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アートと保育

わいらんすいの音楽隊

2021/06/08

子どもに「ウルトラセブンの歌をギターでやってほしい」とリクエストされて、今日は夕方に弾いてみました。この曲は子どもの娯楽曲と侮ってはいけません。名曲なのです。吹奏楽の「ヒットシリーズ」にも入っています。神宮司さんも「吹奏楽でよくやる曲ですよ」と。私は教科書に載せてもいいと思っています。

という、言い訳をちょっとしておいてから、今日の保育エピソードですが、ギターで歌ってあげると、子どもたちはノリノリで、たくさんの子どもたちが集まってきて、「楽しい!」「楽しい!」の声に。ギターを弾いてみたいというので、ピックを持たせて一緒に「ジャン、ジャン」と鳴らします。それにも列ができて、自分で音を鳴らすことが楽しいようです。歌に合わせて楽器の音を鳴らすと、いい気持ちになる、という体験ができたようで、今度は楽器に関心が向かいました。そして・・・

年長の子たちが「楽器を持ってきていい?」というので「もちろん!」というと、一目散にかけていきます。ノリのいいウルトラマンセブンの3番までの合奏を何度か繰り返すと、「次は何にしようか?」と女の子がいい、「そうだ、忍たまがいい」ということに。そこで「勇気100%」を合奏つきの合唱です。そのあとは「にじ」です。だんだんと、保育の歌になってきます。それでもまた「セブンがいい」というところで3時45分になり、今日のところは終了でした。楽器も大切にしまいます。

みんなで歌って、演奏して楽しいと思うと、いろんな楽器で演奏したいという気持ちにも発展していきました。即席の「音楽隊」の結成です。その盛り上がり方は、相当なものでした。これも音楽の力です。こんな調子で好きな歌を歌ったり演奏したりしていけば、子どもたちでコンサートが開けるのではないかと思います。好きな曲を歌ったり演奏したりしていたら、合奏になっていき、音楽隊がまとまって演奏することができるようになったら、協同性もかなり育つんじゃないかと思いました。

ちなみにぐんぐんとにこにこの子たちは、はらぺこあおむしの絵本をが見せてあげながら、音楽に合わせてダンスを楽しんでいます。

子どもの表現についてアーティストらと懇談

2021/05/02

先週425日の日曜日に海老原商店で青木さんが主催した座談会がありました。ダンサー、作曲家、演出家、写真家などのアーティストが集まりました。アーティストというのは別の言葉で言うと表現者ですが、何をどうやって表現するかはそれぞれです。何を語り合ってもいいのですが、私は自分の考えを言葉で表現することもアートだと考えていることと、子どもが言葉を話し出すことや体を動かしたがることの「ベクトル」の話をしました。自らが世界に向かって語りだす方向と力についてです。そのベクトルと成長と一致させるための表現を保育にしたいと思っているという話です。子どもが環境に関わって現れる軌跡がアート表現になりうる条件とは?そんな話です。青木さんはダンス指導の方法を語りました。その話を聞いていて、どうやったらもっとよくなるかは、そこに何らかのよさを見出していくような専門家から見た「見る目」というものがあることがはっきりとわかります。私はその判断はもちろんできませんが、子どもの心の動きに伴う対応についての「より良いもの」についてならわかります。リトミックを創ったダルクローズに詳しい方とリズムについて話し合うこともできました。表現の本質を探究する方々との語らいは楽しいものです。ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読み直すことにしました。

zer〇の公演「偏向する傾斜」を観て

2020/12/27

(上の写真は「zre〇」のパンフレットより)

人の生活から文化活動を除いてしまったら、それは味気ないものになってしまいます。子どもから遊びを除いたら人間ではなくなってしまうように、大人も文化活動をなくすことは、ある意味で人間性が疎外されてしまうものなのかもしれません。12月27日(日)はダンサーの青木尚哉さんのグループ「ZER〇」が主催する公演を観てきました。青木さんと出会ってからというもの、私のダンスや踊りというものへの見方が大きく変わりました。青木さんたちのダンスを観ることで「身体」と「表現」の関係を考えることが増えました。

 

公演のタイトルは「偏向する傾斜」。偏向とは考え方がかたよっていること。またそのような傾向のこと(公演パンフレットより)。新型コロナウイルス対策を徹底した中での舞台公演は、それを実施することも参加することも、状況と見方によっては「偏っている考え」と批判されるかもしれません。公演はそうした社会のありよう事態を舞台の上に再現したかのような内容でした。全てがナナメで出来上がり、ナナメから捉えられ、あたかも世界はナナメであるからこそ生じていると思えるような傾斜ぶり。

