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2021年 10月

初めての園開放は6家庭9人

2021/10/31

衆議院選挙の投票日でハロウィーンの今日10月31日、初めての休日の「園児向け保育園開放」を行ったところ、6家庭から園児が9人、保護者9人がいらっしゃいました。親子だけで過ごしてもらったわけですが、子どもたちは好きな遊具をたっぷりと使うことができたようで、満足した様子でした。

平日とは異なり、日曜日の午前中の2時間だけでしたが、のんびりとした時間の中で、ゆったりと過ごしてもらえたようです。またやりたいと思います。

(写真を撮り忘れましたので、冒頭のものは金曜日の給食メニューです)

 

業平小の運動会で青木さんがダンス指導

2021/10/30

東京スカイツリーのすぐそば、墨田区立業平小学校で10月30日に開かれた運動会を見てきました。6年生の3クラスとさくら学級86人による出し物が、ダンサーの青木尚哉さんが指導したダンスだったからです。

演目は「虹色の風を起こせ」。内容は一人で歩くこと、数人が並んで歩くこと、漢字一文字のイメージを数人のグループで表現すること、そして、千代田せいがでもやった「マネキン」などのワークで構成されていました。運動会は校庭で行われたのですが、真っ青な秋空に揺れていたのは6年生が作った傘の作品でした。

ある枠があっても、その中の動き方を自由に作り出すと言う創造性に主眼が置かれていることがわかります。例えば6人が横1列に並んで歩くワークでは、スタートとゴールは並んでいるのですが、途中では誰かが速く走ったり、止まったり、ゆっくり歩いたり、ランダムに動く模様ができます。それをお互いに見ないでゴールを一致させるというものでした。タイミングやスピードを自分たちで考える面白さがあります。

作品のパンフレットによると「まずは動きのアイディアをできるだけ出し合って、そこからより見せたい動きや、場所の使い方、他のグループとのつなぎ方も考え、工夫を重ねてきました」。これを授業で作り上げるまでに、7月に1回、9月に2回、そして10月に8回のワークショップを重ねてきたそうです。

学校とアーティストの橋渡し役を担っているのは、NPO「芸術家と子どもたち」で、「パフォーマンスキッズ・トーキョー」(PKT)という活動を平成20年度から展開しています。その代表の堤康彦さんによると、ダンスや演劇音楽などプロのアーティストを学校や児童福祉施設等に10日間派遣しワークショップを行い、子どもたちが主役のオリジナルの舞台作品をつくります。令和2年度までに都内小、中、特別支援学校156校、文化施設65カ所、児童養護施設33カ所などで実施、約9400人の子どもたちがアーティストとの素敵な出会いを体験しています。千代田区では昌平小学校がダンスで浅井信好さんとのコラボレーションしています。

小さいうちに、芸術家やアーティストと出会う体験は深いところで興味や関心を刺激します。乳幼児の体験の中にアートとサイエンスを、増やしていきたいものです。

 

子どもたちに、語る・聞く・討論するという体験を

2021/10/29

 

園だより11月号 巻頭言より

開園して3年目を迎えた当園は、今年度が一つの節目だと考えています。改めて初心に戻って保育の眼差しの質を高めなければなりません。十年一昔と言われた時代が昔あったのですが、現代は3年が昔の10年に当たるくらい、劇的なスピードで社会が変動しています。しかも取り返しのつかない地球規模の危機が迫っている中での1年ずつなので、組織としての強烈な意思が不可欠です。常にビジョンを更新しながら歩むことが必要な時代に突入しているのです。子どもたちが迎えることになる近未来を思い描くことは、大人の想像力、人権感覚が強く問われる時代です。それが今(いま)なのでしょう。

でも、日本で生活していると、私も含めてその危機感が希薄なのかもしれません。たとえばカーボンニュートラルに向けた再生可能エネルギー比率で、びっくりするほど高い目標値を掲げ、産業構造のパラダイムシフトを強力に引き起こしているヨーロッパ諸国の事例を見ていると、日本は大丈夫か?と心配になります。「日本は10年遅れをとった」(齋藤幸平)とすると、現代の10年は致命的かもしれません。

