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2021年 5月

はらぺこあおむしがサナギに

2021/05/31

今朝、運動遊びをしようと3階へ昇ると、それどころじゃない、という雰囲気です。生き物の観察棚の前に子どもたちの人だかりができていて、Sくんが「Tくん、園長先生が来たよ」とTHくんに声をかけています。「なに、どうしたのの?」というとSくんが「蛹になった」といって指を差し、Hさんが虫かごを持ち上げて見せてくれました。

あのウンチのようにしか見えなかったアゲハ蝶の幼虫が綺麗な青虫になった(5月19日)ところまで、お伝えしていましたが、それがいよいよ蛹になったのです。これで、大騒ぎできる子どもたちの、なんと素晴らしいことでしょう!

アゲハの変態に詳しくないと、気づけないような変化です。それが証拠に、私がつい「はらぺこあおむしになるんだね」と、いうとHさんに訂正されました、そうじゃないと。「ちょうちょになるんだよ、園長先生」と。そうです。蛹になったら次は蝶でした。はらぺこあおむしが、蛹になったんですから。

第55回保育環境セミナー

2021/05/29

私たちの保育園は年間を通じて、職員の専門性を高めるための研修を実施しています。専門性の向上は、プロの保育者として欠かせない営みなのですが、大事にしていることは研修で学んだことが実践に生かされるということです。日々の生活は生活、研修は研修と繋がっていないなら、それは意味がありません。学んだことが日々の保育に生かされた初めて研修の意味があります。

そこで私たちはいくつかの工夫をしていることがあります。それはまず、誰から、あるいはどんな団体から、何を学ぶか、どんな組織からどんな内容を学ぶかというコンテンツに関わる精選の話がまず一つ。それから、学び手が学びたいという動機や意欲、何を学びたいのかという学び手の置かれている状況や文脈に即した学び方や学ぶタイミングという話があります。この二つがマッチしないと、本当にいきた豊かな研修にはならないものなのです。

この二つの学びの条件をクリアするために、私の上司の社会福祉法人省我会の理事長、藤森平司は、目指す保育理念が一致するものが集まって研修内容を作り上げることが必要であると考え、17年前に全国組織の保育環境研究所ギビングツリー(略称G T、会の名前は福祉的貢献を意味する「与える木」という題名の絵本の「ビギングツリー」から)を立ち上げました。毎年3種類の研修を計6回開催してきました。

3種類というのは、主に保育士が学ぶ入門的な位置付けになっている「保育環境セミナー」年3回、主任クラスが学ぶ「保育リーダー研修」年1回、看護師や調理員が学ぶ「職域別セミナー」年1回、そして園長や理事長が学ぶ「G Tサミット」年1会です。北海道から沖縄まで、全国に約250園の法人会員がいますが、どの園も子ども主体の保育を目指している保育園、幼稚園、こども園ばかりで、国が目指している保育を具現化している保育になっています。

今年度の最初の保育環境セミナーが5月29日(土)に開かれました。主会場は新宿・高田馬場にある「新宿せいが子ども園」で、そこでは15名が参加し、そのほかはリモートで全国から約100園が参加しました。コロナ禍の研修はリモートが増えましたが、GT主催者代表の藤森は「抽象的な話が増えて、具体的な研修が減っている。コロナ禍であっても具体的にわかりやすい研修にしたい」と、理論的な背景と具体的な実践例をセットで語りました。

今回のテーマは「空間」です。子どもが主体的に生活するためには、子どもが自発的に関わる環境が良くなければならないのですが、幼稚園教育要領や保育所保育指針では、その環境はを「人、物、自然や事象などの場」と定義しており、保育者が意図してデザインできる環境としては「人、物、空間」ということになります。今回は、まず「空間」について学び直したわけです。次回6月は、その実践事例をG T会員園の実践事例から深めます。

