愛知・西尾市の「坊ちゃんカボチャ」と同じく豊橋市の梨「新高(にいたか)」のセットで850円。
PayPay購入は氏名確認のため当日、保育園でお願いします。
急に来れなくなったきはご連絡ください。保育園で保管しておきます。
*ちなみに同じ日の9月10日(水)は、フードコートの日です。

2025/08/28
愛知・西尾市の「坊ちゃんカボチャ」と同じく豊橋市の梨「新高(にいたか)」のセットで850円。
PayPay購入は氏名確認のため当日、保育園でお願いします。
急に来れなくなったきはご連絡ください。保育園で保管しておきます。
*ちなみに同じ日の9月10日(水)は、フードコートの日です。

2025/08/26
現在のような情報化社会になると、インターネットなどで知識は覚えなくてもすぐに手入るから、ただ知識を答えるための教育は変えなければならない、という主張をよく耳にするようになりました。ここでいう知識というのは、どうも、一旦加工処理された知識を指しているようです。

本やデジタル書籍など書き言葉や図や絵になったもの、紙の楽譜やレコーディングされたもの、そうしたいわば情報化されたもの全般を指しているようです。そうしたメディア化された情報としての知識は、確かに手に入りやすくなり、それを覚えておくような意味での「知識」はすぐに手に入るということはよくわかります。生成AIが生活の伴侶のようになってきた現在、知らないことは聞けば教えてくれます。
しかし日々子どもと接していると、それは非常に限られた情報としての知識にすぎない、ということがすぐにわかります。赤ちゃんから年長さんまで、ものを手に取って触り、時には口に入れたり、積み木を積んだり、絵や文字をかいたり、体を動かし跳んだり跳ねたり、友達と一緒にゲームとしたり何かを作り上げたり、公園や林で虫や草花に触れてみたり。
そうした体験からえるものは、すべて「知識」でもあるのです。身体の知覚と行為が盛んに行われている限り、そこには名付けられていない営みが厳然と起こっており、そこにはまだ名付けられていない「知識」が躍動しています。
それは子どもたちの遊びのプロセスをよく観察してみるとわかります。私たちが機能や目的や意味を見出して命名すると、まだ名付けられていなかった、つまり隠れていた情報から「知識」が生成しているという見方だってできるからです。公園である虫をみつけました。名前は分かりません。図鑑で調べてみました。すると「ハナムグリ」の仲間らしいということが「わかり」ます。
では、この体験のプロセスの、どこから「知識」というものが成立したということになるのでしょうか?まだはっきりと分類されていない新しい昆虫を発見したとしたら、それは名前がまだはっきりししないから、正しい知識ではない、などということはないでしょう。もしそうなら、それなら発明や発見は知識ではないことになってしまいます。
虫ではなくて、色水遊びの色だったらどうでしょうか?子どもたちは赤、とか青とかいいますが、どんな場合でも、ある二つが全く同じ色なんてありません。微妙に違うはずです。和名の色は自然からとった命名法によって、実にさまざまな色の名前をもっています。すると分類によって知識の量が変わってしまいます。それと同じことが細分化された学問や研究の知識は、だれも全体が見えないほど膨らんでしまいました。誰が知の巨人だかわかりません。きっとそいういう知識ならAGIがそうなるでしょう。
要するに五感をフルに使った体験がまずは非常に大切で、生きるために不可欠な体験をたくさんすることです。
(以下は保育士等の専門家向けの話です。)
それでは知識というのは言葉のような表象記号、コーディングされたものをさすのではなくて、保育にける知識とは身体的接地がある情報を大切にしているように思えます。その受け取っている経験をいかに大切にしていくか。それがいかに「資質・能力」の循環として、生成しているか。またそれが生きる力になっているか。そのなかで動いているものの一面が知識と呼んでいるものでもある、ということでしょう。
もっと言うと「知識」に限らず、資質・能力の説明の中に出てくるキーワードは、全てそうした経験の1部として動いているときに、初めて意味をなすようなものなのでしょう。この事は「子どもの姿」と言う表現になっていることとも関係があるはずです。
2025/08/21
先生に伝える用事があって3階にいくと、階段からすぐの棚に年長のSくんがいて、私に虫かごに入っているカブトムシの幼虫を見せてくれました。「ほら、ここにいるんだよ」と。そして何か書いて紙(なんと書いてあるか分からなかったのですが)を、彼がその虫かごの前に付けようとしているのですが、すぐに下に落ちてしまいます。そこで「こうたたら落ちないよ」と、紙の淵を折り曲げたりして、棚に紙が立つようにしてあげました。

