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2019年 10月

自分を見つめ出した子どもたち

2019/10/31

今朝31日、IKくんの訴えに感動しました。彼は私に“こうしたらどうか”と具体的な方策を提案してきたのです。やる前にルールを読む。読めない子には読んであげる。低いところからでも読めるように下にも掲示する。だから「園長先生、クライミングやりたい。クライミングゾーンを開けて」と言ってきたのです。

実は、子どもの態度を見ながら運動ゾーンの運用と環境を見直すことにしました。きっかけは、今週火曜日の夕方に子ども同士で頭をぶつけてしまったからです。翌日話し合い、波型遊具とスイング遊具を一緒に使わないで、子どもにとって死角がないようにしました。また子どもたちにも、4つのルールがしっかりと伝わるようにして、それを「自ら守ろうとする姿勢」を育むことに、さらに力を入れることにしたのです。

わらすの先生たちには、子どもたちに昨日の夕方、それをしっかり伝えてもらいました。すると今朝、ちゃんと決まりを守って遊ぶから、ゾーンを開いて欲しいと、IKくんが私に交渉しにきたのです。

このような力を「非認知的スキル」と言います。自分なりに課題を解決するためにどうしたらいいかをしっかりと考えることができ、それを相手に話して伝え、しかも相手が(私が)納得できるような論理を持っているのです。これは、すでに年長さんの姿に近い「育ち」がしっかりと見られます。

昨日の先生たちによる子どもたちへの話が功を奏したは間違いありませんが、それをしっかりと受け止めて、「どうやったら、運動ゾーンをもう一度開くことができるか」を真剣に考えてきたことは素晴らしいと思います。

その訴えを聞いて、私がわらすの先生たちに「IKくんがこう言ってきたから、ゾーンをもう一度再開してあげることにしませんか」と提案して、再開しました。

このような子どもたちの「姿」のことを、本当の意味で、心構えができている態度と言います。真剣な気持ちを持った心情、どうしても運動ゾーンを開いて遊びたいという意欲、そして自分を律していく態度。この心情、意欲、態度の育ちのことを文部科学省は「生きる力」と呼び、非認知的能力として、社会で最も必要な力になると考えているのです。

 

木場公園で保育参観

2019/10/30

今日は保育参観の2日目。バス遠足だったクラスは「木場公園での保育参観」になりました。バスで出かけたのは2〜4歳の3クラスの27人。子ども用のバスと保護者用のバスに別れて出かけました。ちょっとした小旅行をした気分で、園に戻ってきた皆さんは「楽しかったあ」との感想。その理由のひとつは、子どもに見つからないようにする「大人のかくれんぼ」が可笑しかったことがありそうです。

「(運動会の)鬼ごっこの次は、(保育参観は)大人のかくれんぼでしたね」。

お迎えの時に保護者の皆さんと、そんな話で今日の参観を振り返りました。子どもに見つからないように、バスのカーテンを閉めて隙間からのぞいたり、遊んでいる場所へ遠巻きにそっと近づいて行ったり。

橋の欄干にしゃがみ込んで写真を撮っている様子は、「やばいですよね、まるで、ストーカーか不審者ですよね(笑)」「この様子を誰かにSNSにアップされたりして(笑)」「子どもを陰から覗き込む不審な集団現る!みたいに(笑)」こんな会話をしながら、「あ、視線が合っちゃった、見つかったかな」など、ちょっとはしゃいだ気分半分で、心配している私たちでした。

私は保護者用バスの添乗員「バスガイド」として、保護者の皆さんを木場公園へご案内。子どもたちの後を集団で追って行きました。ぞろぞろと木場公園の中を歩いて、まずは5月からこの場所で子どもたちが遊んできた「痕跡」を辿りました。ボール遊びやチョウチョを追いかけて走った広い原っぱに立ち寄った後で、子どもたちが先に行って遊んでいる「冒険広場」へ徐ろに向かいました。

「こっちから行くと見つかりそうなので、橋の方へ回ってみましょう」

私が選んだ橋ルートで皆さんをお連れすると、意外とすぐに子どもの姿が迫ってきたので、慌ててしゃがんで橋の欄干に隠れなけれなりませんでした。にこにこさんがよく遊ぶ、滑り台のある大型遊具がすぐ目の前だったからです。

