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2022年 1月

注がれる水が「10の姿」になるまで

2022/01/31

教育の本質について「コップの中の水」に例えて考えています。教育というのは「何かを教えることであり、コップの中に水を注ぐこと」に似ているか、それとも「最初からコップに入っている水を、汲み出すこと」に似ているか、そんな話をしてきました。そして、前者の水は「大人が」身につけてほしいと願う知識や技能などの内容であり、後者の水は「子どもが」すでに持っている「生きる力」である、といった話でした。

しかし、教育はこの2つが分離しているのではありません。大人が子どもに学んでほしいと願うことと、子どもが自ら育とうとする自発的な力とは、相互に補い合って初めてうまくいくことが多いのです。自ら伸びようとする力、自ら使いたがる力、あるいは学びに向かう力、と言った子どもの側から湧き起こってくる生きる力が、ちょうど学んでほしい内容、身につけてほしい内容と出会い、その内容を自分の方へ引きつけてきて、身についていくようにすることが、教育の実態になります。

内容としての水がコップにちゃんと入るために、最初からある水が、生きる力という、いわばエネルギーになって外からの水を取り込むのです。それがうまくいっている時、子どもは遊びに没頭していたり、我を忘れて夢中で遊んでいたりするのです。遊びこむことが、自分の生きる力を使って、色々なことを学ぶことになっているわけです。それは遊びに限らず、食事や睡眠、排泄や服の脱ぎ着、手洗いなど生活の中でも、生きる力を発揮しながら生活習慣を身につけ、その過程で心身の発達が促され、望ましい文化的な営みに参加できるようになっていきます。

ところで、このように教育を捉えると、子どもがちが外から取り入れている内容は、私たちが満1歳以上の子どもたちについて「教育の五領域」で捉えている内容(健康、人間関係、環境、言葉、表現)の全てにわたることになります。また、その5つの領域にはそれぞれ3つの教育のねらいがあって、それが心情、意欲、態度という観点で捉えるように構造化されています。つまり「外から取り入れる水」には、3つのねらいが5領域にまたがってあるので、全部で15個あることになります。

そして、ここからが肝心なことなのですが、この15ある「ねらい」は、いわば「外にある水」です。このねらいを達成させるためには、子どもが自ら環境に関わって体験できるように、環境を用意することが必要になります。言って聞かせてさせるのではありません。子どもには自ら育とうとする自発的な力が備わっているので(つまり最初から水を持っているので)、これを使って環境から体験を引き出すことになります。したがって教育の最大のポイントは、子どもの方が自発的に遊び(学び)始めるようにすること、意欲的に自分から活動し始めることです。それは大人がさせるものではなくて、ある環境を用意することで、それをみて子どもが「やってみたい」と思うように、子どもにとって魅力的な環境にすることが肝心なのです。

コップの水に例えるなら、外から注がれる水は、子どもからみて「わあ、きれい!」とか「あ、面白そう!」とか「あれ、なんだろう!」というように、心動かされる心情体験を引き出すような、魅力的な水である必要があるのです。そして、嬉しい!、楽しい! 面白い!といった心情体験が、またやりたい!、もっとやりたい!という意欲を生み出し、そして、それを繰り返すことで、望ましい姿が身につくことになります。これを、心情、意欲、態度(心の姿勢、心構え)と言います。これを育みながら、学びに向かう力も育ちます、その姿が年長の頃になると、こうなるといいね、という形で表現されているものが「10の姿」ということになります。

 

コップに注がれる水とは

2022/01/30

『これからの保育者論 日々の実践に宿る専門性』(高橋貴志著:萌文書林)より

話は昨日までの続きです。コップの中の水は、いわば「生きる力」であり、それを上手に育むことが教育だとすると、その方法は、それにふわしい環境を用意することだったり、「生きる力」が発揮されるような体験ができることが大切ということになります。では、コップの中に水を入れる方の教育は、どんな内容や方法になるでしょうか。