青木さんの舞台は、舞踏に限らず音楽、映像、物も活かされます。パソコンの画面が舞台背景に写し出されると、右肩にデジタル時計が時刻を刻み、観客席の一角に備えられた「ピタゴラスイッチ」風の仕掛けから、傾斜した溝をビー玉が転がり音を出し、それが電子音リズムを奏ではじめ、舞台上には斜めに立ちすくむ5人のダンサーが段々とその姿勢を背後に反らしながら、ゆっくりと傾いていきます。そして物語は、そもそも私たちの地球の地軸がやや傾いていることから始まりました。

人との関係が身体を通じて応答しあっていること、斜めに絡み合っている人間たちの愛や孤独や葛藤や衝突や和解も表現されていて、複数の身体の動きから、こんなにもたくさんのイメージを創造することができることに感服しました。例えば、身体と身体の一致とずれが可視化されています。

バレエにしてもアイスダンスにしても、動きが美しいと感じるのは、他者の手や全身の動きに調和した相似形やシンメトリーなものが多いですよね。ところがその点、ZEROのダンスはその一致加減やズレ加減をあえて際立たせます。親子運動遊びでも体験した「マネキンとデザイナー」のように、形を同じように合わせよとしたり、あえて異なるようにしたりする動きが、まるで社会の中で考えに同意したり異なる意見を表明したりする人間関係を表しているかのようでした。

ZEROは「身体の重要性を唱え、学びと創造を続けるダンスグループ」です。その活動目的はユニークです。「誰がも持っている身体をテーマの中心に置くことで、舞踏に限らず音楽、映像、建築、医療、教育など分野を超えて人々の共通言語やつながりが生まれ、それぞれが個人の能力を発揮できる場となること」を目指しています。このことをきちんと理解した上で、舞台を見つめると、その表現にこめられた思考や意図の痕跡が伝わってきて感動したのでした。

エルマーの賢さ

2020/12/11

◆エルマー3部作、読了

すいすい組の読み聞かせは今日で、エルマーシリーズの3冊目『エルマーと16ぴきのりゅう』を読み終えました。人間たちに捕まらずにりゅうの家族の脱出を成功させたエルマーに、子どもたちから安堵と称賛の感情が溢れました。「エルマーって、あたまいいなあ」とNくんが感心していました。

本を読んであげていると子どもたちの「読解力」の基礎力に触れる瞬間と出会えます。話の筋や展開をよく理解したいという集中力が強く伝わってきます。「じゃあ、ピストルをうったのは、なんで?」とか「それエルマー?(が言ったの?)」のように、頭の中にビジュアルに思い描いている映像と、実際の話の辻褄があっていないと感じたり、あれ、どうして?と思うところは、すかさず質問が飛んできます。

読み聞かせの状況によっては「静かに聞いてね」と質問や喋ることを我慢してもらう場合もありますが、聞きたい子だけが集まっている少人数なので、私はその都度、反応してあげる読み聞かせ方を大切にしています。「そうだね、それは、もうちょっと話の先までいくとわかるよ」とか「先生も不思議だなって思うんだよね」などと言って、先の話に注意をむかせます。状況によって「聞き方」も学んでいってもらうつもりです。

また、読むだけでは分かりづらいとことは、詳しく解説していきます。例えばサーチライトがりゅうに当たって姿が見えたり消えたりするあたりは、文学的な表現になっているので、「月が出てきないってことは真っ暗ってことだから?」「暗くて見えない!」「そう、そう」のような解説を加えていきます。童話「エルマーシリーズ」は渡辺茂男さんの訳ですが、その渡辺さんが書いた童話「もりのへなそうる」も、この子たちに読んであげたいと思っています。

 

音楽が身近にあることの幸せ

2020/12/05

お楽しみ会は劇だけではなく、「歌」も歌うのですが、人類が音楽に目覚めたのは言葉よりも早いという説があるくらい、人と音楽は切ってもきれない関係にあります。どんな関係かというと、喜びや驚き、恐れなどの感情の表出にはリズムや高低が異なる「音」が湧き出てくるという関係です。音は私たちの身体が放つものなのです。身体は楽器であり、色々な音を発しています。手を叩いたり、膝を叩いたり、足を踏み鳴らして音を出すときに、リズムも生じます。ちっち組のU先生はキーボードで、太鼓の音を出して、パーカッションのようにリズミカルな音を奏でると、子どもたちは嬉しそうに笑っていました。心地のいいリズム音は、子どもたちに喜びを伝えるのだなあと感心しました。

