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保育アーカイブ

成長展〜「仲良し」にもいろんな種類がありましたね

2024/02/24

今日は子どもの育ちのある一面を、成長展という形でご覧いただきました。身長や体重、手足型、好きな遊びや公園、描いた絵などから、「自分の子どもはどれだろう」とクイズ形式で当ててもらうものでした。いかがでしたか? お子さんの特徴が現れていたのではないでしょうか?

行事の展示の特徴は、教育の「領域」と呼ばれている経験の中から、子どもの姿として現れているものを捉えて、これは誰だろう?と、自分お子さんだけで吐く、他のお子さんの特徴も見ていただけたのではないでしょうか。また4ヶ月に一度描いた「自由画」や「人物画」「ぬりえ」あるいは「シルエット」でのお話の1年間での変化もお伝えできたでしょうか。

調理さんからは、手作りふりかけのおにぎりを試食いただきました。このふりかけは子どもたちに人気があります。不足しがちなカルシウムもたっぷりで、ご家庭でもぜひやってみてください。

今年の私の「一推し」は、幼児で掲示した「人間関係の相関図」です。一人から矢印が3本出ていて、他の子につながっています。反対に3本が入ってきていて、合計6本の線で、つまり一人当たり6人とつながっています。その線ひとつずつに関係に意味が書かれているのですが、それが面白いと思います。

展示はひらがなで書いてありますが、ここでは漢字を使います。例えば3歳児クラスでは「なりきり世界の仲間」「憧れのお兄ちゃん」「ごっこ遊びのパートナー」「一緒にいると安心」「可愛がってくれるお兄ちゃん」「制作仲間」「ほっておけない弟」など。4歳児クラスでは「信頼があるお友達」「恋心」生き物探しの仲間」など。中には「親友」「恋心」などもあります。

5歳児なると「ダンス仲間」「運動への憧れ」「かっこいいところを見せたい」「大好きなお友達」。目を引いた関係は「癒しの存在」とか「初恋」というもありました。子ども同士の仲間の関係といっても、このように色々な関係があるのですが、それもある状況では「なりきり遊び仲間」でも、ある時は「ライバル心を燃やす相手」だったり、「頼りになる友達」だったりしているようです。

これは大人の場合どうなるのでしょう。ずいぶん昔から人間関係の希薄さといったことが問題になってきたわけですが、SNSの普及や経済のグローバル化、高度情報化社会、生成AIや人工知能など、そういったことを考えたときに、多様な人間関係の中で主体性をどのように育むか考えていきたいと思います。

好きだから生まれる目標と練習

2024/02/22

好きなことを自分で見つけてその目標に向かって試したり、工夫したりしている姿を見ると、やっぱり、それぞれに始まる「遊び」がいかに大事か、と思えてきます。何日も前から練習していた子どもたちによるダンス「怪獣の花唄」が、今日の誕生会で披露されました。誕生会そのものは、わらすのホームページでのブログや、アプリのクラスドキュメンテーションを見ていただくとして、担任からこれまでのいきさつを聞き、気持ちよく踊っている子どもたちを姿を見ていると、こんなことを想像していました。

この子たちは「いいな」と思うお友達のダンスを何度も見たそうです。ダンスを始めた子たちは主にNちゃんとMちゃんの2人で去年夏ごろから。2人とも同じ小学校に姉がいて、オリジナルの振り付けをした「怪獣の花唄」に夢中になっており、その姉の影響受けた2人が保育園でもダンスをしだしたのがきっかけです。

バトントワラーを習っているKちゃんもダンスが好きなので、ちょうど同じ頃、時々、見せあったりしているうちに、周囲に広がっていったそうです。発信源2人の影響が大きいのは、周囲に「いいな」「たのしそう」「やってみたい」と思わせる力があったからでしょう。

最初の2人はそれぞれ姉がやっているダンスを身近に見たり、おそらく行事で行われた録画のビデオを何度も見たりして、その音楽やダンスの「完成形」がイメージされていて、それを再現して楽しんでいるときは、本人はいい感じになっていると思っていそう。みるからに、自信を持ってやってます。ここにも個別最適な学びと協働的学びがあるように思います。言葉による対話と言うよりは、身体的表現による対話があるからです。

