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園長の日記

なわとびは体育、算数、音楽、国語のはじまり

2025/09/03

いま幼児クラスで縄跳びが大変流行っているのですが、その様子をみていると、総合的な学びだな、と思えます。小学校の教科学習のはじまり、として捉えてみると、体育、算数、音楽、国語の「はじまり」が入っています。体育はわかりやすいと思います。跳躍力、体幹の強化、リズムにあった体の動き、手足の協応運動・・などが育ちます。

算数は、数を数えることをカウンティングといいます。縄跳びは、跳ぶたびに一枚、に〜い枚、と数えていきます。その度に数唱(数を唱えること)を自然と覚えています。ひゃくいち、ひゃくに・・と100を超えて数えることも多くなりました。

また掲示することで、そこに数字が書かれています。その数字をよむという体験にもなっています。

音楽は「郵便屋さん、落とし物、人〜つあげましょ・・」とわらべ歌を歌いながら遊ぶので、音楽にもなっています。みていると国語にもなっているのは、言葉のやり取りがいろいろと起きているからです。どうやったらうまく跳べるようになるのか、こうしてみるとか、こういうふうに回してとか、友達同士の会話も盛んです。

自立に向かう援助とは何か?

2025/09/02

自立に向けてどう援助するのか?保育の核にこれがあります。大人がやってあげるわけでも、子どもにやらせるわけでもなく、子どもが自らやっていくこと。この違いの理解が保育の出発点になります。

この違いを確認したくて、保育ボランティアの高校生にも、昨日から来ている大学の実習生にも、同じテーマについて語りました。もちろん話し方はちがうのですが、趣旨は同じです。

私たちは子どものためと思って一生懸命になればなるほど、つい「やってあげたり」「やらせたり」することに傾きがちです。そんなことを思っていたら、まったく偶然ですが、主任が全職員に、次のような文章を投げかけました。

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理事長の藤森先生が話されていたエピソードを思い返す機会がありました。改めて先生方と共有し、私たちが大切にしたい保育の視点としてお伝えします。

「やってあげるから見守る育児へ」という本にも書かれていますが、保育者は子どものために良かれと思って“やってあげる”ことがあります。それ自体は大切な行為ですが、一方で、子ども自身が自ら気づき、考え、行動する経験は、自立への重要なステップです。

少子化により大人の目が届きやすくなっている今、「丁寧さ」が「大人が先回りしてやってあげること」にすり替わってしまうことが少なくありません。

<具体的な保育場面の例順番の場面>並んでいるときに、ある子が順番を抜かしてしまったとします。保育者はつい「順番抜かさないでね」と声をかけがちですが、よく見ると、抜かされた子は特に気にしていなかったり、「別に入ってもいいや」と思っていることがあります。子ども自身が嫌だと感じたなら、そのときに「やめて」と自分で伝えることが大切ではないか。もちろん、うまく伝えられずに泣き出してしまったときには、そこで初めて保育者が援助する。この“待つ姿勢”について1つの選択肢に入れるのはどうでしょうか。

<集まりの場面>朝の会や集まりのときに、先生が話している中で、友達同士で話をしている子がいて「聞きづらい」と感じる子がいるかもしれない場面で、私たちはつい「静かにしようか」「お友達が聞こえないよ」と言ってしまいがちです。しかし、本当に聞きづらいと感じているのは誰か? それは聞いている子どもたち自身です。その子たちが「聞こえないよ」と自分で友達に言えることが大切であり、保育者が「お話が聞こえないと思ったら、そうやってお友達に伝えていいんだよ」と声をかけることで、子どもが自分の意思を伝える機会が経験できるのではないでしょうか。

このように、大人がすぐに介入することが「親切」や「丁寧」ではない場面もあるのです。あえて関わらない、あえて見守るという選択が、子ども同士の関係を豊かに育てる土壌となります。

今日の保育を振り返る中で、このような場面に出会った方もいるかもしれません。ぜひ、日々の実践のヒントとして心に留めてみてください。

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このような視点を大切にしています。ご家庭でもこれを大切にしてみませんか?