そのスリリング感が、なぜか楽しいのです。そっと自分の子どもをのぞいている姿は、冷静に考えると「大の大人が一体、何やってんの!?」という感じですが、それはそれで割り切って「かくれんぼ」を楽しんだのでした。

その後、みんなで少し移動。橋を少し登ったあたりから下の道に降りました。ターザンロープのあるエリアが見える北側へ回り、雑木林の中から、遠目に子どもの姿を追いました。無線で他の先生から「園長先生、子どもたちは遊びに夢中なので、あまり気にしないで、その道を散歩している人のような感じで歩いても、多分見つからないですよ」というアドバイスを無線でもらいました。

それを聞いて、意を強くした私たちは、堂々とベンチに座ったりして、暫く子どもたちをみていました。

しばらくして、ジョギング風の格好だったAくんのお父さんが道路を走っていきました。そして暫くすると「見つかっちゃった」と、走って戻ってきます。「パパがいた」と先生に伝えているTくん。「パパはどこへ行ったんだろう」と、じっとこっちを見つめています。

すると、また無線で「園長先生、見つかっていますよ、園長先生もいたって言ってます」。それは参った!そそくさと、私たちはその場を後退しました。

10時過ぎから11時20分ごろまで、1時間以上の公園遊び。子どもたちがバスへ戻った後、私たちは遊具を一つずつみて回りました。きっと皆さんは「ここで遊んだんだな」と感触を確かめながら。そして子どもは「楽しかったかな」と想像しながら。この間、保護者同士の懇親にもなってもらえたらいいなと期待していたのですが、話も少し弾んだみたいで、私もそれが嬉しくて、バスに乗り込む前に、橋を背景にみんなで集合写真を撮りました。

(パスワード付き「行事」にアップしました)

保育参観という名の小旅行。今度は親子で遊んだら楽しいだろうなと感じた1日でした。ご参加いただいた皆さん、ご苦労様でした。

SDGSと「楽しんだもん勝ち」

2019/10/29

園だより巻頭言11月号

◆  SDGSと「楽しんだもん勝ち」

 10月はラグビーや鬼ごっこから学んだことが、いくつかありました。近い将来、私たち大人がいない時代を、この子たちは生きていきます。その時、この子らが困らないように、私たち大人が2030年までにやっておかないといけないことが色々あります。

 貧困の解消、飢餓をなくすこと、健康と福祉の増進、質の高い教育、ジェンダーの平等、きれいな水と衛生、持続可能なエレルギーの確保、働きがいのある人間らしい仕事(ディーセント・ワーク)、インフラと技術革新への投資、格差の是正、持続可能な都市、責任ある生産と消費、気候変動への緊急対応、海洋資源の保全、森林その他の生態系の保全、平和と正義の推進、グローバルな連帯の強化。この17は国連開発計画の「グローバル・ゴールズ」(SDGS)です。あと10年です。

 これらの課題を解決していくために必要な手段は「教育」です。国際社会がそれぞれの国益を優先して争えば、共生社会は実現しません。資源獲得の争いから世界大戦が勃発した歴史、そしてEUが第二次世界大戦の反省から国家を超えて共生社会を生み出そうとしている事実、そして日本の近代史を踏まえれば、日本は東アジアの中での「共生」の旗を掲げる責任があります。

 「このチームにはいろんな国の人がいるので、ダイバーシティ(多様性)なところもしっかりと見せたい」。開幕前にリーチ マイケルはそういっていました。ラグビーで発揮できたことを、日本は政治でできないのでしょうか。EUがワンチームを目指しているように、世界がワンチームになるモデルを日本が提示できないものでしょうか。

 私は外に敵を作って、内部に統一感を出すナショナリズムの手法を選びたくありません。では、どうしたらいいでしょうか。それはラグビー日本代表がベスト8の目標を掲げたように、共生における目標を作るのです。「自分らしさ」を生かしきる仕組み、環境をデザインして創造するのです。例えば、遊びがヒントになります。鬼ごっこは練習がいりません。鬼ごっこをするために、練習する人なんていません。誰もが参加できるフェアで差別のない遊びです。日本では親が子どもを守るという精神が根底にある遊びだからです。

