MENU CLOSE
TEL

STEM保育・自然科学

自覚的学びへの移行について

2022/10/29

今日はずっと「自覚的学び」への漸進的移行の保育事例を探して過ごしました。そして気づきました。これだと。そしてもう一つの疑問も解消しました。無藤先生の指南のおかげです。それを説明します。

昨日27日午後、交流している他園の先生たちとSTEM保育の勉強会をズームで開き、こんな試みはどうだろうと事例を出し合ったのです。主に光や色、鏡、匂いなど「面白さや不思議さ」から試行錯誤する様子がたくさん報告されました。

その中で「幼児はわかりやすいが、乳児の場合はどうなるのか」が疑問になりました。過去の経験との認識のずれのようなものが「あれ!」という気づきや疑問を生み、どうして?と追究するのでしょう。しかし乳児から幼児前期ごろまでは、自分が「わからないことが分かっていない」ので、外界への問いかけが生まれません。

私はこんな例を出しました。拾ってきた石を洗っていたら、軽石が何個かバケツに浮いているのですが、その3歳児は不思議に思わないという例です。先行する経験の累積的記憶がないと矛盾なり新奇性なりの面白さを感じる認識を持てないのでしょう。これがだんだんと認識的に発達していくと「自分がわかっていないことに気づき、その分からなさに向けて理解を進める営み」としての自覚的学びが始まるというわけです。

例えばその勉強会で報告された事例は「白い花に色水を吸わせると、色がつくのとつかないのがあって不思議がっていた」「浮く沈むの実験に夢中になっていた子は、ちょっと時間があると自分から、これはどうなるだろうと、水槽に水を汲み、芋掘りで取ってきたさつまいもを入れて確かめている」。こういう姿は幼児後半です。

さて、もう一つの「納得的気づき」は、小学生の「自覚的学び」になっていない学びの例です。101日に南アルプス市の「南アルプス子どもの村小中学校」を訪問した時、堀真一郎さんが、こんな小学生にしてはいけない、という例を話されました。こんな算数の問題がわからないという子です。

「旦那さんは1980年生まれ、奥さんは1982年生まれ。二人の年齢の差はいくつでしょう」という問題。その子は「年齢の差を出す出し方は教えてもらっていないからわからない。教えて」と言ったので、堀先生が「そのわからないことを考えるのが、この学校だよ」と答えたら、「ケチ」と言われたそうです。

私はこのような学び方が、勉強に向かっているから「自覚的学び」のようでありながら、本質的な学びではないと考えてしまっていました。そうではなく、これは自覚的な学びになっていないことになります。なぜなら「自分で分かっていないことに気づいていない」からです。

能動的注意が自分の「わからなさ」に焦点化されていないから、と言っていいのでしょうか。理由や論理性のない理解が、ただ正解を解く方法の暗記になってしまっている学習が多くないか、それが学びを面白いものに感じることができず、成績も不振になって学校へ行く動機を見失う、そんなことも不登校の要因の一つなっている可能性は、やはりあるでしょう。

セキセイインコとの出会い

2022/10/12

セキセイインコにオヤツをあげると、上手に啄みます。子どもがそうすると「かわいい〜」と、もう夢中です。

何かをやってあげて、それを喜んでくれると、やってあげた方はまた嬉しい。そのやりとりを見ていて、子どもはケアされたがっているだけではなくて、ケアをしたがっていということがよくわかります。

今日12日は「お手伝い保育」を楽しみにしている年長さんたちですが、3階の観察ゾーンに生き物のお世話ができる場が増えました。

知らない生き物と出会うたびに、それをじっと、よく見ようとします。と同時に触りたがります。子どもにとって対象を理解するということは、頭でわかるのではなく、感覚で取り込もうとします。なので「触ってみたい!」「だっこしてみたい!」と言っていました。

初めてものへの接し方、近づき方も色々です。エルサになっている子は、魔法の杖を鳥籠の上をクルクルと回してみて様子を見ようとします。インコが怖がることを教えてあげますが面白いから続けてしまいます。インコは新しい場所で緊張しているでしょうし、ストレスもあるので、大人はそんなケアを優先します。動物が「嫌がっているよ」、「怖がっているよ」は、伝えてあげます。子ども同士のトラブル場面とも似ています。

そのあと、段々といろんな興味が湧いてくるようで、子どもたちは何を食べるんだろう?水飲むかな?(毛繕いをみて)痒いのかな?このおもちゃで遊ぶかな?・・と「?」がいっぱいになります。

