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STEM保育・自然科学

GT全国実践研究大会 初日

2024/02/03

保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)が主催する全国大会のために長崎市に来ています。初日の今日3日(土)は、午前中は施設見学(8ヶ所の保育園・こども園から選択)で、午後は藤森代表の基調講演と、菌ちゃん農法で有名な吉田俊道さんの記念講演でした。

基調講演では、いわゆる「見守る保育・藤森メソッド」の4つの特徴について、改めて説明されたのですが、新しいトピックスとしては「子ども同士のかかわりを大切にした保育」の中で、社会が狩猟採集社会から現代の情報社会に至るまでの変化(Society5.0へ向かう議論の中で)の中に、変わらないものがあって、それが「助け合う力」であることが紹介されました。また、5つ目の特徴として新たに「園庭」について取り上げられました。

九大農学部大学院修士課程を修了後、長崎県庁の農業改良普及員をしてきた吉田さんは、1996年に退職して佐世保市で「株式会社菌ちゃんふぁーむ」を経営しながら有機農業を始めます。最新刊の「微生物の力だけで奇跡の野菜づくり 図解でよくわかる菌ちゃん農法」によると、1999年に「大地といのちの会」を立ち上げ、生ごみや枯葉などで菌のいる土地を作って、野菜を育てる方法について、理事長として全国で講演をしています。

一番驚いたのは、肥料も農薬も一切使わないのに虫がつかないことです。本当に元気な野菜には抗酸化物質やビタミンCなどが豊富で、虫も食べることができないのだそうで、そういう野菜になる秘訣は「菌ちゃん」が豊富な土作りにあるとのこと。ぜひ、保育園でもやってみたいと思います。

 

意外と難しい「音」をきくこと

2023/12/19

今日のお手伝い保育では「音」についての体験を試みてみました。3人の年長さん(すいすい組)を相手に、糸電話でお友達の声や、吊るした糸を伝わるスプーンの振動音、水を入れたワイングラスの共鳴音などを聞きました。

私の実験の意図は、子どもに「音」そのものを経験することは、どれくらいできるだろうか?と考えているからです。

私たち大人も幼児も、ふだん聞いている声や音は何にしても、そこに意味やメロディや象徴するものを「聞いて」いることが多いでしょう。音そのもの、ということがどういうことになるのか、そこも私もよくわからないとこが多いのですが、いずれにしても、できるだけ「音」そのものに注意を向けてみることができないだろうか?と思っているのです。

たとえば人の声は意味を聞いてしまいます。でも喉の声帯が振動し口腔や鼻腔で共鳴しているのですが、その「音」そのものは聞いていないのではないでしょうか。

(そこで、まず三人には私の喉を触ってもらい、ガギグゲゴと声を出してみるときに、のどがどう動いているかを感じてもらいました。そのあと自分の喉にも手を当ててもらい、おなじようにガギグゲゴを言ってもらいました。そのあと、ひそひそ話で話してもらうと、声帯が震えないことを感じてもらいました。あまりわからなかったので、次回はそこは工夫が必要でした)

例えば、遊びの中でよく登場する糸電話ですが、近くで二人がやっているのを見ると、糸はだらりとしていて、紙コップを耳に当てたまま喋っていたり、口に当てて「聞こえた!」と喜んでいたりと、まあ、実際には糸を伝わってきた振動を聞いているようには見えないことがよくあります。

もしかすると、糸電話の格好をした「電話ごっこ」をしているだけだったり、そもそもケータイで話す姿もあまりみなくなり(イヤホン越し)、ましてや聞く部位と話す部位がそれとわかる「受話器」は、もう見かけないので、糸電話が「聞く」と「話す」を同じコップを交互に使い分けること自体の意味がわかっていない可能性があります。ですので、年長さんでも意外とその面白さを知らないことが多いのです。

そこで、写真のように、こんなに離れてやってみました。しかも「ヒソヒソ話」で。確かにコップから声が聴こえた!という体験になったようです。3人とも面白い!といっていましたが、多分それまでの面白さとは違ったはず。

ワイングラスに水を注いて、指を少し濡らして、グラスの縁をゆっくりこすって動かすと、キーンという共鳴音がし出します。とても大きい音になるのですが、指をほどよい強さで押し付けながらこする力の加減がちょっと難しいのですが、「あ、鳴った」というときの感触を覚えていくと、鳴らすことができるようになります。3人とも鳴らすことができました。

それからやってみたのは、食具のスプーンを糸で吊るして、先端を輪にして指にひっかけ、その指を耳の穴につっこみます。そしてスプーン(フォークでもなんでも金属がいい)をたたいてみます。ぜひやってみてください。とてもいい音がします。お寺の鐘のようにゴーン、といつまでも鳴っています。

そして最後に、部屋のなかに面白い音がないかを探しをしてみました。今回は棒で叩く子が多かったのですが、いつも登っているネットを揺らしてみたり、階段の手すりを手で、こすってみたり、少し広がりも出てきました。偶然、楽器ゾーンにあったトライアングルも、スプーンを鳴らしたように触らないで吊るした方が良い音がする、と言うことに気づいたようです。

音探しから新しい楽器との出会いになったならいいのですが、どうだったでしょうね。

 

 

 

キャンディーの包み紙の工学

2023/12/08

こっちのキャンディーと、こっちのキャンディー、引っ張ると開くのは、どっちだと思う?

