MENU CLOSE
TEL

保育アーカイブ

「夢みる小学校」と南アルプス子どもの村

2022/10/01

9月30日金曜日の夜、オオタヴィン監督の映画「夢見る小学校」を千代田区半蔵門のいきいきプラザで開かれた自主上映会で、やっと観ることができました。今年2月に上映されて話題になっていた映画だったので、ずっと観たいと思っていたのです。この映画は、山梨県南アルプス市の小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画で、こんな小学校が近くにあったら、子どもたちは幸せだろうなぁと思えてくるものでした。多くの人にぜひ見てほしいと思いました。保育園でも自主上映会を開きたいと思います。

そして今日10月1日土曜日、その映画の舞台となった小学校に来ています。南アルプスこどもの村小中学校です。この学園が主催する秋の教育講座に参加しました。話し手は、文化人類学者の辻信一さん。辻さんと言えば、スローライフ、シンプルライフを提唱されている方というイメージを待っていましたが、海老原商店で海老原さんに「ゆっくり小学校」の本を紹介してもらったり、青木さんが辻さんと対談したりして、地域的にも身近な存在になっていました。お目にかかって「これから必要な学校」の基礎固めになりそうな「てつがく」を聞くことができました。

子どもは自然栽培の味噌の「おいしさ」がわかる

2022/09/22

今日の給食のお味噌汁は、自然栽培で作った味噌を使いました。すると、ある子どもが「おいしい」と言って、おかわりをしました。どうも子どもは、この「おいしさ」の違いがわかるようなのです。子どもの身体はまだ自然に近いので、この違いをキャッチするセンサーがあるのでしょうか。この辺りの人体をめぐる科学は、非常に遅れており、身体についてはわかっていないことが、山ほどあります。この今日22日(金)のエピソードを聞いて、次のような話を思い出しました。自然栽培で作られた作物やその発酵食品(この場合は味噌)は、私たちの人体を自然の生態系の一部に戻してくれるという話です。ちょっと長くなりますが、人体と自然との関係を考えると、うちなる自然環境は、実は胃や腸だという話に遡ることになります。

私たちの体の<内部>はどこか?というと、胃や腸は<外部>であって、内部でないと考えることができます。口から肛門までは筒になっていて、外の環境に開かれています。口から物を食べて、肛門から排泄する。その途中で色々なものを体内に取り込んで、体内から不要なものを外の出すわけですが、この通り道の筒は、体の内部ではなく外部だと考えることができます。私たちの人体を大きな一つの筒、トイレットペーパーやサランラップの芯のようは円筒だと思ってください。

その人体の円筒模型は、もっぺらぼうではなくて、ビオトープのような生態系になっています。口と肛門という蓋がつているので、空洞部分の中身は、私たちの意志で開けたり閉めたりできます。ただその円筒の途中にも、幾つも開け閉めできる門があって、その部屋は閉じられています。口腔、胃、小腸、大腸、直腸などの部屋に分かれていると思ってください。その生態系は、例えると、口腔は石畳の庭の入り口のようなもので、食道は草むらの細長い道のようなもので、その先の胃は、洞窟になっていて中はうねるような林です。

さらにその後の小腸はまるで密林のようです。その中には、色々な液体が雨のように降っているジャングルのように湿っており、いろんな生き物が棲んでいます。乳酸菌やフェカリス菌、アシドフィルス菌、ビフィズス菌など、有名なものから、聞いたこともないような不思議な菌類がいっぱい棲んでいます。

私たちは自分の胃や腸を内部だと思っているので、ちょっと見当はずれなことをたくさんしてしまっています。私たちの本当の内部から見たら、この外部である胃や腸の中を、もっといい環境にしてあげる必要があるのです。それは棲んでいる部屋の空間をよくするのと同じように、外部である胃や腸の中をよくすることが大切なのです。最近、よく言われるようになった腸内環境を良くしようというのは、このことです。

すると、腸には口から入れても実は胃のところで強酸で分解されてしまうので、ほとんどの菌はそこで死んでしまいます。先ほどの羅列した菌たちは、腸のビオトープまでは辿り着けません。では、どうやったら腸内環境が良くなるのかというと、腸内環境を含めた円筒模型の中身を、自然の生態系に戻すことが必要になります。そのために、私たちは筒の中だけを問題にするのではなくて、筒の厚さの部分、つまり私たちの肉体、身体そのものを、内側から自然なるものに作り替えていく必要があります。その方法は、自然栽培の世界と私たちの身体を繋いでいくことなのです。