大人はつい、どうしたらいいのかを知っているので、いろんなことを先回りしがちなのですが、こんな時にも、動物にとって過剰なストレスになったり、けがをしたりしない限り、子どものペースで出会わせてあげたい、と思います。

すいすい〜花の植え替えと野菜のお土産

2022/09/30

大丸有というエリアをご存知でしょうか? 今日9月最後の30日は、年長のすいすい組が、この大丸有エリアまで歩いて出かけて「花壇の花の植え替え」をしてきました。歩いて片道30分かかりますが、さすがに年長児、往復60分以上の散歩をこなすことができました。花壇の花の植え替えは、今年の親子遠足(雨の中の屋形船乗船)の時に、佐久間橋児童遊園の花壇のアダプトとして、花のポットを花壇に植える体験をしましたね。あれと同じようなことを、すいすい組で体験してきました。

大丸有(だいまるゆう)とは、ウィキペディアによると、次のような説明がなされていました。

「東京都千代田区にある大手町・丸の内・有楽町の3町域を合わせたエリアであり、東京を代表する一等地である。このエリアは大企業の本社ビルが集積しており、日本最大規模のオフィス街・中心業務地区(CBD)を形成している。皇居の東~北東側に位置し、東京駅(丸の内)や大手町駅周辺では大規模なビジネス街が、有楽町駅周辺ではオフィスビルや大型商業施設、劇場や映画館などが集積しており、銀座の繁華街とも隣接している。東京駅界隈は三菱財閥がイギリス・ロンドンのシティを模範としたビジネス街として開発を行ってきた歴史を持つことから[1][2]、現在でも三菱地所が多くのオフィスビルを所有しており、丸の内一帯は「三菱村」とも呼ばれている」

私は、このエリアとの接点を増やしたいと思っています。この地域が来年度以降の「千代田せいが保育園」の教育活動を展望する上で、中央区の八重洲の再開発を視野に入れながら、いろんな意味で重要になっていくという予感があります。今日の活動は3月のホタル放流体験に続く2回目なのですが、せっかく「エコミュージアム」という場所と機能ができているので、子どもたちの「自然体験」をもう少し、本格的な学びの詰まったプロジェクトに発展させるための提案を企画側へ、したいと思っています。

 

 

事務所での「お手伝い保育」

2022/09/28

9月20日に今年度のお手伝い保育について、年長組(すいすい組)が話し合いをしています。わらすのクラスブログをご参照ください。そして今日28日(水)、その1回目の「お手伝い保育」が始まりました。

この「お手伝い保育」とは簡単にいうと、年長さんが、ちっち組(0歳)ぐんぐん組(1歳)にこにこ組(2歳)のお部屋に別れて、一緒に過ごす活動をいいます。お兄さん、お姉さんとして小さい子どもたちのお世話をしたり、遊んであげたりします。大家族のように過ごすのです。詳しくは、2019年10月20日の「園長の日記」をご覧ください。その歴史や意味を解説しています。

子どものいない事務所では主に3つのことをします。金魚やプランターのお花など生き物のお世話(水替えや水やり)、ペーパータタオルの補充や玄関の掃除、そして乳児室で「使う手作りおもちゃづくり」などです。

今日は玄関のプランターの花の植え替えをしました。その後は、屋上にいる虫探しを手伝ってもらい、その後は水鉄砲で遊びました。

自然との触れ合いをできるだけ増やしたいと考えているので、お手伝い保育にも、生き物との触れ合いを位置付けているのですが、ちょうど「花の植え替え」は、エコッツェリア協会(2022年3月23日の「園長の日記」を参照ください)からお誘いを受けて、今週金曜日30日にも大手町まで出かけて行います。当園の屋上にはバケツの田んぼの稲や、水桶の小さなビオトープなどがあって、そこに自然発生する水生動物を観察することができます。

水槽の中に、ミジンコのような小さな生き物がたくさん泳いでいるのを発見したKTくんとTYくん。「虫眼鏡を持ってこようか?」と、私に提案してくれるので、「そうか、私のお手伝いをしてくれていたんだ」と思い直した瞬間でした。虫探しは私がやっているんだといことを、しっかり理解していたのです。それでもよく見るためには、虫眼鏡が便利だということを知っている証拠ですね。