「21世紀型の市民が育つ出会いの場へ」。こんなテーマで汐見稔幸・東大名誉教授がこう述べています。「赤ちゃんの時からの市民教育を丁寧に」と題して「環境の変化によって21世紀型の地球市民の育成が課題となってきますが、その成果は、乳児期からの丁寧な人格尊重、アタッチメント体験、協働体験、文化体験等の保育・教育によってこそ大きくなります。特に子どもたちに、語る・聞く・討論するという体験を丁寧に保証することが大事でしょう。やがて具体化する義務教育の低年齢化の内実を丹念に作っていくことこそだが大事な課題になります」と(フレーベル館『保育ナビ』11月号)。

また続けてこうも述べています。私は全く同感です。「専門性のある人が自由に出入りし子どもたちに『本物の文化』を提供」と題して、「保育は、自ら育とうとする者を育てる営みですが、子どもたちが自ら育とうとなるきっかけのなかで大事なのは、子どもたちの深い興味・関心を誘発する本物の文化との出会いです。保育者が用意するものだけでなく、料理、栽培、制作、あるいは絵画制作、踊り、演奏、音楽、スポーツなどの一定の専門性を持った人との出会いが、子どもたちの予期せぬ興味・関心を深く引き出します。逆に子どもを通じて文化の本物性とは何かが学べます」というのです。

この保育のビジョンは当園のものと一致します。真性の文化への参加者、地球市民を育てるための保育はどうあるべきか。OECDはそこに焦点を当てています。そのビジョンは「世界は生き残れるのか」というグローバルな危機感と響き合っています。このビジョンについて、みなさんと語り合いたいですね。

お芋掘り(年長のみ)

2021/10/28

昨日よりも6度高い23度まで上がった秋晴れの今日28日(木)、年長組(すいすい)10人が芋掘りにバスで出かけました。

行き先は京王線若葉台駅からすぐの場所にある「黒川東農園」です。

今回で3回目になります(昨年は10月2日、一昨年は10月4日の「園長の日記」をご覧ください)が、今年は3週間ほど遅らせたので、ちょっとお芋も大きかった気がします。

大型バスが6台もきていて「今年一番多い日」だったそうです。

芋掘りの面白さは、手で掘ると大きな芋が顔を出してくることでしょう。蔓(つる)の下をどんどん掘っていくと、だんだん全容が明らかになっていきます。意外性もあって、細いと思っていたら、予想外に太くなったり、一つかと思うと、いくつもの芋が連なっていたりして「わあ、みて、これ!」と驚きの声もあがっていました。

掘り出すと、誇らしげに盛り上げてみせれくれます。一人ふた株を用意したのですが、掘り終わると物足りなさそうにもっと埋まっていないかと、探していました。

記念写真を撮って、お弁当タイム。芋畑からすぐのところにある公園で、みなさんに用意していただいたお弁当を広げてみんな一緒に食べました。

畑に着く前から「お腹減ったあ」「早くお弁当食べたい」と言っていた子もいたほど、お弁当は待ち遠しかったみたいです。その時間になるとみんな「早く食べたい!」と待ちきれないような様子で、いつものように「用意はいいですか」「いいですよ」「それではみなさん、ご一緒に、いただきます」と挨拶してから食べました。

食後はその公園で1時間半ほど遊びました。坂があるので、持っていった段ボールの草スキー板が大活躍でした。どの子も初めてだったみたいで、うまく滑り降りるバランスや格好を覚えると、何度も何度も繰り返していました。3枚あった板は、最後はくにゃくにゃになるほど、使い切った感じです。遊びの後半は、自然と鬼ごっこが始まり、助け鬼などをして遊びました。

全身、どろんこ、真っ黒け〜。の子もいて、先生が「洗濯が大変になっちゃうな」と親御さんを心配していたので、私が「子どもの服が真っ黒になって帰ってきたら、基本、喜んでくれるはずだよ」と言いました。・・・と思いたい。・・・ですよね。ちなみに、昨日の「ぐんぐん」のブログも併せてお読みください。私たち保育者目線の願いを込めております。

かなりの運動量だったので、帰りのバスの中は、10分もしないうちに、ほとんどの子がぐっすり寝ていました。

雲一つない快晴のもと、車窓からは富士山もくっきりと見ることができました。

天体望遠鏡で秋のお月様(上弦の月)を観察する機会は、毎年9月10月と2回あるのですが、この秋は、私の都合も合わず、また天候が悪くてお迎えの時間帯に見ることができませんでした。

