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2022年 5月

子どもにとっての「◯◯の赤ちゃん」

2022/05/31

保育園では幼児が赤ちゃんと触れ合うことができるので、接していると「赤ちゃん」という言葉に、子どもたちの親しみと優しさを感じます。見学に来た方が赤ちゃんを抱えていると、よくそばにやってきて「かわいい〜」と言って、頭を「いい子いい子」と撫でようとしたり、頬をそっと触れたりしようとします。赤ちゃんという存在は、園児たちにとって特別な、大事にしないといけない存在としてあります。

だからでしょうか。「◯◯の赤ちゃん」という言葉は、子どもたちにとって、説得力のあるインパクトを持つようです。それは人間に限らず、動植物に対しても「◯◯の赤ちゃんだよ」と言われると、その「◯◯」は格別の存在であり、特権的に大切にしてあげなければならないという響きさえ感じます。まるで水戸黄門の印籠のようです。

昨年秋、園内に綺麗な鳴き声を響かせてくれたスズムシは、その後卵をうんで、園内で冬を越し、この5月に「赤ちゃん」になりました。お知らせしているように、たくさん生まれたので「ご自宅に持って帰って飼いませんか」というシェア中です。そして一昨日、5月30日(月)の朝、事務所のカウンター棚の上のメダカも卵から「赤ちゃん」になっていました。「メダカが生まれたんだよ」と息を弾ませながら、私に教えてくれる子どもの姿に接すると、なんだか“素敵なことが起きたんだ”、という気持ちが伝わってきます。

メダカは栄養の詰まった袋を抱えて生まれるので、数日間はそのままでも生きていますが、明日あたりから餌が必要になります。金魚などとは、食べられてしまうので一緒には飼えません。別の飼育空間が必要になります。日本では流れのない池やたんぼに生息していますが、だんだんその数は減って、絶滅の危険がある種になっています。それでも、人工的に飼育できる生き物として、夏の涼をを感じさせる日本的な、小さい命ですね。

赤ちゃんにはまだ背ビレも尻ビレもなく尾ビレと一体になっているのですが、1ヶ月もすると、メダカらしい姿になっているでしょう。オスとメスは、お腹の下の方にある尻ビレの形で見分けます。オスは平行四辺形ですが、メスは尾に近いほうがやや細くなっている細長い台形です。流れに逆らって泳ぐ習性があります。昨年、3階の大きな水槽にいたときは、その様子をみることができました。子どもたちは、どんなことに気づき出すのか、楽しみです。

子どもの力が使われて育っていく2つの時間

2022/05/30

(園だより6月号 巻頭言より)

先月は社会情動的スキルに焦点を当てて、見通しを持った生活をしていこうと書きましたが、今月(6月)も引き続き、そうした非認知的能力が存分に発揮できるような生活を創り出していきたいと思います。その時に、私たちが共有しておきたい言葉は、OECDが提唱している社会情動的スキルを表す次のフレーズです。子どもたちに「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」【A】をつけてあげたい。このことです。

そもそも、子どもたちはもともと持って生まれてきた力(生得的な力)を使って成長していくところと、体験することで身につけていく(学習する力)ところが組み合わさって成長しています。遊んで、食べて、寝て、それぞれの体験の中で、この二つの力が働いて、その子らしい人格とスキルが形成されていきます。室内で遊んだり、戸外で思いっきり体を動かしたり、いろんな体験が毎日行われていますが、この二つの力がよく働く場面はどんな時なのでしょう?

 

私たちには一日24時間が公平に与えられているのですが、どんな時間の過ごし方をするかによって、それは全く異なったものになります。よりよい過ごし方、というものがあります。それは、次のような大きく2種類の時間に分けることができます。一つは毎日繰り返される同じ流れ、手順の活動の塊です。①登園してから遊び始めるまで②8時30分ごろからのクラスへの移動③ゾーン決め④お片付け⑤お集まり⑥自由遊び⑦散歩のルート⑧昼食の時間⑨絵本の時間⑩お昼寝や休憩・・その後もお着替えやおやつの時間、お帰りの会、などそれぞれの活動のまとまりがあります。生活の活動要素と言ってもいいでしょう。

