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園長の日記

表現②豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする

2020/02/16

15日(土)の午前中、私が昨年3月までいた八王子の「せいがの森こども園」が開いた行事「成長展」に出かけてきました。成長展は子どもの成長をお伝えするものです。これは、現在の子どもの状態をお伝えするだけではなく、昨年の4月から毎月、記録してきた育ちを並べてみることで、その成長のプロセスを可視化します。教育の「ねらいと内容」は5つの視点があるのですが、その分類(領域)に従って展示します。

子どもの発達を概ね右肩上がりのグラフで表すとすると、それは直線にはなりません。カーブを描いたり、山並みのようにギザキザになったりします。身長や体重、手や足の大きさ、人間関係の広がりやコミュニケーション力、遊具のバリエーションや活動範囲、言葉の発達など、それぞれのテーマで異なりますし、個人差もあります。

特に表現の領域は「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」ことです。そこで成長展では、1歳児クラスから子どもの4つの描画制作を展示します。4つというのは「自由画」「ぬりえ」「人物画」「シルエット」です。

シルエットというのは、人や家、犬などの形をしたシルエット(黒画用紙を切り抜いたもの)を子どもが白い画用紙の上に自由に並べて「お話」を語ってもらうます。それを先生が聞き取って説明文を添えたものです。

この4つを4月から2月まで、それぞれ4ヶ月ごとに作って並べます。ですから自由画が3枚、ぬりえが3枚、人物画が3枚、シルエットが3枚並び、その変化をみてもらいます。1年での「変化」の中に、子どもたちの成長の軌跡が見えてきますから、興味深い気づきが生まれることでしょう。

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

小池都知事が新宿せいが子ども園を視察

2020/02/13

昨日のことですが、姉妹園の新宿せいが子ども園を小池都知事が視察しました。NHKの首都圏ニュースで放送されました。

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200212/1000043941.html

(以下は、放送内容から)

子どもの個性や能力を生かす教育の実現に向けて、小池知事は、主体性を育む特徴的な保育を行っている東京・新宿区の子ども園を視察しました。

東京都は、2040年代に目指す東京の姿を示した長期戦略ビジョンの中で、子どもの個性や能力を生かした教育の実現を掲げていて、視察は今後の教育のあり方を検討しようと行われました。

小池知事が視察した新宿区の「新宿せいが子ども園」は、先生が子どもたちに介入しすぎない「見守る保育」を取り入れるなど、主体性を育む保育を行っています。

小池知事は、3歳から5歳までの園児を一緒のクラスにして、やりたい遊びを自分で選ばせていることや、ケンカが起きた時は子どもどうしで解決を促していることなどについて説明を受けていました。

東京都はこうした取り組みを、今後ほかの園にも紹介するほか、幼少期の教育のあり方を検討する上で参考にするということです。

 

令和2年度 入園説明会 2月19日(水)午前9:30

2020/02/12

(*園からのニュースにも載っています)

 

4月入園の皆様、ご入園おめでとうございます。

入園説明会および健康診断を2月19日午前9時30分から行います。

健診の都合上、予定よりも1週間早くなりました。ご了承ください。

入園説明会案内 2020年度 千代田せいがver1

<保護者の方>

このご案内と健診で使う「健康状況票」をお配りします。

<初めて入園される方>

本日12日より健診で使う「健康状況票」をお渡ししますので、18日までに園へお越しください。必要事項をご記入いただき、当日お持ちください。

当日の持ち物は、この健康状況票のほか、母子健康手帳、筆記具、スリッパです。

剣ヶ峰を迎えた日本の新型コロナウイルス対策

2020/02/11

テレビ報道を見ていると、いま行っているピンポイントで封じ込める「隔離」政策だけでは防ぐことができず、感染ルートを遡ることができない患者の発生が報道される日が近いかもしれません。それが世界的に広がると、普通のインフルエンザのような道を歩むことになるかもしれないと思えてきました。この数週間が勝負だといいます。今その転換点にきているのかもしれません。新型コロナウイルスは、WHOによると感染から発症までの潜伏期間が数日から12.5日間もあるので、症状が出ていない間に検疫体制をすり抜けてしまうことがはっきりしてきました。感染連鎖のルートが見えなくなってしまう可能性が出てきました。武漢ではそうなってしまいましたが、日本では症状が出ていない感染者が隔離していない場所にいたとしても、すでに追跡できない状況になっていないといいのですが。でも、それを想定して国は、民間の会社で遺伝子検査を受けられるような体制を準備しておく方がいいかもしれません。

