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保育アーカイブ

神田はカレーの味覚探究の街だった!

2026/11/01

東京都議選の投票のあと「神田カレーグランプリ2026決定戦」(小川町)へ出かけ「投票」してきました。カレーといっても、そのバリエーションの豊富さはすごいです。こんな味があったのかと、驚くばかり。カレーの「食べ比べ」は大人の味覚探究だったと、今頃気づいた次第です。

公式サイトによると、グランプリは・・・私が推したカレーは4位以下だったようです。

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10月31日と11月1日に東京・千代田区小川広場で開催された神田カレーグランプリ2026の決定戦で、カレーショップC&C秋葉原店がグランプリを獲得。受賞メニューは「1968伝統ポーク×C&C渾身の牛すじカレー」で、シャープな辛口が来場者に支持されました。準優勝はスパイスシアター丸の内、3位は日本式カレー 弐番亭。神田の400店以上のカレー店を象徴する第14回イベントは、食べ比べと投票で大盛況のうちに幕を閉じました。

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それにしても400店とはすごい。またイベントの内容がとても濃密でした、これだけの企画運営は見事です。この活動の一角に、子どもたちも参加できないか、考えてみたくなりました。

 

伝えたい動きのなかから分化して生まれる言葉

2026/10/25

Hちゃんが「・・ンパンマン」、という言葉を口にしているからといって、アンパンマンに関係のある何かは、わからりません。よく一語文といって、単語ひとつで実は「クックはいてお外いってきたの」だったのかもしれませんし、「これ履くと楽しいの」なのかもしれません。あるいは「おうちにもこれがあるの」かもしれないし、「これと同じアンパンマンがあそこにもあるの、これと同じよ」かもしれません。しかも、どれか一つということではなく、最初の「・・ンパンマン」と2回目のそれと、また3回目のそれは意味も使い方も違うのかもしれません。

言葉は生きているとよく言います。それは言葉の意味が時代によって変わってくるといって話題になったりします。ここでいいたいのは、そういう国語辞典に載っているような言葉の意味の時代的変化のことではありません。Hちゃんが見つけ、手にとり、私に<これ>と手にとって伝えたくなる気落ち動きがあり、動きとしての身体から分化してうまれたものが言葉であるように感じるのです。

つまり「生きている」とは、常に変化している最中にあって、そこから他者との間に生まれるものの一つが言葉で表しているようにみえるのです。生きているとは、環境との関わりが変化していくことであり、その中に見出せる意味も変化しているに決まっているということです。思い出した身体、伝えたくなった身体、同じものを見出して嬉しい身体・・・その都度経験していることが変化している身体です。

たしかに、体の外にある社会的なものである言葉(日本語)を何度も聞いて、その「もの」が「アンパンマン」という音で表されていることを知り、それを自分でも「・・ンパンマン」と声に発した時に、頭の中に思い描いている「それ」(おそらく「靴」のアンパンマンの絵の部分)と一致していることでしょう。しかしそれも一瞬のことでしょう。関係は変わり、気持ちは動き、私との交流のなかでさらに変化していくでしょう。

遊びの中で、思い出が動き出す

2026/10/20

今日は公園に出かける予定でしたが、天候が不安定だったため、わらすは3階の運動ジムで過ごしたそうです。そこで子どもたちが楽しんでいたのは、先日の「親子運動遊びの会」でも親しんだ遊びでした。コドモンの「活動の記録」をご覧ください。

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音楽が流れると、自然に身体が動き出す。綱引きでは、ただ綱を引き合うだけでなく、友達が友達を呼び、仲間が次々に加わっていく。『おおきなかぶ』のお話のような展開も生まれていた、とあります。

子どもたちは、行事でやったことをそのまま再現していたわけではないのでしょう。覚えていた動きや楽しさを、友達と一緒に、それを出し合うことで、自分たちの遊びへと作り変わっていたのだと思います。「楽しい」「面白い」「もっとやりたい」という気持ちが、遊びを繰り返させ、そこに新しい展開を生み出していくのですね。

昨日、1階玄関の看板の写真を指さして当日のことを思い出す子どもたちがいました。今度はその思い出が、ジムでの遊びの中に現れています。行事で感じた楽しさは、心に仕舞われてしまうのではなく、身体を通して日々の遊びに戻ってくるのですね。