どれでもいいのですが、例えば⑧の「さあ、お昼ご飯にしようか」ということになれば、遊んでいるものをお終いにして、元あった場所に戻し(お片付けは別の人がまた使えるように元に戻すという活動で、何もなくしてきれいにするということではありません)、手を洗い、配膳の場所へ移動し、順番を待ちながら「あれはこれくらい食べたい」という見通しを考え、量を言ってよそってもらい、好きな場所へトレイを運んで座って待つ・・・このような手順をスクリプトというのですが、この中に、小さな【A】がたくさん詰まっています。言葉も使って知識と技術も身につけていきます。

もう一つの種類の時間は、遊びの時間です。とくに子ども同士が作り出す遊びの中に、子どもの自身の興味や関心から、あるいは心動かされた心情や感覚から、もっとこうしたいという意欲によって作り出されていく創造的な時間です。この中にもたくさんの【A】が起きています。子どもの持って生まれた力は、この2種類の時間を通して、膨大な体験がつながっていき、繰り返し使われる力が豊かに育っていくのです。

勉強会で保育を見る視点を学びあう

2022/05/27

今日は夜に「自主勉強会」を開きました。保育所保育指針幼稚園教育要領が変わってきていることは何かを確認しながら、子どもたちの「心の育ち」にとって必要な体験とはどんなことなのか考えるための「視点」や「考え方」を学びました。

その一つはこんな体験です。子どもが何かをやりたいと思ったとします。そこにはその子の目標があります。それを成し遂げるには一人でできることもあれば、親やお友達に働きかけないとできないこともあるでしょう。教えたり助けたり協力することです。その際にジレンマが起きます。いますぐやるか後でやるか、あるいは自分を優先するか他者を優先するか。目標の達成のために感情を抑えることも必要です。

この体験の中には、目標があり、他者との協力があり、感情の制御が含まれます。この三つの要素は、OECDがいう社会情動的スキルの三要素に他なりません。OECDは「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」が、将来の幸せのために、乳幼児期から育みたい力だというのでした。非認知的能力です。お手伝い保育やピーステーブルでの語り合いにも、その典型的な体験をみることができます。

このような体験は保育園の中でいっぱい起きていそうです。きっと家の中でもあるでしょう。子どもが見つけてくる「やりたい」をどうやったら実現させることができるか。それを一緒に考えていく生活は楽しいですね。家族や保育園の先生に働きかけて枝豆を育て始めたり、公園で拾った種から目が出てくるかな?と土に埋めてみたり、スズムシやメダカの成長を観察しながら子どもたちからどんな「こうしたい」が出てくるのかが楽しみです。

今日の勉強会は、このような、保育園の生活ではいつも起きているような活動が、どうしていいことなのかを理解しました。その認識にたどり着くための勉強会になったような気がします。

脳の「感覚→脳→身体→感覚」の回転

2022/05/26

今日はお留守番。よく晴れた今日のような日は、みんな風の子、外へ遊びに出かけます。9時過ぎに、はやばやと園の前に停まっている大型バス。わいらんすい(3〜5歳)の子どもたちは浜町公園まで出かけます。登園してきた子が「今日はどうして早いの」と、すかさず突っ込みが入ります。その子が3階に登って「もう、バスが来てるよ」と子どもたちに伝えます。その時、すでに先生がギターを鳴らし、お片付けの時間になっていて、それぞれの子どもたちが自分なりに「おしまい」のタイミングを探していました。まだ積み木やパズルや制作で遊んでいた子たちも、「そうだ、バス遠足だ」と思い出したのか、お片付けへの切り替えのスピードが早まります。

ところが、私の目の前でパズルで遊んでいた子が、そのまま、しまわずに下へ降りて行こうと、その場を離れたので、私が「あれ、お片付けは? このままでいいの?」と聞くと、びっくりしたことに、そこでは遊んでいなかったKRくんが、戻ってきてお片付けを手伝ってくれました。私は「すごい!Rくん、ありがとう!」と言いました。どんな「思い」でそうしてくれたのかは、わかりません。そのことを担任に伝えたら、先生はお集まりでその子をみんなの前で褒めてあげました。