感染力と高齢者の致死率を考えると、この政策転換は難しいかもしれませんが、少なくとも国は特定感染症の指定を緩和したような運用に移行して、インフルエンザ並みに急いで診断ができる病院を増やさないと間に合わなくなるもしれません。約10年前にも新型インフルエンザの時に空港検疫で8人を発見した時、その14倍の103人がすり抜けていたという推計結果を後で公表していたそうです。野生の動物を食用にしている中国から新型ウイルスが生まれます。過去のSARSMARSも鳥インフルエンザもそうでした。SARSは終息まで8ヶ月かかりました。この新型コロナも秋口までかかるかもしれません。

地球上の病原性ウイルスなどが、人の移動によってすぐに地球上に拡散してしまう時代になっています。昔はその特定の狭い地域だけで起きていたので、そこに住む人は抵抗力を持っていました。ところがその抗体を持たない他地域の人にとっては致命傷になってしまう時代なのでしょう。

今日からはじめるエシカル消費

2020/02/10

今日の第5回コーヒータイムで使うかもしれない「今日からはじめるエシカル消費」の資料をホームページにアップしておきます。

20200210「今日からはじめるエシカル消費」

この資料は私が先日2月3日に東京都消費生活総合センターが開いた「消費生活講座」の資料です。講師の山本良一さんはこの内容を広く市民に伝えて欲しいとおっしゃっていました。

ここからは、コーヒータイムが終わった後のレポートになります。

◆にこにこさんと「お客さん」を待ちながら・・

このコーヒータイムは、本当に気軽に仕事帰りにちょっとコーヒーでも飲んでもらう、くらいの気軽な空間にしたいと思っています。それで今日は、最初のお母さんがいらっしゃるまでに、にこにこの子どもたち3〜4人が「何してんの?」とやってきました。私が電気ポットでお湯を沸かし、電動コーヒーミルで豆を挽きはじめると、興味津々で私がやることをジッと見守ってくれました。その眼差しが可愛いので、私は楽しいのですが周りの先生たちは「あ、園長先生のそばに行ってしまって、どうしよう」とハラハラしているのも伝わってくるので「大丈夫ですよ」と伝えました。子どもたちと「お客さんがなかなか来ないね」と待っていたら、最初のお母さんがのぞいてくださいました。

◆どんな時間が「自分の時間」か?

今日は4人のお母さんが参加されました。一人、二人、三人と増えていくたびに、「お仕事お疲れ様です。まあ、コーヒーでもどうぞ」という感じでおもてなしていたら、ふと、“これってコーヒーじゃなくて本当はビール?”という思いがよぎりました。「まあ、まあ、まずはぐっと一杯どうぞ」とやるのが筋だよな、などと思いながら。

「みなさんには、ビールというストレス解消法があるけど、子どもにはそんなストレス解消法ってないですよね」という話に。子どもにもストレスはあるはずだけど、その解消法は親御さんへの「甘え」ですかね。それとも遊びがストレス解消でしょうか。子どもの遊びのエネルギーと飽くなき探究心へのリスペクトと同時に、親御さんが、いつもそれに応えることができているのはすごい!というのと同時に、子どもからのそれをスルーしたり対応できない時ってありますよね、仕事と子育てから離れて自分のほっとする時間ってありますか? それはどんな時ですか?かという話になったかと思います。飲み始めたらもうそのあとは・・・やっぱり、そこはおんなじですね、と安心する話が聞けて小さな連帯感を感じたのは私だけでしょうか?

◆エシカル消費を実践したくても・・

さて、エシカル消費ですが、私の場合、これまで「食べ物は体に良いものを」という基準ぐらいしかなかったのですが、「倫理的な消費」には、もっと広い視野から考えることが求められます。例えば生産や流通の過程で、子どもに過酷な労働を強いていないかとか、食べることになる動物の福祉に配慮しているかと(鶏は平飼いにしているか)、環境保護の観点があるか、などとても幅広い視点から見直されています。保育園の周辺で生鮮食料品はどこで買っているのか教えてもらったのですが、ライフやまいばすけっと、成城石井ぐらいで、あまりないですよね。子どもの健康を考えると、エシカル消費を実践できる環境なのかどうか、この町をもっとよくする余地があることに気づかされました。ネット通販を使うしかないのでしょうか。もう少し情報を集めたくなりました。

チェロ合奏という音のアート

2020/02/09

(写真はパンフレットから)