 

こちらも用意されている「環境」が問題になるのですが、ちょうど一昨日の夕方、来年度の保育材料の予算を検討していたとき、「子どもたちが協力して何かを成し遂げる楽しさを体験してもらいたい」という話になり、それを年間の保育目標の一つとすることにしました。協力ゲームで遊んでいる、わらす組(3〜5歳児クラス)の子どもたちの姿を見ていると、とてもいい遊びになっているので、もっとこの活動を深めてあげたい!と担任が感じているからです。

このように、今の子どもの姿をベースにした遊びや活動の見通しについて、大人が抱く願いや意図が、教育の内容を生み出します。子どもの「生きる力」が発揮されるように、これからの時代に必要な資質や能力としてふさわしいかどうかについて、専門職としての判断がここにあるのです。これが、コップに注がれる「コップの水」になります。その判断の根拠の一つとして「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」などの、国が定めた要領や指針などを参照します。

幼児期の終わりまでに育ってほしい姿は10あるのですが、この協力ゲームの場合は、その3番目「協同性」に当てはまります。「友達と関わる中で、お互いの思いや考えなどを共有し、共有の目的の実現に向けて、考えたり、工夫したり、協力したり、充実感を持ってやり遂げるようになる」姿を目指します。これは年長さんの姿ですが、5歳になって突然、そういう姿を意識するのではなく、保育は乳児の頃から、一貫してみていくことになります。

昨日の1歳児クラスのブログで、散歩の時に鳥を見つけたり、それを伝え合ったりする姿が、報告されています。そして、面白いなあ、と感じるのは、望ましい環境との関わり方を、自分で自発的に考える姿が描かれているあたりです。

「おててつながないと、車が来るから危ないー?」と、先生に訊ねています。満2歳の子どもたち(1歳児クラス)は、散歩の時、手を繋いでいます。散歩をしていると、何かの拍子で手が離れることがあリます。すると、自分たちで「手つないでー」と繋ぎ直したり、手をつなぐ理由を理解しているので、きっとやむなく手が離れてしまったのでしょうか、<いま繋がないといけないんだよね>と、確認しているかのようのです。

こんな姿が満2歳からみられるわけですが、先ほどの10の姿の4番目「道徳性・規範意識の芽生え」にぴったりです。「友達と様々な体験を重ねる中で、してよいことや悪いことが分かり、自分の行動を振り返ったり、友達の気持ちに共感したりし、相手の立場に立って行動するようになる。また、きまりを守る必要性が分かり、自分の気持ちを調整し、友達と折り合いを付けながら、きまりをつくったり、守ったりするようになる」。年長さんの普段の生活の中に、こんな姿がいっぱいみられます。それがぐんぐん組の頃から、つながっていることが見えてきます。

コップの注ぐ水は、こうなってほしいなあ、こんなふうに育ってほしいなあ、という、どこ子どもにもそうあってほしいと願わずにはいられない、現代社会の価値項目であると言っていいでしょう。それが特定の個人や団体が勝手に考えては困るので、幼稚園教育要領や保育所保育指針で「10の姿」のような形で定めているのです。これが、コップの水の内容になります。

 

持って生まれたコップの水

2022/01/29

教育がコップの中にある水を汲み出す方向にもあるとすると、どうやって、すでにコップの中に水があるのか? または、最初からあるその水と後から注ぎ込む水とは、何がどう違うのか? いろんな「?」があっていいのですが、私なりに納得しているのは、こんなことです。

生まれてきた赤ちゃんが、すでにそこに赤ちゃんとして存在すること自体が、とても不思議な人間存在の謎につながる話なのですが、しかし、その話を抜きには「なぜコップの水が最初からあるのか?」を説明することは難しいでしょう。人間が存在するのは、過去からつながっている生命があるからですが、一世代だけを考えれば、お父さんとお母さんから受け継がれてきたものがすでにあるから、という説明をしておくことにしましょう。

