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2020年 7月

第3回マムズサロンを開催

2020/07/22

 

子どもが快く眠れるには、やっぱり寝る前に安心できるようになっていることが大事だなと、本日22日の第3回マムズサロンを聞いていて思いました。ズームでの睡眠講座はこれで3回目ですが、家庭にいながら参加でき、また講師の永持さんの説明資料も画面共有で理解しやすく、オンライン講座は便利です。日程はホームページの「Mam’ Salon」でどうぞ。次回は8月7日(金)午前10時〜11時です。お申し込みは、メールで保育園までどうぞ。

c.seiga@chiyodaseige.ed.jp

 

模倣が学びになる時とそうでない時とが・・

2020/07/21

クラスブログはパスワードがないと見られないので、説明すると、0歳のSくんがベランダで先生の膝の上に抱っこされたまま、お友達の水遊びの様子を見ていたら、自分もやりたくなって、水の入ったタライにそっと手を伸ばしていくまでの心の動きを感じとっていった経緯が述べられています。Sくんにとっての大きな「一歩」だったようです。

このように、近くにいるお友達がやっていることを、僕もやってみようかな、やってみたいな、と歩み出せるのは、1つには先生に抱っこしてもらっているという安心感があってのことですから、ここに養護の働きがしっかりあって、その上で彼が自らの手を伸ばしていった先に「水」という教材の働きかけがあるという教育になっています。

こんな解説が養護と教育が一体になった保育の説明としてよくなされるわけですが、それも大切な話ではあるのですが、その一方で、模倣を引き出す周囲の環境が、どんなものでもいいのかというと、決してそういうことはありません。手を伸ばしていった先に待っているものが危ないものだったら、真似をしてもらっては困ります。ただ厄介なのは、それをすることがいいことなのか、どうなのかがよくわらない場合です。保育にはそういう時があります。

例えば、柳森神社の敷き詰められた小さな砂利玉。子どもが手にとって、ベンチの上に載せてみた。それがダメだということはないと思ってみています。しかし、後日、神社を清掃されている方にお話を伺う機会があり、「あそこに小石を載せて遊びたいのはわかりますが、ベンチの木製の板のすきまに、小石が挟まってしまいって、ベンチを分解して取り出したんですよ」という話を聞いて、その方に謝りました。すぐに園の先生たち全員にその話を伝え、子どもたちにも、それはしないで他のことをするように上手に、促しました。

私たちは自分で自分の行動の基準を全部作り出すのは不可能です。生まれた時から、周りの環境に働きかけながら、同時にその環境の持つ力に触発されながら、何かの能力を獲得してきているものだからです。でも、その環境の方が激変して、これまでのやり方ではダメなんです、新しい生活習慣に変えてください、というコロナ対策で、みんな戸惑っています。

どこまで真実に近いのかわかりませんが、日本人は模倣と応用に長けているという話がありますが、そんな薄っぺらい話ではなく、日本的文化の中にある編集力の凄さについては、もっと自信を持ったほうがいいのかもしれません。ただ日常的な心理として、確かに身近な周りの人がやっていると安心、という側面があるのは否めません。

日本人の「集団行動」という有名なジョークがありますね。「早く飛び込め」というアレです。

「ある豪華客船が航海の最中に沈み出した。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。船長は、それぞれの外国人乗客にこういった。・・・」

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」

イギリス人には「飛び込めはあなたは紳士です」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」

イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」

フランス人には「飛び込まないでください」

日本人には「みんな飛び込んでますよ」

(『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著、中公新書クラレ)

 

◆ 感染症の予防と制御を目指した 常置組織の創設について

日本学術会議の会長は、私に「アロペアレンティング」としての保育を示唆してくださった山極寿一・京大総長ですが、この日本学術会議が7月3日に政府に対して提言をしています。この分析内容は今後の日本政府の道標の一つになるでしょう。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t291-4.pdf

感染症の予防と制御を目指した 常置組織の創設について

 

お帰りなさい「アジア旅行」

2020/07/19

 

海外旅行ができない今年の夏。地域の夏祭りや花火大会も残念ながら中止の中で、納涼会のバーチャル「アジア旅行」はいかがでしたか。今年は「アジア」をテーマにしているからですが、結果的にGo to travel!になりました。

配布できなかった旅行パンフレットで、「ああだったね」「こうだったね」を楽しんでみてください。

パンフレットは、ホームページのパスワードが必要な「行事」の方へ

 