口で説明するだけでは難しいので、子どもたちにやってみせました。

制作ゾーンにおままごと用の、食べ物がたくさん作ってあって、その中に大量のキャンデイがあったからです。

ひねってある包み紙を引っ張ると、クルリと回って開来ます。

でも、もう一方の方はいくら引っ張っても開きません。

さあ、どうしてでしょう? というわけです。

これはエンジニアリングですよね。工学の話。

子どもたちはキャンディの包み紙を、大抵は右手で右回りに捻り、もう片方も同様にしてしまうので、開きません。開くようにするにはキャンディーの捻り方を反対にしないといけません。正確にはキャンディーを横向きに置いたとすると、輪切りにする面を基準に「面対象」(鏡に映ったよう)にすると開くのです。

あれ?と気づいた年長の女の子は、それを手にして何度も引っ張ってみましたが、何が違うのかわからず、捻り方の向きの違いには気づくことができませんでした。

ブンブン独楽も同じことなんですがね。

スローモーションで、何度も見れば気づくかもしれません。これもまた別の機会にやってみます。でも子どもの関心がそこに向かないときは自分から「どうなっているのか」その仕組みをよく見ようと思わないのです。無理もありません、どっちも中身が「取れたよ」という感じですから。笑

金魚の水替えの隠れた理科実験

2023/12/05

大人が普段やっていることを子どもはやりがたります。子供だけではできないので、その「お手伝い」という形でその一部を担ってもらうのです。今日は事務所にやってきた年長3人と一緒に、金魚の水替えと玄関に飾るリースづくりを手伝ってもらいました。子どもたちは、このような活動がとても好きです。どのような仕組みで成り立っているのかがわかり、自分で部分的にできるようになっていくことが嬉しいようです。

金魚の水を換えるとき、ホースを使って高い位置にある水槽の水を一旦、バケツに移します。棚の上にある水槽と床に置いてあるバケツは落差があるので、ホースで繋ぐと下に流れます。しかし子どもたちも「水が高いところから低いところへ流れる」ことは知っていても、あることが起きると、水が流れなくなります。「あれ、出なくなった」というので、どうしてかな?と考える時間をとります。

水槽とバケツを繋ぐホースは「逆U字の、山形」にどうしてもなります。ホースの中を流れる水は、高いところから低いところへ一直線に流れるのではなく、途中で一度、上り坂を越えなければならないのです。しかし、水槽の水面からホースの口が離れ、空気がホースに入り込むと、水の流れが途切れて、バケツへ水が出なくなるのです。その理屈が子どもにはわかりません。その現象をクリアするために、それ専用のホースには途中にポンプがついていて、バグバグすると一方へ空気を押し出す仕掛けになっています。灯油を石油ストーブへ注ぐための給油ホースと同じです。そこを子どもが「どうしてだろう?」と考えてみたくなるようにするには、透明なホースを使って、水の動きが見えるようにしたらいいのですが、今日はそこまでできませんでした。こんなことの中に小さな理科実験が隠れているのですが。

水槽のガラス表面が暗くなるのは、内側に「藻」が発生しているからです。その「藻」は別に悪いことはしないのですが、金魚が見えなくなってしまうので、定期的に洗っています。タニシを入れて食べさせるという方法もあるのですが、小さいタニシだと金魚が食べてしまうので、大きなタニシを手に入れるといいのですが。知り合いの田んぼには、オオタニシがたくさんいるのですが、その卵はピンクと紫が混じった毒々しい蛍光色をしていて、天敵に対して、いかにも「食べてもまずいぞ、毒があるぞ」と言うふうな意味を発信しています。

そんなことを思い浮かべながら水槽の水替えを手伝ってもらうのですが、水道の水にはカルキ(塩素)が入っていることを説明して、きれいな水槽に入った水道の水にカルキ抜きの液体を注ぎ、子どもにかき回してもらいます。そして最初に水槽からバケツに移していた元の水を戻します。水替えは3分の1ぐらいずつ取り替えます。一度に全部変えることはしません。透明な綺麗な水槽に戻りました。

この3匹の金魚たちは、子どもたちが朝夕、餌をあげていて、すでに4年ぐらい生きています。絵本「きんぎょがにげた」に出てくるパーツのモビールを吊るしています。

なぜ造花ではダメなのか?

