
昨日の藤森先生の喜寿を祝う会で、藤森先生は未来の社会には信頼と利他性を残したいとおっしゃっていました。
そして今日11月3日は「文化の日」。二つのニュースと一つの体験が、私の中で重なりました。
二つのニュースとは、脚本家・倉本聰さんのお別れの会。もう一つは、日本国憲法の公布から80年を迎えた日に、その理念を実現しようと呼びかける集会のニュースです。
倉本さんは富良野で、ゴルフ場だった土地を再び森へ還す活動を続けていました。近隣の森から種や小さな苗を採取し、育てて植える。自分たちが生きている間には、森に還った姿を見届けられないかもしれない。それでも、未来へつないでいくという仕事です。
富良野自然塾の起草文には、こんな問いが並んでいました。
「空気に触ったことありますか」
「森の声を聴いたことありますか」
身近にありながら、いつの間にか感じ取らなくなっているもの。私たちの命を支えているのに、その存在さえ忘れてしまいがちなもの。その問いは、日々の暮らしを振り返るよう、私たちに呼びかけている気がします。
そして、憲法第97条を読み返しました。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
私が心を留めたのは、「現在及び将来の国民」と「信託された」という言葉です。
自由や人権は、長い歴史の中で、多くの人々が苦労して獲得してきたものです。それを私たちは受け取り、これから生まれる人々へも手渡すように託されている。そのように読みました。
そして今日は、福利厚生の一つとして、保育園の先生たちとミュージカル『アラジン』を観てきました。舞台を楽しみながら心に残ったのは、自由への願いでした。そして、真実を語ること、自分にも相手にも誠実であることの大切さです。

憲法の条文で読んだ「自由」が、舞台では登場人物の切実な願いとして迫ってきます。誰かの願いをかなえる力があっても、その人自身は自由なのだろうか。自分の本当の姿を隠したまま、人と心を通わせることができるのだろうか。物語を楽しむなかで、そんな問いを受け取りました。
自由や誠実さを、登場人物とともに喜び、悩みながら感じ取る。歌や踊り、言葉や演技には、それを私たちの心に届ける力があります。こうした舞台をつくり、一緒に楽しむ文化もまた、未来へ残したいものだと思いました。
いま、保育園で暮らしている子どもたちの多くは、22世紀にも生きる人たちです。2101年、いまの乳幼児は70代から80代になっています。そのとき、どんな社会で、どんな暮らしをしているのでしょう。
私たちは、その時代に何を残していくのでしょうか。
森や水や空気とともに、それらを感じ取り、大切にしながら暮らす文化を。一人ひとりの声を聴き、その人の尊厳を守る文化を。意見が違っても、力で押し切らず、言葉を交わして考える文化を。
それらは、日々の生活の中で受け継がれていくものだと思います。
子どもが見つけた小さな虫を、一緒にのぞき込む。「いやだ」という声に耳を傾ける。遊びの中で思いがぶつかったとき、それぞれの言い分を聴き、一緒に考える。そんな場面で、私たち大人がどう振る舞うか。そこにも、未来へ手渡す文化が表れています。
倉本さんの森づくりと、憲法第97条。異なる3つの話から、受け継いだものを未来へつなぐという、共通の問いを受け取りました。
自分では見届けられない時代を生きる子どもたちに、どんな文化を残し、手渡していくのか。その問いを、毎日の保育の中に置いておきたいと思います。













