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園長の日記

22世紀を生きる子どもたちへ

2026/11/03

昨日の藤森先生の喜寿を祝う会で、藤森先生は未来の社会には信頼と利他性を残したいとおっしゃっていました。

そして今日11月3日は「文化の日」。二つのニュースと一つの体験が、私の中で重なりました。

二つのニュースとは、脚本家・倉本聰さんのお別れの会。もう一つは、日本国憲法の公布から80年を迎えた日に、その理念を実現しようと呼びかける集会のニュースです。

倉本さんは富良野で、ゴルフ場だった土地を再び森へ還す活動を続けていました。近隣の森から種や小さな苗を採取し、育てて植える。自分たちが生きている間には、森に還った姿を見届けられないかもしれない。それでも、未来へつないでいくという仕事です。

富良野自然塾の起草文には、こんな問いが並んでいました。

「空気に触ったことありますか」
「森の声を聴いたことありますか」

身近にありながら、いつの間にか感じ取らなくなっているもの。私たちの命を支えているのに、その存在さえ忘れてしまいがちなもの。その問いは、日々の暮らしを振り返るよう、私たちに呼びかけている気がします。

そして、憲法第97条を読み返しました。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

私が心を留めたのは、「現在及び将来の国民」と「信託された」という言葉です。

自由や人権は、長い歴史の中で、多くの人々が苦労して獲得してきたものです。それを私たちは受け取り、これから生まれる人々へも手渡すように託されている。そのように読みました。

そして今日は、福利厚生の一つとして、保育園の先生たちとミュージカル『アラジン』を観てきました。舞台を楽しみながら心に残ったのは、自由への願いでした。そして、真実を語ること、自分にも相手にも誠実であることの大切さです。

憲法の条文で読んだ「自由」が、舞台では登場人物の切実な願いとして迫ってきます。誰かの願いをかなえる力があっても、その人自身は自由なのだろうか。自分の本当の姿を隠したまま、人と心を通わせることができるのだろうか。物語を楽しむなかで、そんな問いを受け取りました。

自由や誠実さを、登場人物とともに喜び、悩みながら感じ取る。歌や踊り、言葉や演技には、それを私たちの心に届ける力があります。こうした舞台をつくり、一緒に楽しむ文化もまた、未来へ残したいものだと思いました。

いま、保育園で暮らしている子どもたちの多くは、22世紀にも生きる人たちです。2101年、いまの乳幼児は70代から80代になっています。そのとき、どんな社会で、どんな暮らしをしているのでしょう。

私たちは、その時代に何を残していくのでしょうか。

森や水や空気とともに、それらを感じ取り、大切にしながら暮らす文化を。一人ひとりの声を聴き、その人の尊厳を守る文化を。意見が違っても、力で押し切らず、言葉を交わして考える文化を。

それらは、日々の生活の中で受け継がれていくものだと思います。

子どもが見つけた小さな虫を、一緒にのぞき込む。「いやだ」という声に耳を傾ける。遊びの中で思いがぶつかったとき、それぞれの言い分を聴き、一緒に考える。そんな場面で、私たち大人がどう振る舞うか。そこにも、未来へ手渡す文化が表れています。

倉本さんの森づくりと、憲法第97条。異なる3つの話から、受け継いだものを未来へつなぐという、共通の問いを受け取りました。

自分では見届けられない時代を生きる子どもたちに、どんな文化を残し、手渡していくのか。その問いを、毎日の保育の中に置いておきたいと思います。

未来に残したい信頼と利他性

2026/11/02

今日は保育環境研究所ギビングツリーが主催する園長向けの研修会「GTサミット」が開かれました。

「見守る保育・藤森メソッド」は一部の保育ではなく、保育所保育指針を最もよく実現している保育です。決して一流派であるとか、一つのメソッドであるというものでもありません。しかもアジアの特徴も表しています。OECDが世界で優れた幼児教育として5つのカリキュラムを挙げていますが、アジアのものがありません。「見守る保育・藤森メソッド」をきっと見落としているからです。今後、6つ目の優れたカリキュラムとして世界に認知されることになるでしょう。

私たちの世界は、AIやロボットの社会が到来することは間違いなく、すでに子どもたちはデジタルネイチャーを半分生きているという現実があります。そのなかで22世紀を生きることになる今の子どもたちに、いま、どんな教育が必要なのか。今回のGTサミットは、それを大きな視野で構造的に理解することができました。

その中で、私の心に残ったのものがあります。それは「未来に残さなければならない心は、他者への信頼と利他性です」という話でした。たとえば困った時に他者を信頼して助け合い、利他的な判断ができる資質もそうです。これは日本人がもっている資質です。わかりやすい例として私が思いつくのは、大谷選手など日本人選手の考え方や振る舞いに、驚きと共感を寄せているドジャーズの選手たちの言動です。

詳しい内容はまた別の機会に報告します。ゲストの特別講演もとてもいい内容でした。

この保育はとても大切な価値観を表しており、そこに流れている哲学を、すべての子育てに関係のある大人や保育関係者に理解してもらいたい。そんな思いになるGTサミットでした。

神田はカレーの味覚探究の街だった!

