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園長の日記

チェロ合奏という音のアート

2020/02/09

(写真はパンフレットから)

アートは答えのない開放系の世界なので、人によって好みが分かれます。アートを定義しないと落ち着かないタイプの人と、もっと感覚的にのめり込んでいる人と、どちらのタイプであろうと、許容してしまう広がりを持つのがアートです。今日はサントリーホールで開かれた「チェロ・グランド・コンサート」でチェロ・オーケストラの演奏を堪能してきました。久しぶりに休日らしい過ごし方ができたという満足感を感じています。楽しかったのは、知っている曲が多かったからです。サン=サーンスの白鳥、バッハのマリア、日本古謡のさくら、チャイコフスキーの感傷的なワルツ、ワーグナーのタンホイザー、バーンスタインの大脱走のマーチ、ウェーバーのオペラ座の怪人など。チェロ合奏だけのオーケストラで、これだけのポリフォニックな演奏になるとはびっくりでした。

音楽を楽しむことができるのは(たぶん)人間だけですが、これだけの楽曲を創作し続け、それを後世に残し、よりよい演奏を目指して練習して、その差異にこだわりをみせ、その違いを味わう美の世界があることは、かなりすごいことだと思います。昨日までの話の流れで面白いと思うのは、ライブの場合、鑑賞者は味わうタイミングを選ぶことは許されず、誰にとっても同時にやってくる「音」は、観客に同時にしか味わうことが許されないのですが、絵画や造形物とは違って、聞こえたそばから消えて無くなる作品なので、美術作品という言い方をしません。その再生装置であり記録媒体である楽譜そのものは、印刷物というものでしかなく(という言い方は変かもしれませんが)、つまり物が作品なのではなく、演奏されたモノが作品です。この場合のモノは、物体ではないので当然ですが目に見えず、人の中にしか存在しない形式です。こんな奇妙な美の存在は、かなり不思議なことに思えて仕方ありません。こんなこと考えるた人が、いろんな「音楽論」を書いています。ただ、演奏する人ともっぱら聞くだけの人とは、その演奏そのものに対する感じ方がかなり違う気がします。

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