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2020年 6月

6月の第3週を振り返ると・・

2020/06/21

「今週は園が再開してから3週目になるので、休園前の課題がはっきりとしてくる時期になります。成長している面もあれば、引き続き支えていくことが必要な面を思い出して確認していくようにしてください」。15日(月)の朝会でそんな話をした1週間が過ぎましたが、子どもたちの姿の中に、休園前の育ちのテーマが見えてきた1週間になりました。子ども同士の関係の中で育つものは、「育つ」からには、その前の姿と後の姿があるわけで、その前の姿は、休園期間にフリーズしていたような状態になります。この2週間はいわば「解凍」してきたわけで、解けて現れ始めた姿がその子らしさでもあります。家庭での姿と園での姿は違っていて、それでいてどちらも真実なので、その2つの姿の意味を個人面談などで話し合っていきましょう。

社会の中で意思決定できる力を育てる

2020/06/20

6月からの園再開から3週間が経ちます。新しい生活様式の中での保育を考えるとき、子ども同士の関係が分断されないかと心配でしたが、乳幼児の感染リスクが少ないことがわかって、これまで大切にしてきた保育スタイルを大きく変更することなく、継続できることにほっとしています。写真は、幼児クラスで、朝、何をして過ごそうかな?と遊びのゾーンを選んでいるところですが、「何もしなくない」というのを「選ぶ」こともできます。あるいは、既存のゾーンだけでは収まらない活動ももちろんあるので、そういう発展的な活動を提案してくる子供もいます。そうした主張は意思決定力であり、他者との関わりのなかで育っていく大切な能力です。

当園の保育方針は「自分らしく意欲的で思いやりのある子ども」です。前半の「自分らしく意欲的で」というのは自由意志を育むテーマであるともいえます。また後半の「思いやりのある」というのは責任のテーマでもあります。その営みは、数日前の日記でお伝えしたように、赤ちゃんの頃から自由な選択行動や他者への配慮が見られます。このような関係発達が人の発達の基盤にあることをいかに守り抜くか、それがこれからの「新しい生活様式」の中での、日本の保育界、教育界の大きな課題だと考えています。

数日前の日記で、意識していないのに思わず真似をしながら遊んでいる中で、周りの文化を取り入れているものがあることを書きました。何でもやりたがる「自分で」という意志が強まる2歳ごろ、そして「僕はね」「私がね」と一人称を使い始め、自意識がはっきりしていく幼児の頃、そして小学生、中学生となっていく過程で、もう一度自分のアイデンティティーを確立しようとする時期がきます。思春期です。その頃の基盤が乳幼児の時期の経験が大切だということは、発達を学ぶと必ず出てくるものです。

教育や保育の勉強すると、最初の頃に「発達の意味」を考える科目と出合います。成長とか発達には、どんな価値があるかというテーマです。発達に良いとか悪いとかがあるのか。何を持ってそう判断できるのか。かなり重いテーマです。ですから議論はすぐに教育哲学のテーマになります。その中で必ず検討することになるのが、「自由」をめぐる価値判断です。簡単にいうと「赤ちゃんは自由が不自由か?あなたはどう思うか?」というものです。

人はどんな生き方をしても、それは確かに自由なのですが、自由の一般的な定義は、自分の意思でそれを決める、という自己決定の原理です。哲学の議論を遡ると、自由に決めたと本人が思っていても、それは生理的・社会的な欲求に突き動かされているだけであり、決して自分で決めたのではないのではないか、という決定論を乗り越えてきた歴史があります。したがって赤ちゃんは幼少の頃はまだ自分が本当に望んでいることを自由に決定しているのではないから、大人に比べて自由が少ないと考えられています。