2026/11/01

東京都議選の投票のあと「神田カレーグランプリ2026決定戦」(小川町)へ出かけ「投票」してきました。カレーといっても、そのバリエーションの豊富さはすごいです。こんな味があったのかと、驚くばかり。カレーの「食べ比べ」は大人の味覚探究だったと、今頃気づいた次第です。

公式サイトによると、グランプリは・・・私が推したカレーは4位以下だったようです。

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10月31日と11月1日に東京・千代田区小川広場で開催された神田カレーグランプリ2026の決定戦で、カレーショップC&C秋葉原店がグランプリを獲得。受賞メニューは「1968伝統ポーク×C&C渾身の牛すじカレー」で、シャープな辛口が来場者に支持されました。準優勝はスパイスシアター丸の内、3位は日本式カレー 弐番亭。神田の400店以上のカレー店を象徴する第14回イベントは、食べ比べと投票で大盛況のうちに幕を閉じました。

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それにしても400店とはすごい。またイベントの内容がとても濃密でした、これだけの企画運営は見事です。この活動の一角に、子どもたちも参加できないか、考えてみたくなりました。

 

「エスノグラフィ」GT広報誌10月号

2026/10/30

20261029 10月GT広報誌-

 

藤森先生が<子ども理解は、文化人類学者のやっていることに近いのでは?>という話が載っています。私たちちお大人が子ども理解のために「どうしてそうなんだろう?」と、ああかな、こうかな、と立ち止まって考えることに近い話です。その子ども一人ひとりの違いは、その背景のなかの姿だからです。本当の遊びはなんだろうと考えることも。「子どもを見守る」という「みる」の視野の中に、勝手に分類してしまっている「めがね」を再点検してみたくなります。

2026年度「GT広報紙」

「まよっちゃう〜」の楽しさ

2026/10/27

やはり保育の楽しさは、子ども理解が深まった時にあります。「ああ、そういうことだったんだ!」という気づきによって、子どもの心の動きや子どもの世界が垣間見えた時の嬉しさは、保育をしていてよかったと思う瞬間でもあります。

たとえば、担任の先生たちがまとめた14日の「味の探究」の報告を、私が「にこにこのクラスブログ」に載せましたが、そのなかにこんな子どもの姿への気づきが書かれていました。それが面白いのです。

・・・「Mちゃんはどこから食べるか迷っているようで保育者が『まよっちゃうね』と話すと、「まよっちゃう~」とMちゃんがいうと、その言葉が他の子どもたちにも広がっているようでした。どうしてこの言葉にこれだけの反応があるのかはじめは気づきませんでしたが、活動後『おべんとどうぞ』を読んでいるとその描写がありました。絵本を読み、物語の世界に浸る中で自然と言葉が子どもたちの中に根付いていたのではないかと感じました。・・・

ここを読んで、「そうだったんだ!」と思いました。さっそく、2階に行ってその絵本を見せてもらいました。確かに「まよっちゃう〜」という場面があって、それが子どもたちにウケていたのでしょう。実際に、味の探究の時間に、いよいよ焼きあがった「きのこピザ」を食べる段になって、本当に「まよっちゃう」を自分で使っていい場面が湧き出てきたのですから、これは、どうしてもやりたくなったのでしょう。

子どもたちは、先生の声『まよっちゃうね』という言葉を聞いて、過去に読んで楽しかった絵本のその場面のイメージを思い出し、実際にいま食べようとしているとき状況とそれがシンクロして、いいかえると身体知が活性化されて、子どもたちは実施したのです。あえていうと、実行に移したのです。これが楽しいことを正直に生きようとした(本当に生きた)というではないでしょうか。やりたいことをやったのです。楽しいから実行したのです。その場にいた人ならわかるのですが、あんなに繰り返し、とまらなかったし、本当に楽しそうでした。

 

実際の活動の時も、そのあとの振り返りの時間も「どうしてだろう?」と気にはなったのですが、わからなかったのです。小さな謎のままでした。その謎が解けました。絵本だったのです。

