
昆虫図鑑によると、いわゆる尺取虫は、蛾の幼虫です。生息する木の枝や葉に擬態するので、どこにいるのか見つけるのが難しいのが、シャクガ科エダシャク亜科の幼虫のようです。
この写真のなかにも、その尺取虫がいるのですが、わかりますか? お花屋さんをやっている保護者の方が夕方もってきてくださいました。お迎えの保護者の方や先生にみてもらいましたが、だれもわかりませんでした。
2023/06/13

昆虫図鑑によると、いわゆる尺取虫は、蛾の幼虫です。生息する木の枝や葉に擬態するので、どこにいるのか見つけるのが難しいのが、シャクガ科エダシャク亜科の幼虫のようです。
この写真のなかにも、その尺取虫がいるのですが、わかりますか? お花屋さんをやっている保護者の方が夕方もってきてくださいました。お迎えの保護者の方や先生にみてもらいましたが、だれもわかりませんでした。
2023/06/12

蛹から蝶になる姿を捉えたくて、いろいろ準備していたら失敗してしまいました。さなぎが折れてしまったのです。これを準備してくれていた先生に申し訳なくて、そのことを報告したら「都会だと敏感になりますよね。。。保育園は子どもの世界でもありますので、それよりもこの活動をきっかけに、青虫の駆除に困っているという先輩と知り合いになり、駆除しないでとっておいてほしいとお願いしました」というのでほっとしました。

そこで思うのですが、たしかに、たかがアゲハの幼虫で、こんなにショックをうけるというのも、滑稽な話なのかもしれません。「田舎に行けば、いっぱいいますから、逆に駆除の対象です。都会の子どもたちは、そういう意味では可哀想ですね」という話を聞くと、なおさらです。
でも、一方で、はらぺこあおむしが害虫になる程たくさんいる環境は、作物にとっては害虫になります。すると、それほど珍しくもない、どこにでもいるような場所では、アゲハになっていく過程の面白さをどのように体験しているのでしょうか? もしあまり見向きもされないとしたら、「自然との関わり・生命尊重」のねらいにあるような「生命の不思議さや尊さに気づき、身近な動植物への接し方を考え、命あるものとしていたわり、大切にする気持ちをもってかかわるようになる」などの姿が育つのでしょうか?
要するに幼児教育にふさわしい環境として、子どもが関われるようになっているかどうか、ですから、ふんだんにあればそうしやすいということです。子どもが見てさわり、心動かされたり感動する体験があるかどうか、それがなければ身近な自然があっても、子どもにはないに等しいということでしょう。
2023/06/09
子どもの「知ってる〜!」の意味について、担任がブログで説明しています。子どもは、あおむしがさなぎになることは「知って」いても、実際に観察をすると、新しい気づきがたくさんあって、知らなかったことだらけであることを体験していきます。その違いを大事にしたいという趣旨の説明です。

これを読んでいて、何かを知ることは、たぶん常に世界の一端を知ることであり、そこから場合によっては「未知」に気づくことになるのでしょう。常に未知に気づくとは限らないでしょう。知ったことから、さらに知らないことを知ろうとすることにつながっていくものは何でしょう?

さなぎの例では、真っ青な緑だった色が、日に日にくすんだ色に「変わった」と気づく子がいます。枝に2本の糸で「くっついている」という子もいます。「糸は口?(から出したのか?)」と聞かれて、私も知らないので、さぁどこから出たんだろうね?と本当に私も不思議だと思います。

また、その子たちが「揺らしたらダメだよ」とか「そっとしとかないと」(年長)などの言葉になっています。大事にしようという気持ちが芽生えているのでしょうか。形も変化しているのですが、それは気づきにくそうなので、写真に撮って日付をつけて掲示するといいかもしれません。

そういう仕掛け、援助があったら子どもが新しいことに「気づくだろうなぁ」という大人の予想が環境を変化させます。そういうつながりを作っていこことが保育の面白いところです。
2023/06/07
ついにあおむしがサナギに。その変化は絵本と紙芝居と歌で知っているけど、やっぱり本物にはかなわない。

この真剣なまなざしたち。うん、こういうのがやっぱりいいな、こんな体験がいいな。

2023/06/05
たくさん生まれた「すずむし」のおすすわけ。保護者の皆さんもいかがですか。まだ小さいのですが、時期に大人になって鳴き出すでしょう。カゴをお持ちください、昨年に引き続きお分けします。5月25日には姉妹園の「新宿せいが子ども園」へ持っていきました。先週2日には、近所の保育園に声を掛けたら「ぜひ」というのでお持ちいただき、今日5日は飯田橋にあるこども園へプレゼントしました。