それからもう一つ。個別最適な学びの発生に関わる大事なポイントだと思うことですが、最初に「いいなぁ、楽しそう、やってみたい」というのがあるかどうか。そういう出会いがあるかどうか。思わずやってみたいと思うような活動と、偶然出会う可能性の高い場が用意されているかどうか。新しい世界や時代が紡ぎ出されるようなネットワークがあるかどうか。

「みんなの前でやるのは恥ずかしいと言う感じだったのが、お楽しみ会をきっかけに、見せたいと言う気持ちが高まっていったように思います」

このように言う担任の捉えている子供の変化は、行事を通じて表現し合うことが学び合いや対話になっていると言うことなのでしょう。

そう考えてくると、よく「結果よりもプロセス」とか「努力の過程を大事に」という話があるのですが、それはそうなのですが、前提として大事なのは、やはりそれが好きだということでしょう。努力は好きだからこそ自然に生まれるといいですよね。努力の前に、その前に「楽しい」「面白い」がしっかりあって、そのちょっと先に見つかっていく目標という関係が大事な気がします。この事は、平凡な結論のように見えますが、新しい世界が開かれていく可能性に結びつくように、遊びというものが機能しているんだと考えると、遊びはとても大切なことだと思えてきませんか?

 

子どもの葛藤と忍耐を経て育まれる信頼する心

2024/02/19

ぐんぐん組のブログをご紹介します。タイトルは「葛藤と忍耐と信頼と・・」です。

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お部屋で遊んでいたとき、Rくん(2歳5か月)が持っていたレゴブロックが欲しくなってしまった、Cちゃん(2歳10か月)。いつもみんなが「ケータイ」に見立てて使っているものだったので、お人形の赤ちゃんのお世話ごっこに使いたかったようです。

みどり色のブロックが2つと、青色が2つ。同じ形のものが全部で4つ、Rくんの手元にあります。
Cちゃんも欲しいけど、まだRくんが使ってるんだよねぇ…と大人に受け止めてもらいつつ、涙ながらに悔しい気持ちをこらえるCちゃん。
「Cちゃんは、何色がほしいの?」と聞いてみると、「みどり」と言います。

さて、ここからは大人の腕の見せどころ?です。
Cちゃんの代わりに、Rくんにもお話を聞いてみます。どうすれば『貸してあげようかな』と思ってくれるかなぁ…うまく交渉できるでしょうか? 力ずくで取ってしまうわけにはいきません。伝え方やお願いの仕方、距離感…大人なりの交渉術を、実践してみます。
「Cちゃんはみどりが欲しいんだって。(・・・) Rくんが使い終わったら、貸してくれる…?」などと少しの間 Rくんに語りかけていると、最初はヒートアップしていた名残りなのか「ダメー」と言っていたRくんも、そのうち 「うん(終わったら貸すよ)」とうなずいてくれました。
子どもたち、言葉はだんだん巧みに使えるようになってきているけれど、お互いの気持ちがぶつかり合っていたりすれ違っていたりする場面となると、やっぱりまだ大人のフォローが必要なことも多いですね。
でも、Rくんとのやりとりを一緒に聞きながら、Cちゃんも落ち着きを取り戻し、Rくんが貸してくれるのを大人と一緒に待っています。
「Rくん、終わったら貸してくれるって。それまで(お人形の)赤ちゃんのごはんでも作って待っていようか」とCちゃんに伝えると、すこしホッとしたのか、Cちゃんも気持ちが切り替わります。

「やりたい!」「ほしい!」「わたしの!ぼくの!」と、最初こそ 気持ちと行動が先に行ってしまう瞬間もあるけれど、涙ながらでも、大人に寄り添ってもらいつつ、ぐっ!と悔しい気持ちを堪えて、自分なりにクールダウンしていく姿がそれぞれに多くなってきています。また、そうして気持ちを切り替えるまでの時間も短くなってきて、言葉でやりとりしてみようという姿も増えてきているように感じます。

