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2025/05/14
2025/05/14

今日は豆(そらまめ・グリーンピース・いんげんなど4種類)を食べ比べてみました。やる流れはだいたい毎回同じなので、省略しますが、今日の午後の振り返りで私が「面白いなあ」と話題にしたのは、次のようなことでした。

(1)江口さんが「つぎ、これ、〜していいかな?」ときくと、子どもたちは「いいよ〜」と答えます。料理ですから、洗ったり、下拵え(筋をとったり、へたを切ったり、さやを開いたり、中から豆を取り出したり・・)や、茹でたり、焼いたり、切ったり、さらに盛り付けたり、いろいろな手順があります。そのたびに「こんどは、こうしてみるよ、いいかな?」という感じです。

月に1回ですが、にこにこ組(2歳児クラス)の子どもたちも、毎回のように出てくる「茹でる」「焼く」のパターンへの見通しがでてくることでしょう。

今日も包丁を出してきてまな板のうで切ったり、いろいろやって、こんどは「じゃあ、これ、焼いてみるよ、いいかな?」。するとまた機嫌良く「いいよ〜」と返事が返ってくる。その繰り返しが、何回かも繰り返されていきました。
この応答は、<質問と答え>ではなくて、これからやるに決まっていることに、あえて同意を確認しているような感じです。よくみててね、という意味もあるし、さあ、どうなるかなやってみるよ。という意味でもあります。ようするに、これからこんなことをやるんだけど、みんなも一緒にやるつもりになってね。という感じです。

子どもたちが実際に自分でやってみたいと思っているはずなので、子どもが自分できる「子どもクッキング」は危なくないもの(梅ジュースを作ったり、振ってチーズを作ったりなど)は別の機会にやっていきますが、この味の探究は野菜が中心で、その新鮮な素材の味をできるだけ、そのまま味わうというねらいなので、シンプルに茹でる、焼くということが中心になります。というわけで、子どもは火傷などしないように、そばで観察することになります。

「いいよ〜」。という子どもたちの声。とても可愛らしい声なので、その雰囲気を動画でお伝えしたいほどなのですが、その姿は、まるで子どもの好奇心がむくむくと芽をふいている瞬間のように感じます。
これから始まる出来事へ身を乗り出しているときの集中。こんどはどうなるだろうという興味。「どうなるかまだわからないけど、うん、やってみて、ぼく興味あるから、ぜひ」。そんな、集中力を感じて、見えいて気持ちいいのです。担任によると、2回目なのに、この時間を待ち遠しく感じている子もすでにいるらしい。


(2)もう一つ、感じたのは、世の中の出来事について言葉で表されることはほんの一部でしかないということ。豆にはそれぞれ名前が付いていること。子どもにとっては初めて出会っている目の前の景色のなかから、名詞や動作や形容詞やオノマトペがそれぞれの瞬間に聞こえてきて、世界がそれで文節化されて、そこに何かの一貫性を子どもがみつけていくこと。
もちろん数回の経験で文節化されていくのではなくて、何度も何度も繰り返される事象のなかに生きていくことを体験しながら、そのなかで「そういうことか!」「わかった」と、明瞭化されていくようなことなのでしょう。意味が生まれていく過程を体験していることになるのでしょう。
他の言い方にしてみると、目の前に展開されている世界から、料理の過程の中に言葉のルール(言語ゲーム)を大人が取り出してきて、世界と言葉がセットでふるまいのなかに意味を立ち上がらせていく、ということでしょう。子どもにとっては「そこか」とか「そうなんだ」とか、一つずつそのセットを自分の中に取り入れていく。こうやって、こういうときはこうするものなんだということに慣れていくのだろうと感じます。
この場合は野菜の匂い、音、色そして味などについて、そのことに言葉がくっついて何かのふるまいがなされていきました。


(3)関わりながら、好きになり、もっと〜という流れが生まれていくこと。世界なかから取り出されてくることに対して、子どもたちは自分なりに「知覚」したことについて、言葉を介して体験が意味付けられていくということなのでしょう。また、その意味がさし示しているであろう範囲をぼんやりと意識して、そのうち自分の感覚で得たものをなんども照らし合わせていくうちに、自分の「行為」とつながっていくということでしょうか。
その過程では感情が共感的に働いて、食べてみたら「美味しい!という感情がそれらを好きになりながら、もっと食べたいという欲求を耕しています。豆の種類によって、味やおいしさが違うので、絵本で親しんでいる「そらまめくん」のイメージがその子なりにダブりながら、どんなふうに変わっていくのか、想像してみたくなります。先生たちはその変化を子どもの姿のなかに気づいていくことでしょう。