そして、もう一つの問い、最初からある水と、後から注ぎ込む水の違いですが、端的にいうと、原初の過去からずっと途絶えることなく受け継いできた「水」が最初からある水であり、ブッダの時代でもキリストの時代でも鎌倉時代でも江戸時代でも昭和の時代でもない、21世紀のこれからの時代を生きていくために必要な、資質や能力を培うために必要な水が、後から注ぎ込むことになる水と言えるからもしれません。

それでも、もしこの二つの水の大切さを天秤にかけてみるとしたら、生きているために重大な生命力としての水が乗っている皿がずっしりと沈み込み、もう一方の現代的課題としての知識やスキルとしての水が乗っている皿は、軽々と跳ね上がってしまうことでしょう。圧倒的に大切なのは、生きる力としての水だからです。

もう一つ、大切な疑問があるかもしれません。それは「引き出す、とか育むというのは、具体的にはどういうことか?」という、教育の方法に関する本質的な質問です。一つの考え方はその一人ひとりの子どもにとって、取り巻く環境が、その子にふわしいかどうか、ということになります。思わず遊び始めるような遊具がものがあるか、わくわくするような活動ができるか、自発的に自分のいろいろな力を使うことができる体験ができるかどうか、そのような環境との相互作用が生まれるように、環境を用意することです。

私はこれをよく植物に例えます。今私の目の前には花瓶に花が飾ってありますが、その蕾が花を咲かせるためには、水と日光を温度を用意します。花を咲かせる力は、花が最初から持っている生命力であり「コップの中の水」です。しかし、その生命力はある条件のもとで活躍します。水もやらずに真っ暗な中で、寒い外に放っておいたら、きっと枯れてしまうでしょう。あるいは、目の目には保育園の玄関に咲いていた朝顔の種があります。これはずっと種のままです。しかし、暖かい室内で、10日間ほど水に浸し、空気に触れるようにしておけば、きっと発芽するでしょう。

このことが「教育」のエデュケーションの意味です。本来、どの子も持っている、かけがえのないその子らしさを携えて、この世に生を授かった子どもたちは、それぞれの「コップと水」を持っているのです。それをわかりやすく個性ということがありますが、それは本当に一人ずつ異なるものであり、何か評価するようなものではありません。ましてや時代によって変わってしまう価値観や、社会が求めてくる資質や能力の物差しで評価を下してはならないのです。

コップの中に注ぐのか、それとも引き出すのか?

2022/01/28

(園だより2月号 巻頭言より)

皆さんは教育というと、どんなイメージを持たれるでしょうか。きっと、勉強とか宿題とか学校とか先生、あるいはちょうど今行われている試験などを思い浮かべるかもしれません。教育というのは、教えること、あるいは教えてもらって身につくこと、何かが分かってできるようになること、そういうイメージだと思います。空のコップに水を注ぐことです。これは間違いではないのですが、私たち保育者は、もう少し広くとらえます。この広がりを皆さんと共有しておきたくなりました。

教育という日本語は、英語のeducationを訳したものですが、このeducationの語源には、「引き出す」という意味のラテン語educere(エデュケーレ)と、「養いつつ育む」という意味のeducare(エデュカーレ)があると言われています。この二つの意味から考えると、教える、あるいは教えてもらって身につくという「外から中へ入れる」というのとは、反対の意味になります。つまり「中から外へ出ていく」ようにすることが教育だったということになります。

人の中には「最初から何かがあって」、それがうまく引き出されていくようにすることが教育である、と。例えると、コップの中にはすでに水があって、それを取り出すということになるのですが、果たして、そんなことができるのでしょうか。「最初からある何か」というのは、自ら育つ力、発達する力のことです。人間は、あるいは子どもは元来、自ら育つ力、発達する力を持っていて、それを支えながら、さらに伸びていくように援助すること、それが「引き出す」とか「養いながら育む」ということになります。