子どもは自然栽培の味噌の「おいしさ」がわかる

2022/09/22

今日の給食のお味噌汁は、自然栽培で作った味噌を使いました。すると、ある子どもが「おいしい」と言って、おかわりをしました。どうも子どもは、この「おいしさ」の違いがわかるようなのです。子どもの身体はまだ自然に近いので、この違いをキャッチするセンサーがあるのでしょうか。この辺りの人体をめぐる科学は、非常に遅れており、身体についてはわかっていないことが、山ほどあります。この今日22日(金)のエピソードを聞いて、次のような話を思い出しました。自然栽培で作られた作物やその発酵食品(この場合は味噌)は、私たちの人体を自然の生態系の一部に戻してくれるという話です。ちょっと長くなりますが、人体と自然との関係を考えると、うちなる自然環境は、実は胃や腸だという話に遡ることになります。

私たちの体の<内部>はどこか?というと、胃や腸は<外部>であって、内部でないと考えることができます。口から肛門までは筒になっていて、外の環境に開かれています。口から物を食べて、肛門から排泄する。その途中で色々なものを体内に取り込んで、体内から不要なものを外の出すわけですが、この通り道の筒は、体の内部ではなく外部だと考えることができます。私たちの人体を大きな一つの筒、トイレットペーパーやサランラップの芯のようは円筒だと思ってください。

その人体の円筒模型は、もっぺらぼうではなくて、ビオトープのような生態系になっています。口と肛門という蓋がつているので、空洞部分の中身は、私たちの意志で開けたり閉めたりできます。ただその円筒の途中にも、幾つも開け閉めできる門があって、その部屋は閉じられています。口腔、胃、小腸、大腸、直腸などの部屋に分かれていると思ってください。その生態系は、例えると、口腔は石畳の庭の入り口のようなもので、食道は草むらの細長い道のようなもので、その先の胃は、洞窟になっていて中はうねるような林です。

さらにその後の小腸はまるで密林のようです。その中には、色々な液体が雨のように降っているジャングルのように湿っており、いろんな生き物が棲んでいます。乳酸菌やフェカリス菌、アシドフィルス菌、ビフィズス菌など、有名なものから、聞いたこともないような不思議な菌類がいっぱい棲んでいます。

私たちは自分の胃や腸を内部だと思っているので、ちょっと見当はずれなことをたくさんしてしまっています。私たちの本当の内部から見たら、この外部である胃や腸の中を、もっといい環境にしてあげる必要があるのです。それは棲んでいる部屋の空間をよくするのと同じように、外部である胃や腸の中をよくすることが大切なのです。最近、よく言われるようになった腸内環境を良くしようというのは、このことです。

すると、腸には口から入れても実は胃のところで強酸で分解されてしまうので、ほとんどの菌はそこで死んでしまいます。先ほどの羅列した菌たちは、腸のビオトープまでは辿り着けません。では、どうやったら腸内環境が良くなるのかというと、腸内環境を含めた円筒模型の中身を、自然の生態系に戻すことが必要になります。そのために、私たちは筒の中だけを問題にするのではなくて、筒の厚さの部分、つまり私たちの肉体、身体そのものを、内側から自然なるものに作り替えていく必要があります。その方法は、自然栽培の世界と私たちの身体を繋いでいくことなのです。

 

風であそぼう

2022/09/13

保育園では毎年、年間テーマを設けています。今年度は「風と光と・・・」というもので、生活の中の風や光に少し興味を持って、子どもの体験が深まったり広がったりすることにつながるといいな、と思っています。たとえば、13日(火)の2歳児クラスをのぞいてみると、うちわで風船を扇いだり、牛乳パックで作ったものを扇いで倒したりして遊んでいました。この遊びは実習生が考えた「風遊び」ですが、このアイデアは、10日(土)に開いた「納涼会」で遊んだ風の実験からつながっているものです。

この「風の実験」は、机の下から噴きあげるサーキュレーターの上に、筒を置いて、その上にいろんなものを「浮かべてみる」という遊びです。風船やスカーフやカップラーメンの容器とか、「こんなものが本当に浮かぶかな?」というものまで浮かんでしまうので、大人が見ても面白い実験装置です。でも大人が面白いと思うことと、子どもが思うものとは違うかもしれません。