6月20日まで緊急事態宣言は再延長

2021/05/28

今日28日(金)のトップニュースは政府が緊急事態宣言を6月20日まで再延長したことです。それで終わるかどうかは不安ですが、インド株の変異種が増えてしまいそうで、それがどんな影響を与えていくのか、心配な方が多いことと思います。昨日27日(木)に園だより6月号を配布しましたが、来月の保育参観は1ヶ月かけて、予約制で進めることにしました。また、先のことでコロナがどうなっているか未知数ですが、運動会の日程が変更になりました。

10月9日(土)から→ 10月23日(土)へ

この変更は、千代田せいがと同じように、和泉小学校の体育館をお借りする保育園が他に2つあって、その調整の中で決まったものです。他の2つとは岩本町ちとせ保育園、あい保育園東神田です。この時期は、いずみこども園も含めて秋の行事がいろいろあるのですが、和泉小学校が快く提供してくださるので、大変ありがたいと思っています。

6月は保育参観の他に歯科健診があります。また7月になると屋上のプールを含めて「夏の水遊び」も始まります。プールの組み立てへの協力のお申し出、ありがとうございます。大変助かります。

そして、7月末には年長組すいすい組の「お泊まり会」を予定しています。東京オリンピック・パラリンピックが行われるとすれば、7月下旬からですが、千代田区によると、ワクチンの予防接種のキャンセル分を学校や保育園の職員に回せないか検討しています。大人から子どもへの感染を防ぐためにも、そうしてもらえたら嬉しいのですが。

明日から急に暑くなりそうです。気候の変化は体調を崩しやすいものです。皆さんもどうぞお気をつけて。

 

 

子どもと遊び、子どもに学ぶ

2021/05/27

(園だより6月号 巻頭言より)

私が好きな言葉に、絵本作家かこさとし(加古里子)さんの「子どもと遊び、子どもに学ぶ」というのがあります。子どもと遊んでいると、子どもから教えられることがたくさんあります。なかでも、私が「これがオススメ」と思って選んだ絵本よりも「そうか、こっちなんだ」と、いい意味で裏切られるときがあって、そんな時は大事なことに気付かされることが結構あります。

実は昨日5月26日も、そんなことがありました。用意していた絵本は、寝る前に読んであげるのに最適な『どんなに きみがすきだか あててごらん』(サム・マクプラットニィ)だったのですが、リクエストされたのは、4月末の「こどもの日まつり」で読んであげた絵本『かえうた かえうた こいのぼり』でした。この2つの絵本は、ほのぼの系とユーモア系という、タイプが全く異なるので、比較しようがないのですが、どっちの反応が健康か?と、ちゃんと考えると、ユーモアを求める子どもの方が健全じゃないかと感じたのです。

大人は子どもに文学的な質のよさや、上品さへの感興といったものを期待しがちなのですが、これは大人の勝手な思い込みじゃないかと感じることがあります。子どもは、おばけ、怪獣、「ざんねんな生き物」など美しくないもの、どこか常識ハズレなもの、極端なものを好みます。ただ、そこには歴然と許されるものとダメなものがあって、排他的で差別的、悪趣味なものは認めるわけにはいきません。絵本『かえうた〜』は、「♪やねより高いこいのぼり〜」の歌詞を「♪いえよりでかい鯉のぼり〜」などと、虎の子ども三兄弟が替え歌にして、悪ノリしていくお話なのですが、その「おふざけ」ぶりを、それはそれとして楽しむ力があることを、子どもたちの笑顔が証明していました。

日本の絵本には、この系譜の絵本がちゃんと根付いていて、ユーモアの質が高い気がします。漫画、コミック、ゲーム、お笑い、落語、狂言・・日本文化の「笑い」は実に多様です。平安時代から<遊びをせんとや生れけむ/戯れせんとや生れけん/遊ぶ子どもの声聞けば/わが身さへこそゆるがるれ>(梁塵秘抄)と、後白河法皇も子どもの笑い声に自身を振り返っていました。