 昨日視察した「スポーツ鬼ごっこ」の全国大会で、面白いことに気づきました。それは大会に参加している「ふじみ野市スポーツ鬼ごっこ連盟」の旗にこうありました。

「楽しんだもん勝ち!!」

 もしかしたら、これが勝つこと以上に大きなモチベーションになりうる「ワンチーム」の作り方かもしれません。次回、お楽しみ会で、その精神を表現してみたいものです。

「スポーツ鬼ごっこ」全国大会レポート

2019/10/27

「まずは鬼ごっこをいっぱいやっておくことですよ」

 

やっぱりそうだろうな、と思いました。スポーツ鬼ごっこの生みの親である羽崎泰男さんの言葉です。「いろんな鬼ごっこを、いっぱいやっておいたください」

◆幼児期はまずは、鬼ごっこ

今日10月27日(日)、成田で開かれている「スポーツ鬼ごっこ」全国大会の会場で、そんな話になりました。泰男さんは、昨日の運動会に来ていただいた羽崎貴雄さんのお父さん。日本鬼ごっこ協会の代表理事であり、1980年代以降の日本の子どもの遊びと文化をリードして来た方です。

どうして「スポーツ鬼ごっこ」が生まれたか、その経緯はまたら別の機会に譲るとして、その羽崎さんが、幼児期はまずは、鬼ごっこでいっぱい遊んでおくことが大事というのは、とてもよくわかります。

どんな運動にしても、鬼ごっこがその基本的な体力を育むだろうとこは、もう、想像できますよね。昨日、やってみて、そう思われたのではないでしょうか。実は人類は、生きるためにやっていた活動は、鬼ごっこのような運動だったと想像されています。

◆スポーツ鬼ごっことは

スポーツ鬼ごっこは、7人対7人で戦う「宝取り鬼ごっこ」。縦横28×18メートルのフィールドで、半々の陣地に分かれ、相手陣地の宝を早く取ったら1点。相手陣地で両手タッチされるとスタート地点まで戻らないといけません。前後半5分ずつの10分で得点の多い方の勝ち。

今日の大会は、9歳以下のアンダー9(U9〕、12歳以下(U12)、22歳以下(U22)のクラスがあり、それぞれ地方大会を勝ち抜いてきたチームが参加しています。それだけに、技能もチームワークもレベルが高く、見ていてもたのしいものでした。

◆その特徴は誰でも参加できるオープン性

チームは男子も、女子も分かれていません。男女混合のチームが自然です。アンダー9のチームには、6歳以下の幼児のいたチームもありました。年齢が上だから強いとは限らないそうです。まさにチーム力が問われるスポーツです。

U12で優秀したチームは、女子が多かったのもスポーツ鬼ごっこの特徴を表しているように思います。プレイヤーは「鬼ゴッター」と言います。今日の最優秀選手は昨年に続き女子でした。中学1年生です。技術、チームワーク、そしてリーダーシップの三要素が秀でていることが評価されました。

◆羽崎代表理事のビジョンは「2020オリンピックを超えて」

「鬼ごっこ協会」は、今のスポーツ界の限界を乗り越えていくために「beyond2020」を打ち出しています。羽崎代表理事はスポーツ庁にも日本体育協会にも多くの知人やパイプを持っている方ですが「オリンピックの後をどうしたらいいのかについて、みんな不安を持っています。でも、いい方法が見いだせていません」と話します。

このような草の根的、市民的なものに投資することは、大切なお金の使い方なのですが、そうしたものへの支援が足りないのではないでしょうか。私たちの税金の使い方を勉強する仕組みが欲しいですね。

◆「鬼ごっこのある町ちよだ」の今後について

成田市の後援で、参加者はこんな大きな大会の前日にも関わらず、一保育園の運動会に協力して頂いた羽崎貴雄さんは、今日も昨日と同じように、マイク片手に本部とフィールドを巡って、アナウンスしながら、大会全体の進行をマネジメントしていました。急な変更があると「次の準決勝はBコートで行います」試合が終わると「大きな拍手をお願いします」といった具合です。

