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園長の日記

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

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