そして、みんなバスに乗り込み、見送ろうとしたら、ある子が先生と戻ってきました。忘れ物?と聞くと「カタツムリの虫かご、持っていくの忘れて・・」と先生。子どもたちは今、虫などの自然がマイブームなんです。朝から、登園の途中で見つけたというカタツムリが話題になっていました。・・・他のクラスも公園などへ出かけ、午前中の園内はがらんとしていました。その間に、私は藤森先生が代表で立ち上げた「STEM保育研究会」の総会にZOOMで参加していました。

さて、外遊びから、戻ってきた子たちは、何やら手に「獲物」や「宝物」をゲットしてゴキゲンな顔つき。ある女の子はちっちゃな木の実を一粒のせて、私に「これ」と見せてくれました。後で聞いた話によると、浜町公園のじゃぶじゃぶ池の近くで、Mちゃんと一緒に見つけたものらしい。大事そうに手のひらに載せています。でもこれからお昼ご飯なので、さてこれをどうするか? そこで困っていたようなので、とりあえず「ポケットに入れておこうか」と教えてあげました。後でビニール袋に入れて自宅へ持って帰りました。

私からの、園の中からチラチラ見えた、細切れの小さなエピソードです。こんな午前中の活動に、どんな意味があるのでしょうか。おうちの方も気になりますよね。ここからは、私の想像です。実際には見ていませんから。今日のような外遊びや虫探し、植物採集のような遊びと、最近ずっとお伝えしてきた非認知的能力や、「確かな認識」などとの関係はどうなっているんでしょう。今日に限らず、屋形船に乗ったり、花を植えたり、また乳児クラスのブログにあるように、上手にハイハイをしたり、上手にお座りができるようになったり、発達の段階は違っていても、どの子にも共通するものがあります。それは大人も同じですが、乳幼児期にこそ、大事にしたいことです。それは「脳」と「身体」と「環境」の関係を思い出してもらうと、少しわかりやすいかもしれません。

ここは、虫探し名人の養老孟司さんの解説を借りながら、基本を押さえてみましょう。発達に必要な体験を「脳」から眺めてみます。私たちの脳は、外からの刺激を受けて、脳の中で何かが起きて、それを体に返していきます。あ、チョウチョだ、という外部からの情報が脳に入り、そこで「捕まえたい」という処理が起こって、「それ、はしれ!」という指令が、脳から身体へ出されます。そして手足が動き「蝶を追いかけて遊ぶ」ということが発生します。はいはいして移動すると見えてくる景色が変わるので、面白い。お座りして手を自由に使って対象に働きかけると、新しい刺激が脳に入ってきて、舐めてみる、投げてみる・・という行動が起きる。こんな繰り返しを「脳」は、やっています。

養老孟司さんによると、「外界からの情報が感覚を通して脳の中に入ってきますよね。これがインプット。脳の中で計算して、考えて、その結果が肉体の運動として出ていく、これがアウトプットです」。「感覚→脳→身体→感覚、という具合に、情報をぐるぐると回していくことがとても大事なんです」「脳は総合であり、回転なんです」「でも、そういうふうに次々に変化していくものを全部覚えこもうとすれば、脳が壊れちゃうんです。情報量が多すぎる。それでどうするかというと、自分が移動することで違った世界がどんどん現れるけど、その世界は根本的には一つの同じ世界で、違うように見えているだけだというふうに脳がまとめていく、概念にまとめあげていく」・・・

だいたい、おわかりいただけますか。実体験が「確かな認識」に結びついていくプロセスです。概念を「ことば」などの表象の記号の世界に結びつけていく基礎ができます。これを保育では「環境を通して行う保育」と言います。解説書にはこうあります。

「乳幼児期は、生活の中で興味や欲求に基づいて自ら周囲の環境に関わるという直接的な体験を通して、心身が大きく育っていく時期である、子どもは身近な人やものなどのあらゆる環境からの刺激を受け、経験の中で様々なことを感じたり新たな気づきを得たりする。そして、充実感や満足感を味わうことで、好奇心や自分から関わろうとする意欲をもってより主体的に環境に関わるようになる。こうした日々の経験の積み重ねによって、健全な心身が育まれていく」(保育所保育指針解説書15ページ)