羽崎さんとは大会終了後に、「鬼ごっこのある町ちよだ」プロジェクト1年目の展開について、11月に打ち合わせることになりました。年明けに、鬼ごっこのバリエーションを学ぶ研修会を開きます。保育士だけではなく、保護者の方や地域の方も参加できるものにします。

 

「鬼ごっこのある町ちよだ」事業

2019/10/24

園は千代田区と相談して、園の主催事業として「鬼ごっこのある町ちよだ」を行うことになりました。10月26日の運動会は、その1回目のイベントになりました。そこで、運動会では、いろいろな「鬼ごっこ」をやりますので、それに興味のある方は保護者以外の方も見学ができるようにします。また実際に地域の方も参加できる種目も用意しました。お知り合いの方で「鬼ごっこ」の普及に興味のある方に、保護者の皆さんからもお声掛けください。

20191026 鬼ごっこのある町ちよだ(ポスタ)

 

 

ラグビーは究極の鬼ごっこか?間中ムーチョさんと会う

2019/10/22

◆運動会は「鬼ごっこのある町ちよだ」事業のスタート日

今週末26日の運動会は、ラグビー日本代表が準決勝を戦う前日になるので、ラグビーを取り入れようと思っていたのですが、残念ながら南アフリカに負けたのでどうしようかなと思っています。でも子どもたちにも、私のような大人の「にわかラグビーファン」熱が伝わってきており、それらしい遊びをする姿が見られます。先日、いずみこども園の運動会で、千代田区の山内係長と話していたら、「そうか!」と思いました。今後の運動会は、Let’s2020「鬼ごっこのある町ちよだ」事業のスタートアップ行事になるのですが、その話の中で、係長がこうおっしゃたのです。

「ラグビーは究極の、鬼ごっこですよ」

確かにそうですよね。トライを目指してタッチラインめがけて、猛烈に走っていく姿。フェイントをかけてタックルをかわしながらステップを踏むラガーの走りは、鬼からのタッチをくぐり抜けて逃げる子ども、さながらです。もちろんボールやスクラムがあったりと、鬼ごっこにはない要素がかなりありますが、どうも基本となる運動は「鬼ごっこ」なんだなと、納得します。

山内係長には、運動会当日に来てくださいすが、私が「千代田区の公園に行くと、子どもたちが陣取り合戦などの鬼ごっこがいつも見られますね、といわれる町にしたいんです」と伝えると、「サッカーにしても何にしても、鬼ごっこは運動の基本ですからね」と応えてくださりました。

◆即位礼正殿の儀「世界の平和を常に願い、国民に寄り添う」

今日22日は、天皇が「即位礼正殿の儀」で内外に即位を宣言されました。ニュースでは「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら」という「ことば」に注目が集まりました。今ちょうど海外の来賓を迎えた晩餐会が開かれています。明日のバラエティ番組では、どんな料理だったのか想像たくましく伝えられるでしょう。私も非常に興味があって、何を日本の代表的な味として提供するのか、日本人として知りたいからです。多分、どこで取れた食材かは秘密にされるのでしょうね。海幸、山幸の日本では、もったいない情報なのですが。

◆日本の文化を支えている土について

日本の文化は、あまり言われないのですが、私は「土」が色々なことの決め手になっていると考えています。土があるから生態系も成立します。微生物が生きているからこそ、泥ではなく土になります。腐葉土が積み重なった豊かな土が美味しい野菜や果物を育てます。樹木が根を張る土が山を守り、その土が雨水を貯めて天然の貯水湖となり水害を防ぎます。土の質が土器や陶器の質を決め、表土が気温の調節も担ってきました。山の土に含まれる養分が河川を通じて河口に流れ出て魚介類の生態を育みます。これらのどれもが、今、危機に瀕しているのが日本の国土です。どうしましょうか。放射能の汚染までが土に新しい課題をもたらしています。その土が叫んでいる絵本と昨日、出会いました。