一年の育ち感じる水遊び

2020/07/17

水遊び 一年分の 笑顔かな

 

顔濡れて 泣いていたのは ボクじゃない

 

ミニトマト プールサイドの夏の味

昨年は顔が濡れて嫌がっていたことなど、はしゃいでいる本人はちっとも覚えていないのだろう。子どもの成長とはそんなもんだ。こうして早くも一年(ひととせ=春夏秋冬)が巡った。そして屋上の小さなプランターに似合わないほど大きくなったきゅうりやトマトやナスを収穫するのも楽しい。子どもの成長の瞬間を、担任は見逃すことはない。もうすぐつゆが開ける。

うまい俳句の解説に接すると、いつも封を切った瞬間のコーヒー豆のように香りたつ思いがしていた。日本人が五七五に圧縮した言葉が、秀逸な文章となら響きあって、歌が引き立つ。上の俳句と解説は、そうなりたいという模倣願望でしかない。わいらんすいの水遊びの情景と解説からのインスピレーションは楽しい。

 

 

 

今日の7不思議

2020/07/16

◆ 不思議なこと1 県を跨ぐと危険?まさか!

ゴー・ツー・トラベル・キャンペーンから東京発着を外した理由を聞いていると「?」と思う事がいろいろあります。感染経路は接触感染と飛沫感染であり、接触感染は清掃・手洗い消毒で防ぐので旅行とは無関係。飛沫感染も「1メートル以内15分以上」の密接、換気の悪い閉鎖空間という「密閉」、多くの人が集まる「密集」を避けることにあるので、これも旅行とは無関係。移動距離や県を跨ぐ跨がないはリスクとは本来なら関係がない。もし旅行プラン自体に三密が生じるものなら、どこから乗ろうがそれ自体がアウトです。つまりは「都民1400万人には、元気な無症状感染者が多いだろうから除きましょう」ということなのでしょう。

◆不思議なこと2 まさか、またマクロ確率の対処策?

解決すべき問題は、3月に議論されたように①自分は安全なのかどうかわかるような自己診断の手段を増やすこと(例えば大阪大学免疫学フロンティア研究センター宮坂昌之教授らの『抗原検査キット』など)か、②その手段が間に合わないならマスクをして「人と接する機会を減らすこと」今の新生活ーーしかないことになってしまいます。いまだに自己診断キットはないので、また②の自粛要請に追い込まれてしまうのでしょうか。でも経済は止めないので、何も対策がない以上、このまま感染は確実に拡大します。止まる要素がないからです。

◆不思議なこと3 観光が経済の起爆剤?

日本のGDPに占める観光業の割合は5%でしかないのに、それだけが経済の牽引車かのように報道されているのはどうしてなのでしょうか?まさか二階俊博自民幹事長が日本旅行業協会会長だからだけではないでしょう。冷え込んだ農業や輸出産業や地場産業振興策もいろいろ議論されているというのに、これも不思議です。1・4兆円をどうか、うまく使ってもらえますように・・

◆不思議なこと4 尾身会長「4月前の状況とは異なる」はなぜ?

あの「オーバーシュート」とか「個発例」とか「リンクを追えない」とか「実効再生産数」などの専門用語を人口に膾炙せしめた尾身氏が、今日の専門家会議では、とっくにその危険水域を超えているはずなのにどうしてなんでしょう? 実は最初のオフピークに至った効果策が何だったのかわかっていないことや、緊急事態宣言前に感染ピークを終えていたことは明らかになっているのですが(そのことは政府はあまり言いませんが)何が効果があったのかが分析できずに終わったこと、つまり正確な判断材料が入手できない仕組みのままであることが、こうした判断になる遠因の一つなのでしょうか。

◆不思議なこと5 年齢別の対策になぜ変えない?

若い人が多いとまるで「等閑視」で、高齢者や子どもに波及しそうだと「注視する」という専門家のリスク判断は医療体制への影響の話としてはわかります。感染爆発を招くと医療崩壊になるから、小刻みにブレーキをかけて波は小さく抑えるという方針だったはず。その方針をやめるのなら、早期発見隔離が前提の指定感染症から外したらどうか。たとえば食中毒が発生したお店は営業停止にするような運用ではダメなのか。食中毒の場合は補償などないけれども。

◆不思議なこと6 250件のクラブと8000人のホスト

ホストクラブは土日まで営業して月曜が休みが多いそうだ。体調が変だと思って月曜日にCPR検査に行くので月曜に検査した結果が出るのが4日後の木曜日。木曜日に数字が跳ね上がるのはこのためだそうです。このような実態が報道されていた6月中旬からすでに1か月が経ち、都知事選が間に入ったスケジュールも運が悪かった。関係者の中には、こうなることはわかっている人がいたとしか思えないわけで変えられないもの、語られないものがあるのでしょう。そこの情報開示、なんとかならないものかと。

◆不思議なこと7 結局は有効な対策は?