ただ、経験で得たイメージを「ことば」だけ置き換えていくことは、いっぱいズレが起きるのですが、ことばで置き換えてしまったからこそ、漏れてしまう情報や気持ちを伝えたり共有するために、音楽などの身体表現が重要になってきます。その話は<発達障がい>の話にも通じるので、またの機会に。

 

メダカの卵を観察してみると・・

2022/05/25

実感を伴った「からだ全体の体験」が「確かな認識」につながり、その中から「真のことば」が誕生する。最近、私が気にっている考え方です。今日もそれを考える出来事がありました。私の知り合いから、メダカの卵が届いたのです。ビニール袋に水が入っています。説明がないとタダの水だとしか思えないものでした。

しかし、よ〜く見ると、水の中に、小さい透明な丸い粒々があるのがわかります。年長さんたちに絵本を読んであげていたら、ちょっとくたびれたようだったので、気分転換に、卵を見せてあげました。

100均で買ってきた容器に移し替えて、スポイドで吸い上げて小さいシャーレに入れてみてもらいました。でも、あまり面白いと思わなかったようです。それはそうでしょう、動きもしない、ただの小さな粒々です。水槽をすいすいとおよぐメダカなら、みていても楽しいでしょうが、これでは、興味を持ってほしいと思っても、無理があります。

そこで、私のSTEM保育の方法論は、「むしめがね理論」です。虫眼鏡で拡大して見ると、よく見えて面白くなることが多いのですが、それと同じように、色々な感覚を拡大して体験してみる、という方法論です。見るもの、聞くもの、触るもの、匂いのするもの、味のするもの、五感を拡大することで、センスオブワンダー(驚きのセンス、心動かされる感覚)も大きくしようというわけです。お月様も、望遠鏡で見ると、また違った感動があるのと同じです。

そこで、四十倍の拡大レンズをスマホのカメラにつけて、顕微鏡のガラスの上に乗せた水滴を覗いてみると、大きな目玉がはっきりと見えました。また卵の中を、クルリと動くのが見えます。ただ、スマホの覗き窓から見るのでは、よくわからないので、この次は大きなスクリーンなどに映し出し出してみたいと思います。また、まだ動きが乏しいので、もう少し、活発に動き出したら、みてみると面白いでしょう。

それでも、このような観察の面白さは小学校以降の発達段階かなあ、と感じるのは、まだ「からだ全体の体験」になっていない気がします。生き物の神秘、不思議さには届いていません。その面白さを実感できた時に、初めて「確かな認識」と呼べるものになるのでしょう。「メダカの卵」というものから「メダカの赤ちゃん」になると、きっと変わってくることでしょう。色々と試してみたいと思います。

「確かな認識」から「真のことば」が産まれる

2022/05/24

 

子どもの遊んでいる姿や生活のワンシーンの写真を見ていると、いろんなことを想像しますね。まず思うのは、どこで遊んだんだろう?(浜町公園とか和泉公園とか保育園の屋上やベランダ、◯◯ゾーンとか、)、どんな遊びをしたのかな?(ブランコ、滑り台、かけっこ、鬼ごっこ・・とか)、何が楽しかったかな?(繰り返し遊んだこと、またやりたいと思ったことなど)などですよね。遊びに限らず、お集まりや食事の時、ちょっとした生活の一場面で、いろんな場面でも、それを切り取ったエピソードから、いろんなことを思い浮かべることが多いですよね。まだ話せない小さい子どもたちもそうですが、話せるようになった子どもたちとは、ご家庭でもそんなやりとりをされていることでしょうね。

そして、私たちは子どもの一人ひとりの姿、表情、ことばなどから、できるだけ、その子の心や内面、その心の動きを理解したいと思っています。ちょっとした姿や表情、ことばから、それを窺い知ることができたとき、ハッと気付かされることがあります。そんなふうに感じていたのか!と、気づくことがあります。なので、どんなことに「どのように」感じていたのか、その「実感」を共感したいと思いながら、子どもたちと付かず離れず(と言うよりも、付いたり離れたり、の方が多いのですが)子どもたちの傍らにいます。