そうだとしたら、いつ頃から「自分で決めること」が「自由に生きること」と一致してくるのでしょうか。それは「望ましいことを選べる自由選択の力」を獲得できるまでです。その社会が求めてきます。いわゆる「人に迷惑をかけないことを判断できる力」です。よく自由と責任の話になります。その発達の境目が「子ども」と「大人」の違いだとすると、児童福祉法は18歳ですし、選挙権を持つのも18歳になりました。自分がとった行動に社会的責任が発生するという形で、民主主義社会の法治国家は、そのバランスに一貫性を持たせています。

しかし、大人になって、その自由意思に基づいて行動していると本人も思っていても、実は幼少の頃の経験が、その後の可能性に大きな制約をもたらしていることも事実なのです。保育は子どもが大人になっていくスタート時点に関わるので、その子どもに待っている潜在的な力が十分に発揮できるような環境にしておくことを、私たちは意識して大切にしています。

保育の質を高める場所は感覚の入り口に

2020/06/19


年度の初めには、新しく園生活を始める方のために当園での生活や保育の方針を説明するようにしているのですが、今年はその話をする機会が6月になってしまいましたね。子どもたちの健康状態は17日(水)の全園児健康診断で問題がないことがわかりました。健康診断は国の基準によって実施が義務化されていて、日本の認可保育園はそれを実施しなければなりません。親が自分の子どもは健康だと思っていても、医師が見れば異常が見つかることがよくあるからです。定期的な健診は子どもにとっては、とても大事です。

長い閉園で子どもたちの心身の状態が心配でしたが、夏の水遊びを前に、予めその状態を確認することができました。ちなみに新型コロナウイルスは塩素に弱いので、プールの中で感染することはありません。毎年のことですが、水に触れたり紫外線に当たることが多い夏は、それへの配慮も大切です。当園はプールを使いますが、水泳をするつもりはありません。あくまでも暑い夏をいかに涼しく過ごすか、「涼を取る」という意味が大きいのです。水との上手な付き合い方や水の特性を知ることです。

昨日18日(木)は、避難訓練も行い、神田川の向かいの「佐久間橋児童遊園」まで避難の練習をしました。東京都は避難訓練と消火訓練を毎月実施しなければなりません。避難訓練は地震と火災によって避難パターンを変えています。いずれにしても火災が発生して避難する想定なのですが、身の安全を確保する行動に普段から慣れておくことが、いざというときに不要に怖がったり慌てたりしないですみます。避難階段を普段から使うことも重要な生活の一部です。

今日19日(金)は6月の誕生会でした。2階と3階のフロアを使って開催しました。2階のダイニングエリアを誕生会のメイン会場にして、今回はわいわい組が3階にいて参加しました。参観を希望される方はお申し出ください。ただし、新型コロナウイルス対策として、保育園内への参加は、普段一緒に家庭で生活しているご家族の方だけにしていただいています。

午後からは、子どもの咀嚼を研究されている管理栄養士の方と、離乳後の1歳半から3歳ごろまでの時期の「食育」の大切さを確認しました。どんな食材や調理方法、食べ方などが好ましいのか、その研究に協力することにしました。咀嚼というと、いかにもピンポイントなテーマのように思われがちですが、口腔での舌、上顎、下顎、まだ歯がない歯槽底の刺激、など色々な動きができるようになっておくことがとても大事です。その発達にも敏感期があることがわかっています。その時期の「咀嚼力」は、その後の食の基盤になってくる大切ものなのです。また子どもによって、感覚器の感受性は大きく異なります。見ること、聞くこと、味わうこと、匂うこと、触ることにも敏感な子から鈍感な子まで、色々です。咀嚼は口腔内の運動と言われるように、見ること以外の感覚が総動員されています。ただ味の問題だけではありません。その体験の質を向上させてあげるための環境とは何か、働きかけはどうしたらいいか、そこが保育の質になります。