2023/11/27

当園は造花はできるだけ使いません。それは「自然」ではないからなのですが、なぜ自然にこだわるのかというと、自然なるものを経験するのが乳幼児教育だからです。

子どもは自然とそうでないものの区別がつきません。自然の草花は季節によって変化します。今朝は幼児の部屋で先週から育てはじめたシイタケが大きくなっていました!

今の季節では例年よりも公園の紅葉は落ち葉が遅いのですが、その色の変化に気づいたり、地面に落ちている葉っぱを拾って触ったり、踏んでパリパリする音や感触を味わったりすることが大切になります。

毎年それをつみかさねているうちに自然というものが季節の変化とともにあることや、活きている物だから芽が出たり花を咲かせたり枯れたりすることに気づき、そこに子どもたちが、その子なりの好奇心から世界とかかわっていく可能性が広がっていくことでしょう。

サナギから蝶に!

2023/11/21

サナギになってしばらく経った今朝、やっと蝶になりました。

毎日のように観察していた子どもたちは興味深く見入っていました。

午後には羽を広げて羽ばたき始め、今は保育園の玄関を舞っています。

「お腹が空くから砂糖水を上げよう」と、葉っぱにチョンチョンと砂糖水をつけています。

羽を指で挟んでもたず、指先に歩かせるようにとまらせています。蝶への関わり方にも子どものやさしさを感じます。

スライムの面白さと探究

2023/11/17

袋に入れたスライムをどうしても触ってみたい、というので、直接触らせてみました。

すると、子どもは実にさまざまなことをし出します。それをみていると「遊ぶ」ということは、こういうことか!といろいろなことに気付かされます。

それは小一時間続いたのですが、スライムという物質の特性が子どもの面白い!という感性をずっと刺激し続けるような時間が流れていました。

形や色や感触が変わっていく面白さ。ひんやりと、ベトベトした状態でも手でつかみ取ることができ、手に載せておくと、ゆっくりと垂れていく形の変化。

たれ落ちると細長くなって伸びていき、長くなっても切れなかったり、もっと長く伸びて自分の背よりも高くなっていくと、椅子に立ってみたり。

また机の上に広げてドーナツや池、ハートマーク、うんち、虫、カエルなどいろんな形に見えてきて、そのたびに「ほら、みて」と見せ合いが始まりました。

割り箸を刺して焼き鳥だとか、キャンデーだとか、いろんなものに見立てようとしたり、割り箸が何本も刺さってもしばらくそそままになっていることを不思議がったりして、試しています。

テーブルを囲んで、お互いの様子を見合いながら真似したり、長さや色を比べたりして、いわばスライムというものへの働きかけを通してその変化を楽しんでいました。

感心するのは、物の性質にあわせて、ベトベト、つるつる、しっとり、びよーん、つぶつぶ、ざらざら、ごつごつなどを使い分けていたことです。感触の違いを上手に言葉にできるようになっていたのです。

 

 

青虫を室内に入れてみる

2023/10/31

いつの間にか日本の秋にハロウィーンが入り込み、保育園に大鷲神社から「酉の市」の知らせが届きました。毎年、熊手を授かるのですが、長袖のシャツをまだ腕まくりして仕事をしているというのに、もう正月への準備が始まる季節だということに驚きます。

子どもたちも散歩に出かけるときは、半袖の服に薄手の上着という身軽な服装です。その度に秋らしい物を持って帰ってきます。玄関にはアゲハの幼虫がまだみかんの葉を食べていて、丸々と太ったピカピカの体が蛹になる準備に入っています。

スーパーなど果物屋には、ちょうど色々なみかんが売られていて、今日のお昼ご飯にもみかんが出ました。まだアゲハの季節が続くのでしょうか? みかんの新芽の季節はとうに過ぎたので、もうすぐ終わりでしょうが、よく分かりません。でも、お迎えの時などに一緒に観察してみてください。この週末には蛹になり、来週後半には朝、室内を蝶が舞っていることでしょう。

トンボのいのち

2023/10/27

今日はトンボの話です。先週初めにセキセイインコのチュンが亡くなり、寂しい思いをしていますが、私たち保育者は指針や要領の解説文などを読み返して、改めて生き物の命を振り返る機会になっています。子どもたちは虫が好きです。最近は屋上や公園でトンボをよく見かけるので、虫かごにはトンボがパタパタしている日が多くなりました。

一昨日の昼間、年中の二人の子どもが2階の窓から「あ、トンボだ!」というので、私もそばに寄って「どこどこ?」と教えてもらいました(写真1)。「あそこだよ」と言われてもわかりません。駐輪場に並んでいる自転車の荷台カバーの上にとまっているのを、やっと確認できました、(写真23)。よく見つけるものです。

今日は虫かごがの代わりに水槽を探し出したり、自前の虫網(袋)を作ったりしていました。広告紙を細く丸めて棒状にして、その先にビニールの袋をくっつけたもの。さっき聞いたら2匹つかまったそうです。「トンボは何を食べるの?」と餌をあげたいようです。お昼を挟んでつい先ほど(午後1時ごろ)、午前中に屋上で捕まえたトンボを、放してあげていました。私も何度か虫かごの中で息絶えているトンボを見ましたが、だんだん、逃がしてあげないと死んじゃうから可哀想と思うようになってきたようです。

 

 

遊びからの広がりの可能性をどう見るか?