子どもは大人と違ってからだ全体を使って物事に向かい合っていますから、体験の中の実感というものは、身体全身で感じ取っているように見えます。公園の遊具で自分のからだ全身が感じ取っている感覚は、まごうことなく自分自身の実感なので、そこに確かなものを感じ取っています。実際に田植えをしたり、ニチニチソウやマリーゴールドの花を植えたり、その色の鮮やかさに見入ったり、そうした体験の中の「実感」は、心を動かして、豊かな表象を創り出していきます。今日はAさんの「わあ、きれい!」ということばを、聞きました。体験の中の「確かな実感」が「確かな認識」に結びつき、そして「真のことば」を生み出しています。それはドリルや動画やゲームの中での体験ではえられないものです。「真のことば」は、からだ全体でつかんだ「確かな認識」から、その子どもの内面から産まれいずるものだからです。

 

 

「ニチニチソウ」「サルビア」「マリーゴールド」

2022/05/23

今日は佐久間橋児童遊園の花壇に「ニチニチソウ」「サルビア」「マリーゴールド」を植えました。その様子は幼児クラスのブログをご覧ください。この花は、21日土曜日に植え終える予定だったのですが、途中で大雨になって延期になった花です。それでもまだ残りがあるので、連絡アプリでもお知らせしましたが、どうぞお持ち帰りください。配布期間は本日(23日)~28日(土)午前中までです。

区の花壇に花を植えて豊かなな街並みにしようと、千代田区はかなり前からこの活動を行っています。親子遠足の日は、その公園のある「佐久間橋一丁目町会」「東京お茶の水ロータリークラブ」そして「ちよだの水辺を魅力ある都市空間に再生する会」などが共催してこの花植えと清掃活動を行いました。家庭や街に花があると、心が潤いますね。お花なので、早めの受け取りは早めにどうぞ。

親子遠足「屋形船で神田川・隅田川を周遊」

2022/05/21

今日の親子遠足「屋形船」はいいがでしたでしょうか?「午前中は曇りで雨は夕方から」と思っていたら、突然の大雨に見舞われてしまった第二便、第三便でしたが、隅田川上は雨雲がなくて、三便とも運よくに船の屋根上に登ることができてたよかったですね。

江戸情緒の残る神田川の前にある保育園としては、また園庭のない保育園でも「園庭は地域」というつもりでいる保育園にとって、この屋形船は当園のシンボル的な存在でした。それなのにコロナ禍で、令和2〜3年は全く乗船できませんでした。が3年ぶりに今日、乗れたのでいろんな意味でうれしい日になりました。

親子遠足は、年間の行事の中で、保護者の皆さんに参加いただく最初の大きなイベントになります。趣旨は「親子で地域を知ろう」「保護者同士の親睦を深めよう」です。

コロナ禍では物理的な空間としての人と人の距離を遠ざけられてしまうので(オンラインでのコミュニケーションは取れますが)、身体的な臨場感のあるリアルな交流はなかなかできませんでした。今日はその感覚の大切さを、思い出してもらえたのではないかと思います。

この2年間のブランクはあったものの、地域とのつながりは深まりました。3年前の親子遠足は「ちよだリバーサイドプロジェクト」に支援をいただきましたが、その団体は今年4月「特定非営利活動法人 ちよだの水辺を魅力ある都市空間に再生する会」https://www.chiyoda-rs.netに発展し、今後のイベントもその趣旨を実現させていくための活動の一環となりました。

水辺を魅力ある都市空間にする、ということは、保育園もその水辺の空間の一つです。そして、いつも使わせてもらっている「佐久間橋児童遊園」(今日、屋形船に乗った場所)もそうです。

そこで今日は、その「再生する会」主催の「花壇の花植え」(アダプト)と神田川清掃活動が行われました。その活動に先立ちセレモニーも開かれ、樋口区長も激励に来ていただきました。