もちろん声帯も立派な楽器です。言葉を話す時には、必ずイントネーションがついていて、会話には波があります。子どもは、言葉と言葉の間に「ね」をつけてつないでいくことをよくします。「○○ちゃんね、昨日ね、映画をみたんだよ」のように、「ね」の音階が少し高くなります。リズムがあります。「み・い・ちゃん。あ・そ・ぼ〜」とゆっくりと声をかける時、日本人は、「ミ・ソ・ミ・ミ・ソ・ミ」のような2音階の節をつけています。これはもう「わらべうた」です。少し長い文章に節がついて、その意味にふさわしいメロディがつけば歌の出来上がりです。

わらべ歌を歌いながら手遊びをするときも、手を叩いたり、膝を叩いたり、友達と手を合わせたり、そうした遊びも音楽的ですね。1日の中で歌を歌う機会はお集まりの時にあります。楽器で伴奏音を奏でることで「集まりが始まる」合図にもなっています。

例えば昨日は中川李枝子さん作詞の「手をつなごう」をギターで伴奏すると、何人かが一緒に歌い出してくれました。「あの歌やってえ」とリクエストされるものを一緒に歌っています。楽器を奏でて伴奏し歌を歌うこと。楽器が石だったり木だったりした時代から考えると、人は何万年も繰り返してきた営みなのです。そう考えると、こんなに素晴らしい歌がたくさんあって、何を歌ってもいい自由があることに、感謝です。好きな歌が歌える時代は幸せです。

運動や劇遊びや歌がある生活に

2020/11/10

◆どこで何をして遊ぶかを決めて

朝9時前に各部屋に分かれて過ごし始めると、3階ではどこで遊ぶか「ゾーンの選択」の話し合いが子どもたちで行われています。「運動ゾーン」は15分ずつの2部制で、ネットが高い方と低い方を選んでいます。日によって「パズルゾーン」「製作ゾーン」「ブロックゾーン」なども開かれます。

◆運動と劇遊びの融合

運動ゾーンは最近、ボールを投げたがる子が増えたので、昨日月曜日は「雪合戦」をしました。今日10日は「クッションマット」を橋に見立てた「三びきのがらがらどん」ごっこが自然発生しました。当然私はトロル役です。「わたしの橋をガタゴトさせるのは誰だあ?一飲みで食べてやるう」というと「もっと大きいヤギが来るから食べないで〜」と言って通り過ぎ・・3人目のがらがらどんは、大きな角と2つ石でトロルをやっつけて(私が「わ〜、助けて〜」とやられます)山に登っていきます。

 

たったこれだけの話ですが、セリフをいいながら、何度もマットの上をはって行っては戻り・・を繰り返しました。運動遊びと劇遊びの融合でした。子どもの遊びが活気づくのは、とにかく「模倣」です。物を何かに見立てたり、自分が何かになったつもりになったり、いずれにしても体験して心動かされたことを再現するのです。運動にもこの要素が入ると、グッと遊びの熱中度が上がります。

ちっち・ぐんぐんの今日のブログでも、お医者さんごっこの様子が報告されていますが、誰に教わらなくても人は「模倣」するようになります。これによって、文化を作り上げ、その文化を継承させて行くことができるようになっているのです。

◆劇遊びの役を決めながら

劇遊びや音楽遊びも増えてきます。楽器遊び、うた遊びも意識して増やしています。らんらん組は「ももたろう」をお楽しみ会でやるのですが、今日は誰がその役をやるのか話し合って決めていました。らんらん組のサークル対話によって、最後まで決まらなかった「おばあさん役」でしたが、動物役との二役でやることに決まりました。

◆毎日の生活の中に歌を楽しむ時間も

サークル対話の最後は「ももたろう 」の歌を歌いました。「♫ももたろうさん 、ももたろうさん 」のあれです。3番までは違和感なく歌える歌詞なのですが、4番からは戦時中に戦意高揚のためにできた(強調された)歌詞なので、歌いません。昨日の「らんらん組保護者会」で話題になった、「使って欲しくない言葉」が登場するからです。11月は芸術の秋、文化の月でもあります。ハジキ絵や切り貼りなど表現技法のバリエーションも楽しむ予定です。

親子運動遊びの会

2020/10/24

本日24日の親子運動遊びの会、いかがだったでしょうか。感染症対策上の、いろいろな制約がある中でしたが、ひとまずは開催できてよかったと、ほっとしています。時間も短く2部制という形でしたが、これまで園生活に取り入れてきたコンテンポラリーダンスのセンスを活かした<運動>の面白さを、少しでも親子、家族で共有できる機会になったとしたら嬉しいです。

