私たちは国が定めた幼稚園教育要領や保育所保育指針という、いわばガイドラインに元づいて保育をしています。そのなかで、大切にされてきた特徴は「心を育てる」ということです。要領や指針ではそれを「心情」と呼んでいますが、そのなかでも「意欲」は特別なもので、行動を促すとともに自分の心の姿勢「態度」を育てていく原動力になります。

今日は千葉県のN市の園長会から来られた園長先生たちとその話になりました。例え話としてよく使うのが「ごめんね」とか「ありがとう」です。子どもが何か人に迷惑をかけたりしたら「ごめんね、しようね」とか「ごめんねは?」といいます。
ごめんね、と言えるようになることは素晴らしいことなのですが、勘違いしてはいけないのは、ただ口で「ごめん」と言えるようになることだけを求めて、それでよし、としてしまうとき、その気持ちがないのに、「ごめんといえさえすれば、許してもらえる」と勘違いしてしまうことです。
こうなると、唱えさえすれば許してもらえる魔法の言葉「ごめん」になってしまいます。
ただ口先でごめん、と言われると、言われ方は「いいよ」と許してあげる気になれません。私が実際に昔見かけた光景ですが、その子は「ごめん、ごめん」を何度もいうのですが、なかなかいいよと許してもらえません。すると終いには「なんでいいよって、いってくれないんだ」と逆ギレしていました(笑)
私たちは「ああ、わるかったなあ」という気持ちが湧き起こる内面の育ちを重視します。たとえ口で「ごめん」といえなくても、心で「僕もちょっと悪かったなあ」と感じているなら、そこを私たちも感じ取って「そうだよね、◯◯ちゃんも、ごめん、って思っているよね」と共感してあげるようにしています。子どもは自分が好きな人に自分の気持ちが「わかってもらえた」と思うと、素直にうれしくて、自分から「さっきは、ごめん」と言えたりするのです。
この心情=わるかったなあ、が先にあって、なんとか相手に自分から言おうとする意欲が生じ、それが結果的に心の動きとしての謝罪(というと大袈裟ですが)の気持ちが態度となって現れてくるのです。それが私たちが大事にしている、心の育ちです。
























































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