花植えは、屋形船第一便に乗った親子の皆さんにやっていただきましたが、途中で大雨になったので、残りの花植えは23日以降に保育園の保育活動として行います。

でも今日の乗船を楽しみにされていたのに、乗船できなかった方は残念に思われているかもしれませんが、今後も楽しい活動はありますので、あまり残念がらずに、楽しいことを作り出していきましょう。「ちよだの水辺を魅力ある都市空間に再生する会」との連携を深めて、神田川の水上ルートを園外活動に使う機会を増やせたらと、考えています。

好きな選択ではなく必要な選択へ

2022/05/20

選択場面が自立をどう育てているか、というテーマの話になってきました。その続きです。

私は子どもたちといると、よく感じるジレンマがあります。それは自分の「好きなこと」と「必要なこと」の間の選択です。保育園生活では、この二者間の選択を迫られていることが結構多いのです。この二つのジレンマとして表現することが、先生たちにはピッタリするようです。

わいらんすいの子どもたちと遊んでいると、いろんな場面でがまんをしながら、やりたいこととの折り合いをつけながら自分をコントロールしていることがわかります。朝3階へ登ると、多くの子たちから、例えば「園長ライオンやって!」と声をかけられます。それができる時とできない時があって、出来ないとわかると、子どもたちはきっと「今日はダメか、じゃあ、いつならできるんだよ!(プンプン)」と思いながらも、がまんする時もあるのでしょう。園長だから大目に見てくれているようです。

今日は、終わる時間になって「ぼくもやりたい。やっていい?」と始めようとする子に「今日はもうおしまいだから、またやろう」というと「じゃあ、お集まり終わったらやる」というので、「今日は晴れているから散歩に行こうよ」というと「じゃあ、帰ってきてから」・・こんな問答を繰り返しながら、結局、その子は「なし」を受け入れて、折れてくれました。やりたいことを我慢して、自分の気持ちに折り合いをつけることできました。今日はうまくいきましたが、子どもによっては、それがまだ出来なくて駄々をこねる場合もありますし、いつもは出来ても出来ない日もあったりする子もいます。

こんな葛藤は、子どもの生活の中にたくさんあります。遊びを終えるか続けるか、お集まりにすぐ行くか遊び続けるか、散歩にいくか行かないか、これを食べるか食べないか、お昼寝をするかしないか、いろんなことを自分で判断して決めて選ぶということの連続です。

5月18日の「わらすのブログ」には、先生がこう書いています。

<・・・保護者会でもお話ししたように、この一年間は【自分で選択をする】ということを大切にしていきたいと思っています。これは、自分が好きな選択ではなく、自分に必要な選択をしていくということです。・・・>

「必要なこと」は、一般的には習慣やきまりや規範です。この二つの間の選択の葛藤が、家庭でもしょっちゅう味わっているでしょう。「しつけ」で起きていることです。いわゆる「社会性」です。確かに他者との関係から生じるものなので、社会性なのですが、一見自分のことのように思えながら、極めて社会的な選択になっているエピソードを紹介します。

それはドイツのインクルージョンの話です。日本では他の人と同じだと安心し、異なると不安になるという「安心社会」(山岸俊男)だという見立てがあります。それが例えば小学校入学の時に保護者の考え方にみられます。日本では小学校への就学に必要な力が不十分であっても、なんとか追い付かせて入学させようとしますが、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン市では、「うちの子はまだ学校は早い」と言って、就学を待って(ステイして)、キンダーガルテン(幼稚園)でもう一年過ごしたりします。

学校へ行っても、必ず毎年進級するのではなく、この年が大事だからともう一年ステイしたりするのです。日本だと留年と同じようなイメージなってしまいますが、この認識の差を考えた時、どっちが本当に子どもの人権を尊重しているんだろうと思います。日本では同じでないと「かわいそう」になってしまうのですが、ミュンヘンでは、本人の発達や個性に合っていないと「かわいそう」なのです。