◆海老原商店の原画展から

タイトルは『にんげんさまへ』

絵と文は、女性絵本作家の、間中(まなか)ムーチョさん。初めての絵本作品で、今年2019年イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に入選している傑作です。絵本の帯には「おれたち山はにげらんねえぞ どうしたらいいんだべか?」とあります。茨城弁の絵本です。昨日から園のすぐぞばの海老原商店ギャラリーで、この絵本の原画展が開かれています。昨日の夕方、海老原さんが、この絵本を持ってやってこられたので読んだのですが、素晴らしい! 慟哭の絵本! 山の叫びに心が揺さぶられました。

そこで今日の夕方、海老原ギャラリーへ足を運ぶと、なんと間中さんご本人が、読み聞かせてくださいました。なんとも、やさしい口調でした。昨日黙読した時は、男性の叫び声のように想像したのですが、違いました。今度、皆さんに園長解釈の読み聞かせを、コーヒータイムにやってみたいと思います。

「にげられないのは、山だけではねえんだども・・」

発達に必要な子ども同士の体験

2019/10/21

◆お手伝いって、楽しい

10月になって、わいわい組(3歳)とらんらん組(4歳)の子が、ちっち組(0歳)やぐんぐん組(1歳)で一緒に生活する時間が増えています。今日もらんらんのTAくんが夕方、事務室にいる私に「お手伝いしているんだよ」と嬉しそうに教えてくれます。「楽しい?」と聞くと、「うん」と笑顔で答えてくれます。自分でそれを選んで過ごしています。

その様子が、ここ数日、ぐんぐん組(18日素敵な時間)、わらす組(20日自分の生活を作ってみる)、ちっち組(21日お手伝い保育へようこそ)のブログで報告されています。「お手伝い保育」という言葉は、私たち省我会の保育園で古くから使っている言葉です。子どもが先生の保育のお手伝いをしている、という意味ではなく、小さい子どものやりたいことを手伝ってあげるという、「子どもの、子どものための、子どもによるサポート」のことを指します。まさしく子ども同士の関係です。

◆やってもらう、やってあげる

小さい子どもが大きな子どもに「やってもらう」「教えてもらう」「分けてもらう」といったことを「してらもう」わけですが、満1〜2歳と4〜5歳の差があると、その関係が逆転することはまずありません。兄弟関係はだいたいこのくらいの差があることが多いでしょう。子ども同士の関係ですが、同等の関係(水平方向)ではなく、まさしく兄弟姉妹のような関係(上下関係)が生活の中に生まれることになります。

ただ、小林先生が20日のブログで、この活動が「生活を作る」活動になっていることを指摘しているように、この活動は、ちっち組やぐんぐん組での活動とだけとらえるのではなく、園全体から俯瞰すると、自分が過ごしたい場所を選択して過ごすことができる「オープン保育」という保育形態になっていることも見逃せません。

 

また、この活動は21日のちっち組のブログにあるように「年上の子どもたちの姿そのものが、知らず知らずのうちに “成長や学びの『お手伝い』”にもなっている」のです。発達が少し上の子どものやることは、子どもにとっては、やってみたい!と思えるちょうどいい刺激になります。

 

◆発達がちょっと上か下か

この場合、ちょっと上、ちょっと先であること大切で、それ以上の離れた大きな発達の差になってしまうと、小さい子どもにとっては「遠い存在」でしかありません。視野に入ってこないでしょう。

子どもの思いを想像すると<あ、やってみたい。どうやったら、ああなるんだろいう。僕はこうしていたけど、ああしたら、こんなこともできちゃうのか、ああ、やってみたい!>という感じでしょうか。

こうしたことを「異年齢児保育」と呼ぶことがありますが、この言葉は誤解を招きやすいので、あまり使いたくありません。「学年」を跨ぐか跨がないかの違いしかないからです。12ヶ月離れている同学年の4月生まれと3月生まれが一緒にいても「同年齢保育」と呼ばれ、1ヶ月しか離れていない学年の違う3月生まれと4月生まれが一緒にいると「異年齢保育」と呼ばれます。ですから、学年が混ざるか混ざらないかで言い方が変わるような言葉は誤解を生みやすいのです。

 

◆発達が豊かになる関係

そんなことよりも、「発達の差が大きい子ども同士の関係」で起きる関わりや刺激、「発達の差があまりない関係」で起きる関わりや刺激が、どの子にも必要ですね、という話です。それが経験に幅がある生活、豊かな生活に繋がるからです。生活の幅が豊かになるのです。

