午後に近くの公園で開く予定だった今日の「ハロウィン・パーティー」(しずくの会主催)ですが、雨のため保育園での開催となりました。

午前中は、通常の日曜開放で、パーティーで使う「お菓子袋」作りました。

みなさんが持ち寄ったお菓子のつまった袋。それを破ってゲットする子どもたちは楽しそうでした。

2025/10/26
午後に近くの公園で開く予定だった今日の「ハロウィン・パーティー」(しずくの会主催)ですが、雨のため保育園での開催となりました。

午前中は、通常の日曜開放で、パーティーで使う「お菓子袋」作りました。

みなさんが持ち寄ったお菓子のつまった袋。それを破ってゲットする子どもたちは楽しそうでした。

2025/10/24
毎月1回、園児がいなる18時30分から約2時間、ほぼ全員が集まる職員会議と園内研修をしています。今月は上半期の振り返りと、これまでも何度か話し合ってきた来年度から始まる「こども誰でも通園制度」など、新しい国と千代田区の制度について学びました。

保育園は毎日月曜日から土曜日まで、子どもたちが生活している場です。同時にそこは児童福祉法では「児童福祉施設」としての保育所でありながら、子ども・子育て支援法では「特定幼児・保育教育施設」としての幼児教育施設でもあるという、二つの法律で定義された複合的な目的のある空間です。

この二つの目的は明治以降の長い歴史をもつ「保育」が、子どもの自立と幸せを育む教育の根幹だったわけですが、国家教育としての学校制度がだんだんと乳幼児の世界へも降りてきて影響を与えるようになり、本来教育を含んでいた保育の中身から、学校教育としての教育を押し付けられながら、反対に本来の教育が抜き取られてしまうという傾向を孕むようになってしまいました。

当園は、このままで「こども園」になることが、その本来の姿をよく示すことになると考えるのですが、つまり当園のような遊びがそのまま幼稚園そのものなのはずなのですが、なかなか理解してもらえないという状況が続いているのです。

2025/10/23

22日(水)の「わらすの報告から」。・・午前中に「防災について」みんなで考える時間をもちました。すいすいを中心に行ったが、わい・らんも興味をしめす子が多く、ほとんどの子が参加していました。

小林主任による「防災教育」です。
<・・実際の地震や津波の映像も交えながら、実際に起こったときはどうすれば良いかをみんなで考えたり、改めて確認することができた。毎月避難訓練は行っているが、いつ起こるか分からない災害について、改めてしっかりと考える時間を持つことはとても大事だと感じた。・・>

いざとなった時に、備えて。何を備えるのか。それを考え直しながら。
2025/10/22
私たちは国が定めた幼稚園教育要領や保育所保育指針という、いわばガイドラインに元づいて保育をしています。そのなかで、大切にされてきた特徴は「心を育てる」ということです。要領や指針ではそれを「心情」と呼んでいますが、そのなかでも「意欲」は特別なもので、行動を促すとともに自分の心の姿勢「態度」を育てていく原動力になります。

今日は千葉県のN市の園長会から来られた園長先生たちとその話になりました。例え話としてよく使うのが「ごめんね」とか「ありがとう」です。子どもが何か人に迷惑をかけたりしたら「ごめんね、しようね」とか「ごめんねは?」といいます。
ごめんね、と言えるようになることは素晴らしいことなのですが、勘違いしてはいけないのは、ただ口で「ごめん」と言えるようになることだけを求めて、それでよし、としてしまうとき、その気持ちがないのに、「ごめんといえさえすれば、許してもらえる」と勘違いしてしまうことです。
こうなると、唱えさえすれば許してもらえる魔法の言葉「ごめん」になってしまいます。
ただ口先でごめん、と言われると、言われ方は「いいよ」と許してあげる気になれません。私が実際に昔見かけた光景ですが、その子は「ごめん、ごめん」を何度もいうのですが、なかなかいいよと許してもらえません。すると終いには「なんでいいよって、いってくれないんだ」と逆ギレしていました(笑)
私たちは「ああ、わるかったなあ」という気持ちが湧き起こる内面の育ちを重視します。たとえ口で「ごめん」といえなくても、心で「僕もちょっと悪かったなあ」と感じているなら、そこを私たちも感じ取って「そうだよね、◯◯ちゃんも、ごめん、って思っているよね」と共感してあげるようにしています。子どもは自分が好きな人に自分の気持ちが「わかってもらえた」と思うと、素直にうれしくて、自分から「さっきは、ごめん」と言えたりするのです。
この心情=わるかったなあ、が先にあって、なんとか相手に自分から言おうとする意欲が生じ、それが結果的に心の動きとしての謝罪(というと大袈裟ですが)の気持ちが態度となって現れてくるのです。それが私たちが大事にしている、心の育ちです。
2025/10/21

今日のちっちさんの保育日誌を読んでいると、なるほど!と嬉しくなる表現に出会いました。それがタイトルの「さまざまな感情が芽生える一日に」です。

どうして、さまざまな感情が思わず沸き起こってきたのかというと、お手伝い保育があったからです。これは年長のすいすいさんが、午前中に乳児室で過ごしたからです。

<今日は、すいすい組のお兄さんお姉さんたちがお手伝い保育で来てくれました。楽しいことやおもしろい遊びをいっぱい見せてくれて、ちっちさんたちも興味深々で思わず笑顔になったり、ちょっとびっくりしたり。いろんな刺激があって、さまざまな感情が芽生える一日になりました。>