少し経って、Rくんが、「ハイ」と持っていたレゴブロックをCちゃんに渡しにきてくれました。


Cちゃん、Rくんがブロックを持ってきてくれると「Sちゃんにも」と、まずSちゃん(2歳9か月)に手渡します。一緒に赤ちゃんのお世話ごっこで使いたかったようです。

なるほど…『こういうふうに遊びたいな』というごっこ遊びのイメージやストーリーをしっかり思い描いていただけに、どうしてもそのアイテムが欲しかったんだなぁ、とCちゃんの思いもわかった気がしたのでした。
Rくんが、ブロックを貸してくれようとしつつも うまく取り外せずに苦戦していると、「これ、取ろっか?」と、Rくんに聞いて外してあげようとするCちゃん。

Rくんも うん、と素直に渡して、うまく取れるかなぁ?というようすで眺めています。

さっきまでの攻防がウソのようです。(笑)

そのあと実は、CちゃんとSちゃんに2つずつブロックが渡って、今度はRくんの手持ちのブロックがなくなってしまって、一悶着あったのですが笑、同じようなやりとりをして、しばら〜くしたのち、最後はみんなで分け合って、遊んでいました!最後はちゃんと、誰かが譲ってあげる気持ちを見せたり、納得し合ったりして遊べるのが素敵です。

こうして、ケンカもたくさんするけれど、「待っていたらそのうちちゃんと貸してくれるんだな」「ちゃんと分かってくれるんだな」という体験が、けっこう、その後の子ども同士の関係によくあらわれてくるような気がしています。モノの貸し借りのやりとりを見ているとよくわかります。
何度ぶつかっても、大人の力を借りながらやりとりして、一度、そのお友だちと気持ちが通じ合う体験をすると、「この子はそのうち分かってくれる」と子どもなりに安心するのでしょうか。そうしたことの積み重ねで、それぞれの信頼関係が結ばれていくようにも見えます(もちろん、それだけではないと思いますが)。

(↑茶色の「麺」が欲しいYくん(2歳3か月)。取られちゃうのはイヤだけれど、それなら、お皿に取り分けるから待ってね、とYくんのぶんを取り分けるCちゃん。Yくんも、自分のぶんをお皿によそってもらうのを待っています。)

ぐんぐん組(1歳児クラス)の時期は、何かやりたいことや欲しいものがあるとき、まだ自分の気持ちを自分でコントロールするのが難しくて、ついお友だちのものを取ってしまったり、手を出したくなってしまったり…ということもたくさんあります。でも、子どもたちの姿を見ていると、やってはいけないこととか、どうすべきか、ということは、ほんとうは子ども自身がよく分かっているのだと思います。

分かってはいるけど、気持ちがまだうまくおさえられずに咄嗟にやってしまう…という感じでしょうか。大人でも、イラッ!とした気持ちを自分でコントロールして落ち着けるのは一苦労することもありますね。そんな 大人でも難しい「感情のコントロール」を、こんな小さな子たちが、子どもたちなりに一生懸命、体験して練習しているのだと思うと、涙ぐましい努力だなぁという気分になってしまいます。

だから、そんなふうに子どもの気持ちが爆発しているとき、一度ぐっと立ち止まって相手とやりとりしてみたり、ちょっと待ってみよう、と思えるために、大人がお手伝いします。
子ども同士の気持ちがぶつかったとき、何かが”正しい”とか”間違っている”とか”良い、悪い”とかを教えるのでなく、子どもの気持ちに寄り添って 一度クールダウンさせてあげながら、”子ども同士の関係を結んでいく”お手伝いをしているというイメージがあります。
やってほしくないことはしっかりと伝えたり、こうしたら?というアドバイスはしたりもしますが、あくまで、子ども同士の関係の つなぎ役 という気持ちです。
そして、子どものケンカは 案外、それぞれの子の思いの行き違いのようなこともよくあります。例えば、カバンを取り合っているとき、一方の子はこのカバンが欲しいけど、もう一方の子はこのカバンの中に入っている中身が欲しかったんだね…!など。言葉足らずだった部分を、大人がよく聞き取ってお互いに伝えてあげることで、解ることもあります。

