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2022年 8月

「保育の過程」の2つの語り口

2022/08/29

当園の保育の特徴は、子どもの発達をとらえる「視点の広さ」にあるかもしれません。子どもの姿を多様な視点でとらえることは、保育の質を語るときに欠かせないものです。同じ子どもであっても、どんな視点でとらえるかによって、姿は異なってくるからです。その子ども理解を保育の起点(スタート)とし、そこから「こうあってほしい」という保育者の願いが保育計画や、次の保育の展開の機動力になっていくというのは事実だし、その流れを「保育の過程」と考えることが、今の保育の定説になっています。

しかし、その起点が動かない、保育が展開しない、という事実が多いのも現実であることを考えると、保育者の理解度、願いやねらい設定といった、保育者側のことで、子どもの体験が制限されてしまうとしたら、そこを乗り越えるためにも、子どもに任せる、子どもの思いや考えを「聞く」、そして子どもに生活プランの推進のチャンスを保証する、そういう範囲を増やすことが大事になっていると思えます。

今日29日(月)から保育実習生が一人きています。同じ子どもたちについて、私の見え方と実習生の見え方は違います。それはきっと、誰でも「そうだろうなあ」と認めてくださることでしょう。同じように私の見え方と保護者の見え方も違います。子どもと先生という関係と、親子関係とでは、違って見えて当たり前でしょう。園と家庭では、実際に行動パターンが異なるでしょう。人によって見え方が違えば、保育の起点や展開も変わるでしょう。

今日、こんなことがありました。朝、3階で久しぶりに「園長ライオン」をやりました。これまで何度も同じ遊びを積み重ねてきた子どもたちですが、やってみると子どもの成長を感じます。2年前と今、1年前と今では、この同じ遊びであっても「面白がり方」が、落ち着いているとでもいうのでしょうか、慣れている遊びの習熟度を感じます。弾むような興奮ではなく、気持ちが「熟成している高揚感」とでも言っていいかもしれません。ワクワク、ドキドキが楽しいという部分はあるのですが、それぞれに余裕があるのです。そんな違いはきっと私にか感じない「子ども理解」であり保育の「起点」です。

でも、今日はその子たちがその後、「和泉公園」に出かけて、トンボを捕まえてきました。もう自然界は秋です。そのプランは、主任や担任の「子ども理解」から始まったものですが、鍵になったのは、子どもがどうしたいのかを「聞いた」からです。トンボについて関心を持っていた子どもたちがいたことをキャッチし、さらにトンボを探して捕まえたい、という子どもの願いやプランを優先して、それを叶えてあげたい、と先生たちが工夫したからです。

保育者を主語にした保育の語り、そして子どもが主体となる生活づくりの語り。同じ出来事の連なりを、どちらで語るか、あるいは両方を共に語り比べることで、「新しい気づき」が生まれるのか、そんなことを試してみたいと考えています。

積み木でできた「ブルジュ・ハリファ」の塔

2022/08/25

子どもにとっての「科学的思考」とはどんなものなのか? 

いま、それがわかる場面を、子どもたちの遊びの中から拾い出しています。先日は、年長の子どもが積み木で高い塔を作っていました。その塔の先端が天井についているので、いつ倒れてくるか心配なほど高いものだったので、それが出来上がるまでに、子どもの中で何が起きていたのかを知りたくて、作った本人たちに説明を求めました。すると、やっぱり、聞いてみるものですね、見ただけでは分からない、そこ子が「どう思ってそうしたか」、内面の心の動きが見えてきます。

「ここが八角形、ここが七角形、ここが六角形、ここが五角形、ここが四角形、ここが三角形、ここが二角形、ここが一角形・・」

塔の積み木は同じ大きさの直方体が横に並んで輪になっていて、そこに少しずれて輪が重なっています。下から上にいくに従って、数が減っていくように作られているのです。彼は、それをこのように、説明してくれたのです。一段、一段、「ここは◯角形」だと両手で輪の形を作って教えてくれました。

これまでの積み木遊びの中で、高く積むにはどうしたらいいのかを発見し、下の方を大きい輪にして上にいくに従って輪を徐々に小さくしていくと安定することに気づいているのでしょう。積み木の輪は、羊羹のような直方体を並べて輪にしているので、隣り合う積み木と積み木の間には少し隙間ができます。その隙間のところに、次の段の積み木は、ちょうど跨ぐように載せてあります。そうすることで、輪の積み重なりは安定します。その輪が上にいくとだんだん小さい輪になっていくのです。

この塔はモデルがあるそうで、「こっちはドバイのブルジュ・ハリファ」だと言います。そのドバイの塔は、現在、世界一高い塔なのです。ここに、高く積むということを目指している彼の動機が読み取れます。そういえば、この塔を感心して私が眺めていた時に、最初に彼が言ったことは「園長先生と(背が)どっちが高いかな」だったのです。高さの追究が倒れにくい積み木の積み方の習熟を促した、と言えるのかもしれません。探究心です。

科学的な思考とは、これまでの数々の積み木遊びの中で、「こうしたらこうなる」という規則を抽出してきたのでしょう。これは帰納的な論理性を表します。積み木が組み合わさっていった時の構造の特性を、体験の中から導き出しているのです。直方体や角度などの概念を言葉で表すことで確かな知識を獲得することになっていくのですが、いまは具体的な「もの」の操作を通じて、暗黙の知識を使いこなしながら、物体の法則性を発見していることになります。

この気づきは確かに獲得されており、自然科学の領域の中では、自然科学、特に物理的な法則を学んでいることになります。学問の領域では、数学の幾何学、職業の分類では建築家の基礎、良さの要素では無矛盾性や関係性、効率性、美のセンスが働いていることになります。積み木遊び、侮るべからず、です。

 

 

 

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