風は見えないし、手で触ることもできないので、どういうものかというイメージも持ちにくいはずです。直接さわったり持ったりできないものだけに、それを感じる場面をいろいろ体験して、子どもは、そこから「風」に要素を抽出してくるのだろうと思います。その時の表現(言葉など)は、その子の感じたリアルな感覚なので、誰一人として他の人と同じものにはなりません。いろんな感じ方や表現になることでしょう。

納涼会では、風車を扇風機に当てて、クルクルと回すという遊びもしました。これらの遊びは、風を使ったものですが、普段の生活の中の風体験とどこかでつながって、いろんな気づきを生んでいるのだろうと想像します。暑いときに扇子やうちわで扇ぐと涼しく感じたり、蝋燭の火をふっと吹いて消す時も、それは同じものと思うことがあるのかどうかわかりません。

ジェット機に乗っている時、私たち乗客は外の風を感じることはありません。台風の最大瞬間風速が50メートルと言われても、きっとそれを実感することはできません。子どもの世界で感じる「風」の世界を、たくさん探して集めたりすることで、見えてくる「風」というものがあるのかもしれません。それは子どもなりに、新しい風の体験になっていくかもしれません。そうしたいろいろな経験を重ねる中で、きっといろいろなものを気づき、子どもなりの好奇心が躍動していくのだろうと思います。

先進的な事例から保育を学ぶ

2022/09/06

昨日から始まって、今日6日(火)で二日目となる研修会「保育環境セミナー」で、藤森平司代表の基調講演と二園の実践発表を聞くことができました。研修会は保育環境研究所(藤森代表)が主催しているもので、今回で56回目。新宿・高田馬場のセミナー会場に約100名、オンラインでの参加者が約300名に上りました。保育について自主的に学び合う研修会に、全国各地から、これだけの参加があるのは珍しく、保育団体や自治体が主催する数ある研修会よりも活気があり、実践のレベルも高いものです。

今日の基調講演のポイントは「子ども同士」「子どもの共同性」をいかに育くむか。<見守る>ことの意味を解説した保育雑誌の特集号の説明(イラストと解説文)を題材にしながら、私たちが追究すべき保育との違いが明瞭になるものでした。雑誌で説明されている保育者の働きかけは、相手が「複数の子どもたち」に変わっただけで、一人の子どもに直接保育者が働きかけるものと、何ら変わらないものです。しかし、私たちの<藤森メソッド>は、その働きかけそのものを、子どもたちの中から生み出すものなのです。

その事例に近いものが、今日のわらすのブログで「お片付け」のシーンとして報告されているものに近いと言っていいでしょう。セミナーで報告された事例は、遊びの停滞を克服していく動きが、子ども同士の関わりの中から生まれていく様子を、年度末に開く「成長展」で展示したものでした。乳児の遊びのつながり、2歳児クラスでの積み木遊びの展開、幼児での協働的な製作活動など、どれも子ども集団そのものが、知恵を出し合ったり、助け合ったり、協力しあったりしながら、生活と遊びを豊かにしていく関係性の育ちを確認できるものでした。

そのためのポイントをまとめたものも、提示され、既存の保育団体や学会からは出てこない保育事例と分析になっていました。OECDが世界の代表的な保育として紹介している5つの保育カリキュラムがあるのですが、それにもまだない、共同性を育む見守るアプローチの提案になっています。

 

実践報告は、熊本から「ステム保育」の充実した環境と実践の事例が、また長野からは「絵本をめぐる多様な活動」が報告され、いずれも海外で提案しても絶賛されそうな内容です。私たちは、このような保育事例を参考にしながら、保育を高めていける仲間を持っていることに感謝です。保育を学び合うことの楽しさを実感できる研究会です。

つぶやきから伝わってくる強い気持ち

2022/08/30

自分なりにやった判断とその結果が他人に認めてもらえないとき、二つの選択肢の前で人は戸惑います。それまで自分はそのように生きてきたし、それでとやかく言われたことはないから、これまで通りAのやり方を続けよう。これが選択肢A。

もう一つの選択肢Bは、それまで自分がやってきたことではうまくいかないからこそ、その他人が認めてくれないのだと素直に自分自身のあり方を省察してみることです。するとそれまでとは違った気づきが生まれ、歩んでいく視野が見つかるかもしれません。

なんでも認め合う関係というのは、なんでも許し合う関係でもあるかもしれませんが、それだけでは信頼し合う関係には、育っていかないのではないでしょうか。人間性の開発とは、人間関係の発達でもあるからです。