赤ちゃんは安心できる親御さんとの安定した関係が1歳前後までに成立すると、今度はその関係を起点しながら、人間関係も広がっていきます。そのときに生じる「人見知り」は、大好きな親と他人を見分ける認知能力が育ってきたことを示すのですが、大人と子どもでは、その時に生じる警戒心が異なります。知らない大人には恐れや警戒心をもつのですが、なぜか子どもにはもちません。

その証拠を見てみたい方は、初めて入園した赤ちゃんが、年長の子どもたちと出会う様子をご覧いただく機会があるといいでしょう。子どもは子どもに親しさを感じるのです。それはお手伝い保育の様子でもわかります。そして今日はその関係の中で生まれる様々な感情を先生たちが見届けたようです。
2025/10/17

秋のそよ風が気持ちいい屋上で、焼き芋と昼食を楽しみました。



詳しくは「保育ドキュメンテーション」をご覧ください。
【朝から屋上で小林先生のプール片付けをお手伝いで雑草抜きをしていたら、その仕草がお芋ほりみたいだね、という話題になり、昨日お芋ほり行きたかったね、という話になり・・・そして始まった小林先生の焼き芋会。今日はお散歩の予定だったのですが、プールも片付けてきれいになったし、気持ちが良いし、そのまま屋上で過ごしちゃおう!ということに。気候に誘われて、次々と楽しいことが始まって、ワクワクな1日でした。】
2025/10/15
お店屋さんごっこで、見学来られたお客さんに「クッキー屋さん」でおもてなしです。

朝の集まりで「折り紙をやりたいから制作ゾーンを開けて」と選んだメンバーが、せっせと折っていたのは知っていたのですが、わざわざ1階の廊下まで販売に来てくれました(笑顔)。


2025/10/14
散歩で拾ってきたどんぐりを使って、やじろべえを作りました。

メンバーが揃うまでMSくんと話をしていたら「どんぐり遊びがいい」ということになり、やじろべいを作ってみることになりました。

みなさん、どうやったらうまくできるか覚えていますか?やってみるとわかるのですが、微妙なバランスをとるのが、とても難しいものなのです。

物理的にいうと、指一本でささえる支点の位置です。やじろべえが左右前後に倒れない地点を重心の真上につくらなけけらばなりません。子どもにそういうことはわからないので、どこだったらうまくいくのかを、あれこれ体験していくのが、やじろべえ作りの「あそび」です。

今日は、どんぐり3個を直線に並べた場合にうまくいかないことを試し、そのあとで角度をつけてやってみました。その後、左右に傾くので、どんぐりの重さを同じにしてみよう、といことで天秤で「これとこれが同じ」を探してつくってみました。

園長のステム保育「ユリイカタイム」です。子どもたちは「じっけん」と呼んでます。今日は何するの?と人気の高い時間です。ステムとはSTEMのことで、サイエンス・テクノロジー・エンジニアリング・マスマティックスの頭文字で、いわば理科の保育です。
私の進め方は、最近の遊びで楽しかったことや、面白かったことについての「対話」から始まります。年長のすいすい組が毎週火曜日に行なっている「お手伝い保育」の時間に、職員室チームは私とステム保育を楽しんでいるのです。今日は「園長ライオンと実験した」というなら、この時間のことです。
2025/10/12
運動会の日とその翌日を使って、エアコンの分解清掃、換気扇の清掃、調理のグリストラップ、害虫侵入防止処置をしました。

園内には天井に11台のエアコンが装置されているのですが、すべて隅々までクリーンにしました。


これで冬の暖房への備えができました。



2025/10/11
当園はいわゆる「運動会」がありません。似ていますが、趣旨も内容も全く違うものです。正式名称は「親子運動遊びの会」です。略して偶然「うんどうかい」ですが、本来の乳幼児の運動会とはこういうものなのですが、いかがだったでしょうか?

第一に大切にていることは、子どもが楽しいと思えることです。大好きな親と一緒に体を触れ合いながら、運動を楽しむという体験は、子どもが幸せになる経験です。心と体に残る幸せな経験になるのです。いつまでも忘れられない親子の絆として思い出すことでしょう。

親子運動遊びは、体を動かす楽しみを家庭で共有してもらいたいのです。子どもの嬉しいと思う感情に気づいてくださったでしょうか。子どもは体を動かすことの楽しさを、最も好きな人であるお家の人と分かち合いたいのです。ほらね、こんなに楽しいでしょ、と。子どもはその喜びをパパ、ママに味わってほしいという願いをもっているのです。

第二に大切にしているのは、子どもだけを頑張らせる対象となる大人のための観賞会にしないことです。子どもが練習して頑張る姿を親や大人が応援するという構図を、幼児教育に持ち込みたくありません。

あるとしたら、子どもが楽しいからやりはじめたことは、もっとやりたい、もっと上手になりたいと思うようになります。そのために自ら工夫し、努力します。年長さんぐらいになると、話し合って知恵を出し、成し遂げようとします。ちょうどいまの縄跳びのようにです。それが次第に、見てほしいという気持ちになっていくのです。その延長に位置づくのが「お楽しみ会」です。

ちなみに、多くの学校がいまも踏襲している運動会は、その歴史を遡ると軍隊のレクリエーションに辿り着きます。ですから騎馬戦とか棒倒し、組体操やマスゲームが編み出されていったのです。

研究者によると、中世から近世にかけての専門的戦士がもっぱら行う「戦争」が、国民総動員の近代的な国民国家の戦争に変貌していく中で、国民の行事として地域で開かれる運動会が広がっていったのです。

平和を希求する時代にこのような歴史をもつ運動会をやめる運動もあったのですが、「学校の運動会はそういうもの」という戦後の習慣がいまだに続いていることに、私は違和感をもちます。やるなら上の第二大切していることを守ってもらいたいと思います。

