がでてきました。

まず、これまでの経験から「どの公園にいったら何ができるか」という記憶が働き、あそこに行きたい!という願いが出てきます。目の前のものが呼びかけてくるだけではなく、自分の中から沸き起こってくる「ねがい」もまた、期待するという心情体験になっているのかもしれません。

その公園で具体的に何ができるかについては、みんなある程度同じ知識が共有されています。それはこれまでにいろんな公園に行ったりしてきた共通体験の蓄積があるからでしょう。それを思い出して、5日間の枠の中に入れ込んでいきます。

この点で、まず自分のやりたいことをはっきりと主張できるのも、千代田せいがの子どもたちの特徴でしょう。まず自分の意見や考えをしっかりと持てるようになることを大切にして支えてきました。黙って決まりに従うのではなく、自分で好きなことを選んだり、それが実現できるように工夫したり、一緒に生活していく中で、自分の思いや考えを、まずしっかり主張できることを大切にしてきたからです。

このことは自分だけでは生活が成り立ちません。相手も意見は思いをもつのは同じです。そこに相互に認め合う必要を感じる経験がたくさんありました。主張と主張がぶつかったり、意見が食い違ったりします。でもそのたびに、どうしたらいいか、考えます。違うけど一緒にできる方法を考えたり、協力した方がうまくいく経験を多くしたり、気持ちの折り合いをつけたり、順番を待ってあげたり、ものを譲ってあげたり、やることを交代したり、気持ちを落ち着かせて自分を取り戻すことを積み重ねたりしてきたのです。

その結果、何曜日に何をするかということも、先にやりたい気持ちを抑えて、天気予報ではこうだから、この日がいいとか、その公園まで行ったら遊ぶ時間が短くなるから、早めに園をでようとか、場合によっては電車で行こう、弁当を用意しようなど、それまでの知恵をフル動員してなんとか実現したいと話し合います。

このように過去のできごとを未来につなぐようなことをしているように見えてきます。確かに人生とは過去のなにかが未来に生かされていく営みだとはいえるでしょう。それは子どもも大人も変わりません。生命というものがもつ性質そのものかもしれません。あるいは宇宙がそうなっているのかもしれませんが、それは誰にもわかりません。

また他者の立場に立てるようになってきました。よく子どもは自分中心で、わがままで、他人のことを考えられないといいますが、もうこの歳になるとそんなことはありません。ちゃんとみんなが納得できる方法を考えるようになってきています。たとえば10月末に掘ってきた「さつまいも」で、芋もちをつくるクッキングの予定もあるのですが、最初は今日10日に行う予定でしたが、楽しみにしていたお友達がお休みなので、金曜にやることに変更しました。これも友達への気遣いからです。

ねがいが叶うように、今の自分やお友達の気持ちを考えています。それがお友達のためになるなら、自分の気持ちを少し我慢したりすることもあるようです。それはお友達の仲がいいということもありますね。だからこそ、そこを考えてあげられるのでしょうね。

こうやってみると、自分たちの近い未来について、仲間として一緒に考えているのだとしたら、これは何か実現したい願いを持ち寄って、それが叶えられるように話し合い、もっともいい方法を考えていくことを意味します。そしてできたプランを前にして、願いが実現できる「来週」を期待して待てる力の育ちもあるのだろうと思えてきます。彼らは1週間の計画を立てることができるようになりました。それは1ヶ月後、1年後、3年後、10年後、・・と長くなって、将来の夢や人生の目的を考えるように育っていくのです。・・さて、私たち大人は・・?

民主的社会の基本的資質を育てる (ウ 協同性)

2025/11/05

11時4日(火)の様子がホームページのクラスブログ「わいらんすい」に今日、紹介されています。子ども同士の関わりの中で、主体性が育ってきた姿かよくわかります。民主的社会の基本を、こうやって身につけていくのです。

・・・・

今日は、わいわい組の子どもたち8人が屋上で過ごしました。
部屋と屋上のどちらで遊ぶかを自分で選び、屋上に集まった子どもたちは、それぞれがやりたいことを見つけながら、思い思いに遊びを広げていました。