この選択肢AかBかを選べと言われたら、私は迷わずにBを選びます。もし、仮にBの否定(結果的に提案でもあるもの)が自分に合わないと最初からわかっていたとしても、自分の中から出てくる現状維持への惰性に従ってしまうことが、自分で考える道を閉ざすからです。異論があること、他の見方や考え方がより良いものであることを発見できる可能性があるなら、私は選択肢Bを選びます。その思考の結果、やはり最初にやってきたことで良いと判断するなら、それでも結構。同じ結果であっても、その生き方は水と油ほど違うと思います。いったん自分の中を通したものと、最初から拒否したものとでは、結果に対する自分で納得する責任感が違うからです。

今日30日(火)、昨日と今日とでは、子どもたちが違います。昨日がそうだったから、今日もそうなるだろうと考えるかもしれませんが、月曜日と火曜日とでは、子どもの何かが違います。昨日も捕まえたトンボを、今日も捕まえて帰ってきた子どもたちですが、「エンチョーセンセーイっ!」と大きな声で呼ばれて、「お帰りなさい。どうしたの」と玄関へ出ていくと、虫かごにトンボが三匹、逃げだそとうとして、羽をバタバタと音を立てています。かなり大きな音です。

「よく見せて」というと、私の目の前にカゴを突き出して、見せてくれます。三匹のトンボは、それぞれ捕まえた子どもがちがっていて、Sくんが「これはHちゃん、これはRくん」と教えてくれます。するとHちゃんが「私ももちたい!」と、Sくんからカゴを無理やり取り上げようとして、力づくの取り合いになります。

すると、それをみていたRくんは、「逃してあげないとしんじゃうよ」と小さい声でポツリ。彼もカゴを持ちたいのかな?と私は思いましたが、SくんとHちゃんの取り合いが終わっても、トンボのそばに行かないので、本当に逃してあげたいと思っていたようです。そして二人には何度もそう言ってきて、それでも無視され、やらないことがわかっているから、もう諦めている、そんな顔でした。

4〜5歳の、こんな小さいうちから、友達の力関係もわかっている中での、トンボのことを気にかけているRくんの様子に、私は気持ちが動かされませす。このような瞬間は、誰の記憶にも残らないだろうなあ、と思いながら、Rくんの「トンボ、逃してあげないと」という言葉の繰り返しに、「そうだね」と、深く頷いてあげたのでした。わかってほしいという強い気持ちが、呟きにしかならないこともあるんですね。

あれ!?と思う瞬間から次の一歩へ

2022/08/26

「あれ、固まった!」。

3階のパズルゾーンにある遊具を、じっと見つめている年長のTY君が、突然そういいました。遊具とは円柱状の透明な容器の中に、粘性の高いドロリとした液体が入っているもので、筒は3層からなり、穴を通って下へゆっくりと落ちてくる仕掛けになっています。例えると、砂時計の砂の代わりに、スライムのような硬めの液体が入っていると思っていただくといいでしょうか。筒をひっくり返すと、数分かかかって、下にゆっくりと流れ落ちてきます。

その動きが面白いので、子どもたちは集中してその動きを見つめています。私もそれが好きで、時々、頭の中を空っぽにしたくて、じっと眺めてリフレッシュツールとして使うことがあります。すると、いろいろなことに気づきます。中のドロリとした液体は、落ちてくる時に、最初は太い線になって穴から落ちてきます。その先端が底につくと、螺旋を描くように、細いロープ状になってクネクネと回りながら、ちょうどソフトクリームの輪ができるように、積み重なっていきます。

その回りかたは、やる度に右回りだったり左回りだったりします。そしてロープ状になった液体は、だんだん細くなります。なぜ細くなるのというと、下の部屋の空気が上の部屋へ押し出されるので、そのため液体が抜ける穴が小さくなるのです。その時、まるで細い液体が落ちるが止まったように見える瞬間があり、その時、子どもによっては「固まった!」「止まった!」ように見えるのです。

その気づきは、まだ不思議だな、という思いにはなっていなくて、「あ、止まった!」という事実としての気づきです。でも、どうして止まるんだろう?と思うのでしょう、見ていると、大抵の子どもは、瓶を手にして、斜めに揺らしたりするのです。すると落ちている細い液体は、向きを変えて落ちていることを教えてくれます。「あ、動いた」と言って、また元のように置いたり、ひっくり返してみたりしています。

