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園長の日記

子どもが「文字」を覚える意味

2020/07/15

毎週月曜に、布川保育士が年長すいすいの子どもたちに「習字」を教えています。子どもが「言葉」を獲得する仕組みは、いまだに解明されていないことが多いのですが、人が後天的に発明した「文字」の習得に関しては、いくつかの知識と技能が組み合わさっています。

以下の文章は、大学の授業のために書き下ろした印刷教材の一部です。ちょうど幼児と「文字」の出合いについて説明したものになります。少し引用します。

(1)文字の誕生

言葉は聞いたり話したりすることによって、持って生まれた力が環境と関わって身についていくものでしたが、今回は、その言葉が文字のように書かれたもの、平面(2次元)に痕跡を残す表象となったものについて考えましょう。

聞いたり、話したりされる言葉は、物質ではありません。その場で消えてなくなります。文字が発明されるまで、人間は聞いて話すことしかしていなかったので、人が覚えておくしかありませんでした。ですから人間が作り出した表象は、人間の頭の中から他の人の頭の中へ「脳の記憶」を使って伝承されていくことしかできませんでした。これを口承文化といっていいのでしょう。もちろん文化全体の中には、道具や多様で高度な生活方法が伝承されてきたのは間違いありません。埴輪や縄文土器のように物質化したものの一部の遺跡を通じて、必要な表象は伝承されていったことが考古学で証明されてきています。

日本にどのように書かれた「日本語」が成立していったのか、という歴史的変遷については、小池清治の『日本語はいかにつくられたか』(筑摩書房)をお勧めします。

(2)漢字との出合い

日本人は3〜4万年前にアフリカから何万年もかけてやってきたホモ・サピエンスが日本列島に住み始めますが、その頃はもちろん、つい最近まで文字を持っていませんでした。青森の三内丸山遺跡などで1万年も続いた縄文時代も、その後の弥生時代も文字がありません。ず〜っと、オーラル・ソサエティでした。そこへ大陸から漢字がやってくるのです。西暦57年、中国の光武帝の時期です。日本書紀によると4世紀末ごろ百済の王が馬2頭を贈ってきた時、当時の天皇(応神天皇)の太子が百済からきた馬飼の阿直岐(あちき)に文字の読み書きを習ったとされています。これが歴史書で確かめられる日本人に最初に文字をもたらした古代日本の初期の出来事です。応神天皇は早速、使者を百済に遣わして、王仁(わに)という人が持ってきたものが「論語」や「千文字」など11巻だったのです。こうして日本に入ってきた書き言葉は「儒教の言葉」でもあったのです。その後も儒教学者が招かれます。

(3)ひらがなの誕生

その後、711年(和銅4年)、皆さんもご存知の「古事記」は、元明天皇の命で、頭の中に覚えていた稗田阿礼が話したことを、太安万侶が文字として残した、という話を日本史で学んだと思いますが、書かれた文字は漢字ばかりです。漢字の音を、話し言葉の音に当てはめていったのです。いわゆる万葉仮名です。「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微尓」と漢字を並べて表しました。今なら「八雲立つ出雲八重垣妻籠に」(やくもたつ いずも やえがき つまごひに)と表記するところです。これが当時の日本語の「文字」です。まだ平仮名もカタカナもありません。当時は紙や竹に墨で文字を表していたので、漢字を筆で書くのは画数が多くて大変でした。柿本人麿や大伴家持らの万葉歌人たちは、歌を詠むときに、「万葉仮名」を筆で崩してかくから、草仮名や女仮名が生まれて、それが「ひらがな」になっていったのです。またカタカナは中国からもたらされた経典を音読する時の「声符」や「ヲコト点」から生まれました。主に僧侶が使ったものです。漢字の扁や旁からできました。たとえば、アは漢字の「阿」の扁ですし、イは「伊」の扁です。またウは「宇」のウカンムリ、エは「江」の旁です。仏教の経典を音読する時に、使われていたものです。漢字で書かれたものを、数万年間、日本人がずっと使っていた「話し言葉」にいかにして変換するか、という方向へ向かって約1200年をかけて変わってきているのが「書き言葉」としての文字なのです。私たちは、漢字、ひらがな、カタカナを上手に混ぜて使っているということになります。さて、子どもには、どのように出合っていくのがいいのでしょうか。

(4)子どもが出合う日本語の文字

子どもが文字と出合っていくのは、日常生活の中で見かける看板や絵本などが最初になります。人とのジョイントネス(前回講義)が強い子どもは、大人がすることに興味を持ち、その意図やねらいを感じ取って自分でもやっていこうとします。そうすると、大人が文字と接している場面を見せることから、子どもはその「文字」の世界が自分の視野に入ってくるようになります。人は何事も見ようとしないと見えないので、子どもが「文字」に気づいていく過程がここにあることになります。では、そのプロセスはどのようなことが起きているのか、最初にまとめてみましょう。

(5)幼児が文字を覚えるまでのプロセス

このプロセスについて、松岡正剛が『千夜千冊エディション ことば漬け』(角川文庫)第三章「日本語の謎」の中でわかりやすくまとめているので、それを引用します。

 ①知覚しているモノやコトが単語になりうることを理解すること

②その単語は文字であらわすことができるということがわかること

③喋っている言葉(母語)はそれらの単語をつないで成立しているということを納得すること

④一方では、文字の群を読んでそこに意味(文意)を感じられるということ

⑤その文字群は自分だけではなく他者にも同様の理解を伝えていると感じられること

⑥そうだとすると、自分の思いを言葉にして文字群によって綴ることができると確信できること

 

これに続いて松岡正剛は次のように書いています。

<これらの前後関係はともかくも、さまざまにつながって「言葉と文字の関係」が成立する。のみならず、このプロセスには段階ごとに異なる才能が要求され(よく喋る子がよく書けるとは限らない)、このプロセスのいずれかを示唆できる「教師モデル」が先行して、言葉と文字の関係を外側から教えるしかないのである。長らく文字を知らなかった日本人が、縄文以来の母語である日本語(倭語)を文字におきかえるにあたって、どんな工夫と苦労があったかを知るということは、以上のような学習と工夫がどのように起こったかを、どう説明するかということに重なってくる。>

文字を読んだり書いたりできるようになること、つまり子どもが文字を覚えていくことは、話し言葉とは違って、先天的なもの、持って生まれた力には根ざしていません。全て後天的な人間が作り上げた歴史的な文化に根ざしているので、上の箇条書きされた6項目を「学習」していくこと、「学んで」いくことが必要なのです。

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