だんだん大きくなっていく虫の成長を子どもはよく観察しています。どこにいるのか、どんな風に動くのか、触覚だけが白くて目立つことや、ときどき噴霧器で湿気をあげないといけないことなどを知っています。この園で産んだ卵が孵った3代目のすずむし。鈴虫が何はじめるのを「待ち遠しく待つ」という子どもたち。こういうのを気長に待つというのは、なかなかない。この園の特徴になるかもしれませんね。

2023/05/17
時が流れるのは早いものです。子どもたちが進級してから、あっというまでした!子どもたちみな、お兄さん、お姉さんになる喜びを噛みしめながら、先月、進級を祝う会から一か月です。
さて、今回は、今注目されている、STAM教育の芽生えを紹介したいと思います!一般的には、STEAMですが…
それはさておき、理工系の教育に力を注ぐことで、現代社会に対応できる人材を育てるこの教育ですが、そもそもSTAM教育とは、単に知識を身につけることを目的としているわけでなく、科学、IT技術といった世界共通の言語を身につけること過程で、自分の興味の方向性を知ったり、発想力を育むことが、この乳幼児教育には大事とされています。子どもの「好き」を育てる。これこそが、昨今話題になっている。
非認知能力の育成とも言えるのではないでしょうか?
幼児教育に欠かせないのが、おもちゃです!!このおもちゃを取り入れて、子どもの好奇心、探求心を助長させていく事が、STAMの芽生えだと思います。
子どものおもちゃとの付き合いの中で、遊び方が個々にあります。保護者の方々も、家庭でこう遊んでほしいのに、こう遊ぶべきなのにと考えた事は、多々あると思います。
しかし、子どもが意図して遊ばない場面に遭遇したことがあるのではないでしょうか??
子どもは遊び方に決まりといったことはなく。自由な発想をもって、時には大人を驚かせることがたくさんあります。
おもちゃは、手先の巧緻性の発達を促したりしてくれる側面もあります。まずは先入観を捨てて、どう、遊ぶのかを見守るのも一つだと考える今日この頃です。
そういう風な場面に出会ったその時が、子どもが主体的に遊んでるいるということにもなるのかとおもいます。
前置きが長くなりましたが、わらすの子どもたちに、私たち大人が理科の授業で使った、おもちゃの、試験管!ビーカー、フラスコ、メスシリンダーのようなものを渡してみました!


(このバケツの水どのくらい入ってるのかな??の実験!小さい、試験管、ビーカーを使って!)
から始まりました!何度も小さいビーカー、試験管を使って、バケツの水からすくっていきます!

ここで、こんな声が!このバケツ一杯にたまるのはどのくらいなんだろ??小さい入れ物感覚で使っていただろう物に対して、この表現から読み取れるものは、「mathematics」数学的表現です。体積。何杯いれたらたくさんになるのだろうということですね。乳幼児教育では、この好奇心、探求心がSTAMと言えます。幾何学の部分にも通じてくるのではないでしょうか?次に…



(たくさんの物をいれている理由とは?)
水の浮力です!科学ですね!なんで、これは水に浮くのにこれは浮かないのだろう??この疑問が子どもの気づきで、乳幼児教育のSTAMに至って大事な要素だと思います!
このとき子どもたちから、このような表現が、先生!!これ使っていい??ままごとに使っている、スプーン等色んな物を持ってきます!

正直、保育者からしたら、あーあーという場面でもありましたが、子どものやりたいを尊重していきます。何が、水に浮くのだろう??ちなみに積み木、鋳型ブロックも浮かべてみました(笑)
積み木は浮かない。鋳型は浮く。スプーンも浮く!これも、これも!とたくさんのアイテムをもってきます!興味、関心が凄いです…
子どもの心を育むおもちゃとの付き合い方を、STAMを通して感じた時間になりました!
好奇心が物凄く、さまざまな体験をする事が、非常に重要で、色んな物に対しての世界を知るきっかけになるのも、乳幼児教育の醍醐味なのだと感じさせてもらった一瞬でした!
補足で、幼児クラスだからということではありません。私が一歳児の散歩にいった場面です。この時に子どもたちが行った行動が、、、

(保育園周辺散歩において、近くのホテルの駐車場に向けて声をあげる)
普段歩いている、散歩道。保護者の方もたくさんの地域を歩いていると思います。その一場面です。ホテルの前を通りかかりました。その時です!子どもたちが、いっせいに「あーあー」と叫びました!そうすると、音の反響ですね!声が壁にぶつかり音が反射した現象なのでしょうか。大人ならわかる事象ですが、こういう小さな所からも、学んでいます!!
これからも、子どもの好奇心を駆り立てるような日々の保育を模索していきたいと思います!!
2023/04/20
まつるくんが先週からやりた〜い!と言っていた巨大シャボン玉づくり 本日、行いました!
ワイヤーを好きな形に曲げ、包帯をぐるぐる回りにまいていきます。







つくったあとは、屋上にあがって実践..!
シャボン液作りの配合が絶妙に難しく苦戦したのですが..