実生活を考えてみてください。同じ学年だけの人間だけで生活なんかしていません。家族も会社も地域も年齢が異なるのが当たり前です。それが不自然になってしまうのが、日本の学校空間だけです。学年で仕切られます。実は人が何かを学び、それを分かち合い、共有していくことが人間本来の営みです。しかし学校は個人をバラバラにしておいて、しかも、お節介なことに、それぞれの能力を一定の「ものさし」で評価しようとします。産業革命以降に雇用労働者が発明されてから、学校は個人の能力を一元的に測定する役割をもっぱら担うことになってしまいました。

 

◆大人はまだよく知らないかもしれない、子ども同士の関係

お手伝い保育。その名称はともかく、大事なことは、人間は誰でも差別されず持って生まれたかけがえのない生命を発揮しながら生きる権利があること。その人が生きている周りには、多様な人がいるからこそ、その中でそれぞれの人が輝くこと。輝き方はそれぞれでいい。輝く必要もないかもしれない。そいうことが起きているのが、実は子ども同士の関係だということ。大人はまだまだ、子ども同士の関係の面白さを知らないのではないでしょうか。

せいがの森こども園でらんらんが交流体験

2019/10/17

今日10月17日(木)も思い出に残る記念すべき1日になりました。私が3月まで勤めていた八王子市にある「せいがの森こども園」に、らんらん組(年中組)9名全員で行ってきました。姉妹園との初めての交流です。今年は、千代田せいが保育園には年長さんがいないので、主にせいがの森の年長さんと遊んできました。

この姉妹園との交流活動は4月の保護者会などでも「あるといいですね」と保護者の皆さんから期待されていたものです。

バスで1時間以上かかるので、それに慣れるまでにちょっと時間がかかりましたが、それがやっと実現できました。とても意味のある活動になったので、子どもにとってのその意義を中心にお伝えします。ちょっと長くなりますが、気長にお付き合いください。

◆せいがの森で何したい?

せいがの森こども園に行くことは、古野先生がクラスで写真を見せたりして事前に説明していたので、バスの中で古野先生が何をして遊びたいかを一人ずつに聞くと「すべり台」「三輪車」「ブランコ」「ラグビー」など、いろいろな<遊びたい>が元気よく、声になっていました。友だちの意見を聞いて、どれが一つに決められない子は「全部!」という子も(笑)。

◆「どうして森というの?」

私や古野先生が千代田せいが保育園の前まで働いていた園だと説明しましたが、どこまでイメージできているのかは「・・・」です。園の名前に興味を持った子が「どうして森なの?」というので、バスがだんだん近づいていった時に「みてごらん、バスが坂道を登っているのがわかるでしょ。この辺りは昔ね、山だったんだよ。今みたいに家や道路もなくて、木がいっぱいある森のようになっていて、タヌキやイノシシをとるための落とし穴が見つかっているんだ」という古代の話をしました。「だから昔むかし、森だったところだから、せいがの森、っていうの」。

◆バスで1時間15分の旅でした

野猿街道を走るバスが別所1丁目に差し掛かる頃、そのあたりを昔流れていた別所川の源流が「長池」であり、その傍に「せいがの森」(以下、森と略します)はあります。そんな話をしているうちに1時間15分ぐらいで到着しました。今のらんらん組は、これくらいのバス旅行は、「へっちゃら」です。車に酔う子もいません。

ところで森は実際に、多摩ニュータウンの一角にある園なので、最近までタヌキがいたるところにいたのですが、スタジオジブリの高畑監督の映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台になった場所なんです。

◆歓迎レセプションは跳び箱の披露から!