旅行の割引や特典がなくても、旅行に行く人は行きます。仕事の出張で働く人は働きます。移動は今より減ることはありません。今の局面まで来てしまったら、はっきり「動くな!」という強いメッセージとを出さないやらない限り。ですから②はもう無理なのです。都内でのマイクロツーリズムを奨励しながら、「不要不急な外出をしないで」は、矛盾しているから受け止めるのが難しい。それなら、なにか〈通行手形〉のような安心証明の何かを作らないと、長い潜伏期間に10人のうち2人が広く感染させてしまうので、相手は安心できずに、現在進行している無要な警戒と、恐れと不信と萎縮が増幅されてしまいます。また国民の間に「分断」が持ち込まれそうです。原点は三密回避、ソーシャルディスタンスの徹底で、違う行動になっても相手に優しくありたい。どうか、分断されませんように。

 

子どもが「文字」を覚える意味

2020/07/15

毎週月曜に、布川保育士が年長すいすいの子どもたちに「習字」を教えています。子どもが「言葉」を獲得する仕組みは、いまだに解明されていないことが多いのですが、人が後天的に発明した「文字」の習得に関しては、いくつかの知識と技能が組み合わさっています。

以下の文章は、大学の授業のために書き下ろした印刷教材の一部です。ちょうど幼児と「文字」の出合いについて説明したものになります。少し引用します。

(1)文字の誕生

言葉は聞いたり話したりすることによって、持って生まれた力が環境と関わって身についていくものでしたが、今回は、その言葉が文字のように書かれたもの、平面(2次元)に痕跡を残す表象となったものについて考えましょう。

聞いたり、話したりされる言葉は、物質ではありません。その場で消えてなくなります。文字が発明されるまで、人間は聞いて話すことしかしていなかったので、人が覚えておくしかありませんでした。ですから人間が作り出した表象は、人間の頭の中から他の人の頭の中へ「脳の記憶」を使って伝承されていくことしかできませんでした。これを口承文化といっていいのでしょう。もちろん文化全体の中には、道具や多様で高度な生活方法が伝承されてきたのは間違いありません。埴輪や縄文土器のように物質化したものの一部の遺跡を通じて、必要な表象は伝承されていったことが考古学で証明されてきています。

日本にどのように書かれた「日本語」が成立していったのか、という歴史的変遷については、小池清治の『日本語はいかにつくられたか』(筑摩書房)をお勧めします。

(2)漢字との出合い

日本人は3〜4万年前にアフリカから何万年もかけてやってきたホモ・サピエンスが日本列島に住み始めますが、その頃はもちろん、つい最近まで文字を持っていませんでした。青森の三内丸山遺跡などで1万年も続いた縄文時代も、その後の弥生時代も文字がありません。ず〜っと、オーラル・ソサエティでした。そこへ大陸から漢字がやってくるのです。西暦57年、中国の光武帝の時期です。日本書紀によると4世紀末ごろ百済の王が馬2頭を贈ってきた時、当時の天皇(応神天皇)の太子が百済からきた馬飼の阿直岐(あちき)に文字の読み書きを習ったとされています。これが歴史書で確かめられる日本人に最初に文字をもたらした古代日本の初期の出来事です。応神天皇は早速、使者を百済に遣わして、王仁(わに)という人が持ってきたものが「論語」や「千文字」など11巻だったのです。こうして日本に入ってきた書き言葉は「儒教の言葉」でもあったのです。その後も儒教学者が招かれます。