・・・できた!!
それぞれ、色々な不思議に出会っているようでした!
またやりたいと思います!
2023/03/27
3月20日(月)。東京は桜の開花が例年よりも10日ほど早く、ニュースになりました。それと同じタイミングで、実は保育園でも「開花」したのです。お気づきでしたか?

令和元年の春、正確には平成31年の3月。開園を記念して花壇に植えた2本の木。一本は「みかん木」で、もう一本は「ももの木」でした。みかんの木は、すぐに「はらぺこあむし」の棲家になりましたが、ももの木は、ずっと沈黙を保っていました。ところがついに今年、花を咲かせたのです。我が園にもついに春の訪れを知らせてくれるシンボルツリーが誕生しました。4年ぶりです。しっかり命は生きているんですね。

2023/03/02

1センチ四方ぐらいの小さいパズルのコマを、一列に長く繋いで遊んでいます。パチパチと繋いでいろんな形のものを作ることを楽しんでいるのですが、こうやって、ただひたすら長くすることが面白いという時があります。

こういう新奇性への興味は、子どもに強く感じるときがあります。大人になると何かと常識的なもの、ある種の枠のようなものが強くなってしまうのですが、子どもは時々、思いもよらぬものを作り上げたりします。人が驚くようなもの。

ある種のはみ出したがるような傾向。奇抜で「かぶく」(歌舞伎の元になった)ような要素。カイヨワの分類なら眩暈に近いもの。・・・?どんな意味があると言えるのでしょうか?
2022/10/29
今日はずっと「自覚的学び」への漸進的移行の保育事例を探して過ごしました。そして気づきました。これだと。そしてもう一つの疑問も解消しました。無藤先生の指南のおかげです。それを説明します。

昨日27日午後、交流している他園の先生たちとSTEM保育の勉強会をズームで開き、こんな試みはどうだろうと事例を出し合ったのです。主に光や色、鏡、匂いなど「面白さや不思議さ」から試行錯誤する様子がたくさん報告されました。

その中で「幼児はわかりやすいが、乳児の場合はどうなるのか」が疑問になりました。過去の経験との認識のずれのようなものが「あれ!」という気づきや疑問を生み、どうして?と追究するのでしょう。しかし乳児から幼児前期ごろまでは、自分が「わからないことが分かっていない」ので、外界への問いかけが生まれません。

私はこんな例を出しました。拾ってきた石を洗っていたら、軽石が何個かバケツに浮いているのですが、その3歳児は不思議に思わないという例です。先行する経験の累積的記憶がないと矛盾なり新奇性なりの面白さを感じる認識を持てないのでしょう。これがだんだんと認識的に発達していくと「自分がわかっていないことに気づき、その分からなさに向けて理解を進める営み」としての自覚的学びが始まるというわけです。
例えばその勉強会で報告された事例は「白い花に色水を吸わせると、色がつくのとつかないのがあって不思議がっていた」「浮く沈むの実験に夢中になっていた子は、ちょっと時間があると自分から、これはどうなるだろうと、水槽に水を汲み、芋掘りで取ってきたさつまいもを入れて確かめている」。こういう姿は幼児後半です。

さて、もう一つの「納得的気づき」は、小学生の「自覚的学び」になっていない学びの例です。10月1日に南アルプス市の「南アルプス子どもの村小中学校」を訪問した時、堀真一郎さんが、こんな小学生にしてはいけない、という例を話されました。こんな算数の問題がわからないという子です。

「旦那さんは1980年生まれ、奥さんは1982年生まれ。二人の年齢の差はいくつでしょう」という問題。その子は「年齢の差を出す出し方は教えてもらっていないからわからない。教えて」と言ったので、堀先生が「そのわからないことを考えるのが、この学校だよ」と答えたら、「ケチ」と言われたそうです。
私はこのような学び方が、勉強に向かっているから「自覚的学び」のようでありながら、本質的な学びではないと考えてしまっていました。そうではなく、これは自覚的な学びになっていないことになります。なぜなら「自分で分かっていないことに気づいていない」からです。
能動的注意が自分の「わからなさ」に焦点化されていないから、と言っていいのでしょうか。理由や論理性のない理解が、ただ正解を解く方法の暗記になってしまっている学習が多くないか、それが学びを面白いものに感じることができず、成績も不振になって学校へ行く動機を見失う、そんなことも不登校の要因の一つなっている可能性は、やはりあるでしょう。