園に着くと「歓迎レセプション」が用意されていました。まず最初が年長さんの跳び箱の披露。台風19号で11月に延期なってしまった運動会で「見てもらいたい」と練習してきたもので、さすが年長さんですね、5段を軽くヒョイと跳び越えていきます。

そして今日のメインの遊びは、森の年長さんと一緒に遊ぶ「鬼ごっこ」のスペシャルバージョンでした。担任の柿澤先生が進行役です。お互いに挨拶をした後、早速ゲーム開始です。

◆ウェルカム・ゲームは「巨人と小人と宝物」

人喰い巨人が「不思議な力を持つダイヤ」を探しにきました。そのダイヤは小人が住んでいる家に隠されています。小人は動いていると巨人に見つかり食べられてしまいます。でも小人は動かないでじっとしていると食べられなくて済みます。

森の子どもたちは、慣れているのでキャッキャ、キャッキャと楽しそうですが、千代田の子たちは、柿澤先生の巨人がちょっと怖くて、古野先生の後ろに隠れてしまいます。そこで本当に怖くならないように、ちょっと「心優しい巨人」バージョンで今日は演じてくれました。

森の子たちは、音楽が止まると、面白い格好をして自ら楽しんでいます。両足を空中に浮かせたまま静止した格好や、走っている格好など、それを楽しんでいます。柿澤先生とは「だるまさんがころんだ」を散々やっているので、「変な格好をして止まる」楽しさを知っているからです。ところで、「だるまさんがころんだ」も鬼ごっこの一種です。鬼がいて、何かをすると捕まる、そして仲間に救出される。これが鬼ごっこ普遍の要素です。

◆この鬼ごっこは、「鬼ごっこ」プラス「ごっこ」

音楽が止まると小人は凍って、巨人に見つからないで済みます。その結果、宝物を手にすることができた小人たちは、ダイヤの宝物が放つ光によって「なりたいものになれる」という遊びに発展していきます。ホールには天井にボーダーライトがあって、赤、緑、青のライトがつきます。そこで宝物が光を出すと「みんな、何になりたい?」という先生の問いに赤は「りんご」、緑は「葉っぱ」、そして青は「海」になりました。それぞれが好きなりんごや葉っぱや海になって体を動かします。ライトの色が変わるたびに、なりたいものをイメージして、なったつもりで体を動かしていきます。

こんなことが楽しめるのは、イマジネーションが豊かで頭と体が分離していない幼児ならではの、発達の特徴であり、かつ「幼児の特権」だと言っていいでしょう。知識がいっぱいの頭でっかちの大人になるとできなくなってしまいます。

◆氷鬼で思いっきり体を動かして遊ぶ

さて、次にやった遊びは「氷鬼」でした。千代田の子と森の子が混ざって2チームに分かれました。だれが鬼をやるのかは、子どもだけで決めます。まず、これがすんなりできるあたりが、森の子たちです。何度もやって遊んでいることがわかります。千代田の子たちは、まだ自分たちで一人の鬼を決めることができません。一人の鬼を決めることができる集団の育ちというものがあるのです。僕がやる、私がやる、と言い張って喧嘩になって始まらないという段階から、やり方を知るとそれに倣ってやっていくうちに、自分の番の必ずくるという経験を経て、その時は待つ、ということができるようになっていきます。

◆氷鬼のルール解説

ところで「鬼ごっこ」は、10月26日の「親子運動遊びの会」でもやるので、ルールをご存じない方のために、少し詳しく「実況中継」しておきます。

鬼が目をつむって10を数え終わると追いかけ始めます。タッチされると氷になるので、そこで凍り、動けなくなります。(ですから本当は「凍り鬼」なんでしょうが、みんな氷鬼と思っていますし、そう書かれていることが多いですね)でも、また友だちにタッチされると溶けて、解放されます。捕まえても、捕まえても、すぐに仲間にタッチしてもらって「救出」されるので、なかなか鬼がみんなを凍らせることはできないのが幼児の氷鬼です。

今日も実際、そうなりました。知恵を使えば、鬼は凍らせた子どものそばにいて、助けにタッチにくる子をタッチしながら氷を増やしていく、といったことをするといいのですが、そうした戦略を思いつきません。今日も最後まで追いかけ回すことが楽しい鬼ごっこでした。

◆鬼ごっこは人生のアレゴリー(寓意)