子どもたちが忍耐強く、友だちとの間の葛藤やその先の喜びを体験しているのと同じように、大人にもまた根気と忍耐が必要です。子どもの気持ちに寄り添いながら、というのは、すごく時間がかかるもので、目に見えにくいものであるけれど、ふと気付いた時に、『こんなやりとりができるようになったんだ』とか『そんなふうに貸したり待ってあげたり譲ってあげたりするようになったんだね』とか感じる瞬間は、すごく嬉しくなります。子どもたちの体験してきたことの積み重ねは、そうしてふとした瞬間に感じることができるものなのでしょうか。

いま、小さなみんなが自分の身で全力で体験しながら学んでいる、葛藤や忍耐、相手と通じ合ったときの喜びや人への信頼感…というものは、きっとこの先ずっと、生きていくための力になっていくのではないかなぁ、そうであったら嬉しいなぁ、と願いながら、過ごしています。だからこそ、一つひとつのやりとりや出来事を、できる限り丁寧に読み取って、見守っていきたいと思っています。
1年後、5年後、10年後…そして、みんなが大人になったとき、どんな風になっているのかな。と、ときどき楽しみな気持ちで想像してしまうのです・・・が、気が早すぎるでしょうか😅

保護者主催の「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」

2024/02/17

今日17日午前中は姉妹園の「新宿せいが子ども園」で、その保護者と卒園家庭からなる「落四小学校区域の学童クラブを考える会」(代表・渡辺仁子)が開いたイベント「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」に参加しました。

まず「保育園を考える保護者の会」代表の渡辺寛子さんから、こども家庭庁の「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」が紹介されました。渡辺さんはその会合の委員でもあり「これから出されてくる色々な政策の大元はこの5つのビジョンに基づいているのになるでしょう」と。

続いて紹介された、この会に参加している方に事前にとったアンケート「子どもが大人に言われて・されて嫌だったこと」と「大人が子どもの時に言われて・されて嫌だったこと」の結果からは、本人からすると大人が過干渉になっている傾向が見られました。

それらを受けて、いわゆる「見守る保育」については、藤森平司園長から乳児保育における保護者の関わり方の話が、また元ソニー開発マネージャーで『パパだからデキる子育て術』の著者である鬼木一直・東京富士大学教授からは、見守る保育の意味についてのミニ講演がなされました(録画)。

さらに脳科学者でもある一人の保護者からの話題提供もあり、盛りだくさんの内容を踏まえてのグループディスカッションは熱のこもったものとなりました。

このイベントは、主催している会の名前から想像できるように、卒園したあとの学童のあり方を考える会ではあるのですが、子どもが幸せであるために、学校の在り方や学びのあり方も考えていこうという趣旨の内容になっています。就学前の学びと就学後の学びをつなぐ活動のあり方として、保育と学童の連続性を考えるための、いい機会になりました。

 

GT全国実践研究大会 初日

2024/02/03

保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)が主催する全国大会のために長崎市に来ています。初日の今日3日(土)は、午前中は施設見学(8ヶ所の保育園・こども園から選択)で、午後は藤森代表の基調講演と、菌ちゃん農法で有名な吉田俊道さんの記念講演でした。

基調講演では、いわゆる「見守る保育・藤森メソッド」の4つの特徴について、改めて説明されたのですが、新しいトピックスとしては「子ども同士のかかわりを大切にした保育」の中で、社会が狩猟採集社会から現代の情報社会に至るまでの変化(Society5.0へ向かう議論の中で)の中に、変わらないものがあって、それが「助け合う力」であることが紹介されました。また、5つ目の特徴として新たに「園庭」について取り上げられました。