でも今日は下弦の月がバスについてくるように、青空の中で輝いていました。Sくんが「お月様がついてくるよ」と不思議そうでした。こんなにはっきりと日中のお月様が観察できるのも珍しいものでした。

 

第1回 日曜日の園開放デイ(3階のみ) 10月31日 午前中

2021/10/27

保育園の3階を開放します。幼児向けの空間なので、基本的には幼児(3歳わいわい組以上、弟妹さんも可)の親子で自由に過ごしてください。

10月31日(日)午前10時〜12時

当日は、園長しかいませんが、親子で保育室を使ってください。

不定期ですが、園長による「日曜日の園開放デイ」です。

コロナも落ち着いた時期なので、できることはやってみることにします。

初めての指導検査で考える「リスク」

2021/10/26

開園して2年半。初めて千代田区の指導検査を受けました。本来、初年度にあるものと思っていたのですが、千代田区は4年に1回だそうです。今回の指導検査の重点的な観点は、最近の社会情勢を反映したものでした。一つは散歩先に子どもを置き去りにしてしまうような事案がないかという確認です。今年の夏、バスの中に残して閉じ込めてしまって子どもが亡くなった痛ましい事件が福岡でありました。必要なタイミングでの園児の点呼や人数確認がなされていれば防ぐことができることなのですが、当園も戸外活動が多いので、改めて留意する必要があります。また園児や保護者の個人情報をさらに保護することへの配慮も強調されました。

大きな火災があると防炎加工の布を、午睡中の突然死があると睡眠チェック体制を、 デラウエアの皮での窒息死があるとぶどうの提供禁止を、個人情報の漏洩事案があると文書掲載の禁止を、集団食中毒が起きると生野菜提供の禁止を、求められます。

コロナ禍のように、あるいは東日本大震災や気候変動のように、求められなくても「誰もが受け入れられないリスク」だと判断されるものには、その対応への着手をためらうことはありません。

ところが、家庭ではぶどうを食べることは「受け入れられるリスク」であっても、保育園では「受け入れられないリスク」となります。この判断のギャップを埋めるためには、どんな価値を優先するのかを、考えないといけません。

たとえば小さいリスクでも、集団になるとリスクは大きくなります。足し算だけではなく、場合によっては掛け算になるリスクもあります。予防接種がいい例かもしれません。仮に1万分の1の副反応のリスクだとしたら、そのリスクを家庭だけなら「受け入れず」接種しない、という判断もありでしょう、しかし集団生活の中では、その副反応のリスクを「受け入れ」て、他者へ移してしまう「リスク」と比較して、接種して欲しいと、保育園では考えます。

さらに、保育園の場合は、小さい子どもたちの「命」を預かっているので、できる限りノーリスクに近づけるという努力が必要になります。指導検査で求めるものは、それに近いと感じます。ただし、それで失うメリットの大きさも常に考えながら、ですが。

今日の指導検査の結果は1ヶ月後となりますが、本日の助言を踏まえて改善を進めるつもりです。たとえば「園だより」で、毎月載せているお誕生日をお祝いする担任からのコメントのページは、印刷媒体では、なくすことにします。ただしパスワードのあるホームページでは、これまで通り掲載します。また、保育園の保育中のケガは、全て災害共済給付を用いることになりました。

いろいろな変更がありますので、その都度、お知らせしますので、よろしくお願いします。

素話の世界

2021/10/25

私が保育士の資格を取るときに、「素話」の練習をしたことを思い出しました。素話というのは、絵本や紙芝居などのように、子どもに見せる視覚情報はなく、保育士がただ、言葉でお話をしてあげるものです。今日3階の幼児の夕方のお集まりで、年中の担任の内山先生が素話をしていました。最近、あまり見かけなくなった光景です。子どもたちは「言葉」だけで、頭の中にイメージを思い描きます。