 

風であそぼう

2022/09/13

保育園では毎年、年間テーマを設けています。今年度は「風と光と・・・」というもので、生活の中の風や光に少し興味を持って、子どもの体験が深まったり広がったりすることにつながるといいな、と思っています。たとえば、13日(火)の2歳児クラスをのぞいてみると、うちわで風船を扇いだり、牛乳パックで作ったものを扇いで倒したりして遊んでいました。この遊びは実習生が考えた「風遊び」ですが、このアイデアは、10日(土)に開いた「納涼会」で遊んだ風の実験からつながっているものです。

この「風の実験」は、机の下から噴きあげるサーキュレーターの上に、筒を置いて、その上にいろんなものを「浮かべてみる」という遊びです。風船やスカーフやカップラーメンの容器とか、「こんなものが本当に浮かぶかな?」というものまで浮かんでしまうので、大人が見ても面白い実験装置です。でも大人が面白いと思うことと、子どもが思うものとは違うかもしれません。

風は見えないし、手で触ることもできないので、どういうものかというイメージも持ちにくいはずです。直接さわったり持ったりできないものだけに、それを感じる場面をいろいろ体験して、子どもは、そこから「風」に要素を抽出してくるのだろうと思います。その時の表現(言葉など)は、その子の感じたリアルな感覚なので、誰一人として他の人と同じものにはなりません。いろんな感じ方や表現になることでしょう。

納涼会では、風車を扇風機に当てて、クルクルと回すという遊びもしました。これらの遊びは、風を使ったものですが、普段の生活の中の風体験とどこかでつながって、いろんな気づきを生んでいるのだろうと想像します。暑いときに扇子やうちわで扇ぐと涼しく感じたり、蝋燭の火をふっと吹いて消す時も、それは同じものと思うことがあるのかどうかわかりません。

ジェット機に乗っている時、私たち乗客は外の風を感じることはありません。台風の最大瞬間風速が50メートルと言われても、きっとそれを実感することはできません。子どもの世界で感じる「風」の世界を、たくさん探して集めたりすることで、見えてくる「風」というものがあるのかもしれません。それは子どもなりに、新しい風の体験になっていくかもしれません。そうしたいろいろな経験を重ねる中で、きっといろいろなものを気づき、子どもなりの好奇心が躍動していくのだろうと思います。

コンテンポラリーダンス「ZER○」の青木尚哉さん

2022/09/03

10月22日(土)の「親子運動遊びの会」(運動会)は、昨年、一昨年と同じように、コンテンポラリーダンサー青木尚哉さんとのコラボレーションで実施します。青木さんは「ZER〇」(ゼロ)という名前のダンスグループを創って活躍されている方です。身体と表現の関係から運動を捉え直していことで、子どもの発達にとって本当に必要な運動や環境とはどういうことかを探究していく活動になっています。今年は7月下旬から月2回ほどのペースで園に来てくださり、子どもとダンスを通じた体験を積み重ねています。運動会では、親子でその醍醐味を味わえたらと思っています。「ZER〇」のダンサーで、青木さんと一緒に園に来てくださっている芝田いずみさんも、丸3年のお付き合いです。子どもたちはお二人が大好きです。「大きくなったらダンサーになりたいです」という子どもたちが、出てこないかなあ、と思ったり。連絡アプリでお伝えした、お二人の自己紹介の動画、ぜひご覧ください。

 

 

「保育の過程」の2つの語り口

2022/08/29

当園の保育の特徴は、子どもの発達をとらえる「視点の広さ」にあるかもしれません。子どもの姿を多様な視点でとらえることは、保育の質を語るときに欠かせないものです。同じ子どもであっても、どんな視点でとらえるかによって、姿は異なってくるからです。その子ども理解を保育の起点(スタート)とし、そこから「こうあってほしい」という保育者の願いが保育計画や、次の保育の展開の機動力になっていくというのは事実だし、その流れを「保育の過程」と考えることが、今の保育の定説になっています。