日本語と中国語の架け橋役に

2020/06/18

今日18日(木)は入園先を選んでいる見学者を案内しながら、保育方針を説明しました。子どもは一人ひとりが違うこと、それによって過ごし方が違うこと、赤ちゃんから選べる力があること、だからこそ選べる選択肢が見えるようになっている環境が大事なこと、そして子ども同士の関係の中で自分を形作っていくことが自立の過程であることなどを、実際の子どもの姿で説明しました。

午後からは中国語と日本語を話すことができる方に来ていただき打ち合わせました。符(ふ)さんという女性です。4月と5月に中国人の年長さんが入園したからです。日本語から中国語へ、中国語から日本語へ、言葉の壁を低くして子ども同士の意思疎通をスムーズにしていただくことが目的です。わいわい、らんんらん、すいすいの子どもたちにとっても「中国語」を身近な言葉として慣れ親しんでもらえたいいですね。さっそく来週から週1〜2回ぐらい、定期的に保育園で生活してもらうことになりそうです。

ああ、それでも学びは続く・・

2020/06/17

(16日のバス遠足の出発。バスに乗り込むすいすいさんたちを「みんな〜」と叫んでいた、わい・らんの子どもたち。いつも一緒に生活している異年齢集団の良さを垣間見た瞬間でもあります)

今週末からいよいよ地域間の移動が緩和される見通しとなってきたタイミングで、政府の抗体検査で東京の場合は約1000人に一人が新型コロナウイルスにかかっていたことになる結果が16日(火)公表されました。これにどう反応したらいいものなのか、世の中は、すでに「感染者数は意味がない」ことをすっかり学習してしまっていることを証明しているかのように見えます。症状が出ているのか、重症かどうか、そうした判断ができて、きちんと治療できればいいというコンセンサスが見事に出来上がっていたというような、なんとも政府に都合のいいタイミングの中で国会も閉じました。よくできた台本があるのでしょうか。それとも本当にこれは偶然なのでしょうか。人間と自然(ウイルス)の関係ですから、全部シナリオ通りということではあり得ませんが。それにしても、都合のいい展開なので、不都合な真実を探したくなりますね。

その昨日の午後、ちよだリバーサイドプロジェクトの岡田さんと石渡さんが保育園にいらして、今後の打ち合わせをしました。こうした話し合いが再開したのもの、自粛にひとまず区切りが付いたという象徴かのようです。結論から申し上げると、この夏、屋形船に乗りましょう!という提案をいただきました。東京オリパラの延期で、頓挫してしまったイベントもあるのですが、改めてこの地域も確実に動き出しました。そして今日17日は海老原商店の海老原さんとも、来年に延期になった東京トリエンナーレで、柳原通りでの企画についても情報交換できました。保護者の皆さんとも、親子で参加できる楽しい企画を考えましょう。

さて、今日の考察はなぜ、人は模倣するのか?という古くからあり、いまだに結論の出ていない(一定の解釈はもちろんありますが)テーマについてです。子どもたちは、赤ちゃんの頃から真似をしながら育ちます。運動ゾーンの緑色の折り畳みマットが、バスになったり、バイクになったり、色々なものに「なれる」のは、子どもの方にそのイメージがあるからですが、実際に体験したものではなくても、その「つもり」になれる能力は、計り知れないポテンシャルを発揮するものです。

子どもたちはバスには実際に乗ったことがあるから再現模倣なのですが、バイクに乗ったことはないはずで、自転車かテレビなどの映像で見たか、そうした擬似体験のはずなのですが、それでも真似て取り入れてしまうのは、動物も持っているミラーニューロンの仕組みで、脳科学的には説明されています。ごっこ遊びとつもり遊びの違いは、リアルな経験の再現遊びなのか、それとも「お母さん」「お医者さん」「お巡りさん」など、その人や動物などに「なったつもり」になるという模倣なのか、かなり違う模倣なのだということです。