私は用事を済ませるために、その場を離れたのですが、あとでよく考えると「あの紙はなんのためのものだったんだろう」と、ふと疑問が湧いてきました。そしてその目的を彼に聞きてから、そのうえで「どうやったら落ちないようにできるか」を彼と話し合いながらやればよかったかもしれないな、と思い返したのです。
そして虫を「愛している」彼の気持ちを想像して、もしかしたらこう閃いたのです。彼は虫が大好きだから、その紙の目的は、カブトムシの幼虫を守るために、ここには幼虫がいるから、触ったり乱暴にしたりしないでね」というような「幼虫を守りたい」といった気持ちに似たもものがあったんじゃないか?と思えたのです。わざわざ紙に何かを文字を書いて、そこに置いておこうとするわけですから、何かのメッセージを伝えたかったに違いない、と。
その話を主任にしたところ、実は彼が「カブトムシを家で育てたい」というので、たくさんいる幼虫の中から主任が虫かごに入れてあげた、というのです。その経緯を聞いて、そうか!いえにもってかえるものだから、自分が家に帰るまで、大切にしておきたいという気持ちからだったのだろうと合点がいったのです。
そうすると私がこう思い直しました。あのとき落ちてしまう紙を立てるようにすることをこえて、どうやったら夕方まで安全にこれを守っていられるか、彼とその話をすればよかったなあ、と。もしかしたら、他のお友達がそれと分かるような表示の仕方を工夫してみるかもしれないし、お集まりのときにそれを話題にすることになったかもしれません。
保育者が子どもの気持ちに気づくこと。一体どうしたいんだろう?その行動の意味はどういうことなんだろう?というように、想像逞しく子どもの心持ちや意図や願いなどに気づくこと。そして「そうか!」と分かってみると、やってあげたいことや、次の環境の再構成の内容や、新たな足場かけの方法が変わってくるのだろうと思えます。
この子ども理解があると、学びのプロセスをのなかでの援助が何か明確になっていくように思えます。
2025/08/19

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2025/08/19
年長のすいすい組にもなると、次のような推論ができるようになるんだな、と感心しました。今日はこんな実験を私と楽しんだのです。坂道をつくることができるキットがあります。坂道の高い方から車を滑らせて、どのくらい遠くまで走っても止まるかと調べます。傾きを変えて調べました。坂道が急なほど、遠くまで車は走ります。

また坂道は表がツルツルで、裏がキザギザです。車はツルツルの方が滑り落ちるスピードが早く、車は遠くまで走りました。そういうことを色々試したあとで、坂道を2枚つないでみたのです。長さが2倍です。スピードも1枚のときよりも早くなりました。ところで、みなさんにクイズです。2枚の坂道の繋ぎ方の順番で、速さは変わると思いますか?2枚の坂道を、高い方から低い方へギザキザ+ツルツルと繋いだ場合と、ツルツル+ギザギザと繋いだ場合、どちらが車のスピードは速いと思いますか?

試してみると、ギザギザ+ツルツルの方でした。そして私が感心したのは「どうしてだと思う?」と質問すると、その理由を説明してくれたことです。子どもの言葉をそのまま再現できませんが、ギザギザから次に早くなるからだ、というようなことを力強く説明してくれたのでした。
2025/08/12

千代田区から本日12日、保育料が無料になるお知らせが届きました。
現在、保育料は3歳児クラス以上と第2子以降の子ども無償ですが、東京都は9月から第一子から無償になります。ただし延長保育料は除きます。無償化の手続きはなにもいりません。これまでの保育料決定通知はなくなります。
2025/08/07

昨日6日(水)から、昼食のときの「当番活動」が始まりました。小学校の班活動と同じです。11人のすいすい組は、ちょうど馬場のぼるの絵本「11ぴきのねこ」シリーズのように、仲良くいろんなことができるようになりました。正式なクラス名は「なんでもしよう すいすいくみ」です。昼食の当番活動というのは、配膳のお手伝いです。ご存知のように、当園の配膳スタイルは、東京都から「偏食予防の理にかなっている、東京都に広めたい」と称揚され、都知事賞を受賞しているものです。
そのポイントは、自分で自分の食べられそうな量を「自己決定する」ということです。どれくらい食べたれそうかな?ということを自分で決めます。味がわからないときは「味見」もします。その上で、どれくらい食べられそうかを自分で決めるのです。ただ、全く食べないということも例外的に認められます。どうしても無理、ということもあるからです。
もう一つ大切にしているのは、ホテルなどのバイキングのように、好きなものを勝手になんでも取っていいというのではありません。かならず量を言って、他人によそってもらうのです。そこで「セミ・バイキング」と呼んでいます。そのとき、必ず「発言」があります。ふつう、ちょっと、いっぱい、などと自分の意思を伝えます。自分の考えを伝えること、口にしてみること。これが毎日必ず最低1回は、この場面で生じます。自分で考える、思い巡らすということが起きます。それを言葉で表現するという機会にもなります。やりとり、コミュニケーションが発生します。
これはにこにこ組、場合によっては、ぐんぐんでもやっています。先生を相手にしながら、自分の意見や思いをちゃんと伝えていくということです。このやり取りの中で、気持ちと言葉のつながりも体験していきます。
ささやかなことのように見えますが、これが自分に関係することに自分で影響を与えることができるという人権の基本形がここにあるのです。ささやかなことだからこそ、大切にさなければ、大きなことにコミットする力に育たないかもしれません。人権が保障されるというのは、本人の意向や意思や無意識の思いも含めたことがら(子どもの権利条約の意見という言葉は、もともと「view」です。意見と訳されていますが、本来は思いや意向です)が「自己発揮」できるということです。
そういう大切な機会を担うのが当番活動にもなっています。
2025/08/06