しかし、その起点が動かない、保育が展開しない、という事実が多いのも現実であることを考えると、保育者の理解度、願いやねらい設定といった、保育者側のことで、子どもの体験が制限されてしまうとしたら、そこを乗り越えるためにも、子どもに任せる、子どもの思いや考えを「聞く」、そして子どもに生活プランの推進のチャンスを保証する、そういう範囲を増やすことが大事になっていると思えます。

今日29日(月)から保育実習生が一人きています。同じ子どもたちについて、私の見え方と実習生の見え方は違います。それはきっと、誰でも「そうだろうなあ」と認めてくださることでしょう。同じように私の見え方と保護者の見え方も違います。子どもと先生という関係と、親子関係とでは、違って見えて当たり前でしょう。園と家庭では、実際に行動パターンが異なるでしょう。人によって見え方が違えば、保育の起点や展開も変わるでしょう。

今日、こんなことがありました。朝、3階で久しぶりに「園長ライオン」をやりました。これまで何度も同じ遊びを積み重ねてきた子どもたちですが、やってみると子どもの成長を感じます。2年前と今、1年前と今では、この同じ遊びであっても「面白がり方」が、落ち着いているとでもいうのでしょうか、慣れている遊びの習熟度を感じます。弾むような興奮ではなく、気持ちが「熟成している高揚感」とでも言っていいかもしれません。ワクワク、ドキドキが楽しいという部分はあるのですが、それぞれに余裕があるのです。そんな違いはきっと私にか感じない「子ども理解」であり保育の「起点」です。

でも、今日はその子たちがその後、「和泉公園」に出かけて、トンボを捕まえてきました。もう自然界は秋です。そのプランは、主任や担任の「子ども理解」から始まったものですが、鍵になったのは、子どもがどうしたいのかを「聞いた」からです。トンボについて関心を持っていた子どもたちがいたことをキャッチし、さらにトンボを探して捕まえたい、という子どもの願いやプランを優先して、それを叶えてあげたい、と先生たちが工夫したからです。

保育者を主語にした保育の語り、そして子どもが主体となる生活づくりの語り。同じ出来事の連なりを、どちらで語るか、あるいは両方を共に語り比べることで、「新しい気づき」が生まれるのか、そんなことを試してみたいと考えています。

積み木でできた「ブルジュ・ハリファ」の塔

2022/08/25

子どもにとっての「科学的思考」とはどんなものなのか? 

いま、それがわかる場面を、子どもたちの遊びの中から拾い出しています。先日は、年長の子どもが積み木で高い塔を作っていました。その塔の先端が天井についているので、いつ倒れてくるか心配なほど高いものだったので、それが出来上がるまでに、子どもの中で何が起きていたのかを知りたくて、作った本人たちに説明を求めました。すると、やっぱり、聞いてみるものですね、見ただけでは分からない、そこ子が「どう思ってそうしたか」、内面の心の動きが見えてきます。

「ここが八角形、ここが七角形、ここが六角形、ここが五角形、ここが四角形、ここが三角形、ここが二角形、ここが一角形・・」

塔の積み木は同じ大きさの直方体が横に並んで輪になっていて、そこに少しずれて輪が重なっています。下から上にいくに従って、数が減っていくように作られているのです。彼は、それをこのように、説明してくれたのです。一段、一段、「ここは◯角形」だと両手で輪の形を作って教えてくれました。

これまでの積み木遊びの中で、高く積むにはどうしたらいいのかを発見し、下の方を大きい輪にして上にいくに従って輪を徐々に小さくしていくと安定することに気づいているのでしょう。積み木の輪は、羊羹のような直方体を並べて輪にしているので、隣り合う積み木と積み木の間には少し隙間ができます。その隙間のところに、次の段の積み木は、ちょうど跨ぐように載せてあります。そうすることで、輪の積み重なりは安定します。その輪が上にいくとだんだん小さい輪になっていくのです。

この塔はモデルがあるそうで、「こっちはドバイのブルジュ・ハリファ」だと言います。そのドバイの塔は、現在、世界一高い塔なのです。ここに、高く積むということを目指している彼の動機が読み取れます。そういえば、この塔を感心して私が眺めていた時に、最初に彼が言ったことは「園長先生と(背が)どっちが高いかな」だったのです。高さの追究が倒れにくい積み木の積み方の習熟を促した、と言えるのかもしれません。探究心です。

