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2023年 7月

アニメの仕組みを「体験」

2023/07/30

今日の納涼会には、小学生がたくさん来るので、アニメーションの仕組みを体験できる「フェナキスティスコープ」を用意してみました。制作費用は100均で買った鏡と吸盤の200円。

原理はパラパラ漫画と同じです。やったことありますよね。何枚もの紙が重なった本やノートの端の同じ場所に少しだけ変化を加えた絵を描き重ね、紙束を指でパラパラすると、絵が動いてみえますよね。

円盤の縁に1周すると戻ってくるような絵を並べて、円盤の軸でくるくると回します。速く回すと絵は混ざり合って、均一の色模様ができます。アニメのように動いては見えません。

ところが一つ一つの絵の間にスリット(隙間)を設け、絵が描かれたほうの円盤を鏡に映し、スリットから覗き込むと、アニメのように動いてみえます。

円盤を回し続ければ、アニメはずっと動き続けます。

園児にその動きが見えるかどうか試してみました。

 

すると、年長さん位になると絵が動いていることがわかりました。年少さんぐらいでは何が起きているのかよくわからないようです。駒のように絵が回ること自体に興味が行きます。反対に小学生3年生以上になると、とても興味深く感じるようで、夏休みの自由研究にしたいという男の子がいました。

かっぱのてがみ・なつのおとずれ・かいすいよく

2023/07/28

千代田せいが文庫から、夏らしい絵本を3冊。「かっぱはね、水の中でしか読めない文字を書くんだって」。そんな不思議がアクセントになっているお話「かっぱのてがみ」。水につけると文字が浮かび上がるというのは、科学遊びでよくあるものですが、絵本を読みながら、実際にそれをやってみました。洗剤を溶かした水で、紙に筆で「このひと かわではくえん うみでくえ」と書いておきます。お話のその場面で、「本物を見てみようか」とかっぱの手紙を取り出して水につけてみると、あら不思議。文字が浮かんで見えました。(ちょっと薄かったので見えにくかったのですが)。

2冊目は「なつのおとずれ」。身近な暮らしの中にある、扇風機やメロンやスイカやセミやカブトムシなど、いろいろな「もの」が「夏がきそうだ」「くるね」「呼ばれてる」と感じ取り、大急ぎで夏に向かって走り出すというお話。その夏の訪れを「もの」たちが、俺たちの出番だと張り切っている、いきいきとした躍動感がガツン!と楽しい。

これ読んでと頼まれた一冊が「ぐりとぐらのかいすいよく」。浜辺に流れてきた瓶の中には、地図が入っていて、そこにいく途中でうみぼうずに出会って泳ぎを教えてもらうお話。海に囲まれた日本。子どもの頃からかいすいよくの体験ができている割合はどれくらいなんだろう?日本のまちづくりも海との接点をもう少し暮らしの中に見出したい。自然は厳しいものですが、もう少しだけ、優しく楽しめる空間にならないものか。そんな気にさせてくれる絵本です。

高校1年生が保育体験に

2023/07/27

 

昨日は小学生でしたが、今日は高校1年生が3人、保育体験にやってきました。「夏休みの間に何かボランティア体験を」と言うのが、高校の宿題だそうで、将来保育や教育の分野に興味があるという3人でした。いろいろな意味で想像を超えていたらしく、子どもたちのエネルギーに圧倒されたようです。「楽しかったあー、またきたいです」。9時半から12時半までの、あっという間の3時間だったそうです。

行事について

2023/07/24

わらす(3〜5歳)のクラスブログは、先週の「お泊まり会」の内容を振り返って、連載でお伝えしています。当園の行事は大きく4つのねらいがあります。一つ目は子どもにとって、普段体験できないことをやることで、経験の幅を広げるということ。今回のお泊まり会もそれにあたります。そのほかにも、バスや電車を使って遠くの山や海に行ってみるとか、いつもとは異なる生活や遊びをやってみるということを主眼に置きます。