先生たちがその姿を見つけ、活動の記録に残してくれたことで、私もまた、子どもの遊びの続きに気づくことができました。子どもたちの「またやりたい」から、次はどんな遊びが生まれてくるのか楽しみです。

遊んだ時間の、そのつづき

2026/10/19

新しい週が始まりました。園には、土曜日の「親子運動遊びの会」の余韻が、まだ残っています。

自分が綱引きをしている写真の載った看板を、指差している子どもたちがいました。土曜日のことを思い出しているのでしょう。一枚の写真をきっかけに、あのときの楽しさが、もう一度よみがえっているようでした。

参加した子どもたちには、一人ひとりの顔写真を入れたメダルを贈りました。「記念に楽しみなコレクションです」と話してくださった方もいました。家のどこに、どんなふうに飾られているのだろう。そんなことを思いながら、子どもたちの姿を少し眺めていました。余韻は、私のほうにも残っているのだと気づきます。

お願いしたアンケートにも、あの日のつづきが届いていました。

人の多さに緊張して、当日は固まってしまっていたお子さんが、家に帰ると「さんぽ」の歌を歌いながら、ソファの周りを歩いていたそうです。

会場で見えていた姿だけでは、その子が何を受け取っていたのかは、わからないものですね。歌も、みんなが動く様子も、その子の中に残っていたのでしょう。家でくつろいだときに、自分から楽しむ姿になって現れた。その様子を伝えていただけたことが、うれしく思えました。

会が終わったあと、クラスの友達といずみ公園で遊んだという感想もありました。普段の散歩の様子を知り、保護者同士でも交流できた「とても有意義で優しい時間」だったと書かれていました。体育館で一緒に遊んだ時間が、公園で過ごす時間へと続いていたのですね。

また、パン食い競争でお子さんを持ち上げるのに苦労していたところ、ほかのご家庭のお父さんが助けてくださったというお話もありました。玉入れで、子どもたちがほかのご家庭のお父さんやお母さんにも安心して抱っこされている姿を見て、「みんなでみんなのパパとママなんだな」と感じた方もいました。

一緒に遊ぶなかで、自分の子に加えて、隣にいる子にも自然と手が伸びる。そんな場面を「アロペアレンティングだ」と思い出しました。一方で、抱っこする大人の負担や、もっとこんな遊びをしてみたいという声もいただきました。一緒に楽しめる時間を、さらによくしていくために受け止めたいと思います。

 

看板の写真を指差す。家で歌いながら歩く。公園でもうひと遊びする。飾られたメダルを眺める。

会が終わっても、遊んだ時間は、こうして暮らしのなかに続いていくのですね。

ご家庭で、ふと土曜日のことが話題になったら、ぜひ聞かせてください。そのお話を聞きながら、私たちもまた、あの日の楽しさを味わえる気がします。

親子の心にいつまでも残る思い出になってほしい

2026/10/18

昨日の「親子運動遊びの会」に、ご参加いただき、ありがとうございました。

この一週間、身体を動かす楽しさや、親子で遊ぶことについて書いてきました。最後に考えてみたいのは、一緒に遊んだあと、親子の間に何が残るのだろう、ということです。

私個人の幸せな思い出の一つに、子どもの運動会に親子で参加したときの風景があります。それは、いまでもよく覚えています。

子どもにとって、お父さんやお母さんは、毎日の暮らしを支えてくれる人です。食事を用意し、着替えを手伝い、出かける時間を気にかけてくれる。忙しい毎日のなかでは、大人が子どもに何かをしてあげたり、伝えたりする場面がどうしても多くなります。

その大人が、高い高い!をやってくれる。わらべうたで、体をくすぐってくれる。おんぶしてキリンの背中に乗せてくれる。大人抱きリレーで玉入れを手伝ってくれる。一緒にリレーで走ってくれた。大人チームに綱引きで勝った。・・・子どもは、きっと、いつもとは違うお父さんやお母さんに出会ったことでしょう。

大人にも、そんな出会いがあったのではないでしょうか。こんなところで笑うんだね。この動きが好きなんだね。もう一回やりたいときは、こんな顔をするんだね。そこで駄々こねるか!? ・・・一緒に遊ぶと、子どもの楽しさが、少しわかってきた感じがあったかもしれません。

そこで知った表情やしぐさ。これからの日々のなかでも、ふと顔を出すことがあるかもしれません。子どもが、🎵きみはできるかな?と、歌を口ずさむ。すると大人がその続きを歌う。それだけで、お互いに顔を見合わせる。「あれだね」と通じ合うものが、親子の間に一つ増えています。