科学的な思考とは、これまでの数々の積み木遊びの中で、「こうしたらこうなる」という規則を抽出してきたのでしょう。これは帰納的な論理性を表します。積み木が組み合わさっていった時の構造の特性を、体験の中から導き出しているのです。直方体や角度などの概念を言葉で表すことで確かな知識を獲得することになっていくのですが、いまは具体的な「もの」の操作を通じて、暗黙の知識を使いこなしながら、物体の法則性を発見していることになります。

この気づきは確かに獲得されており、自然科学の領域の中では、自然科学、特に物理的な法則を学んでいることになります。学問の領域では、数学の幾何学、職業の分類では建築家の基礎、良さの要素では無矛盾性や関係性、効率性、美のセンスが働いていることになります。積み木遊び、侮るべからず、です。

 

 

 

新しい仲間が増えました

2022/06/21

先日17日(金)午後、すいすい組さんで、浅草橋の岩崎商店に行きました。

以前からわらす組の水槽で何を育てようかと話しており、「亀を飼いたい」「金魚を飼いたい」などの意見が出ていました。

岩崎商店に着くと、水槽がたくさんで神秘的な空間がっており、みんな水槽に釘付けの様子でした。

お店の方と先生がメダカをすくって、オスとメスを分ける様子をよく観察していました。

帰ってきてから、これから育てていく生き物たちはみんなと同じように生きていること。だからこそ大切に育てていくこと。具体的にどんな風に大切にしていくか。のお話をしました。

そして皆で亀の名前を決めました。「きゃめちゃん」に決まりました😊 

みんなきゃめちゃんのことが大好きで、撫でたり手に乗せてみたり…

すいすい組のある女の子は、毎日きゃめちゃんをそれはそれは大切に愛情たっぷりにお世話していて、その姿にほっこりします😊

メダカさんも環境の変化に慣れていけるように見守っていきます。

これから、わらす組で子どもたちと大切に育てていきます。

すいすい組が初めて「しながわ水族館」へ

2022/06/17

本物に触れるというのは、やっぱりいいものです。そばでよく見る、しかも普段はまず見ることができないものの姿をよく見ることができるだけで、いい体験になることを実感しました。

今日17日は、年長組(すいすい組)と一緒に、しながわ水族館へ行ってきました。今の年長さんはここへ行くのは初めてなので、どれもこれも新鮮で楽しかったようです。川や海に棲んでいる、いろいろな生き物を見ることができました。

実際のところ、地上で暮らす私たちは川の中、海の中にそう簡単に生き物を見に行くことはできません。その点、博物館の一つである「水族館」は海と森林に囲まれて暮らす私たち日本人がもっと力を入れていい文化教育施設でしょう。

年長さんは今回が「水族館デビュー」なので、オーソドックスな巡回ルートを回ってきました。この水族館は地上1階、地下2階だて。

1階が「海面フロア」で、玄関から入るとすぐ左手の観覧通路中央にミズナラの巨木が配され「木は森をつくり、森は川をつくり、川は豊かな海をつくる」という本来の自然が再現されています。

東京湾に注ぐ川に住むイワナなどの川魚やカニなどが気持ちよく泳いでいます。3月にきたときはいなかったカルガモも2羽仲良く「水掻き」を見せてくれます。けがをしていた自然のカルガモが保護されたそうです。

海辺や磯にすむ生き物がいかに多様なのか、大人も楽しめる展示になっています。イソギンチャクやクラゲなども展示されています。

奥の方へ移動すると、そこは大人気のイルカとペンギンがいます。3年前に生まれたイルカの「バニラちゃん」は、もうすっかり大人になっているはず。今日は2頭がステージに飛び乗ったり水中に潜ったりを繰り返していました。演技の練習だったのでしょうか? それがバニラだったかどうか分かりませんでしたが、二頭はとても元気そうでした。アクリリボード越しに目の前を通り過ぎるイルカは大迫力です。

イルカショーは時間が変わっていたので、見ることができませんでしたが、この水族館は老朽化で2027年度に建て替えが決まっていて、それを機にイルカはいなくなりますから、それまでにできるだけ見ておきたいと思います。