二つ目は伝統行事です。日本には季節に応じて様々なものがあるので、それを体験できるようにします。都会での生活に限らず、意識しないと季節を感じない生活になりがちなので、そういう行事は大切にします。こどもの日、七夕、お月見、餅つき、お正月、節分、雛人形・・などなど。それに合わせて四季折々の食事も味わいます。行事食と呼んでいます。

三つ目は保護者参加のイベントです。春の親子遠足。地域を親子で散策します。今週末の夏の納涼会。内容は保護者の皆さんと一緒に考えて企画します。秋の親子運動遊びの会は、和泉小学校の体育館をお借りして、親子で体を動かして楽しみます。冬のお楽しみ会は、劇遊びや歌、音楽を楽しみます。そして年度末の成長展。これは1年間の一人ひとりの成長・発達を5領域に分けて作品やドキュメンテーションを掲示して、自分の子どもはどれだろう?とクイズ形式で当ててもらいます。

四つ目は親子の関係、親同士の関係づくり、地域との関係を大切にしたものです。個人面談、保護者会、保育参観や保育参加、パパ先生やママ先生の体験。他の行事とも重なり合うこともあります。3つ目の行事が、子どもの育ちを伝えて一緒にそれを喜び合う、発達を伝えるということが趣旨ですが、同時に親子での遊びの提案になっていたりします。親子遠足や納涼会、親子運動遊びの会などは、その要素も濃いですよね。また保護者主催の催しなども保護者同士がつながり合う機会になって、ありがたいことです。さらに今年は保護者主体の「しずくの会」もできて、子どもを支え合う仕組みが増えて、保育園も嬉しく思っています。

これら4種類の行事や活動は、いろいろと影響しあっています。日常の生活や遊びにも、家庭生活にも、地域との連携にも、小学校以降の生活や学びにも。そのうち、学校のPTAや保護者会も縦に繋がっていくといいですね。いずれにしても、子どもと家族がハッピーであることを最優先していきます。その中で育まれていくものも大きいのだろうと思います。

また行事は、英語ではイベント、でしょうけれど、日本の保育における行事はもう少し広がりのある語感がある気がします。さらに気になるのは、出来栄えを保護者に見せる行事、準備が大変、普段の保育より優先れている、あるいは別になっているということをよく聞きます。それは望ましくないと考えています。最も大事なのは毎日のさりげない瞬間です。

にちよう開放 しずくの会

2023/07/23

今日は「にちよう開放」。しずくの会が開いてくださいました。

今回はすべてのフロアを開放して、乳児から幼児まですべてのクラスで過ごしてもらいました。

私は建築設備検査の立ち合いがあるので、ついでに開放したのですが、卒園児の親子とも久しぶりに再会できて、一緒に昼食を食べたりして楽しい時間になりました。

これは「しずくの会」作成の案内。毎回、素敵なデザインです。

おとまり・くらやみ・かくれんぼ

2023/07/21

先週、年長のお泊まり会があったのですが、その余韻を楽しむべく、絵本はお泊まりにちなんだもの。まずは文・中川ひろたか、絵・村上康成コンビの絵本シリーズ「ピーマン村のおともだち」から『おとまりのひ』。子どもは意外とあっけらかんとお泊まりができてしまうものでして、等身大の保育園らしさを感じる絵本です。親が子どもを案じる気持ちが明るく描かれ、ユーモラスな園長のキャラが楽しいシリーズ。八王子市のせいが保育園では、まさにこれと同じような銭湯に入っていたことを思い出します。

 

2冊目は末吉暁子作、林明子絵の「もりのかくれんぼう」。むかし森だった場所がいま団地になっている街角で、おにいちゃんとけっこしているうちに森に迷い込むと・・・。森の中にはよく見ると動物たちがいっぱい隠れているのかも。かくれんぼして遊びたかった女の子の気持ちが、ちょっと切なく伝わってくる絵本。

その次は、こども園を舞台にした「くらやみえんのたんけん」。お迎えを待つ、つとむくんとたくくんの二人が真っ暗な園内をおばけごっこで楽しんでいるうちに・・・。嘘っことわかっていながら怖いことをやりたがる子どもの心理。どこまで本気で怖がっているのやら、そのたわいのない、その演劇的あいまいな世界を楽しめるのも子どもの特権だ!(まあ、なんと古臭いキャッチだなあ)。