子どもが教えてくれるものは、大人の価値観との、ある種の「差」です。時々、現実を軽々と乗り越えていく生きる力をそこに感じてしまいます。私たち大人が、自分で自分たちを縛っているものにも気づかせてくれる時さえあります。本当に、子どもから学ぶことは多いものですね。

花を愛でるような気持ちで生活したい

2021/05/26

24年ぶりの皆既月食を見たかったのですが、残念ながら雲が遮ってまだ見えません。(下の写真はテレビニュースから)

さて、今日5月26日(水)はいよいよ「親子交流イベント」の最終盤となる「親子フラワーアレンジメント」用の花の配布を始めました。

昨年もちょういどこの時期、第一回目の緊急事態宣言下の閉園期間中に行った「親子フラワーアレンジメント」を思い出しますが、少しでも花の力を借りて私たちの生活に潤いを感じてもらえたら嬉しいです。

花は素朴に美しいと感じます。それは子どもも何も教えなくても「わあ、きれい」と感じています。綺麗なもの、美しいものを慈しむ心、大事にしたいという心が、生活に優しさをもたらしてくれます。

生活の中に花を楽しむ、ちょっと贅沢なものかもしれませんが、やっぱりいいものですね。穏やかな言葉、いいねと感じる賞賛のある生活、花を愛でるように人を愛でながら生活ができたら、世の中はきっと幸せになるはずと思えてきます。どこまでも単純な基準を生活の中で確認したい。そんなことを感じさせる力が花にはありますね。

みなさんからの「おすすめ散策スポット」まとめました

2021/05/25

◆本日5月25日、「親子ふれあいイベント」のパンフレットを配りました。

20210525 親子ふれあいイベント パンフレット

保護者の皆さんから頂いたおすすめスポットとおすすめ公園を一覧にまとめました。

ホームページの「行事」に載せましたので、ご覧ください。

(下のイメージは、その一部ですので「行事」のサイトをご覧ください)

◆今年の「親子遠足」は、本来でしたら先週の5月22日(土)に実施予定でしたが、コロナ禍の緊急事態宣言下ではできません。それを見越して4月27日から前倒しで約1か月、できることをやってみよう、という「親子ふれあいイベント」を実施しています。

◆皆さんからお寄せいただいた「おすすめのスポット」「おすすめの公園」による「お散歩マップ」です。私たちも知らなかった施設やパークが「こんなところに、あんな場所にも」たくさんあって、とても楽しいマップに仕上がりました。できかなった「親子遠足」の代わりに、休日の過ごし方の参考にしていただけたら幸いです。

◆さて、すでに実施したものを含めて「親子ふれあいイベント」の全体像をまとめると・・・

第1弾は「稲を育ててみよう!〜藤崎農場〜」として、苗をお配りしました。

第2弾は「ちいきの方々インタビュー」として、日頃からお世話になっている、絵本の読み聞かせの「福田さん」とボタン屋の岡さんにインタビューをしました。リンクされたサイトでご覧ください。

第3弾の「フラワーアレンジメント」は来週から実施します。お花セットをお渡ししますので、休日にでも親子で、心のおもむくままに、自由に楽しんでみてください。

 

あんびりばぼーって書いて!

2021/05/24

子どもの世界にそっと入らせてもらうと、そうか!という驚きを感じる時があります。今日の夕方のこと、年中らんらんのSくんが私に「アンビリバボーってかいて」と英語のスペリングをご所望されるのです(笑)。どうして、こんな言葉を、しかも英語で!と不思議に思いながらホワイトボードにunbelievableと書いてあげると、彼はUNBELIEVABLと真似して大きく書きます。この一文字だけでホワイトボードがいっぱいになります。次に「エクセレント」「ブリリアント」などの英語のスペルも求められます。スペルを間違えちゃいけないので、スマホで調べながら書いてあげました。これらの言葉にどんな関連があるんだろう?と思いながらやっていると、「あと、グッドとバードも」と言います。ん?鳥が出てくるのか?一体なんだろう?よくわからないまま、英語のスペリングを楽しんでいるから、別に止める必要もないので付き合っているところへ、ちょうどお父さんとお母さんのお迎えです。そして謎が解けました。