九大農学部大学院修士課程を修了後、長崎県庁の農業改良普及員をしてきた吉田さんは、1996年に退職して佐世保市で「株式会社菌ちゃんふぁーむ」を経営しながら有機農業を始めます。最新刊の「微生物の力だけで奇跡の野菜づくり 図解でよくわかる菌ちゃん農法」によると、1999年に「大地といのちの会」を立ち上げ、生ごみや枯葉などで菌のいる土地を作って、野菜を育てる方法について、理事長として全国で講演をしています。

一番驚いたのは、肥料も農薬も一切使わないのに虫がつかないことです。本当に元気な野菜には抗酸化物質やビタミンCなどが豊富で、虫も食べることができないのだそうで、そういう野菜になる秘訣は「菌ちゃん」が豊富な土作りにあるとのこと。ぜひ、保育園でもやってみたいと思います。

 

他園のお友達と仲よくなりたい気持ちが膨らんで

2023/12/04

今日のクラスブログと重複しますが、以下に紹介します。

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そんな今日は、神田公園に行くと、神田ベアーズ保育園 さんが..!この園も合同子ども会のバスが一緒だったのですが、子どもたちに「バス一緒だった園のお友だちだね〜!」と伝えてみると、「せんせい、しゃべってみて〜」とMちゃん😂 (お友だちになりたいけど、少し恥ずかしい.. とのこと )で、私が神田ベアーズのお友だちに話しかけてみると、来年から千代田小に行くということ!「一緒だ〜!」と少し照れながらも名前を伝え合っていました😂そこからもお互いに気にしながら近くに行ってみたり、少し話したり、、先生たちともお話して、「また公園で会ったら遊ぼうね〜!」とバイバイしました!いい出会いでした〜!

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先月の合同子ども会をきっかけに、年長児は他の園の子どもたちとの触れ合いをもとめるようになってきたようです。今日は午後、ある保育園と交流する予定だったのですが、先方がインフルエンザが流行しているという理由で見合わせることになりました。でも、午前中に出かけた別の公園で、他の保育園の子どもたちとの交流が生まれました。

<・・新たな公園にとても新鮮さを感じながら、探索したり、遊具で遊んだりと伸び伸び健やかに過ごす中で、他園のお友達と仲よくなりたい気持ちのMちゃんの姿がありました。なかなか羞恥心からか、踏み込むことができず、保育者の手をかりながら関わっていく姿がとても印象的だった。小学校就学にあたり、自園の子と離れ離れになってしまう子もいる中で、戸外活動を通して、他園児と触れ合う機会にとても意義を感じる場面を垣間見ることができた。・・・>

 

お友達と仲良くなりたいという気持ちが膨らんでいるのですね。年長児は小学校が複数に分かれますが、それぞれの近くに公園もあるので、そこでの戸外活動から自然と交流が生まれています。新しい友達ができていく体験も就学にむけた連続性になっていくことでしょう。

子どもにとっての同僚性という環境

2023/11/14

研修会の二日目(14日)は、高田馬場の研修会場で藤森代表の講義、実践発表、質疑応答です。テーマは「チーム保育」です。今年3回目の保育環境セミナーの総まとめになります。藤森代表の講義は「ヒトという環境 子どもにとっての環境 同僚性としての環境」という内容でした。チーム保育というのは、かなり前から提案されているものなのですが、私たちの保育グループでは次のように考えています。この考え方は、保育学用語辞典にも載っているので、そのまま引用してみましょう。

「習熟した保育者が、初任期の保育者とともに複数でチームを形成して保育にあたる体制。(省略) 藤森はチーム保育について、役割分担をしてともに保育することと定義し、メリットとして、子ども理解を複数の視点で行える点を第一に挙げている。近年は、チーム保育の基礎として組織文化が存在し、組織の在り方が保育の質に対して強い影響を与えることが示され、組織の一員としての保育者の成長を促すことを目指して園内研修の新たな試みが進めれている。」(中央法規『保育学用語辞典』(秋田喜代美監修169ページ)