屋上に出てまず印象的だったのは、子どもたちが自分たちで空間を分けようとしていたことです。
「緑のマットのところは鬼ごっこをする場所」「青いマットのところはコンビカーを走らせる場所」といったように、遊びの内容に合わせて屋上を2つのエリアに分けていたのです。
誰かが「ぶつかっちゃうから分けよう」と言い出したのをきっかけに、自然と子どもたち同士で話し合いながら決めていく姿がありました。自分たちでルールを作り、みんなで守ろうとする気持ちは、この年齢の子どもたちにとって大きな成長のあらわれです。

鬼ごっこでは、「どうやって鬼を決める?」「スタートはどこからにしよう?」といった相談をしながら遊びが進んでいきました。
こうしたルールづくりや話し合いの積み重ねの中で、子どもたちは“みんなで一緒に遊ぶために大切なこと”を少しずつ理解していきます。社会の中での約束や思いやりを守ろうとする芽生えとなる大事な学びが、遊びの中で自然に育まれていることを感じました。

一方、コンビカーを使ったグループでは、「パウパトロールごっこ」が始まりました。子どもたちは「ぼくはマーシャル!」「ぼくチェイスね!」とそれぞれ役を決め、パトロール隊として屋上を走り回ります。悪者役を引き受ける子もいて、みんなで協力しながら物語を作り上げていました。アニメの世界を再現しながらも、自分たちなりのストーリーを加えて展開していく姿は、とても生き生きとしていました。想像の世界を共有する中で、「こうしよう」「それいいね」と友達の意見を受け入れ合う場面もあり、協調性や共感する力が育っていることを感じます。

また、ほったらかしゾーンでは「パーティーをしよう!」という声をきっかけに土のケーキ作りが始まりました。土や砂を集めながら「もっといるね」「こっちに持ってくるね」と協力する姿が見られ、ひとつの目的に向かって一緒に取り組む楽しさを味わっていました。
遊びの中では砂がかかってしまったり、手が当たって痛がる子がいたりといった小さなトラブルもありましたが、そのたびに「大丈夫?」「ごめんね」「気にしていないよ」とやりとりが交わされ、思いやりや優しさがみられました。

 

4月の頃には、それぞれが思い思いに動くことが多かった子どもたちも、今では友達と相談したり、ルールを作ったりしながら、みんなで遊びを楽しむ姿が見られるようになりました。
屋上でのびのびと身体を動かしながら、友達との関係を深め、遊びを通して生きる力を育んでいる子どもたちの姿が、とても頼もしく感じられた一日でした。

磁石遊びと砂鉄の実験(カ 思考力の芽生え)

2025/11/04

年長ぐらいになると「磁石」のことはもちろん知っています。そこで「くっつくのはどれか?」持ってきてもらいました。

洗濯バサミ、穴あけ、ウイスキーボトルの箱の蓋などが集まりました。ホワイトボードや冷蔵庫、家具の縁なども「ついた!」と教えてくれます。

つくのとつかないがあるね。そこからKくんからは「鉄だよ」という言葉もでたり、S君からは「鉄から星でできるんだよ」という知識が披露されたり。

磁石は鉄につくということにして、じゃあ、磁石と磁石はつくの?と聞いてみます。つくよ!とすぐに返事が来たのですが。

あれ、という感じで、ピタリと重なり合いません。必ずずれます。

私があえて、ピッタリ合わせてみてよとリクエストするのですが、どうしてもできません。どんなに力をいれても、グルンと動いてピタリと重なり合いません。かなり力を入れても大人でも無理です。その力の強さを実感してもらいました。

そうこうするうちに、子どもは瞬間的にいろいろ思いついて遊び出すのですが、二つの磁石で「洗濯バサミ」を引き合うと、いつも同じ方に洗濯バサミがつくことに気づきます。

そして彼が「こっちが勝ち」とか「こっちが強い」という言葉を使うので、わたしから「じゃあ、三つあるけど、どれが一番強いのかな?」というと、3つの磁石で3通りの組み合わせを順番にやり始めます。そして「これ」とわかりました。

そこで私が新しい4つ目を出して試してみたら、最強のものがまた勝ったのですが、やりたい!という別の子Fちゃんがやると、4番目の方が勝ちました。そこから他のものと比べ始めるかな?と思いましたが、そうはなりませんでした。

代わりに「指がほら」と挟まったりするので、紙とかタオルとかを挟んでみます。たまたま保冷剤もあったので、「これでもつくかな?」とやってみると、あの厚さでも引き合うのですね。