「おばあさんを食べてやろうと思っていた狼は、おばあさんが作ってくれたお餅を食べて、お腹がこんなに大きく膨れて、ポンポコリンになってしまいました」

「あはは」と子どもたちが笑って、愉快そうです。

もしかすると、最近の子どもたちは、こんな経験は、あまりできていないかもしれない、と思い返しました。身の回りには映像や動画が溢れていて、明らかに視覚優位の情報空間です。子どもたちにとって、音としての言葉だけで、目に見えないものを思い描けることは、想像力を育んでいることになります。何かをイメージする力は、物語の力によって、それまでに経験した「物」「人」「空間」「景色」を頭の中で組み合わせて、一つの「場面」を構成しているはずです。その編集力が聞き手の想像力になっているでしょう。

子どもたちにとっての物語は、これまでにどこかで聞いたり、みたりした登場人物たちです。おばあさんや、オオカミや、お餅や・・・それが大袈裟に極端に描かれていて、現実にはありえない空想世界のお話ですが、そうした世界が大好きで、やすやすとその世界に入り込んでしまう子どもたちです。

私たちは子どもたちに環境を用意して、そこで熱中して、没頭して遊んで欲しいと願っています。その環境は空間、物、人などで構成された場、状況なのですが、その場や状況は、目に見えない空想世界、物語の世界もあるということになります。環境を通した保育、という言い方を私たちはよくするのですが、大人が誘う物語の世界は、目に見えないけれども、心の栄養がいっぱい詰まった子どもたちの仮想空間なのです。

 

第3回 親子運動遊びの会

2021/10/24

第3回親子運動遊びの会を開くことができて、本当にホッとしています。後片付けを終えて園に戻り、12時半から1時間ほど反省会を開きました。全員で感想を話し合いました。コロナ禍にあっても、なんとか開催できて、子どもたちも楽しそうだったので、よかったという感想がベースなのですが、私たちからの目線だけではなく、ぜひ、保護者のみなさんからも感想をお寄せいただけると嬉しいです。

今年も青木尚哉さん率いるダンスグループZero(ゼロ)のダンサー、芝田和(しばた・いずみ)さんと宮崎知佳(みやざき・ちか)さんと一緒に自由に体を動かして楽しむことできました。反省会で出た言葉を、以下、カッコ「 」付きで繋いでいくと、「時間は短かったのですが、いろんな要素がぎゅっと詰まった時間」でした。

特に最後に青木さんのダンスをライブで見てもらったことで、「ちよだせいがの保育が、何を大事にして、何を目指しているのかに共感してもらえたんじゃないか」としたら、私としてもこんなに嬉しいことはありません。決まった振り付けを覚えるのではなく、内面の動き、イメージを外に表すことの素敵さです。

反省会でミュージシャンでもある坪井保育士が「プロのアーティストがやっていることと同じ創造的な活動になっている」と説明してくれました。それを目指しているのは間違いありませんが、そうなっていたら、これまた嬉しい。「昨年の姿を思うと、こんなに積極的に楽しそうに参加してくれて、すごい成長だなあと思った」という姿がいくつも挙がりました。保護者の皆さんはどうお感じでしょうか。

幼児(わいらんすい)の第二部の方では、保護者の皆さんと先生とで、大人が輪になって「鬼さん、鬼さん何するの」をやってもらいました。その姿を子どもたちがみるというプログラムを入れたのですが、「大人が体験してもらうことで、子どもの世界を想像してもらいたいし」「親子が一緒に生きる世界が重なって、同じ感覚を共有できる」「小学校にも、そういうのはある」などの感想がありました。どうだったでしょうか。

青木さんは「これするの、のところで、何もしないで、じっとしておく、もアリです」といっています。

私は何かの目的のために頑張って、その頑張りが褒められるという評価の仕方は、小学校以降でいいと考えています。知識や技能のコンテンツがいっぱい待っています。発達課題としても目標に向かって何か学ぶ「勤勉さ」は獲得してほしい。でも、そのとき「劣等感」を持たせないようにしたい。

だからこそ、就学前の乳幼児期には、その部分は半分でいい。残りは条件のつかない自信をいっぱい育ててあげたい。多くのコンテンツを自分から獲得に行ける意欲の根っこを太くしてきたい。エンジンを大きくしておきたい。

そのままでいいという無条件の愛と承認が、この時期の子どもたちの必要条件です。その温かい人間関係の土壌から、自分で目覚め、立ち上がり、歩んでいく力が育ちます。多少早くコンテンツを詰め込んでも、そんなものは1年も立たないうちに追いつかれます。