実は、この呟きや操作をしている時、STEM体験が起きているのです。つまり、あれ!?という気づきがあって、なんでだろう?という興味から、対象をよく見ようとして持ってジッと見つてみたり、揺らしてみたりすることが、子どもがおこなっている、いわば「仮説検証実験」とでも言えることになっているのです。どうしてだろう? そう思って手にしてみる。あれ、なんだろうと思って近寄ってみる。これは、科学的思考の芽生えなのです。

「そんなことなら、子どもはしょっちゅうやっているよ」と思われるかもしれません。大人が持っている物に興味をもって「それなあに?」と、いろいろ手にして触ってみたり、真似していじってみたり、分解してみたり。時々、大人にとっては困ったことになることもあるでしょう。このような興味から引き起こされる行動に対して、昔から私たちは「こどもは小さな科学者である」という表現で、大切にしてきました。

中でも、「こうかな? ああかな?」と、ある現象に対して試してみたり、一歩進んで「どうして」そうなるのか仮説を立てて試してみたりするようになると、それはもう立派な科学的思考と言っていいものです。赤と青を混ぜたらこんな色になったから「じゃあ、これに緑を混ぜたらどうなるかな」と考えたりすること。ここに科学的な営みと同じ思考が動き出していると言えるでしょう。

この遊具が面白いのは、大人にとっても「あれ?」と思うような動きをすることです。液体が下に落ちてくると、その体積分の空気が、風船のような形をして1つ上の部屋に移動しようとするのですが、どうしてその大きさになるのかは、気圧と粘性度の関係で変わります。子どもたちはまだ、そこに不思議さを感じることができません。流体力学の知識が加わると、同じ現象を見ても、見えてくる物の奥深さが変わってくるのです。

「冷やしたぬきうどん」で育つ非認知的スキル

2022/06/22

湿度が90%を超える梅雨の夏日。こまめな水分補給が欠かせない日が続きます。そんな暑さの反映なのか、冷やしたぬきうどんが人気でした。6月の献立は、この4月から新しいメンバーに加わった栄養士のS先生が作ったメニューです。用意したうどんが全部なくなって、旺盛な食欲にS先生も喜んでいます。「いただきます」をして食べ始めてから15分でおかわりができるのですが、待ち遠しくて、その時刻がくるまで、まだかまだかと「がまん」する姿が目立ちました。その様子を見ながら暑いから「さっぱりしたものを体が欲しているんですね」とS先生と話し合いました。

ところで、こんな場面でもAI時代に必要な非認知能力を育む機会になっていました。ちょっと復習すると、こんな話でしたね。何かやりたいことがあって、そのために待つことは、その目的達成のために自分の行動を律する実行機能を育む機会になります。ただし、ここでのポイントはその目的を自分たちで納得して決める、という意思決定のプロセスです。生活の中の目的やゴールを決める過程に子どもも参画すること、自分たちの意見や考えを反映させていくことが大切なのでした。

自分で決めた目的でなければ、その行動制御は、人から強制的にやらされていることになります。その場合は自分で自分の行動を制御する力は育ちにくいのです。そこで今日は私が「おかわりの時刻決め」をするとき、あえて子どもたちに聞いて決めさせました。「ここはなに?」と。ダイニングの時計の下にはホワイトボードがあります。

そこには「おかわり」の「はじまり」と「おしまい」、そして「ごちそうさま」の時刻を記入するところがあり、アナログの時計を見せて「ほら、いま、長い針が2のところだよね、そしたら、おかわりのはじまりは?」と聞くと、年長のTくんが「5だよ」と教えてくれるので、彼の話にみんなを注目させます。まだ時計が読めない子どもたちがほとんどなので、長い針、短い針が指し示す「数字」を使ってのSTEM保育です。「そしたら、おかわりのおしまいは?」と聞くと、何人かの子どもが「はち〜(8)」と、教えてくれます。みんなが食べ終わる「ごちそうさま」も「じゅういち(11)」と決まりました。

その「5」つまり12時25分になるのが待ち遠しくて、座って待っていられずに、配膳カウンターにやってきて「おかわり、まあ〜だあ?」という子どもが目立ったわけです。そんな時、子どもたちが同じテーブルを囲み、同じものを一緒に食べる「共食」は、黙って一人で我慢するのとは違い、みんなもやっている決まり、ルールだからこそ、守りやすいのかもしれません。それが自己制御の力にどう影響するのか、研究してみる価値のあるテーマだろうと思えます。

top