会の中で青木尚哉さんもおっしゃっていましたが、頭の中でイメージしたものが身体表現になっていったとき、それは子ども一人ひとり異なっていました。自発的に生まれるその形は個性的で、その子らしいものになっていました。そこには意欲、楽しさ、恥ずかしさ、勇気、想像力などが混ざり合っていました。そうした心情は、やるたびに変わっていく姿も見られました。乳児にとっても、そばにそうした動きがあることは、とてもいい効果を生み出しそうです。

今日の運動を食事に例えるなら、今回のは高カロリーの「ガッツリ系」ではなく、体に良い「自然食」のような美食のように思われたかもしれません。子どもには「思い通りに自分の体を動かせるようにしてあげたい」と常々考えているのですが、それは「身体機能の発達」の話だけではないことにお気づきになったかもしれません。幼児の「ソロダンスステップ」には「美しく」「かっこよく」などの願いが表現されていましたよね。思い通りの「思い」には、美しく体を動かしたい、も含まれていました。

というわけで、身体の育ちの中には、強く、速く、遠くできる、などだけではなく「美しく」も加えておきましょう。その美は、意識=イメージから作り出されていくものだということも納得されます。そして、このような運動がどのように発達していくのかというと、その到達点のモデルを披露してくださいました。それが会の最後に、いずみさんとももかさんが踊ってくださったダンスです。

その美しさに私は感動しました。見ている大人も子どもも強く惹き込まれていました。今日のような運動を積み重ねていくと、このような身体につながっていくのだということがよくわかりました。子どもたちの身体表現のイメージも豊かになり「こんな風に表現してみたい」という目指す姿も豊かになっていくのでしょう。ダイエットでもファッションでもない身体そのものの美であり、動きを生み出すイメージの美でした。みごでしたね。

行事は全てそうですが、親子運動遊びの会も結果ではなく通過点です。保育園生活では今後も「身体にとっての美とは何か」の探究を続けていくつもりです。

感覚の洗濯〜柳家花緑の見方・生き方

2020/10/18

◆感覚の洗濯

昨日は朝から雨で、参加者も少なかったのですが今日18日(日)は晴れて、海老原商店にはアート作品としての洗濯物がたくさん並びました。東京ビエンナーレのプレイベントとして開かれた「感覚の洗濯」です。企画したアーティストの西尾美也さんは奈良県立大学地域創造学部准教授で、専門は先端芸術表現。「状況を内破するコミュニケーション行為としての装いに関する研究」で博士号を取得されています。

http://yoshinarinishio.net/biography/profile.html

東京ビエンナーレ2020の事務局はアーツ千代田3331にあり、そのジェネラルマネージャーの宍戸遊美さんがビエンナーレの事務局長を担当されています。当園と3331は、いずれコラボレーションすることになると思います。保育は原理的にアートを内包しているからです。

◆柳家花緑の努力の仕方

今日はその後、有楽町ホールでの「さくらんぼ教室開設30周年記念イベント」に招かれました。この教室は代表の伊庭葉子さんがマンションの一室から始めた発達障害をもつ子どもたちの学習塾で、現在は11教室2500人が通うまでになりました。イベントのテーマは「一人ひとりちがうからこそ、人生はおもしろい!」です。その記念講演として柳家花緑が落語「寿限無」と「つる」を披露しました。彼は自らが識字障害(ディスレクシア)で、その体験談を明るく愉快に語ってくれました。好きなことだったので努力ができたそうです。

花緑師匠は「掃除、笑い、感謝」を大事にしているそうで、その軽妙なトークで「なるほど」と思ったのは「感謝は今あるものに向かうからありがたいと感じるもの。だけど努力は無いものにエネルギーを使う。方向が正反対でしょ。あまり頑張らなくていい。頑張るは我を張るにつながるから」。この感謝の反対は頑張ること、という捉え方は新鮮でした。これは自己を保つ、自信を失わない生き方にとって大事です。「得意なことをちょっとずつ伸ばしていく」「苦手なことは自分なりに工夫する」「大丈夫は魔法の呪文」「みんな違ってみんなふつう」・・こんな花鹿語録が満載の時間でした。

「月白風清」青山で尺八とダンスのぶたい

2020/10/03

「満月の夜に、尺八とダンスのしらべ」。こんなタイトルのイベントに2日(金)に参加してきました。

ダンスはご存知、青木尚哉さん。日本のコンテンポラリーダンスの第一人者です。保育園の24日の運動会をいま構成してくださっています。この夜は尺八とのコラボレーションです。