防災の日の給食は?

2025/09/01

今日は全国的に防災の日ですが、保育園の食事は一部に「防災食」を取り入れました。

電気ガス水道が止まっても3日間は園生活ができるように食べ物や水を保存してあるのですが、その食べ物を「防災食」として普段から食べて味に慣れておくようにしています。今日は昼食に「牛のしぐれ煮」と午後の間食(おやつに)に、米粉のクッキー(いちご味)を食べました。美味しいと好評でした。

こうした保存食、昔に比べると技術の進歩もあるのか、とても美味しいです。昔のように水とカンパンという時代は終わっています。3食3日分はできるだけ普段と変わらないレベルの食事ができるように、いろいろなレトルトや缶詰、保存食が開発されており、普段の食事に取り入れても遜色ないものが増えました。

こうして保存食を給食で試食しておくことで、いざとなった時も「あれなら食べられる」という安心感と見通しをもって食事を迎えることができると考えています。

野菜の販売:9月10日(水)「 かぼちゃ&なし」 *予約は9月5日(金)まで

2025/08/28

愛知・西尾市の「坊ちゃんカボチャ」と同じく豊橋市の梨「新高(にいたか)」のセットで850円。

PayPay購入は氏名確認のため当日、保育園でお願いします。

急に来れなくなったきはご連絡ください。保育園で保管しておきます。

*ちなみに同じ日の9月10日(水)は、フードコートの日です。

子どもたちとっての知識とは何か?

2025/08/26

現在のような情報化社会になると、インターネットなどで知識は覚えなくてもすぐに手入るから、ただ知識を答えるための教育は変えなければならない、という主張をよく耳にするようになりました。ここでいう知識というのは、どうも、一旦加工処理された知識を指しているようです。

本やデジタル書籍など書き言葉や図や絵になったもの、紙の楽譜やレコーディングされたもの、そうしたいわば情報化されたもの全般を指しているようです。そうしたメディア化された情報としての知識は、確かに手に入りやすくなり、それを覚えておくような意味での「知識」はすぐに手に入るということはよくわかります。生成AIが生活の伴侶のようになってきた現在、知らないことは聞けば教えてくれます。

しかし日々子どもと接していると、それは非常に限られた情報としての知識にすぎない、ということがすぐにわかります。赤ちゃんから年長さんまで、ものを手に取って触り、時には口に入れたり、積み木を積んだり、絵や文字をかいたり、体を動かし跳んだり跳ねたり、友達と一緒にゲームとしたり何かを作り上げたり、公園や林で虫や草花に触れてみたり。

そうした体験からえるものは、すべて「知識」でもあるのです。身体の知覚と行為が盛んに行われている限り、そこには名付けられていない営みが厳然と起こっており、そこにはまだ名付けられていない「知識」が躍動しています。

それは子どもたちの遊びのプロセスをよく観察してみるとわかります。私たちが機能や目的や意味を見出して命名すると、まだ名付けられていなかった、つまり隠れていた情報から「知識」が生成しているという見方だってできるからです。公園である虫をみつけました。名前は分かりません。図鑑で調べてみました。すると「ハナムグリ」の仲間らしいということが「わかり」ます。

では、この体験のプロセスの、どこから「知識」というものが成立したということになるのでしょうか?まだはっきりと分類されていない新しい昆虫を発見したとしたら、それは名前がまだはっきりししないから、正しい知識ではない、などということはないでしょう。もしそうなら、それなら発明や発見は知識ではないことになってしまいます。