さて最後は海外ものから。「ひとりでおとまりしたよるに」。こちらは、おばあちゃんのお家に3泊4日で泊まりに行く話。だから、寂しさを紛らわすための、大事な宝物を3つリュックに詰めました。リュックに詰めたものが子どもを助けると言うのはエルマーと同じですが、こちらは夜の冒険が始まります。大人がよむと子どもの家族愛にちょっと心打たれるおはなしです。

きゅうりは浮くか沈むか?プールで実験

2023/07/18

屋上で育っている「きゅうり」。

水遊び中の子どもたちに、「うくか、しずむか」ちょっと実験しました。

ちょうどいい大きさに育ったきゅうりです。

「どうなるかな?浮くかな?沈むかな?」と私。

すると年中と年少の子どもたちでしたが、予想が二つに割れました。

沈むが一人、浮くが3人です。

やってみると、浮きます。

「やったあ、浮いた」と当たった方は喜んでいます。

でも面白いことに、その子が「こっちは沈むよ」と言うのです。

「こっち」と言うのは、ちょっと育ちすぎた大きなきゅうりの方です。

私が「そうか、こっちは沈むかもね」と言うと、にこにこして見ています。

もちろん、正解は浮くです。

これと同じようなことが、前にもバナナとのきもあったのを思い出しました。

一本は浮いたのですが、2本になると「沈む」と言うのです。

https://www.chiyodaseiga.ed.jp/hoiku-archive/archive-stem/page/5/

面白いですね。

最後はきゅうりと一緒にぷかぷか・・・笑

子どもが教えてくれたこと

2023/07/16

子どもたちはいろんなことを教えてくれます。今週、「そうなんだね」と嬉しくなったのは、スイカです。「ここ、ここ」と教えてれました。直径が15センチほどに大きくなっています。いくつも花が咲くので、先生が栄養を分散させないように実になるものを数個に間引いてくれているのですが、いつの間にか二つがこんなに大きくなっていました。

お泊まり会で出かけた科学技術館は北の丸公園にあるのですが、そこを歩いていると、蝉の鳴き声が聞こえました。保育園にいても聞こえないので、子どもたちは鳴き声で蝉の種類を聞き分ける経験はほとんどできません。秋葉原周辺ではクマゼミやミーミーゼミ、ヒグラシなどを自然に区別できるようになる環境にはないのです。それでも「せみ!」と教えてくれます。

しかし少ないチャンスを見逃さないのは虫好きな子どもたち。吉田茂の銅像がたつ雑木林で、ダンゴムシはトンボを捕まえて見せてくれます。こんな姿を見ると、せっかく皇居が近くにあるので、もう少し頻繁に連れてきてあげたいと思います。お礼というわけではありませんが、私もヒキガエル(泥ガエル)を捕まえてあげました。何を食べるの? さあ、なんだろうね・・・。

屋上のプールに水が入ると、トンボがやってきます。写真にとらえることはできませんでしたが、水面に尻尾の部分をちょんちょんとします。都会の中でも工夫すると生き物が寄ってくるビオトープはできるでしょう。

街路樹には赤い花が咲き始めました、百日紅(サルスベリ)です。夏の間、百日近く咲き続けるから、だそうです。東京では調布市がシンボルの花になっています。ちなみに千代田区は花が桜、木は松、鳥は白鳥です。

どのクラスの子どもも園全体が生活の場です

2023/07/13

保育園という生活空間は、家庭がそうであるように、そこにいてはいけない場所というものはありません。どこにいてもいいし、保育園のすべての場所が子どもにとっての居場所となります。

たとえば、保育園の中に内と外の区別はありません。それも家庭と同じですね。家庭の中に、ここからは内でここからは外、というものはないと思います。それと同じです。

あるいは、その子にふさわしい場所は所属するクラスのなかだけとは限りません。その年齢の発達にあったものは、多くはそのクラスにあるようにしていますが、入園してすぐの時期や進級するまえの移行の時期などは、その幅をひろくとる必要がでてきます。