舞台となったのは、表参道駅から5分ほどの公園内にできた小さな野外ステージ「ぶたい」。都営団地の再開発「北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト」でできた高層マンションの裏手。遊歩道に作られた小さな雑木林にせせらぎが流れ、虫の音と秋風が気持ちいい夜でした。夏井敬史さんによるエレクトロニクスの環境音楽が、尺八とダンスを引き立てます。

 

尺八は黒田鈴尊(れいぞん)さん(37歳)で今、注目のアーティストです。人間国宝の二代鈴木鈴慕と三代青木鈴慕に師事、国際尺八コンクール2018in Londonで優勝しています。プログラムによると、幼少よりピアノを学び、武満徹の「November Steps」を聴いた事が契機になり20歳で尺八に転向したそうです。青木さんが今回の企画に共演を誘ったそうです。

(この写真は黒田鈴尊さんのホームページより)

人の体は、それ自体美しいと思うのですが、動きがさらに美を生み出すためには、それにふさわしい環境が必要だという事に、このイベントで実感しました。これは当たり前のようでありながら、忘れがちです。秋の満月の夜の野外。風と光のなかに響き渡る音楽を、身体が即興で「それ」を見えるようにしてくれます。もちろん、青木さんがダンサーだからできることなのですが。環境と会話しながら体を自在に動かすことの美しさ。

尺八の音はまさしく「和」なので、月や雑木林にふさわしいのですが、青木さんのダンスは、その和に溶け込むような舞いでした。舞台で見る西洋的なダンスではなく、日本の舞踊やアジアのエスニックテイスト、モダンなステップなどを感じた方もいたでしょう。私が一番「ぞくっ」としたのは、やっぱり「間」や「呼吸」でした。高揚と静寂を沈黙がつないでいくのです。見事でした。

青木さんは、舞台演出もされる方だということも強く再認識しました。光や照明も大切な装置です。

このようなイベントは毎月、満月の夜にイベントを開催するそうです。主宰する「ののあおやま」(2020年5月オープン)の水野さんは記念すべき第1回を青木さんに依頼しました。その理由は「なぜ、ののあおやま、という名前にしたのか」という解説でわかりました。

「のの、という言葉は、日本で伝統的に使われてきた言葉です。自然の尊さに包まれ、その有り難さを感じられる場所になること、そして感性を磨いて共感する仲間たちを集め街に新しい魅力を育てていくことを願っています」

月が毎晩、少しずつ姿を変えるように、自然と人生に同じ日はありません。その日しかいない風や姿に日本と美しさを感じることのできたひと時でした。

 

 

創造力を育んでいるダンス遊び

2020/09/25

創造的にダンスを楽しむ子どもたちーー。保育園にいると、子どもたちの溢れ出る意欲の旺盛さを毎日、目の当たりにしています。登園からお迎えまでの間、どの子も自分のペースでやりたいことがいっぱいで、友達と関わり、いろいろなことをやるたびに発見があって、それを表現して伝え合います。汲めども汲めども枯れない泉のように、溢れ出る意欲が賑やかな生活をつくりだしています。

今日25日は、その意欲が体を通じた創造力を育む様子をたっぷりと確認することができました。今日はダンサーズ青木チームによる「ダンス遊び」の日でした。9時50分から12時まで、2歳、0〜1歳、3歳、4〜5歳という順番で4セクションに分かれてダンスのワークショップを楽しみました。3〜5歳にとっては昨年から数えて6回目、今年度は4回目のダンス体験になりました。

回を重ねて慣れてきたことから見えてくる「育ち」にも気づきます。スキップで走ってきて途中で「ポーズ」を決めたり、見られていることを意識して演じている姿が垣間見えたりと、そこにちょっとした心の余裕も感じさせるほどになりました。人気の活動になっている「マネキンとデザイナー」も、自分で両方ができるようになってきました。

このように「体を動かすこと」は、体育でも体操でもスポーツでもないことがはっきりします。自分なりに想像することが先にあって、そのイマジネーションが身体の動きを生み出しています。イメージから生み出される創造的な動きです。単に「ポーズをとっていいよ、好きなようにやってごらん」と言われて、大人だってすぐにできるものではありません。それが子どもたちは、自分なりのポーズを創り出しています。このような意図的な身体の動かし方は、「アート表現としての身体運動」だと言っていいんだろうと納得します。

思うように体を動かせることは、上手にスキップができることではありません。これがスキップだと思う自分なりのスキップで構わないのであって、それを楽しそうにやっている姿が、とても美しいのです。顔が輝いています。ちょっと恥ずかしそうだったり、自信たっぷりだったり・・・。想像力から動いていく運動です。イマジネーションが豊かになることが、体の動かし方も豊かになることに気づきます。

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