私たち保育者は、教育について、こちらの方に力点を置いてとらえています。こちらの方が、いつの時代にも普遍的であり、変えてはならない不易の方であり、教育の本質になるからです。なぜなら、時代や環境によって姿が変わってしまうものは、狭義の教育、流行の教育の方になるからです。私たち保育者は、あるいは教育者は、どんな時代になろうとも、子どもが人間である限り、この普遍的で本質的な教育の役割を手放すわけにはいかないことになります。

そこでよく私は、最初から元来持っている自ら育とうとする力は「見えない」という話をします。種の中に、その後に芽が出て膨らんで花が咲いて・・という姿に変化させる力は、種をじっと見つめていても、解剖しても、物理的に分解しても、どこにも見えません。それは細胞の中のDNAだ、という人がいるかもしれませんが、それでも、そのDNAを動かしている力は、現代の科学でも見出せてはいないのです。でも、確かに存在するその何かに、私は畏敬の念を覚え、私たちの命の不思議さ、分かっていない事柄に謙虚な気持ちで、謎は謎として大切にしてく姿勢を保持したいと思います。

保育というのは、子どもを育てるという営みは、何か大事そうに見える内容を、外から注ぎ込み、覚えさせたり、できるようにさせたりすることで身につく事柄を「超えたところ」にあります。その基盤となるものをまずは、しっかりと育みたい、支えたい、守りたいと考えています。

流行性胃腸炎も流行中ですのでお気をつけください

2022/01/27

(COVID-19会議の資料より)

つい新型コロナウイルスのことに気を取られてしまいがちな私たちですが、冬に流行しやすい胃腸炎を引き起こすウイルスも忘れてはいけません。下痢や嘔吐などの症状も、発熱と同様に病原体が体内に入らないように防ぐ生体反応です。吐瀉物は空気感染しやすいので、私たちにとっては要注意、特に気をつけています。それは突然やってくることが多いので、防ぐことが難しいものです。前日から下痢症状があったり、朝の食欲がなかったり、顔色が悪かったりと、ちょっと体調が悪いな、というときは、必ずお知らせください。子どもは吐いた後は気分もスッキリすることが多いのですが、それで完治しているわけではありません。元気に見えても、繰り返すことがありますから、しっかり休養をとるようにしましょう。よろしくお願いします。

子どもたちの歌声が生活を明るくしています

2022/01/26

保育園の生活には、歌声があります。テレビやラジオやネットではなく、生の歌声が響いているのが保育園の生活です。朝のお集まりや食事の始まり、あるいは自由に遊んでいるときに、先生たちの伴奏に合わせてよく歌を歌います。今日もぐんぐん組(1歳児クラス)の子たち数名が、♪ハッピバースデイ、ツー、ユー〜と上手に歌っていました。見れば、誕生会ごっこです。♪ハッピバースデイ、○○ちゃん、ハッピバースデイ、ツー、ユー・・・パチパチパチ(拍手)・・・と、延々と続いていました。○○ちゃん、のところは、ちっちさん、ぐんぐんさん、全員のお友達の名前を入れて、繰り返していました。いつも歌を歌っているので、園生活はそういうものだと、あまり気にしていないのですが、コロナ感染症への対策で神経を使っている日々が続くと、子どもたちによる歌のある生活が、とても幸せなことに感じるのでした。

感染防止にご協力いただきありがとうございます

2022/01/25

今週に入ってコロナ対策のために、様々な情報コントロールで神経を削っています。最も大切にしたいことは、感染症で苦しい思いをしている子ども、保護者、職員の気持ちです。その最中にある方への思いやりを忘れないように心がけています。最も苦しんでいる人が肩身の狭い思いをしないようにしなければなりません。病気にかかって苦しい思いをしている中でも、保育園での感染を防ごうと努力してくださっていることに、心からお礼申しげます。感染防止の取り組みの決まりに、矛盾を感じることも多くおありだと思いますが、皆さんと一緒に乗り切っていきましょう。よろしくお願いします。