そこでどうしてだと思う?と説明を求めました。Kくんが話してくれるので動画に収めました。

「こっちの磁石の力を運んで、違う磁石に強さがわたる」と言います。なにかが伝わっているのだというイメージがありそうです。それを着ていた二人もそうそう!という顔をしています。

さて、ここまでが私にとっては今日のメインの活動のためのフォーミングアップのようなところです。

砂場の砂を取り出して、「このなかにも磁石がつくものがあるかどうか、やってみるよ」と、磁石をビニール袋に入れて、砂鉄を探しました。それを集めて試験管に入れて眺めます。

するとすぐに、外から磁石をくっつけて動かし始めます。「ほら、みて!」と3人とも興奮気味です。「これはね、砂の中にあった鉄だから、砂鉄っていうんだよ」と話しあげました。

他の砂よりも黒く、中には小さな鉄片も含まれていて、それも動くので楽しそうです。試験管は底が丸くて磁石が離れて落ちてしまいやすいのですが、上の方へ砂鉄が引っ張られていくのがよく見えます。

Fちゃんは「ほらみて」と磁石を話すと、下にドサっと砂鉄が落ちる現象をみつけて、教えてくれました。

そのあと紙コップに移して、砂鉄のダンスを楽しみました。針山のようにツンツンと立つのですが、磁力がそれほど強くないので小さいトンガリしかできませんでしたが、それでも「これみて、できた!」とそのツンツンを作って動かしていました。

Kくんは「水に溶かしてみたい」とか「いれたのを凍らしてみたい」などのアイデアが溢れ出します。今度やってみることにしました。

N市の園長会と公開保育で交流

2025/10/29

千葉県のN市の園長会から園長先生たちが10名来園されました。9時半から12時まで保育を見学。そのなかで、いろいろな話ができたのですが、同じ保育の悩みは先生たちの苦労です。保護者のみなさんには「子ども一人ひとりは違うので、その違いが保育のベースにある」という話を入園見学とのきからさせてもらっています。

それに十分応えながら、環境を通した保育を展開するためには、世界の多様性への「水先案内人」として保育者自身の「世界」が深まる必要があります。子どもが世界を好きになり、その世界への好奇心や探究心を深めていくためには、先生も子どもと一緒にその世界に入っていく、一緒に探究していくという同伴者としての活力が求められます。

さて、その取り組みを促すために、どうしたらいいか。こどもが出会う世界は、その水先案内の案内次第という要素があります。そこでゾーンを用意して、教材研究と同じように環境研究をしていくのです。それがゾーンに置かれている「もの」によって、子どもの世界を広げていくことができます。環境は子どもの手に届くようにでデザインされた世界の代表があるのです。

スポーツ鬼ごっこにハマる子どもたち

2025/10/28

数ある鬼ごっこのなかでも、チームを組んで宝を取り合う「宝鬼」というゲーム性の強いものがあるのですが、それを敵味方に分かれてたたかう「スポーツ鬼ごっこ」というものがあります。園長の私と主任はそのインストラクターの初級をもっているのですが、当園でもそれが流行り始めました。

基本的なルールは宝鬼と同じです。違うのは鬼に捕まらない安全地帯があったり、宝を囲うエリアがあって、そのなかでのタッチはアウトにならないなど、安全に遊ぶためのルールが工夫されています。

この遊びは奥が深くて、守ったり攻めたりするときに、作戦を考えたり、話し合ったりすることで、より〜にしたいという意欲が芽生えるタイミングがたくさんあるのです。そのあたりに、テレビやスマホの「ゲーム」と似た面白さがあるようで、おもっきり体と頭を動かすテームとして優れた遊びになっています。

宝鬼は、宝が子どもの位置にあり、鬼役が攻める方、親役が守る方ですが、アウト!やセーフ!などを判定する審判も交代でやりました。審判目線でしか見えてこないことも多くありそうです。

 

電車にのって「ちょっと小松川公園まで」と遊んでくる(ウ 協同性)

2025/10/27

年中のらんらん組と年長のすいすい組だけで、江東区の小松川公園まで、散歩にでかけました。そこまで出かけられるようになったのは、この半年の成長を物語っています。年度はじめでは、とても考えられません。電車に乗って散歩に出かけるためには、目的に応じた自己制御の力が育っていないと、なかなかできるものではないからです。

