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園長の日記

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

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