3種類のズッキーニを薄くスライスして、ベーコンやチーズ、ホワイトソースをサンドイッチしました。

それぞれ好きな順番で重ね、調理室で焼いてもらいました。高級ランチレストランのように香ばしい香りがして、幸せそうに食べていました。


2025/08/06
今日の野菜の味覚探検は、ブロッコリー・カリフラワー・ロマネスコの3種類。ロマネスコという野菜は馴染みが薄いかもしれませんが、カリフラワーの一種です。サクサクと、あっさりした感触の味わいです。

今日の活動で驚いたのは、この活動は回を重ねるたびに、にこにこ組の子どもたちが、野菜を食べることにとても意欲的になっていることです。4月のアスパラガス、5月の豆類、6月のヤングコーンと、今日が4回目ですが、食べる前から手を荒らい、席につき、始まるのを待っている姿からして可愛い!と思いました。

その後の展開の詳しい報告はまた改めてさせてもらいますが、最後は3つとも食べて、おかわりのリクエストのあとで、まだ「食べたい」気持ちがあるけど、もうお終いにしないといけないから、がまんしている姿が愛おしいかぎり。その後の、給食でもまた意欲的に食べていました。

余談ですが、昨日卒園児がSSSで保育のサポートに来ていたのですが、小学校で苦手な野菜がでると苦労しているようでした。彼女曰く「楽しいはずの給食が苦痛」というのです。また午後に実習オリエンテーションに来ていた短大生にその話をすると「私たちのそうだった」といいます。
食べ物が好きなる方法が歴然とあるのに、そのやり方を学ぼうとせすに、また子供の意見や気持ちを尊重せずに、ただ精神主義で食べさせるというのは、もはや子どもの権利条約違反であり、人権侵害なのですが、どうもその感覚が希薄なようです。

当園の食事の様子をみてもらいたいと、切に願います。当園の困ったことは、子どもが食べないのではなく、食べ過ぎる方です。もっと食べたくて、食べすぎないように気をつけてあげることの方が多いかもしれません。

(おまけ)ロマネスコの形は、数学の幾何学ででてくる「フラクタル」が視覚的によくわかります。その説明がよくわかるサイトがあったのでご紹介します。
ロマネスコの花蕾部分には、数学的な法則が隠れていること、ご存じでしたか?それは「フラクタル=自己相似性」というもので、図形の全体を一定の法則でいくつかの部分に分解していった時に全体と同じ形が再現されていく構造です。たとえば、正三角形の中に正三角形を作っていく、こちらもそうですね。

2025/08/05

近くの短大で栄養学を学ぶ学生さんたちが毎年9月に実習きます。今日はそのオリエンテーションでした。3人が1週間ずつ来ます。うちの栄養士が二人で保育園での調理業務や栄養士の役割を説明し、そして私が保育園がめざしている食育活動の全体像を説明しました。
保育園は給食を作って昼や間食の食事を提供しているのですが、それだけではなく食育としての「食の営み」というものがあって、それを国はわかりやすく5つの子どもの姿で例示しています。当園もそれを採用しています。その5つの姿になるように、いろいろな食育活動をしています。
・・・・・「保育園の食育2025年」より・・・・・
千代田せいが保育園では、楽しく食べる子どもに成長していくことを期待して、5つの子ども像を目指しています。
① お腹がすくリズムのもてる子ども
② 食べたいもの、好きなものが増える子ども
③ 一緒に食べたい人がいる子ども
④ 食事づくり、準備にかかわる子ども
⑤ 食べものを話題にする子ども
子どもにとっての食事は、身体の成長・健康を維持に加えて、食習慣の基礎作りとなる大切な営みです。毎日の食事は、安全でおいしく、そして何よりもみんなと一緒に食べて楽しいものでなければなりません。また、食事は栄養を摂取するということにとどまらず、精神的、社会的、文化的そして教育的にも大切な生活行為です。千代田せいが保育園では、子どもたちのお腹も心もいっぱいにできる食事づくりに努めてまいります。
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