アートは答えのない開放系の世界なので、人によって好みが分かれます。アートを定義しないと落ち着かないタイプの人と、もっと感覚的にのめり込んでいる人と、どちらのタイプであろうと、許容してしまう広がりを持つのがアートです。今日はサントリーホールで開かれた「チェロ・グランド・コンサート」でチェロ・オーケストラの演奏を堪能してきました。久しぶりに休日らしい過ごし方ができたという満足感を感じています。楽しかったのは、知っている曲が多かったからです。サン=サーンスの白鳥、バッハのマリア、日本古謡のさくら、チャイコフスキーの感傷的なワルツ、ワーグナーのタンホイザー、バーンスタインの大脱走のマーチ、ウェーバーのオペラ座の怪人など。チェロ合奏だけのオーケストラで、これだけのポリフォニックな演奏になるとはびっくりでした。

音楽を楽しむことができるのは(たぶん)人間だけですが、これだけの楽曲を創作し続け、それを後世に残し、よりよい演奏を目指して練習して、その差異にこだわりをみせ、その違いを味わう美の世界があることは、かなりすごいことだと思います。昨日までの話の流れで面白いと思うのは、ライブの場合、鑑賞者は味わうタイミングを選ぶことは許されず、誰にとっても同時にやってくる「音」は、観客に同時にしか味わうことが許されないのですが、絵画や造形物とは違って、聞こえたそばから消えて無くなる作品なので、美術作品という言い方をしません。その再生装置であり記録媒体である楽譜そのものは、印刷物というものでしかなく(という言い方は変かもしれませんが)、つまり物が作品なのではなく、演奏されたモノが作品です。この場合のモノは、物体ではないので当然ですが目に見えず、人の中にしか存在しない形式です。こんな奇妙な美の存在は、かなり不思議なことに思えて仕方ありません。こんなこと考えるた人が、いろんな「音楽論」を書いています。ただ、演奏する人ともっぱら聞くだけの人とは、その演奏そのものに対する感じ方がかなり違う気がします。

健康④アートとしての身体表現

2020/02/08

階段に飾ってある吾妻橋に、赤い色を塗るのを手伝ってもらいました。今日8日土曜日の午後。

◆青木尚哉さんからの嬉しい提案

昨日7日(金)の午後、ダンサーの青木尚哉さんと海老原商店でこんな話になりました。「保育園の子どもたちに、身体表現を楽しむ機会を作りませんか」。こんな嬉しい提案はありませんから、すぐにお受けしました。ダンスといっても、音楽に合わせて、誰かが決めた振り付けを覚えて踊るようなダンスではなく、自分の身体感覚をたよりに、アドリブで身体を動かすようなダンスです。それが自己表現であり、他者へのコミュニケーションになるようなものです。

私「青木さんのダンスを先生や保護者の方にどう言えばいいですか」

青木さん「小学校でもやりました。子どもの方がすぐに理解してくれます。身体表現、アーティスト、コミュニケーションの3要素が入っているんです。これは学校の体育とは違うもので、身体の動きの楽しさを感じてもらえるでしょう」

(7日に行ったワークショップ。海老原商店から和泉橋を渡り、秋葉原駅へ。青木さんのFacebookから。スキンヘッドの男性が青木さん)

青木さんは独自に開発したメソッド「ポイントワーク」という方法で作品をたくさん創作しており、小学校や公共施設など全国各地でワークショップを開いています。16歳でダンスを始め、ジャズダンス、クラシックバレエ、モダンダンス、ボディーワークを経て、現在のアートプロジェクトに至っています。

◆アートとしての身体表現と健康の関係

このような身体とアートの関係を考えると、教育「健康」の領域が「表現」と重なります。それは身体にとっての「美」の要素が架け橋になって、他者と何かを伝え合う関係を作ることができるという道筋です。「表現」の話は、今月の後半にまた取り上げますが、身体表現から「身体と心の健康」を育むという保育もあることに言及しておきましょう。幼稚園の教育要領や保育所の保育指針にも、次期の改定で取り上げてもらいたいものの一つです。

身体表現を通じた教育は意外と古くからあります。踊りやダンスの形があってそれを学ぶというものではなく、身体を通じて内面の精神性を表す、あるいは解放する方向性です。その「表現」は表す世界が外にあるのではなく、身体という内にある世界だと考えれば、美術史の流れとなんら変わることがありません。

今月、中旬ぐらいにわいわい・らんらんさんと青木さんとのコラボレーションが実現する予定です。

次回10日のコーヒータイムは?

2020/02/07

2月10日のコーヒータイムは、最近「なるほど」と思った「エシカル消費」のネタを用意してます。エシカル消費って、聞いたことありますか?これ、エシカルとは英語の ethical =倫理的な という意味です。保育園で「倫理的な消費」を実践するには、どうしたらいいだろうと思って研修会に参加してみました。家庭でもできることは・・?

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