また同じ遊びをしても、次は少し違う展開になるかもしれませんよ。子どもがルールを変えたり、親と子の役割が入れ替わったり。そのたびに、お互いのことをまた少し知っていく。親子で遊ぶ面白さは、そんなところにもあると思います。

さて、親子運動遊びの会は終わりました。また明日からいつもの毎日が始まります。忙しい日には、ほんの短いやり取りになるでしょう。それでも、あの歌や、あのしぐさから、一緒に楽しかった時間へ戻れることがあるかもしれません。

「ねえ、また、あれやろう」

子どもからも、大人からも、そんな声が生まれたらうれしいですね。

「親子運動遊びの会」についての連載は、今日でおしまいです。でも、一緒に遊ぶ楽しみは、これからも続いていきます。

楽しかったですか?親子運動遊びの会

2026/10/17

今日の親子運動遊びの会、いかがでしたか?

私たちの行事は、なにかが上手にできるとか、できないといった物差しはありません。焦点は「心情・意欲・態度」にあります。これは、要するに「楽しかった」「面白かった」「もう一回やりたい」「またやってみたい」といった姿がみられるようなことです。

<第一部 ちっち・ぐんぐん・にこにこ>

①わらべうた「ゆすらんかすらん」「いもやのおじさん」
②体操「できるかな?」
③なりきりあそび

<第二部 わいわい・らんらん・すいすい>
①パン食い競争
②問答鬼ごっこ
③たまいれ
④リレー/傷鬼ごっこ
⑤目隠し鬼ごっこ
⑥つなひき

第二部は「おうちの人と、これをやりたい!」という希望によってできあがりました。

 

一緒に遊ぶ、その時間を慈しむ

2026/10/16

さあ、明日はいよいよ「親子運動遊びの会」です。

この会に向けて、子どもたちが特別な練習をすることはありません。日頃楽しんでいる遊びを、明日は親子で一緒に楽しみます。「こんな遊びを楽しんでいるんだね!」。一緒に遊ぶなかで、そんな発見があれば、何よりです。

わらべうたで声を交わす。音楽に合わせて身体を揺らす。鬼ごっこで追いかけたり、逃げたりする。子どもに誘われて、大人もやってみる。顔を見合わせて笑ったり、「もう一回!」と繰り返したりする。その時間を、親子で味わっていただきたいと思っています。

親子で遊ぶ場所は、いつも過ごしている、慣れた場所がよいのでしょう。ただ、園の中には、皆さんが一度に集まれる広さがありません。そこで毎年、和泉小学校の体育館をお借りしています。

大きな体育館を見て、すぐに動き出したくなる子もいれば、入り口で立ち止まる子もいるでしょう。広い空間や、たくさんの人の声を前にして感じることは、一人ひとり違います。いつもの園での姿とは、少し違う姿を見せることもあるかもしれません。

そんなときも、そばにいるお父さんやお母さんと一緒に、その場所に少しずつ親しんでいけたらと思います。膝の上で歌を聴いたり、手をつないで近づいてみたり。そこから遊びが始まることもあります。

親子で一緒に来たのに、子どもだけが親から離れて、クラスの集まりに入る。それが難しい子もいるでしょう。この会では、親と子どもの席を分けません。クラスごとの場所の中で、親子で座る席を自由に選んでいただきます。親子で一緒にいられることを、遊びに向かう安心につなげたいからです。

何をして遊ぶかも、その場で子どもとやり取りしながら選んでみてください。「これ、やってみようか」「もう一回する?」。言葉だけでなく、表情やしぐさにも、その子の気持ちが表れます。上手にできたかどうかよりも、今、何を感じ、何を楽しんでいるのか。その気持ちを通わせる時間を大切にしたいと思います。

そして、気に入った遊びがあったら、会が終わってからも、ぜひ親子で続けてみてください。「あの遊び、またやろう」。そんな楽しみが、日々の暮らしに一つ増えたらうれしいですね。

8回目を迎える今年も、大切にしている思いは同じです。子どもを応援するだけでも、遊ぶ姿を観察するだけでもなく、大人も一緒に遊ぶ。その楽しさを、明日から先の親子の時間へつないでいくための会です。