虫ではなくて、色水遊びの色だったらどうでしょうか?子どもたちは赤、とか青とかいいますが、どんな場合でも、ある二つが全く同じ色なんてありません。微妙に違うはずです。和名の色は自然からとった命名法によって、実にさまざまな色の名前をもっています。すると分類によって知識の量が変わってしまいます。それと同じことが細分化された学問や研究の知識は、だれも全体が見えないほど膨らんでしまいました。誰が知の巨人だかわかりません。きっとそいういう知識ならAGIがそうなるでしょう。

要するに五感をフルに使った体験がまずは非常に大切で、生きるために不可欠な体験をたくさんすることです。

(以下は保育士等の専門家向けの話です。)

それでは知識というのは言葉のような表象記号、コーディングされたものをさすのではなくて、保育にける知識とは身体的接地がある情報を大切にしているように思えます。その受け取っている経験をいかに大切にしていくか。それがいかに「資質・能力」の循環として、生成しているか。またそれが生きる力になっているか。そのなかで動いているものの一面が知識と呼んでいるものでもある、ということでしょう。

もっと言うと「知識」に限らず、資質・能力の説明の中に出てくるキーワードは、全てそうした経験の1部として動いているときに、初めて意味をなすようなものなのでしょう。この事は「子どもの姿」と言う表現になっていることとも関係があるはずです。

 

子どもの気持ちに気づくことで見えてくる援助内容

2025/08/21

先生に伝える用事があって3階にいくと、階段からすぐの棚に年長のSくんがいて、私に虫かごに入っているカブトムシの幼虫を見せてくれました。「ほら、ここにいるんだよ」と。そして何か書いて紙(なんと書いてあるか分からなかったのですが)を、彼がその虫かごの前に付けようとしているのですが、すぐに下に落ちてしまいます。そこで「こうたたら落ちないよ」と、紙の淵を折り曲げたりして、棚に紙が立つようにしてあげました。

私は用事を済ませるために、その場を離れたのですが、あとでよく考えると「あの紙はなんのためのものだったんだろう」と、ふと疑問が湧いてきました。そしてその目的を彼に聞きてから、そのうえで「どうやったら落ちないようにできるか」を彼と話し合いながらやればよかったかもしれないな、と思い返したのです。

そして虫を「愛している」彼の気持ちを想像して、もしかしたらこう閃いたのです。彼は虫が大好きだから、その紙の目的は、カブトムシの幼虫を守るために、ここには幼虫がいるから、触ったり乱暴にしたりしないでね」というような「幼虫を守りたい」といった気持ちに似たもものがあったんじゃないか?と思えたのです。わざわざ紙に何かを文字を書いて、そこに置いておこうとするわけですから、何かのメッセージを伝えたかったに違いない、と。

その話を主任にしたところ、実は彼が「カブトムシを家で育てたい」というので、たくさんいる幼虫の中から主任が虫かごに入れてあげた、というのです。その経緯を聞いて、そうか!いえにもってかえるものだから、自分が家に帰るまで、大切にしておきたいという気持ちからだったのだろうと合点がいったのです。

そうすると私がこう思い直しました。あのとき落ちてしまう紙を立てるようにすることをこえて、どうやったら夕方まで安全にこれを守っていられるか、彼とその話をすればよかったなあ、と。もしかしたら、他のお友達がそれと分かるような表示の仕方を工夫してみるかもしれないし、お集まりのときにそれを話題にすることになったかもしれません。

保育者が子どもの気持ちに気づくこと。一体どうしたいんだろう?その行動の意味はどういうことなんだろう?というように、想像逞しく子どもの心持ちや意図や願いなどに気づくこと。そして「そうか!」と分かってみると、やってあげたいことや、次の環境の再構成の内容や、新たな足場かけの方法が変わってくるのだろうと思えます。

この子ども理解があると、学びのプロセスをのなかでの援助が何か明確になっていくように思えます。

ツルツルとギザギザの順番で変わるリリース速度 (カ 思考力の芽生え)