2023/10/26

話は昨日の続きです。保育参観で私が見えた光景についての話です。

◆セロテープが溶けた経験の波及度

火曜日にセロテープをお湯に溶かしてストローになったことを面白がっていた年長の女の子は、担任によると、その後、お友達にそれを再現して見せていたそうです。また、そのお母さんは先ほど「保育園の科学実験の本のコピーを持って帰って、卵を酢に溶かしてみたりして、家中が酢の匂いなって(笑)」と報告してくださいました。家でも実験が続いているそうです。

今日はパンダの人形を作りたいという別の3歳年少さんと、ノリの無くなっている容器に水を入れてかきませていたら「とかしているの?」と聞かれました。何かを溶かすなんてことは、しょっちゅうやっているわけで、改めて人の行動と意味(意図)がセットになっていることは、相当小さいうちから(1歳過ぎから他者の意図に気づく)人間の得意技だったと思い出したのです。溶ける、という物理現象の意味を理解するのとは違いますが。

確かに子どもは絵の具でもノリでも、固まったものに水をかけて溶かすということは、これまでもたくさんやっているのですが、見慣れた状況の中で思い出されてくるものの繋がりを柔軟にするためにも、これも溶ける、あれも溶けるというようなことがたくさんあるといいのかもしれませんね。

◆場所は違っていても音の広い空間の中で参加していたダンス

ある風景や活動が、その子には「面白そう、なんだろう」と近づいて手にしてみたい、やってみたい、と思える情報になる場合と、そうならない場合もあります。さっきまでごっこ遊びをしていた子たちが、別の場所でリズミカルでアップテンポなBGMがなり出すと、年中の何人かはそれに加わらず、先生の膝の上で、じっとみていたり、トランポリンを続けて跳んで遊んでいたりします。ところが、別の曲が聞こえてくると、トランポリンに乗って、その音楽に合わせて体を動かし始めました。

参加していないように見えながら、場所は違っていても自分にとって心地よい場では体が動いているのです。また、他にも、輪になって「鬼さん、鬼さん何するの?」とみんなが言うと、順番に回ってくる子が「これするの」と思い付きの格好をするという遊びがあるのですが、それには加わらなくても、「これするの」の格好をカーテン越しに真似している子もいました。

写真は今日、おうちを作っていた年中さん。ダンボールを切る鋸と上手に使ってドアと覗き窓も出来ました。

◆スポーツやアートだとなると、社会に認められるという感覚

ボールを屋上で転がしている2歳の子がいました。ゴルフやカーリングやラグビーやサッカーなどのスポーツになると、「転がる物」の、物の特性が巧みに取り入られているわけですが、大人はそういう文化的区分に慣れているから、そこにつながるようなことなら「上手になる」ことに、俄然、情熱を注ぐわけですね。でも昨日のような「ガムテープ転がし」だとそうはいきません。

でも「ガムテープ転がし遊び」は、私には幾何学や工学につながる遊びに見えてしまいます。円柱の中心に棒を差し込むと車輪になる、というつながりを見出したり、といったことです。世界に広がっていく可能性のあるもの、とでも言えるのでしょうか? 例えば、きっとガムテープのような円柱でも、それを絵の具に浸して、手袋でもして大きな模造紙の上を転がしてみたりしたら、きっと大きな造形作品ができるでしょう。そうなると、わあっ、となってあたかも幼児教育をやっているように見えるのかもしれません。実際にやってみたいですけれど。

◆子どもの遊びの広がりや深まりをどう捉えるか

このように大人に受ける活動の枠を作ってしまえば、大人はそれとして受け止めるようになります。大人のわかりやすさ(意味づけ)は、こうしてステレオタイプ化して、それを乳幼児の遊びを侵食していくのかもしれません。あるいは何が世界に開けていく経験になっていくのかを、見極めていくようなことが大事なのかもしれません。砂場での遊びのようなことをもっと再評価する説明力が必要になってきているのでしょうか?

・・・「どういうような形から科学的実験的探究活動は子どもに意味があるのか。多分、そこからの世界の広がりがあるかどうかだとは思うのですが。どう具体的に実践で検討するか。」

最近、実験用スケッチブックに書き込んだ言葉です。ここに立ち返って考えることが当分続きそうです。

 

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