この話は、個人の選択であるように見えますが、極めて社会的な選択でもあります。どんな意味でそれを価値あるもの、よきもの、善さとみなすかという問題が、選択の基準になるとき、その基準が社会的な通念や常識を反映しているからです。非常識と思えるものを選択するときは、強烈な決意が必要なのが、日本なのです。それだけ価値観は平板で多様でもなんでもないのです。それを数年目に亡くなった山岸俊男さんは「安心社会」と呼び、これからの時代は自己の価値判断を尊重し合い、他者を信頼することができる「信頼社会」へ移行しなければ、日本型システムは世界の中で行き詰まるのではないかと心配していました。

この話と、好きなものを選ぶのか、必要なものを選ぶのか、ということが通じ合うはずなのです。

そして、その必要なものを選ぶために前提となってくるであろう、育ちの長い過程を、担任は2枚の写真を並べることで、示唆しています。見事な説明だと思います。

乳児の頃に他者への信頼感や基本的信頼感はアタッチメントを通じて得ました。そして自発的に「必要なものを選んでいく力」の育ちのプロセスが大事だとしています。本当にその通りですね。お友達との関係には「同じだね」という共感があり、仲良しの親密感や安心感、好きなお友達との心の交流や支え合い、つまり協調性の根っこになるものが育まれていることを、小さい時からの2枚の写真を並べてみせたのです。

このように書いています。

<・・・「寝ることが必要」と思いながらも、遊びたい気持ちと葛藤していたUちゃん。すると、Rくんが「一緒に寝る?」と誘い、しばらくお布団でゴロゴロしながら体を休めていました。Uちゃんも日々、自分の気持ちと葛藤しながらも時間をかけて自分に必要な選択に向かって進歩中です・・・!できた・できないの結果ではなく、そのプロセスが大切なので、その過程を大切にしていきたいです。>

本当に、その通りですね!

 

自分は自分、という選択

2022/05/19

Nくんのお昼寝の選択場面の見通し力について、遠藤利彦先生の非認知能力の分類法を下敷きにしながら「今を優先するか未来を優先するか」という「異なる時点の間の選択」として考えました。これは「自己にかかわる心の性質」の方です。それだけだと、OECDがいう社会情動的スキル(つまり「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」)の半分の要素が育まれていると考えられます。では、もう半分は、育っていないのかというと、そんなこともなさそうです。

Nくんのお昼寝の選択場面の葛藤は、自分だけのことのように見えますが実は「他者とかかわる心の性質」でもあります。どうしてかというと、「他のお友達はこうしているけど、自分はこうする」という判断がみられるからです。Nくんは自分は「寝る」を選択し、他の子たちにも「どれにする?」と聞き回ってくれていたのです。

よく、このことを先生たちは「お友達に引きずられない」「良くないことの影響を受けない」という見方をします。自分は自分だという考えをしっかり持てるかどうか。そうみれば、「他者とかかわる心の性質」も育つ機会になっていることがわかります。

この力は、ダイバーシティー(多様性)を認めて、他者と共生していくための力として、とても重要なものに思えます。異なる考えや価値観、判断結果がなされる人々が身近にいても、それが自然と感じる自己の在り方です。遠藤先生の分類説明は、そのニュアンスが表されていない気がします。もう一度、引用します。

「他者とかかわる心の性質」とは、「集団の中に溶け込み、人との関係を維持していくための力」であり、この中に含まれる非認知的なものは「心の理解能力」「コニュニケーション力」「共感性・思いやり」「協調性・協同性」「道徳性」「規範意識」などである、と。こう説明されています。私が引っかかるのは「集団生活の中に溶け込み」という表現です。異なる他者の、それぞれの「自分らしさ」を受け入れながら、共生していくことは、インクルージョンの概念であって、溶け込むことではありません。「きみは寝ないんだね、でも僕は寝るよ」ということが望ましいインクルージョンのような気がします。ここの違いを、藤森先生は2000年ごろに、すでに「共同体」ではなく「共異体」の創造が必要なのだとして、そのタイトルと本を出版しています。

つまり、OECDの「他者と協力して効果的に働き」のところは、集団の中に溶け込むことではなく、それぞれの生き方が他者を否定しないで認め合えるような尊重の仕方を含む必要があるのでしょう。

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