その隣のエリアには南アフリカに住むマゼランペンギンが群れをなしています。子どもたちが近寄ると、ペンギンたちも餌でももらえると思うからなのか、どっと群がってきます。いつもダラリとしていた(失礼)、ペンギンたちが興奮しているので「どうしてだろう」と思っていたら、すぐにわかりました。ちょうど給餌の時間だったのです。

「丸呑みしているね」「歯がないの?」「もぐもぐしないんだね」「魚の頭から食べているよ」「海の中を飛んでいるみたい」などと会話を楽しみながら、そこでしばらくペンギンたちをみたあとルートを戻り、大海原を上から見下ろすことができる場所へ移動。いろんな種類のタイの仲間やウミガメなどにしばらく目を奪われます。

そして、いよいよ海の中へ、エレベーターで降りて行きます。深海200メートルということになっているのですが、実際は地下1〜2階が「深海フロア」になっています。

30年前にできたとき、海の中に入って魚やウミガメを見ることができる「トンネル水槽」が大きな話題になったそうです。

その後、似たような作りの水族館が増えて珍しくなくなりました。そして、子どもたちは、魚やカメの腹側(はらがわ)や海の底で寝そべっているカメに、窓越しにトントンしたりして、釘付けになっていました。

このような体験をするときに、私たちが忘れてはならないのは、AI時代だからこそ心得ておきたい「五感を通した実体験」、それが「確かな認識」に至るという子育ての鉄則です。疑似体験、追体験でしかないテレビや図鑑で済ませずに、ホンモノを実際に体験することです。きっと子どもたちの体全体に染み込んでいくことでしょう。

【ウミガメ】

【タイ】

【熱帯魚】

【くらげ】

【タコ】

【カワウソ】

子どもにとっての「◯◯の赤ちゃん」

2022/05/31

保育園では幼児が赤ちゃんと触れ合うことができるので、接していると「赤ちゃん」という言葉に、子どもたちの親しみと優しさを感じます。見学に来た方が赤ちゃんを抱えていると、よくそばにやってきて「かわいい〜」と言って、頭を「いい子いい子」と撫でようとしたり、頬をそっと触れたりしようとします。赤ちゃんという存在は、園児たちにとって特別な、大事にしないといけない存在としてあります。

だからでしょうか。「◯◯の赤ちゃん」という言葉は、子どもたちにとって、説得力のあるインパクトを持つようです。それは人間に限らず、動植物に対しても「◯◯の赤ちゃんだよ」と言われると、その「◯◯」は格別の存在であり、特権的に大切にしてあげなければならないという響きさえ感じます。まるで水戸黄門の印籠のようです。

昨年秋、園内に綺麗な鳴き声を響かせてくれたスズムシは、その後卵をうんで、園内で冬を越し、この5月に「赤ちゃん」になりました。お知らせしているように、たくさん生まれたので「ご自宅に持って帰って飼いませんか」というシェア中です。そして一昨日、5月30日(月)の朝、事務所のカウンター棚の上のメダカも卵から「赤ちゃん」になっていました。「メダカが生まれたんだよ」と息を弾ませながら、私に教えてくれる子どもの姿に接すると、なんだか“素敵なことが起きたんだ”、という気持ちが伝わってきます。

メダカは栄養の詰まった袋を抱えて生まれるので、数日間はそのままでも生きていますが、明日あたりから餌が必要になります。金魚などとは、食べられてしまうので一緒には飼えません。別の飼育空間が必要になります。日本では流れのない池やたんぼに生息していますが、だんだんその数は減って、絶滅の危険がある種になっています。それでも、人工的に飼育できる生き物として、夏の涼をを感じさせる日本的な、小さい命ですね。

赤ちゃんにはまだ背ビレも尻ビレもなく尾ビレと一体になっているのですが、1ヶ月もすると、メダカらしい姿になっているでしょう。オスとメスは、お腹の下の方にある尻ビレの形で見分けます。オスは平行四辺形ですが、メスは尾に近いほうがやや細くなっている細長い台形です。流れに逆らって泳ぐ習性があります。昨年、3階の大きな水槽にいたときは、その様子をみることができました。子どもたちは、どんなことに気づき出すのか、楽しみです。

top