2025/08/19

年長のすいすい組にもなると、次のような推論ができるようになるんだな、と感心しました。今日はこんな実験を私と楽しんだのです。坂道をつくることができるキットがあります。坂道の高い方から車を滑らせて、どのくらい遠くまで走っても止まるかと調べます。傾きを変えて調べました。坂道が急なほど、遠くまで車は走ります。

また坂道は表がツルツルで、裏がキザギザです。車はツルツルの方が滑り落ちるスピードが早く、車は遠くまで走りました。そういうことを色々試したあとで、坂道を2枚つないでみたのです。長さが2倍です。スピードも1枚のときよりも早くなりました。ところで、みなさんにクイズです。2枚の坂道の繋ぎ方の順番で、速さは変わると思いますか?2枚の坂道を、高い方から低い方へギザキザ+ツルツルと繋いだ場合と、ツルツル+ギザギザと繋いだ場合、どちらが車のスピードは速いと思いますか?

試してみると、ギザギザ+ツルツルの方でした。そして私が感心したのは「どうしてだと思う?」と質問すると、その理由を説明してくれたことです。子どもの言葉をそのまま再現できませんが、ギザギザから次に早くなるからだ、というようなことを力強く説明してくれたのでした。

9月から保育料が2歳児クラス以下の第1子も無料に

2025/08/12

千代田区から本日12日、保育料が無料になるお知らせが届きました。

現在、保育料は3歳児クラス以上と第2子以降の子ども無償ですが、東京都は9月から第一子から無償になります。ただし延長保育料は除きます。無償化の手続きはなにもいりません。これまでの保育料決定通知はなくなります。

20250812 基本保育料の無償化について

 

すいすい組の当番活動はじまる〜小学校の班活動へ〜

2025/08/07

昨日6日(水)から、昼食のときの「当番活動」が始まりました。小学校の班活動と同じです。11人のすいすい組は、ちょうど馬場のぼるの絵本「11ぴきのねこ」シリーズのように、仲良くいろんなことができるようになりました。正式なクラス名は「なんでもしよう すいすいくみ」です。昼食の当番活動というのは、配膳のお手伝いです。ご存知のように、当園の配膳スタイルは、東京都から「偏食予防の理にかなっている、東京都に広めたい」と称揚され、都知事賞を受賞しているものです。

そのポイントは、自分で自分の食べられそうな量を「自己決定する」ということです。どれくらい食べたれそうかな?ということを自分で決めます。味がわからないときは「味見」もします。その上で、どれくらい食べられそうかを自分で決めるのです。ただ、全く食べないということも例外的に認められます。どうしても無理、ということもあるからです。

もう一つ大切にしているのは、ホテルなどのバイキングのように、好きなものを勝手になんでも取っていいというのではありません。かならず量を言って、他人によそってもらうのです。そこで「セミ・バイキング」と呼んでいます。そのとき、必ず「発言」があります。ふつう、ちょっと、いっぱい、などと自分の意思を伝えます。自分の考えを伝えること、口にしてみること。これが毎日必ず最低1回は、この場面で生じます。自分で考える、思い巡らすということが起きます。それを言葉で表現するという機会にもなります。やりとり、コミュニケーションが発生します。

これはにこにこ組、場合によっては、ぐんぐんでもやっています。先生を相手にしながら、自分の意見や思いをちゃんと伝えていくということです。このやり取りの中で、気持ちと言葉のつながりも体験していきます。

ささやかなことのように見えますが、これが自分に関係することに自分で影響を与えることができるという人権の基本形がここにあるのです。ささやかなことだからこそ、大切にさなければ、大きなことにコミットする力に育たないかもしれません。人権が保障されるというのは、本人の意向や意思や無意識の思いも含めたことがら(子どもの権利条約の意見という言葉は、もともと「view」です。意見と訳されていますが、本来は思いや意向です)が「自己発揮」できるということです。

そういう大切な機会を担うのが当番活動にもなっています。

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