あの子どもたちの伝搬力と繰り返しは、絵本の場面の再現の楽しさも含まれていたのでしょう。今実際にそれを使って楽しむという「遊び」がまさにおきたい瞬間だったのです。遊び性はこのように、過去の記憶、ことば、現在進行中の状況、先生の声、食べようとしている美味しそうな食べ物、お友達の楽しそうな顔や声やフレーズ・・・そういったものが引き寄せられて、そこがまるで渦のようになって、そこに「遊び」そのものが立ち上がった、というようなことがいえるのではないかと思ったりしたのでした。

 

 

にこにこさんの会話が楽しい

2026/10/26

いろんな言葉を喋るから楽しいんです。こんなこと言った、あんなこと言ったって。にこにこさんって、いっぱい喋るから、毎日それが楽しいです。

今日は夕方、私が前いたこども園の先生と2時間ほど語り合ってきました。クラス名は姉妹園は4園とも同じです。このにこにこさんは、せいがの森こども園の2歳児クラスのことです。

先生とは映画「こどもかいぎ」に出演した2人の先生です。話し合ったテーマは、保育における子どもの対話です。

私は前の園の園長時代に「信頼と対話」を職員のクレドにして職員間の同僚性を高めるように努めてきました。それはここでも同じです。そして対話のある保育を支えるものは、お互いの尊厳を守り合うことです。リスペクトし合う関係です。そしてそれが子どもにも安心と満足のある生活を作り出し、その中に遊びがたくさん生じることになります。

そして、そこで生まれるものに楽しい会話あるのです。言葉を爆発的に覚えていく2歳児クラス。その見事な使いこなしは目を見張るものがあるのですが、それは味の探究の場面にも随所に出ていました。

味の探究(10月14日)きのこピザ

2026/10/26

10月14日のきのこピザの報告ができましたので、にこにこ組のクラスブログ(パスワードが必要)に載せました。近く2階でも掲示します。

 

伝えたい動きのなかから分化して生まれる言葉

2026/10/25

Hちゃんが「・・ンパンマン」、という言葉を口にしているからといって、アンパンマンに関係のある何かは、わからりません。よく一語文といって、単語ひとつで実は「クックはいてお外いってきたの」だったのかもしれませんし、「これ履くと楽しいの」なのかもしれません。あるいは「おうちにもこれがあるの」かもしれないし、「これと同じアンパンマンがあそこにもあるの、これと同じよ」かもしれません。しかも、どれか一つということではなく、最初の「・・ンパンマン」と2回目のそれと、また3回目のそれは意味も使い方も違うのかもしれません。

言葉は生きているとよく言います。それは言葉の意味が時代によって変わってくるといって話題になったりします。ここでいいたいのは、そういう国語辞典に載っているような言葉の意味の時代的変化のことではありません。Hちゃんが見つけ、手にとり、私に<これ>と手にとって伝えたくなる気落ち動きがあり、動きとしての身体から分化してうまれたものが言葉であるように感じるのです。

つまり「生きている」とは、常に変化している最中にあって、そこから他者との間に生まれるものの一つが言葉で表しているようにみえるのです。生きているとは、環境との関わりが変化していくことであり、その中に見出せる意味も変化しているに決まっているということです。思い出した身体、伝えたくなった身体、同じものを見出して嬉しい身体・・・その都度経験していることが変化している身体です。

たしかに、体の外にある社会的なものである言葉(日本語)を何度も聞いて、その「もの」が「アンパンマン」という音で表されていることを知り、それを自分でも「・・ンパンマン」と声に発した時に、頭の中に思い描いている「それ」(おそらく「靴」のアンパンマンの絵の部分)と一致していることでしょう。しかしそれも一瞬のことでしょう。関係は変わり、気持ちは動き、私との交流のなかでさらに変化していくでしょう。

赤ちゃんの眠りについて妊娠したら学びませんか?

2026/10/24

10月の睡眠講座は24日(土)、出産を控えた方を対象に、赤ちゃんの睡眠について学びました。講師はお馴染みの永持伸子さんです。

講座では、赤ちゃんの睡眠時間や、朝起きる時刻・夜寝る時刻を整えること、朝の光や日中の活動、寝る前の過ごし方などについて話がありました。赤ちゃんの睡眠は、毎日の生活リズムや安心できる環境ともつながっています。

赤ちゃんが生まれてから戸惑うことの一つが、眠りのことかもしれません。出産前に基本を知り、家族で考えておくことが、赤ちゃんを迎える準備の一つになります。

次回の睡眠講座は11月21日(土)です。

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