今日の研修会では、実践発表として2園から報告されましたが、学級担任をやめ複数担任で保育をしている事例もありました。千代田せいが保育園では、年齢別のクラスとそれぞれに年齢別の担任がいます。ただ子どもの生活する空間は、それぞれのフロアを自由にどこでも行っていい、遊んでいいということになっています。子どもの発達や興味関心から活動が生まれうやすいようにしているからです。子どもが行った先に先生がいて、クラス担任を超えたところで対応することもあります。

子どもはガムテープを転がして遊ぶことができる

2023/10/25

◆保育参観でよく見かける子どもの姿

今月10月は「保育参観」が連日行われています。保護者の方が自分の子どもがどんな風に生活しているのか、遊んでいるのか、あるいはどんな風に食事をしているのか、寝ているのかなど、時間帯を選んで参観されています。散歩先の公園まで着いて来てみてもらうこともあります。今日は午前中は乳児は室内から屋上へ、幼児は戸外と室内の行き来がありました。乳児は子どもにみつからないように参観してもらう、というのも保育園の特徴かもしれません。

そこで必ずといっていいほど、家庭と園では見せてくれる姿が違うという話が出てきます。先日も年長の女の子とが「レバーのマリアナ風(ケチャップ味)」を、「美味しそうに食べていた、お代わりまでして!うちではレバーとかは絶対食べないのに」と驚いていらしたり、今日は0歳児クラスの赤ちゃんが屋上の野菜のナスをちぎったり、花壇ではなくビオトープの雑草(猫じゃらしやパンを上手に前歯でかみ切って食べている様子をご覧になって「毎日の写真もありがたいが、やっぱり実際の動きをみてよくわかった」という感想を語られていました。

◆環境の違いからくる子どもの「やりたがり度」

それは最も大雑把に言えば、家庭と園の環境が違う、というということですが、同じ保育園の中でも、同じ子どもが「そっちはやりたがり、でも、こっちは興味を示さない」というようなことが、その都度いっぱい起きています。今日はダンサーの青木さんたちもきて、身体を動かして遊ぶ時間もあったのですが、そういう活動に入ったり、入らなかったりする子どもの様子を私もみていて、このことを改めて考えてみたいと思いました。

その差は子どものさまざまな欲求(生理的欲求や社会的欲求)や、知的な興味や関心、それらを含めた個別の「発達の違い」などと言われているものを中心に捉えることが多かったように思うのですが、それだけでは捉えにくい姿が実際には起きていそうです。つまり遊びをみていると、子どもの内面や心理などの子どもの内側のことに主たる要因を求めるのではなくて、「同じ子ども」が新しく出会う「環境」と子どもの間に実際に起きていることは、別様の説明がいるのではないか、という感じのことです。特に遊びにおいて。

◆ガムテープを転がして遊ぶ姿

ある3歳児クラスの子たち4人ほどが、制作遊びで使うガムテープを床の上で転ばし始めました。タイヤの輪のような向きに転がせば「よく転がる」ということを、わかっているのか(気づいているのか)、わかっていないのか、録画していなかったので、今思うとそれはよくわかりませんでしたが、主に当てずっぽうに、放り投げたりしているように見えました。あわせてキャッキャと騒いで、自分の体も楽しそうに跳びはねています。いつもいる仲間と一緒にやっていることも楽しいようです。ガムテープは時々遠くまで転がったり、ぐねぐねと曲がったり、パタンと止まったり、カタカタと回ったり、緩やかなカーブを描いて戻ってきたり、しています。担任は「あ、戻ってきた!」など、多少演技性を発揮して注目してほしい現象をわざと言葉にしていましたが、子どもは特にそこに面白みを感じ取るわけでもなさそうです。

◆何が面白いのだろう?