(お願い)刻々と変わる感染情報は、個人情報保護の観点から、一般的なものを扱う「園のニュース」ではなく、一斉メール配信でお伝えしますので、ご理解ください。

お子さんが陽性になった場合のお知らせの仕方について

2022/01/24

当園では、今のところコロナ感染症で陽性となった子どもはいません。しかし軽い風邪に似た症状があったり、元気であっても不顕性感染の場合があるかもしれません。またそれは大人も同じです。今後、もし陽性になって出勤できない先生が増えると、保育ができなくなります。千代田区と相談しながら、園児の数を制限しなければならなくなったり、場合によっては休園になるかもしれません。

東京都もこのペースでオミクロン株による感染者が増えてしまうと、早晩、そういう事態になってしまうこともありえます。私が知っている園でも、千代田区ではありませんが、休園になったところもあります。これからは、皆さんの職場でも、身近な方が感染して、濃厚接触者になることもあるでしょう。誰がなってもおかしくないので、それによって、もし人数制限や休園になっても、決して誰かのせい、というような考えだけは取らないように、くれぐれもよろしくお願いします。

今後、もし園児や陽性になった場合、発生時期や潜伏期間などはお伝えしますが、誰かは特定されないように配慮しないといけませんから、年齢やクラスなどはお伝えしません。千代田区の方針もそうなっています。保護者の皆さんも、どの子が陽性になったのかなどを詮索しないように、お願いします。個人情報の保護にご協力のほど、よろしくお願いします。

https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken02_00022.html

手を洗い、うがい、咳エチケット

2022/01/20

じわじわとコロナウイルスが迫ってきている感じが強まっていますが、子どもたちにはその緊張感が伝わらないように、感染予防のために「大事なこと3つ」を、思い出してもらっています。その3つとは、手洗い、うがい、咳エチケットです。年長さんには、来週から「正しいマスクの付け方」も改めて伝えていきます。

さて、手洗いの手順を覚えるための動画は色々ありますが、わいらんすい(幼児)では「あわあわ手あらいのうた」(花王)を流して、思い出してもらいました。

うがいも、「私できるよ」と率先してモデルをしてしてくれたのは、らんらん(4歳児クラス)の二人。上手に「ガラガラペー」ができていました。また咳エチケットを教えてくれたのは、さすが5歳児クラスのすいすいさんでした。

明日から東京都も「まん延防止措置」の対象になります。区からの通知はお知らせした通りですが、保育園では、できる限りの感染対策を講じています。清掃や消毒、換気や空気清浄をこまめに施し、子どもたちの鼻を拭いてあげたりしています。大事をとって登園を控えてくださっている保護者の方には、厚くお礼申し上げます。東京の感染者が急増しています。来週も無事に過ごせるように祈るばかりです。どうぞよろしくお願いします。

あたり!年賀状のお年玉

2022/01/20

昨日のことですが、すいすい組のお手伝い保育で、保育園に届いた年賀状の「お年玉」当選はがきを探してもらいました。「ぼく、やったよ」と家でも同じことをした子もいました。百枚ほどのハガキを4人で手分けして探すと、すると、3枚あったので、「冬探し散歩」のついでに郵便局に寄って、記念切手と交換してもらいました。

このお手伝いには、同じ数字を探すという「算数のはじまり」が含まれています。生活の中には、色々なところで数字が使われています。

数字や標識、記号の役割に興味が湧くもの年長さんらしさで、「しもふたけたって、なあに」「この最後の二つの数字のところだよ」。

こんなところにも成長を感じました。三等賞は下二桁「02」、「50」、「54」で、お年玉切手シートを三枚ゲット。やはり100枚ぐらいで3枚の当たりですから、確率の通りでした。

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