集団で同じ目的に向かって同じタイミングですることがたくさん含まれいます。それぞれバラバラになってしまうと、それはできません。駅の階段は一列で歩く、列の間は開かないようにする、ホームに集まる、一斉に扉から乗り降りする、歩道を交通ルールに従って歩く・・・やるべきタイミングと方法で同じ目的に応じていくこと。

大人ならなんの苦もなくできることも、この子達にとっては「よくここまでちゃんとできるようになったね」という称賛すべき成長なのです。こうしたことができるようになっていくとが、一人一人の自信にもなります。同時に、またお互いにそれを引き出し合う集団の力の大きさを物語ります。

小松川公園は江東区の荒川沿いにあります。都営新宿線で東大島駅までは乗って15分。さきほどの手段行動が安全にできるようにれば、歩いていく散歩先とそう変わらない時間で往復できるのです。わらべうたや鬼ごっこを丹そんだ様子は保育ドキュメンテーションでどうぞ。

色の三原色でどこまで多様な色ができるのか?(水の探究)

2025/10/27

絵の具で赤、青、黄の3色の色水をつくり、それを2組ずつ混ぜると、さらに緑、橙、紫の3つの色ができます。この6つの色をさらに2組ずつ混ぜると、どうなるか?今日はそういう展開になりました。

保育園では無造作にいわば偶然に、いろいろな色水遊びをしているのですが、年長さんとの「水の探究」は、本人が「こんどはどうなるだろう」と、混ぜる順番や量にこだわりながら、その結果を予想したりして楽しむ姿がみられるところが、とても面白いのです。

「こっちは、まだやっていない」「こんどは、これとこれ」「この辺の色がない」などと、次々といろいろな色づくりを楽しみました。なかのよいすいすいさん、らんらんさんも見学して、新しい色ができるたびに、「〜いろ!」「〜みたい」と見入っていました。

 

心を育てる保育〜ごめんね、の意味

2025/10/22

私たちは国が定めた幼稚園教育要領や保育所保育指針という、いわばガイドラインに元づいて保育をしています。そのなかで、大切にされてきた特徴は「心を育てる」ということです。要領や指針ではそれを「心情」と呼んでいますが、そのなかでも「意欲」は特別なもので、行動を促すとともに自分の心の姿勢「態度」を育てていく原動力になります。

今日は千葉県のN市の園長会から来られた園長先生たちとその話になりました。例え話としてよく使うのが「ごめんね」とか「ありがとう」です。子どもが何か人に迷惑をかけたりしたら「ごめんね、しようね」とか「ごめんねは?」といいます。

 

ごめんね、と言えるようになることは素晴らしいことなのですが、勘違いしてはいけないのは、ただ口で「ごめん」と言えるようになることだけを求めて、それでよし、としてしまうとき、その気持ちがないのに、「ごめんといえさえすれば、許してもらえる」と勘違いしてしまうことです。

こうなると、唱えさえすれば許してもらえる魔法の言葉「ごめん」になってしまいます。

ただ口先でごめん、と言われると、言われ方は「いいよ」と許してあげる気になれません。私が実際に昔見かけた光景ですが、その子は「ごめん、ごめん」を何度もいうのですが、なかなかいいよと許してもらえません。すると終いには「なんでいいよって、いってくれないんだ」と逆ギレしていました(笑)

私たちは「ああ、わるかったなあ」という気持ちが湧き起こる内面の育ちを重視します。たとえ口で「ごめん」といえなくても、心で「僕もちょっと悪かったなあ」と感じているなら、そこを私たちも感じ取って「そうだよね、◯◯ちゃんも、ごめん、って思っているよね」と共感してあげるようにしています。子どもは自分が好きな人に自分の気持ちが「わかってもらえた」と思うと、素直にうれしくて、自分から「さっきは、ごめん」と言えたりするのです。

この心情=わるかったなあ、が先にあって、なんとか相手に自分から言おうとする意欲が生じ、それが結果的に心の動きとしての謝罪(というと大袈裟ですが)の気持ちが態度となって現れてくるのです。それが私たちが大事にしている、心の育ちです。

top