(3)ひらがなの誕生

その後、711年(和銅4年)、皆さんもご存知の「古事記」は、元明天皇の命で、頭の中に覚えていた稗田阿礼が話したことを、太安万侶が文字として残した、という話を日本史で学んだと思いますが、書かれた文字は漢字ばかりです。漢字の音を、話し言葉の音に当てはめていったのです。いわゆる万葉仮名です。「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微尓」と漢字を並べて表しました。今なら「八雲立つ出雲八重垣妻籠に」(やくもたつ いずも やえがき つまごひに)と表記するところです。これが当時の日本語の「文字」です。まだ平仮名もカタカナもありません。当時は紙や竹に墨で文字を表していたので、漢字を筆で書くのは画数が多くて大変でした。柿本人麿や大伴家持らの万葉歌人たちは、歌を詠むときに、「万葉仮名」を筆で崩してかくから、草仮名や女仮名が生まれて、それが「ひらがな」になっていったのです。またカタカナは中国からもたらされた経典を音読する時の「声符」や「ヲコト点」から生まれました。主に僧侶が使ったものです。漢字の扁や旁からできました。たとえば、アは漢字の「阿」の扁ですし、イは「伊」の扁です。またウは「宇」のウカンムリ、エは「江」の旁です。仏教の経典を音読する時に、使われていたものです。漢字で書かれたものを、数万年間、日本人がずっと使っていた「話し言葉」にいかにして変換するか、という方向へ向かって約1200年をかけて変わってきているのが「書き言葉」としての文字なのです。私たちは、漢字、ひらがな、カタカナを上手に混ぜて使っているということになります。さて、子どもには、どのように出合っていくのがいいのでしょうか。

(4)子どもが出合う日本語の文字

子どもが文字と出合っていくのは、日常生活の中で見かける看板や絵本などが最初になります。人とのジョイントネス(前回講義)が強い子どもは、大人がすることに興味を持ち、その意図やねらいを感じ取って自分でもやっていこうとします。そうすると、大人が文字と接している場面を見せることから、子どもはその「文字」の世界が自分の視野に入ってくるようになります。人は何事も見ようとしないと見えないので、子どもが「文字」に気づいていく過程がここにあることになります。では、そのプロセスはどのようなことが起きているのか、最初にまとめてみましょう。

(5)幼児が文字を覚えるまでのプロセス

このプロセスについて、松岡正剛が『千夜千冊エディション ことば漬け』(角川文庫)第三章「日本語の謎」の中でわかりやすくまとめているので、それを引用します。

 ①知覚しているモノやコトが単語になりうることを理解すること

②その単語は文字であらわすことができるということがわかること

③喋っている言葉(母語)はそれらの単語をつないで成立しているということを納得すること

④一方では、文字の群を読んでそこに意味(文意)を感じられるということ

⑤その文字群は自分だけではなく他者にも同様の理解を伝えていると感じられること

⑥そうだとすると、自分の思いを言葉にして文字群によって綴ることができると確信できること

 

これに続いて松岡正剛は次のように書いています。

<これらの前後関係はともかくも、さまざまにつながって「言葉と文字の関係」が成立する。のみならず、このプロセスには段階ごとに異なる才能が要求され(よく喋る子がよく書けるとは限らない)、このプロセスのいずれかを示唆できる「教師モデル」が先行して、言葉と文字の関係を外側から教えるしかないのである。長らく文字を知らなかった日本人が、縄文以来の母語である日本語(倭語)を文字におきかえるにあたって、どんな工夫と苦労があったかを知るということは、以上のような学習と工夫がどのように起こったかを、どう説明するかということに重なってくる。>

文字を読んだり書いたりできるようになること、つまり子どもが文字を覚えていくことは、話し言葉とは違って、先天的なもの、持って生まれた力には根ざしていません。全て後天的な人間が作り上げた歴史的な文化に根ざしているので、上の箇条書きされた6項目を「学習」していくこと、「学んで」いくことが必要なのです。

マムズサロンの今後の予定

2020/07/14

 

今年度の睡眠講座「マムズサロン」はすべてZOOMで開くことになりました。

時間は毎回午前10時から11時です。

7月10日(金) 実施済み

7月22日(水)

8月7日(金)21日(金)

9月11日(金)25日(金)

10月9日(金)23日(金)

参加したい方は、電話かメールでお知らせください。

03-6811-6686

c.seiga@chiyodaseiga.ed.jp

Mam’s Salon 全体ポスター(2020年度)

東京の感染抑制策は大丈夫か

2020/07/13

◆ 納涼会の参加者ルールはより厳しく

7月18日(土)に行う予定の「納涼会」ですが、感染防止策を徹底して実施します。千代田区と相談しながら準備をしてきましたが、じわじわと市中感染が始まってしまったようなので、参加者の制限もやむなし、と考えています。保育園での感染を防ぐために、以下の方は参加をご遠慮いただくことになります。例えば2週間以上、子どもと一緒に生活していない方や、職場の感染者と接触した可能性がある方です。自覚症状がなくても感染している可能性が高い社会情勢となってしまいましたので、ご理解のほど、よろしくお願いします。