そのあと、手つなぎ鬼や、ハンカチ落としを楽しみました。これらも「鬼ごっこ」のバリエーションです。ハンカチ落としは運動会でもやる予定です。

鬼ごっこは、人生のアレゴリーではないかとさえ、私は考えています。善と悪があって悪に負けるがまた善に再生する。人間は心の成長に「鬼」を必要とする存在なのでしょう。鬼に魂を食べられないように心を守る強さも必要で、それは克己心と言われているものに近い。そして他人を助けることで鬼に負けない協調性や協力することを学ぶ。鬼ごっこの世界は深いと思います。

◆ゾーン遊び

2階のホールで体を動かして遊んだ後、お昼の時間まで「わらす」のゾーンで過ごしました。制作、絵本、塗り絵、パズル、ごっこなど、好きなゾーンに行って、森のお友だちに使い方を教えてもらいながら遊びました。

◆お昼ご飯を一緒のテーブルで

昼食は森の給食を、森の子どもたちと一緒に食べました。いろんなことが同じです。食べられそうな量をよそってもらう配膳の方法もセミ・バイキングで同じ方法ですし、好きな場所に座って食べる場所選びも同じ。そして今日はお食事の歌は、古野先生のピアノ伴奏で歌いました。お代わりの時間まで待ったり、それぞれ「ごちそうさま」をして終わるのも、千代田と同じです。戸惑うこともなく、森の子どもたちと交じって楽しく、美味しく食べました。

◆午後は、園庭で遊ぶ

森に行ったら、あれをして遊びたい!あんなこともしたい! そう言っていた遊びの時間がきました。午前中は森の子どもたちとの交流でしたが、午後は森の子どもたちは午睡の時間ですから園庭には出ません。千代田の子たちだけが園庭の貸切状態。思う存分、好きなだけ遊ぶことができます。

見ていると、最も人気があったのは三輪車でした。園庭の真ん中には楕円形の芝生があるのですが、その周りを右回りに漕いで回ります。友達と一緒に漕いだり、後ろに友達を乗せたり。かなりの時間を三輪車で遊んでいる子どもが多かったと思います。

そのほかには、バスケットボール、滑り台、揺れる吊り橋、波型遊具、アメンボがいたビオトープ散策、ロープ登りなど、一通り遊んでいました。2時ごろから雨が降ってきたので室内に戻って、早めの「おやつ」(小豆つきカルカン)をいただき、そのあとは、絵本を見たり、お絵かき、紐通し、線路つなぎなどをして遊んでいました。

◆今後も続けたい交流

今回の姉妹園交流をやってみて、まず第一に良かったのは、年長児と触れ合えたことです。千代田のらんらんさんに直接、聞いたわけではありませんが、一年上の「すいすい」の子どもたちのお兄さん、お姉さんに接することができたことは、大きな刺激になったと思います。

跳び箱を軽々と跳びこえたり、鬼ごっこの俊敏な動きを目の当たりにしたり、そんな姿が、私たち大人の目から見えた「年長さん」らしさでしたが、らんらんさんたちにとって、森の「年長さん」はどんな風に映ったでしょうか。色々な、ちょっとした行動や、言葉遣い、振る舞いからも、きっと心にいろんな印象を与えたに違いありません。

◆千代田にはない新鮮味

思いっきり走り回れる園庭。全力を出し切って走っても行き止まり感のない広さ。千代田にはない運動遊具の数々。それらに接した後で、明日以降、らんらんさんは、千代田の環境をどう思うでしょうか。

子どもの感性は、常に前向きです。大人のように振り返ることはしません。目の前のことを、プラスに変えていくような楽観性を、子どもは持っています。何かを子どもと一緒に創り上げていくプロセスが明日から待っています。千代田の環境を好条件に転換させる創意工夫。これを編み出していくチャレンジ精神。私はワクワクしてくるのですが、それを子どもたちと一緒に体験していきたいと思います。

◆次回のお楽しみ

今日は園のそばにある「長池公園」には、雨が降ってきたので行けませんでしたが、また訪問する機会を作りたいものです。

来月はもう一つの新宿の姉妹園、新宿せいが子ども園へいきます。こちらは規模が大きいとはいえ、やはり千代田と同じように基準となる広さの園庭がありません。それでもすぐ隣に「おとめ山公園」という、新宿区屈指の自然の多い公園があります。また別の体験ができます。こちらも楽しみです。

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