明日は、親子で一緒に遊ぶ、その時間を慈しみましょう。体育館でお待ちしています。

「親・子ども・鬼」の三角形

2026/10/15

追う、逃げる、跳ぶ、揺れる。子どもたちが身体を動かして遊ぶ姿には、「面白い」「もう一回」という気持ちがあふれています。

追う、逃げるといえば、鬼ごっこを思い浮かべることでしょう。でも、鬼ごっこには、もう一つ大切な動きがあります。それは「守る」です。

古くから伝わる「ことろことろ」という遊びをご存じでしょうか。鬼ごっこの原型ともいわれる遊びで、鬼と子どもに加えて、「親」の役が登場します。

子どもたちは、前の人の肩に手を置いて一列につながり、その先頭に親役が立ちます。鬼が狙うのは、列のいちばん後ろの子どもです。親は鬼と向かい合い、両手を広げて、背後の子どもたちを守ります。

遊びは、こんな問答から始まります。(「鬼ごっこ協会」ホームページの解説ページより)

鬼「子をとろ子とろ だれとろか」
親「だれをとる」
鬼「ちょっと見ちゃ あとの子」
親「さあ とってみいさいな」

地域によって言葉や節回しは異なりますが、こうして声を交わすことも、遊びの楽しさの一つです。

鬼が右へ動けば、親もそちらへ。鬼が反対側へ回り込もうとすれば、子どもたちもつながったまま身をかわします。追う人、逃げる人、守る人。それぞれが相手の動きを見て、自分の動きを変えていくのです。

ここには「親・子ども・鬼」という三角形の関係があります。自分一人で速く走るだけでは、うまくいきません。親は後ろの子どもを気にかけ、子どもたちは前の人の動きを感じながら、一緒に逃げます。「守ってくれる」という安心と、「捕まるかもしれない」というどきどきが、同じ遊びのなかにあります。

「あぶくたった」も、歌や言葉のやり取りから鬼ごっこへとつながる遊びです。「なんのおと?」と問いかけ、返事に耳を澄ませる。そして「おばけのおと!」を合図に、一斉に逃げ出します。

子どもたちは、ただ合図を待って走っているのでしょうか。やり取りを楽しみながら、次の言葉を待ち、友達と顔を見合わせ、逃げ出す瞬間を一緒に迎えています。言葉とわらべうた、音楽と身体の動きが、一つの遊びのなかでつながっているのです。

「親子運動遊びの会」では、こうした楽しさを親子で味わっていただきたいと思っています。声を交わし、相手の動きを感じ、一緒に身体を動かす。追いかける楽しさも、逃げる楽しさも、守る楽しさもあります。

そのなかで生まれる「面白い」「もう一回」。その気持ちが、次の動きや、新しい挑戦につながっていくのでしょう。

きのこピザづくり〜「おいしい」を楽しみに待つ(東京すくわく)

2026/10/14

今日10月14日、2歳児のにこにこ組が、味の探究できのこのピザを作りました。先生や大人と一緒に作り、焼き上がったピザを食べる。その間にある「楽しみに待つ」という時間について、活動後の振り返りで、心に残る話がありました。

子どもたちは、生地に触れて「ふわふわ」と感じたり、ちぎったり、たたいたりしながら、その感触を楽しんでいました。自分の手で関わったものが、これから食べるピザになっていきます。

ピザを焼いている間は、いったん遊びに戻りました。そして、焼き上がりが近づいたところで、もう一度集まることにしました。

調理する側は、焼き上がる3分ほど前に片づけを始めてもらえば、集まってくる間にピザが焼け、少し冷ます時間も取れるだろうと考えていました。

ところが、子どもたちの片づけは、予想よりずっと早かったそうです。ピザをオーブンから出す頃には、もう席に着いていました。別の場所から画面で様子を見ていた職員も、子どもたちが座っているので、すでに焼き上がったのだと思って来たほどでした。

「焼けた?」
「早く食べたい」

立ち上がったり、身を乗り出したりする姿から、待ちきれない気持ちが伝わってきます。

この「待つ」は、なかなか豊かな時間だと思います。自分たちが触れ、一緒に作ったピザ。その続きが、いま、自分たちから離れた場所で進んでいる。焼けたら、みんなで食べられる。その先にある楽しみが、子どもたちを席へと向かわせていたのでしょう。

味覚の探究というと、口に入れたときの味や、食材の違いに目が向きます。でも、今日の振り返りを聞いていると、「食べてみたい」という気持ちが育つ過程も、大切な一部なのだと感じます。