◆協力要請の基準日から14日も過ぎても・・

東京都の市中感染が危惧されて早くも2週間も経ってしまいました。不顕性感染者の割合を推定できるモニタリング体制を早く構築してほしいと6月30日にこの日記に書きましたが、すでに感染爆発の局面に入ってしまいました。というのは、厚労省は6月19日に「感染者が10万人あたり2.5人」になった時点で社会への協力要請をしないと、遅れれば遅れるほどオーバーシュートしてしまう、と推計していたからです。協力を要請すべき日は6月30日でした。

新たな流行のシナリオについて

 

このグラフの前に、次のような説明があります。

◆本当に、本当に大丈夫なのか?

これを読むと、協力要請の効果がないと「感染爆発してしまい、集団免疫を獲得するまで収まらない」というのです。その条件は「実効再生産数の低下が4割程度にとどまったら」というのです。前回の実効再生産数の推定値は、自粛などによって1.7から0.7へ約6割減少したのです。あれだけの犠牲を払ってやっと「1」を下回ったのですから、今日7月13日の時点で、協力要請を出さないといけなかった基準日6月30日から2週間も経ってしまったのです。本当に大丈夫なのでしょうか。

リンクの追えない人が毎日100人を超えています。本当の計算はこうではないのですが、わかりやすくするために過去14日間に、もし感染者一人が毎日2人に感染させているとしたら、2の14乗は16384ですから、100人いたら、160万人を超えていることになるのです。志村けんさんも天国から「だいじょうぶじゃな〜い」と言っていると思います。10人でも16万人。こんな机上の計算は意味がないかもしれませんが、正しく恐れることの1つに「最悪の事態は想定すべし」もあるからです。

 

続・今週を振り返りながら

2020/07/12

◆書道

7月6日(月)から年長すいすい組で、「書道」が始まりました。毎月月曜日にやります。書道教室を開いている布川先生によるもので、楽しそうです。子どもたちの文字を「読む」こととの出合いは、絵本や生活環境の中にある看板などから始まりますが、「書く」ことは年中さんぐらいから。しかも「筆」で文字を書くという経験は、大抵は小学生からなのですが、それを先取りするという意味ではなく、ゆっくり、じっくりと筆で文字を書くと、「描く」かのように「ひらがな」の形や筆順などを体験することもできます。ひらがなは、漢字ばかりの万葉仮名から草仮名や女仮名を生み出した宮廷の歌人たちによるものですが、本来は「筆」の運びの流れが残っているのです。その原体験をしていると考えてあげてください。

◆七夕会と水遊びの開始

7日の七夕会の様子はお伝えしましたが、8日からは夏の水遊びを始めることになり、いよいよ夏本番を迎えます。体調に気をつけながら「水と仲良しになろう」が目的です。水は土と並んで、生命体である子どもにとって最大といってもいいほどの「教材」でもあるのです。感触を楽しみ、その物性を感覚的によく体験しておくことが、その後の身を守るための泳ぎや、競技としての水泳、水害からの身を守るための行動取得の前提となります。例えば、防災教育の中で、洪水から避難するときは運動靴で逃げます。長靴だと靴の中に水が入ると重くなって歩けなくなるからです。このような水の特性も水遊びの中で体験していくのです。

◆アジアの中の私たち

18日の納涼会は、休園期間中に行っていた「特別保育」の基準に戻した厳しいコロナ対策の中で実施します。つまり「これからの園行事は最初から、感染者が増えて医療が逼迫するような危機的状況になって行事どころではない、という状態にならない限り、延期や中止が必要ない方法の範囲で行う」ことにします。大人の三密をさけ、手洗い消毒マスクを徹底し、その上で子どもにとって大切な心が豊かに育つような体験を作りっていきたいと考えています。

その1つとして、行事中に本来は「親子で試食してもらうアジアの食べ物」を用意していたのですが、それは「三密」になるのでできません。そこで6日から昨日の10日まで、午後の間食で近隣アジアの国の味を楽しみました。

6日台湾(ルーローハン)7日中国(麻婆豆腐)8日韓国(チジミ)9日ベトナム(フォー)そして10日日本(赤飯)です。保護者の皆さんにその味を届けることができませんでしたが、ホームページの食事の写真で想像してみてください。また18日の納涼会ではその様子を展示します。屋形船に乗って涼を味わうという体験は、この神田ならではの夏の風物詩でもあるわけで、なんとか実現させたいものですが、これも社会情勢次第になってきました。

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