バードはバッド badだったのです。つまり何かをやると「すごい!」とか「素晴らしい!」とか「いいね」、とか、そんな反応が英語で返ってくるような遊びに夢中になっているようなのです。子どもには変な先入観がないので、こんな難しい英単語もハローやアップルと変わらないのです。これが子どもの強みだなあ、と感心した次第です。

さらに、そうか!と思ったのは、英語の方がもしかしたら褒め言葉が多いのかも!ということです。そのとき私はどうも最近good=善という発想の地平から抜け出ていなかったことに気づきました。ただ「いいこと」もあれば、「すっげ〜、信じらんねえ」の世界だってあっていい。これは文化の違いでしょうか。大谷翔平がホームランを打つ度に、英語の実況中継者の、あの大袈裟な反応を思い出しました。そんなリアクションが返ってくることが、Sくんには新鮮で魅力的だったのでしょう。それにしても、それが「書いて再現したい」の方へ行くのが面白い。表象の再現方法は、このように多様なんですね。改めて考えたくなります、保育材料というものについて。

青木尚哉さんの探求の凄み

2021/05/22

美と表現の関係を考えたくて、ダンサー青木尚哉さんと海老原義也さんの対談を聞いてきました。そして青木さんの「探求」の奥深さに驚きました。あのダンスは、これだけの努力と実践の中から編み出されているものなのか、という凄さに改めて深い感慨を覚えたのでした。

この感慨は「そのよさがわからないのは私のせい」だと、改めて思い致すようなことなのです。そういう世界は確かにあります。こちらがわかっていない、気づけていない、感じることができない、そんな美の世界かもしれません。食べ物に例えると、わかる人にはわかるワインの味、極めた人にはわかる野菜の味など、その手の「通の世界」の美に近いものです。まあ、私の思い込みかもしれませんが、探求され続けている青木さんの身体への迫り方には、それまで考え抜かれた技法の洗練があることに気付かされると、それはもう「納得せざるをえない重み」のようなものが迫ってきます。プロって必ず、こういうすごい深みを持っているものなんですね、やっぱり。

青木さんが開発したポイントワークは、門下生へ伝えるために体の動かし方をデジタル化したものでした。自らの身体の主要な場所40箇所に通し番号が振られ、そのポイントで形作られる点や線や面を自己意識することで、イメージ通りの動きを自らが意識化しているのです。しかも自らの身体とそれを取り巻く空間とも一体化したような身体感覚を獲得しながら、新しい自己意識と世界とのつながり具合さえも更新しながら舞う。なんと斬新なダンスでしょう。こんな実践理論をお聞きすると、これはもう生き方のポイントワークへと応用したくなりました。その前に、保育の地平をポイントワークの発想で再構築することができるのかもしれないと、ちょっとワクワクしたのでした。

ケアリングが見守る保育

2021/05/21

先生たちが「子どもの関わり方」を大事に見守っている様子に、私はとても安心します。子どもが対象をケアしていることを、大人がケアしているという関係が「見守る」ことの本質だからです。ここでいうケアとは、子どもが熱中して対象と「やりとり」が生じるような環境を用意してあげることも含まれます。その様子の報告がブログで続いています。

例えば、にこにこ(2歳児クラス)の子が、ぐんぐん(1歳児クラス)のおともだちの靴をはかせてあげている姿と、それを温かく見守っている先生の眼差し。そのかかわりに注目してブログに取り上げたいほど、先生がその育ちや「やりとり」に「善さ」を見出し、またその「やりとり」の中に自然な「思い遣り」の姿を描いています。