自分の手で放られて離れ、ガムテープが床に着地するときの勢いや向き(面)で、転がり方が変わるわけですが、ガムテープという穴の空いた短い円柱という形は、重力下の平面の上では、力を加えると、このような色々な動きをします。これまでにも、この子たちは、いろんなものを同様に投げたり転がしたりしてきたわけですが、そういうことを繰り返しながら、ボールとも風船ともシャボン玉とも違う、物の動きをそこに見出して(意識して比較してはいないのでしょうが)、物の形が持っている特性を、物の動きの中からピックアップしていく、その情報を取り出しているということをやっているのでしょう。そのつながり具合の中に言葉などの象徴的な記号も含まれていくのでしょうけれど。

ガムテープという、子どもが手にして投げることができる程度の大きさと重さ、そこにちょっと広い床があって、自分で難なく操作できるということが、その動きを誘発しているかのように見えてきます。そのものがアフォードした動きが子どもたちの間に生まれた、という見え方できるのでしょう。まずはそうした場が持つ、ある種のエネルギーのような空間を用意してみて、子どもがそこにどういう動きを誘発されて見出していくのかを見てみたくなります。

◆大人が期待することと子どもの遊びのズレ

ただ大人は、普通こんなことしません。ピタゴラスイッチの番組を作っているような人や、SNSでガラス瓶を階段から転がして割れる動画を作っているような人ならともかく、よっぽど暇でもなければ、ガムテープを転がしてみるという遊びなどはしません。それは、しなくても、どうなるかは大体予想がついているから、あえてどうなるか、やってみたいとは思わないのですが、またそういうものは用途が違う、そんなことはしないでほしいもの、だからです。

あえてやったとしても、こんなとき大人が思う「面白さ」は、どうやったらもっよ「よく転がる」か、というあたり向かいがちです。あるいはどうやったら高く積めるかとか、綺麗な形になるとか、大人はそれを思わず期待してしまいます。でも子どもは、あたかも大人のいう実験のように意識して試すというほどの意識もなく、ちょっとやったら面白そうだから、また続けてやってみるという感じで、自分の体も物も勝手に動いている感じです。そして実際に、子どもたちは飽きたら何もなかったように他のことに移っていきました。この話は、明日に続きます。

 

 

ドングリ遊びの中で起きていること

2023/10/21

昨日20日(金)は、保育園を選ぶために来園された方の見学が終わる頃、散歩から園児が帰ってきました。乳児も幼児も秋の収穫物がいろいろです。どんぐりや銀杏、ひめりんご、紫色の何かの木の実も混ざっています。さあ、それを並べたり、潰して色水にしたり、紙や布に浸したり、染めたり、実を転がしたり土に埋めたり、まあ色々なことがなされるでしょう。

どんぐりなら、幼児は毎年のようにコマや、やじろべえが作られたり、色が塗られたり、動物などのマスコットやリース、モビールなどの装飾に使われたりします。

4〜5歳児の子たちは、数日前から牛乳パックでできた長い道を、どんぐりを転がして遊んでいます。右に転がると行き止まりで「はずれ」。左に行くとさらに進めるのだそうです。道から落ちたどんぐりは透明カップの中にうまく落ちれば「あたり」です。さらにそこから先の道ができるのかどうか? そんなことをやるのに子どもの列ができたりしています。

その奥の方では面白いどんぐりマスコットができていました。どんぐりを顔に見立てて、マジックで目や口を描いています。それは絵本「かおかお いろんなかお」と同じコンセプトで、4歳の女の子二人が「眠いかお」とか「うんちのときのかお」などと、いろんな場面の顔を実際に担任にして見せてくれ、それをどんぐりの顔にしていました。

3歳児の男の子は床に落ちて跳ねるどんぐりが面白くなって、床に投げては跳ねさせることを繰り返したり、もっと上に高く投げてみる子どもが出てきたりします。今度は一つずつではなく、数個をまとめて続けて投げる子どもが出てきて、どんぐりがそこらじゅうに転がって散らばると、それに加わった5歳の子は「どんぐりまつりだ」とはしゃいでいます。ちょっとはしゃぎすぎると、先生から「ちょっと遊び方が違うかもなあ」と修正されたりしながらですが(笑)。