当園はそんな「外」にあたるような場所をなくしたくて、子どもがいてはいけない場所がどこにもないようにしています。園内を全てコーナーやゾーン化して、つまり遊びや生活に必要なリソース(資源)を分類して、子どもにアクセスしやすいように配列して可視化してあります。すると、子どもはきちんと自分にあった(必要だったり好きだったり)選択をします。

そのゾーンと同じ意味で、廊下も階段も、それぞれに子どもが居ていい居場所としての意味があります。例えば階段は上り下りの運動になりますし、歩行の確立期にある乳児には格好の運動遊具です。階段の蹴上の部分には数字のステッカーが貼ってありますが、登る時に1,2,3,4とカウンティングしたり、数字への関心や感覚に親しんだり、リズムのある上り下りができたりします。

月の満ち欠けの写真が貼ってあるのも、そういう意図があります。またちっちぐんぐん(0〜1歳)の前の赤いスペースにも、絵本の棚をおき、ザラザラ、チクチク、スベスベなどの触覚遊びができる手作りボードが掲げてあります。

実は1階の扉の前の空間は、赤いマットを敷いて赤い机と椅子をおき、絵本を貸し出せる「千代田せいが文庫」の空間にしていた時期があります。親子で絵本を読んで帰っていい場所にしたのですが、食事のワゴンを運んだりして、物理的に狭いことから「文庫」は2階に引っ越すことになったのです。

つまり、あまり廊下っぽくしたくなくて、手触り遊びのボードを置いたり、そこで絵本を選んだりできる空間にしてあるのです。今年度からロッカーが並び、お支度のスペースにもなっています。実際に保育中は廊下から階段に至るスペースも、生活や遊び使えるようにしています。したがって内と外になってしまうような仕切りは、できるだけつけていないのです。

さらにクラスという空間の考え方も、柔軟に考えています。確かに01歳児クラスがここで、2歳児クラスはここ、345歳児クラスがここ、というのはあるのですが、実際の生活の空間は、玄関から屋上まで保育園内の全ての場所が生活空間になっています。

実際に他のクラスで過ごすことがあるし、子どもがその場所を好んでいたいからいるということも大いにあります。各クラスには、基本的にはその年齢に合ったものが置かれていて、発達に合った遊びができるように色々な遊具や絵本や運動用具などが配置されています。それでも、子どもはその標準的な幅を超えて過ごしたりします。他の遊具を望んでそこへ行くこともありますし、他の場所はどうなっているんだろうという興味から、探索したり、遊びに行ったりすることもあります。

また、物や空間だけではなく、人的環境としても乳児から幼児まで、全ての子どもが全ての子どもと接することができるようにしています。例えば乳児が幼児クラスを訪ねていくと、幼児の子がすぐに「Sちゃん、かわいい」と声をかけてくれます。子どもたちは、クラスを超えてよく知っている間柄なのです。乳児に年長がお世話をしにくることもあります。新しく入園した子どもが、クラスの仲間関係ができるまで、朝夕はきょうだいのいる部屋で過ごしたり、午睡の時間に幼児のクラスで寝るよりも乳児の部屋で寝る方を好むこともあるのです。

子どもの主体性を尊重することは、それぞれの子どもの幸せな過ごし方を実現させ、自己が発揮できるようにすることに通じると思います。また、それらのことは、それぞれの子どもの人権を守ることにもなります。所属するクラスの集団が、そのクラスの中だけで過ごさなければならないというのは、一見常識のように思っていますが、じつは偏った考え方かもしれません。豊かな体験のためにも生活空間を広く考えることは大切なことだと思います。

ちなみに職員の態勢にも触れておくと、各クラスの担任がいて、そのクラスの子どものことは担任が一番よく理解しているわけですが、ご存知のように朝の早い時間や夕方の遅い時間は、シフト勤務のために担任以外の先生が保育することもあります。そこで全職員が全ての子どものことを、ある程度知っており、全体でチーム保育をしていることになります。クラス以外の子どもがそこで遊んだり生活していても、その対応に困ることはありません。職員間での意思疎通と情報共有はできているので、子どもの生活や保育計画の連続性に支障をきたすこともはありません。

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