ここでいう「自然さ」というのは、協力することの自然さです。報酬系とは無縁な脳の働きが生じています。これは強い。褒められたり、励まされてやっていることではありません。承認欲求からの行動ではないのです。「大人の出る幕はありません」という言葉が、見守れていることを意味します。

そうなんです。私は研修会で見守る保育の説明を求められた時、大人が見守るのが大事なのではなく、見守れるように子どもが育つことが大事なんです、という話から入ります。そうなるためには3つの条件が必要ですよ、と。一つが子どもの主体性を尊重すること。二つ目が意欲的にかかわることができる選択できる環境を用意すること。そして三つ目が、子ども同士のやりとりが生じるような場を用意すること。この3つです。

これが「環境を通した保育」という意味なんですが、多くの保育園との違いは、大人が、いちいち褒めたり、子どもがことさら「みてみて」と承認欲求を求めてきません。子どもに自信が育ち、大人にかまってもらう必要性が減っているのです。子どもは困った時は先生が助けてくれるという「信頼」を持っています。先生の方も、子ども同士の世界に過度に介入しません。

わいらんすいの子どもたちが「生き物」に、こんなにも心奪われている様子が、数枚の写真に表れています。カブトムシの幼虫が土(腐葉土)に、モソモソと潜りこんでいく様子を、じっと見つめている表情。ここにはカブトムシへの愛すら感じますよね。

さらに私が感動し、微笑ましく思ったのは、ずらりと並んで虫に見入っている「佐久間橋児童遊園の背中」の写真です。これはすごく面白い。写真コンクールに応募したくなるような一枚です。副タイトルは「都会の自然、子どもたちが見つめているもの」です。こんなところに、子どもたちが熱中するものがある、という子どもの目線を大切にしてあげたい。この背中の先に何があるんだろうと、関心を持ってあげる大人でありたい。そこが大人が持ちたい子どもへの眼差しであり、心配りとしてのケアリング(思い遣り)になります。

 

何かになりきって遊ぶ

2021/05/20

子どもが本気で遊んでいるとき、ある種の共通した特徴を感じます。その方向へ深まっていくものです。それは「何かになりきってみる」という傾向です。その「なりきり」が徹底されていく中に、子どもは面白さを強く感じるようです。しかも、相手とのやり取りが必要で、働きかけると、その反応が戻ってくるという、相互性が豊かな方が盛り上がります。

しかも、子どもの編み出す表象の豊かさはものすごい物があります。子どもと本当に真剣に遊んだことがある方なら、かかわり方次第で、楽しさや豊かさがどんどん湧き出てくることをご存知だと思います。子どもの心が解放された時の精神の躍動感は、圧倒的ですよね。

「園長ライオン」「フラミンゴごっこ」「鳥のブランコ」などの幼児との遊びは、動物になってみる、という「ごっこ遊び」なのですが、こんなにも楽しそうに、嬉しそうにしている姿を目の当たりにすると、この欲求の強さは一体なんだんだろうと考えてしまいます。乳児も同じです。盛んにごっこ遊びを楽しんでいます。

保育学の構造に分け入っていくと、その根底には哲学があります。昔、村井実さんの自宅で「善さ」について話を伺ったとき、ソクラテスやプラトンにはじまって西田哲学まで、何がよいことなのかを徹底的に分析してたどり着いたものですという話を聞きました。私はシュタイナー思想に染まっている、神秘主義一辺倒の若かりし時代だったので、観念主義哲学をいくらこねくり回しても存在学にはならないのに、と不遜にも「ふーん」と聞いていました。

しかし、実際に保育という仕事をする立場になると、村井さんが提唱した「善さの構造」の意味深さがよくわかるようになってきました。その村井哲学の継承者である佐伯胖さんが紹介する認知科学に基づく保育観がまた、子どもの見方を刷新してくれます。そうやって見えてくる子どもの姿や保育の形は、新しい保育のビジョンを生み出してくれます。そこに保育学の深いところにある価値創造としての保育の営みに「触れる」面白さを感じています。

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