こういう姿を見ていると、子どもは思いつきでいろんな遊びを楽しんでいるのですが、年齢によってもその差が見られ、遊びの「あてどなさ」とでもいうのでしょうか、受動的にあれもこれもと注意が拡散している時期から、だんだん目的を持ってやることが高度になっていく感じが確かにあるのです。その辺りの違いはクラスごとの保育ドキュメンテーションで比べてもらえるとわかるかもしれません。

しかし、そのことをもっと本質的に捉えると次のようなことになりそうです。無藤隆先生が、このような遊びの特質を次のように表現されていましたので、了解をいただきましたので、ちょっと長いのですが全文をご紹介します。

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○幼児は一歩前に踏み出し新鮮さに出会う

幼児はどうして毎日のように園に来て、毎日のように新しいことに取り組むような新鮮な気持ちで遊ぶのであろうか。

そもそも、今という時間は静止した固定したことではない。常に動きつつ、その流動はどうやらその瞬間といいながらもごく短い時間の継起としても経験されるらしい。その瞬間は今でありつつ、既にその次の一瞬に踏み出しかけ、そしてその少し先への予感としての開かれた先へと方向付けられる。より正確には、その踏み出す勢いがその先の何かを開き、方向付けとなるのだろう。

別に哲学的あるいは科学的な議論をしたいわけではない。幼児がその身近な環境に出会う様子を記述したいのである。その今を一歩踏み出す。そこに環境との呼応があり、気まぐれがあり、偶然があり、思いつきが促し、思いがけないことが起こる。そこに新鮮さが現れるだろう。

そこには型通りの行動や予定されたいつもの活動であり、時に昨日の続きであるにしても、そこにはそのような新たなことが生まれ、その新たなことへと踏みだし、踏み出すから新たなことが一層そうなっていく。それは「今」が揺らぎの中にあり、流動する中の瞬間であり、そこにその先への決定はできないからである。

とりわけ幼児はその統御より、その揺らぎにおいて生きている。統御がなされつつも、その先への大きな方向と切りかえのいわばギアは徐々に起こるのであり、それは半ばのことなのである。

その統御の不完全さは人としておそらく常にそうなのだが、とりわけ幼児はその不完全さが顕著であり、それがかえって新たな可能性をその一歩先の未来へと作り出す。それは例えば、何かを作りながら考え思いつき作っていくことであり、そのプロセスを生きることである。

朝の活動の開始を見れば分かるように、そこには昨日の続きはいつも曖昧にしか起こらない。ものを作ることと片付けることが一緒になっていることでもあり、新たに作り出すことが基本的なあり方となっている。昨日の活動の跡があろうと、それは痕跡であり、単なるパズルの続きをすることにはならない。

そして一歩新たに踏み出すと、そこでそれを通して生まれるものの配置は新たなものとなり、そこに未知の可能性が見えてくる。それをさらに踏み込めば次の可能性がまた多岐に広がるだろう。

幼児の世界はそのようにして、新鮮さに満ちている。新たな可能性の探究に常になっていく。遊びとはそのような新鮮さを充満させる営みなのである。そのようにして生きることは可能性を生み出し、その実現はさらなる可能性を広げることであり、そこに活動の豊さが生まれる。その新鮮な輝きは自分が世界の中にあり、その中で惑溺し、その感情を生きることである。

そこを振り返り、今後に向けて見渡すことを行って、その活動の流れが生起し、自覚され、方向付けることも増えていく。それは多様な活動を方向付け、ある制限を設けることだがそれに伴い、より焦点化した探究となり、深さの追究となるのである。

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いかがでしょうか。連日、遊んでいる子どもたちには、確かに、こんなことが起きていると思えるのです。3歳の子どもたちが「どんぐり祭りだ!」と多少ハメを外すように見えたとしても、それに遊びの本質が現れていて、自分がやったことから、またフィードバックが起きて、新たに現れてくる新鮮さに惑溺しながら、その楽しさを満喫している瞬間の連続なのでしょう。

ちなみに年長はその後、事務室にどんぐりの入った袋を冷蔵庫に入れて凍らせてくれと頼みにきました。

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