2025/05/10

保育園として神田祭に参加するのは、前回に続き2回目。前回は職員10名が神輿を担ぎましたが、今回は初めて園の親子も参加して子ども神輿を担ぎ、また山車を引かせてもらいました。

岩本町三丁目の子ども神輿と山車は、12時半ごろから山崎パン本社前の御神酒所から出て、午後2時ごろまで町内を練り歩きました。3時半には隣町の須田二丁目町会と東松下町会と合同で柳森神社前で御霊にお礼参りです。神田明神へお宮入りは明日11日です。

さて江戸三大祭りとも言われる神田祭。その本物の祭りに保育園として参加させていただき、とても貴重な体験になりました。保育園に在園している親子が約19家庭参加されたので、子ども神輿と山車の周辺は活気にあふれ、その賑わいを包み込んでいる地域の方々の思いに接して、図らずも目頭が熱くなったほどです。

地域の行事を見るだけではなく実際に参加してみることは、保育から見ても大切なことが含まれていそうです。地域の一員であるという実感をいつどのように感じるのかは、わかりませんが、こうした積み重ねが「自分のまち」という意識を醸成していくものになっていくのでしょう。

当園からは私も含めて職員が12人参加したのですが、知っている大人が法被をまとい手拭いを結び、粋な格好で普段とはちょっと違うメリハリを効かせて振舞います。子ども達から見れば、多くの知らない大人たちが大勢いて、その中に、よく知っている大人が一緒に混じって「わっしょい、わっしょい」と神輿を担いている。その姿は、子どもたちにどんな印象を与えたでしょうか?

そしてお父さんお母さんに手を引いてもらいながら、その神輿を担いだ、山車を引いた、抱っこしてもらって太鼓を叩いた。太鼓や鐘の囃子の音や大人たちのリズミカルな掛け声や身体的圧力を感じ、柏木の透き通るような音や、一本締めの手拍子、そばで声援を送ってくれている親の声。そういう祭り独特の空間に身を浸しきった時間。

21世紀も四半世紀が過ぎたこの時代に、江戸時代から続くといわれる地域の祭りを体験すること。その意義を確認したり、再発見したりする営みが必要だとしたら、何をどう考えたらいいのでしょう?




それはきっと、地域の当事者が主役となって、まずは一緒にその時間を体験することで、そこで感じる感覚を大切にしながら、言葉ではいい表せないことを紡いでいくことなのかもしれません。
2025/04/30

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250430/k10014793221000.html
やっと、ここまできました。
大人だけの問題ではなく、これが子どもの発達に影響しています。
ただ、「病気」に収れんさせていいのかと言う問題は当然ありますが。
2025/04/25

岩手県雫石市「さくらだファーム」のしいたけ。それと和歌山県有田川町「みっちゃん農園」のブラッドオレンジ。
ただブラッドオレンジは、気候によって他の柑橘に変更になる可能性もあります。
申し込み締め切りは5月9日(金)保育園のアプリのアンケートで。
PayPay購入は氏名確認のため当日、保育園でお願いします。
当日にお越しいただけないときは自動キャンセルです。
急に来れなくなったきはご連絡ください。保育園で保管しておきます。
*同日14日(水)は保育園2階「フードコート」利用できまます。
2025/04/23
子どもの気持ちに寄り添うことはむずかしい。わかってあげたいのに、どうも本当のところは、わからない。あまり考えてもしょうがないから、そのままでやり過ごしていく。大きくなるにつれて、いずれ子どもの方から、そうした姿が消えていき、こちらもそういうモヤモヤがあったことも忘れていってしまう。子育てって、そういう不明瞭なこととの出会いと忘却から成り立っている、とさえ思える時があります。