触った感触、一緒に作った経験、出来上がりへの期待。そうしたものを伴って、ひと口を迎えるのです。子どもたちにとって、そのピザには、食べる前からすでに自分とのつながりがあるのでしょう。

料理には、すぐには出来上がらない時間があります。焼く、煮る、蒸す。その間に、「どうなったかな」「もうそろそろかな」と楽しみにする。大人にも覚えのある気持ちですね。

今日の子どもたちは、その時間を経験していました。目の前にまだピザはなくても、これから食べる楽しみは、もうそこにあったのです。

私たちは、子どもの食事を振り返るとき、「何を、どれだけ食べたか」に目を向けがちです。今日の記録には、食べることへと気持ちが動いていく姿が残っていました。

「早く食べたい」と、焼き上がりを待つ。その心の動きも、味の探究の中で大切にしていきたいと思います。

言葉は名詞を覚えることではない(東京すくわくプログラム)

2026/10/14

今日14日(水)、2歳児のにこにこ組で、味の探究「きのこピザ」を楽しみました。活動後に保育者や調理担当者と振り返ると、食べたかどうかだけでは見えてこない、子どもたちの変化が浮かび上がってきました。

とくに印象に残ったのは、ある子の姿です。約1か月前のきのこの活動では、触れようとせず、表情もあまり動かなかったそうです。ところが今回は、導入から身を乗り出し、生き生きと参加していました。友達が生地をたたくと、その動きをまねして楽しみ、「もう一回きのこを食べたい」という言葉も聞かれました。

前回の姿だけを見ていたら、「きのこが苦手な子」と受け止めてしまったかもしれません。しかし、同じきのこでも、出会い方が変わり、友達と一緒に楽しむ経験が重なると、どうも「きのこ」への関わり方も変わっていくようです。

この子にとって「きのこ」という言葉には、いま、どんな経験が結びついているのでしょう。今日の姿をみると、1ヶ月前の、きのこを前にした「しょぼんとした感じ」が嘘のようです。今日はまるで大好物が目の前に現れたかのような変わりぶりです。触れることへの好奇心、ピザを作る楽しさや、友達と生地をたたいた面白さ、もう一度食べたいという気持ちなども、きっと加わっていたことでしょう。

今回、子どもたちは、きのこの名前もいろいろ口にしていました。ただ、その場にないきのこの名前を挙げたり、種類を取り違えたりすることもありました。名前を言えることと、目の前のものをその名前で捉えることは、まだぴったり重なるわけではありません。

もう一つ、面白い出来事がありました。活動の中では喜んで食べたなめこを、その後の給食の味噌汁では残していた子がいたのです。大人が「一緒だよ」と伝えても、同じものとは受け止めていないようでした。

大人にとっては、どちらも「なめこ」です。でも、子どもにとっては、活動の中で出会って食べたものと、味噌汁の中に入っているものでは、大きさも、見え方も、出会う状況も違います。同じ名前で呼ばれていても、まだ異なるものとして感じているのかもしれません。

「さっきは分かっていたのに」と思う前に、その子にはどう見えているのだろう、と考えてみたくなります。

私たち大人は、言葉の育ちというと、覚えた単語の数に目が向きがちです。もちろん、名前を知ることも大切です。しかし、言葉は名詞を覚えることだけではありません。

生地に触れて「ふわふわ」と感じ、触り続けるうちに「ベトベトしてきた」と気づく。焼き上がりを待ちながら「焼けた?」と尋ねる。「もう一回食べたい」と、自分の願いを誰かに伝える。そこには、感じること、変化に気づくこと、期待すること、相手と気持ちを交わすことなどが同時に生まれています。

言葉は全体の網の目のなかで相互に意味を作り出すものです。きのこの中の、しいたけや、しめじや、まいたけや、なめなどとの違いが、それぞれの特徴を浮き彫りにして、それぞれの意味を引き立てるのです。それがソシュール言語学以降の言葉の常識でもあります。

私たちが大切にしたいのは、「これは何?」に正しく答えられるようにすることだけではありません。子どもがものと出会い、心を動かし、その経験を誰かと分かち合えるようにすることです。

きのこに手が伸びるようになったこと。そして、「もう一回」という言葉が生まれたこと。その言葉に込められた経験の広がりを、うれしく思います。

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