体を思い通りに動かすことの自由。脳の発達の柔らかいうちに、その創造力の元の元、をいっぱい動かしておきたい。大人が「鬼さん〜」をやってみて、その難しさ、自分の頭の硬さ、発想の貧弱さを感じませんか? 私は最初恥ずかしさを感じ、やってみると難しさを感じ、何度かやっているうちに面白くなって、その心の変化を実感しました。子どもはそこが解放されると、中から湧き上がってくるようになります。

わになって遊ぶわらべうたを、たくさんやったほうがいいなぁと、気づいた瞬間でした。

子どものその素晴らしさは、自分の体だけではなく、考え方、感じ方、試し方、生き方も自分なりの自由な精神性の開発につながっていくでしょう。その道筋はさまざまでいい。その子らしさの世界は広く、深いものです。

雨のため都内の「周遊観光」に変更

2021/10/22

今日の「バス遠足」の様子は、わらす及びにこにこのクラスブログを見ていただくとして・・・

 

雨になって中止というものもったいないので、まるではとバスの東京「2時間周遊コース」のように、車窓からTOKYOを楽しみました。

都内に聳え立つ、これだけの壮大な建造物。

子どもたちにはどんな光景だったのでしょうか。

そばで、子どもたちの様子を見ていると、

自分の自宅の近くであるとか、行ったことがあるとか、聞いたことがあるとか

自分の身近な家族との経験の影響が大きいことを感じます。

今日は遠くから眺めるだけだったので、いずれ、実際に行ってみて、登ったり、歩いたりしてみたいと思います。

・・・・・

さて、明日は「親子運動遊びの会」です。

ご一緒に運動を楽しみましょう。

 

その子らしく過ごす時間

2021/10/21

10月生まれの誕生児をお祝いする誕生会がありました。今月は6人です。先生による、お祝いの出し物は、食欲の秋、味覚の秋にちなんでや「世界のフルーツ」紹介です。私たち大人も「こんなに、凄いのがあるとは知らなかった」というフルーツ。世界の食べ物を知ることは、多文化理解教育そのものです。子どもの目線から多文化に入っていく入り口として、食べ物は入りやすいかもしれません。

ちなみに、今日、世界中を旅してきた坪井先生が、紹介したフルーツはりんご、バナナ、ぶどう、柿、ポポー、ジャックフルーツ、ドリアン、マンゴスチン、ミラクルフルーツでした。このうち、どんな味か、どれだけ知ってますか? 私はドリアンが全くダメでしたが、とても美味しいという方もいるので、やっぱり味覚も「多様性」を実感しやすいテーマかもしれません。これだけ個人差があるということは、私たちが一般に美味しいはずと思っている味も、子どもにとっては、たまらまいほど美味しいと感じている場合と、ちょっとでも無理!という苦痛になっている場合もあるのかもしれません。

一人ひとりを大事にする保育というとき、登園では選択性を一つのキーワードにしているのですが、「ここまでは認める、認めない」というレンジ、幅は、人によって意外と狭いことがあります。私たちは「常識」と思うものを、疑い続けることが必要でしょう。特に、情報を処理する感覚機能は、とても個人差があります。人によって視覚が優位だったり、聴覚が有利だったりもします。文字は上から下に書く、という常識を子どもに教えるときも、それが苦手な場合だってあることを私たちは知る必要があったりします。私の場合は聴覚優位なので、目に見える文字は、一旦全て「音」に変えてから理解しています。文字を図形のように理解していくことが苦手です。逆に、本を高速で読める人がいますが、まるで写真で写しとるように理解できるようです。プロの将棋の棋士が頭の中で駒が自在に20手先まで読めるのも、高速に図形を盤上で追うことができるからで、そろばんが頭の中のイメージで動くのと似ているのでしょう。

夕方、幼児のお別れ会の進行を担当したのですが、子どもたちと相談しながら進めていくと、一生懸命助けてくれます。オレンジグループのお当番さんが前にでできて、今日の楽しかったことなどを発表します。「ゲームパズルが楽しかった」とか「レゴブロックで作ったのをまたやりたい」とか、いろんな発表がありました。ある子は小学校で学ぶ漢字を書くのが楽しいらしく、書き順表を見ながら、森とか骨とかの漢字を書くことがマイブームになっています。

 

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