今日話題になったのは、お迎えにきたとき、なかなかお家に帰らないのはなぜか?という話です。子どもにもよるのですが、確かに親御さんがお迎えに来ると子どもの姿が「豹変」することがあります。これは、今遊んでいることが継続中で、なかなかおしまいにできないという話とはちょっと違います。一旦その遊びはおしまいになっているのですが、予定にない延長戦が始まる感じです。それまでの空間と親のいる空間では、おなじ保育空間でも質が変わる、といった感じです。たとえば、おふざけが昂じたり、はしゃいで遊びに拍車がかかったり、玄関でかくれんぼが始まったり、いわば遊び性にもう一度新しくエンジンがかかる感じです。
模型的な理屈で考えると、こんな感じでしょうか。好きな遊びが継続されている空間に、大好きな存在である親が現れると、いわば「好ましこと」の足し算がおきます。子どもにとって「好き」のダブルですから、子どもにとってそれは至福の時空となっているのかもしれません。ふたたび遊びに火がつく場合もありそうです。忘れていた遊びの火種に、どこからか「ふいご」が風を送っているかのようです。嬉しさの足し算のようなことが起きているのでしょうか?
そう考えると朝の登園時は、逆の現象が起きていてもおかしくありません。園生活にすっかり慣れている子どもは、登園してまだ本格的に遊び始めていなくても、登園前からすでに気持ちが園の空間に入り込んでしまっている感じで、一目散に遊び始めます。最初から遊びがイメージされており、そこから親がいなくなってもその遊びの火が消えることはありません。親子の空間から園の空間へスイッチされていくのですが、子どもが園生活に慣れていないうちは、親がいなくなる「引き算」の効果がはっきり現れます。そういう場合、家庭と園の遊び性の継承として、家にあるお気に入りのものを何か園に持ち込みたいという話になる場合もあります。
園生活も大好き、お家の人ももちろん大好き。そこから生まれる子どもの姿の変化は、二つの大好きが足し算なのか掛け算なのかわかりませんが、いずれにしても相乗効果的に目立つのでしょう。さらに、たぶん、帰りたくないと無意識に働くのは、帰宅後の過ご方がスケジュール的に動いていく時間への抵抗もあるかもしれません。遊び性のなかに、そうした大人にとって都合のいいスケジュールは存在しないからです。
遊びはあくまでも自由な思いつきと思い通りになる時間の過ごし方なので、色々な意味で余白とか余裕とか心のあそび(間)も駆使されています。タイトな縛りから逃れる動きが遊びなので、そこへの抵抗として「帰らない」という現状が起きている可能性もあります。
今日はフードコートでした。晩御飯を家族で食べて帰ることができる日です。
最終的に夜の睡眠という形でその日を終えて、覚醒という形で次の日を迎えるのが命のリズムですが、夜の夢の中に子どもを誘うのは、心理的な「安心と満足」だと言われています。その鍵を握っているのが、遊び性だとすると、生活のリズムのなかに「あそび」(間の方)を意識的に設ける工夫が必要な時代なのかもしれません。何かと忙しい社会生活ですが、フードコートがそれにちょっぴりでも役立ってもらえたら嬉しいです。
2025/04/22

毎月1回、2歳児以上の園児を対象に行っている「味の探究」活動がYouTubeで紹介されました。フランス料理シェフの江口さんのこともわかる内容になっていますので、ぜひご覧ください。
この動画は、自然食材などを販売するスーパーマーケットを運営している川田むつみさんのチャンネル「むっちゃんねる」制作です。とてもいい活動をなさっているので、保育園としてインタビューに協力しました。
2025/04/21
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睡眠講座「あかちゃんねんね」の年間スケジュールが決まりました。
今年は毎月1回年9回、7〜8月と3月はお休みします。
すべて土曜日 午前10時から11時。ZOOMで開催します。
申し込みはグーグルフォームから。
https://forms.gle/CAvK7uqQvL44DSYJ7

2025/04/18
千代田区立図書館では、4月23日(水曜日)~5月12日(月曜日)「こどもの読書週間」にあわせて、こどももおとなも読書に親しめる、さまざまなイベントを行います。
https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20250325-2025_3/
スタンプラリーのパンフレットが届きました。保育園の玄関掲示板にありますので、自由にお持ちください。
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2025/04/17

万世橋交通安全協会から、残念なお知らせがありました。