この違いがあまり関係がないように、軽々とイメージの世界の中を行き来できるのが子どもの遊びの世界というものであり、こんなに夢中になって、やすやすと1時間も2時間も、飽くことなく遊び続けることができるのは「間違いなく」発達上の意味があるのです。この謎は、子どもといると切実な問いとなってきます。疲れることを知らないこの魅力。今朝もH君に「園長先生、一緒にごっこ遊びしよう」と誘われました。子どもがある事柄を繰り返し行うことに出会ったら、こう考えてあげてください。今このことを通じて、この子は大切な何かを身につけているのだと。繰り返しの中でその子が使っている力は、使うことで伸びているのだと。

その力をどの視点で切り取ってみる(評価)するかは、切り取りたい視点、大人の価値観の世界の反映になっているので、つまり大人にとっての「都合のいい事実」が見えてくるような仕掛けになっているのだと心得ておきましょう。五領域もそうなっています。相対的な物差しなのです。ですから、仮に真似をしている内容が、バスやバイクやお母さんやお父さんなら「微笑ましい」のですが、テロ組織の子どもたちは「戦士」や「自爆テロ」のごっこ遊びをしているのです。そこには悪者は容赦無く罰しようという価値が何の疑いもなく模倣されています。

こう考えた時、私たちは本当に「真似されていいことをしているか」と自問せざるをえません。テロ組織ならわかりやすく否定できますが、正しいことだけ押し付けてくる大人の欺瞞を感じることができる思春期になると、それへの反発から暴力や薬物なのどの反社会的な行為に走る姿を「かっこいい」として、疎外感を持った若者がそれを模倣してく姿を、私は数限りなく見てきました。

その区別は何でしょうか。鯨岡俊は「悪への魅力に取り憑かれそうになったとき、そこに引き込まれることを自ら防ぐもっとも強い力は、社会的規範の力であるよりは、自分が自分らしくあることのへの自信と自分らしさを壊さない自分へのプライドではないだろうか」と書いています。引用はこう続きます。

「実際、自己の自信と尊厳が何かの理由で壊れかけたときこそ、悪事や不良行為への誘惑に惹かれ、そこに陥落するときである。そこから翻って考えれば、幼少の頃から、周囲の大人の丁寧な養護的な対応を基礎に、やはり自分への自信と周囲への信頼を培い、尊厳のある生き方をしている大人を周囲にみて、そこに学びを見いだすことが、負の学びに引き込まれない最良の道だと言えるだろう」

人は学ぼうと思えば、何からでも学ぶことができる(村上春樹)。ただ、気をつけたいのは、学ぼうと思っていないのに、もう学んでしまっていることだってあることだ。「感染者数に意味はない」って、本当だろうか?

 

真剣で愉快なメリーゴーラウンドの世界

2020/06/16

今年度初めてのバス遠足。すいすい組10名で木場公園へ出かけました。といっても私は今日は園内でお留守番。午前中は運動ゾーンで子どもたちと一緒に、たっぷりと体を動かして遊びました。遊んだのはもちろん子どもたちですが、その生き生きとした全身の動きの中に、子どもは「子どもたち」であることに本質があると改めて感じました。人間というものは本来、「集団の中で輝く個人」であるということを、大人よりもはっきりとわかりやすく表してくれるのが子どもです。社会的存在である人間は、身近な人に親しみ、支え合って生活するために、自立心をもって人とかかわります。その原型を今日は、わいわい、らんらんの子どもたちが、運動遊びの中で、いっぱい見せてくれました。

千代田メリーゴーラウンドは、船や自動車や飛行機やエレベーターになったのですが、想像の世界はどこまでも広く、ようちゃんのおうちまで飛んで行ったり、群馬県まで走って行ったり、12階の自宅にちょっと寄ってみたり、途中で夢の中に迷って眠り込んでみたりと、子どものたちが生み出す即興の演出は独創的でありながら、そうじゃないとちゃんと修正したり、そっちよりもこっち、と予定を変更したりと、とってもリアルな感じでありながら、すぐに意気投合する気前の良さをはっきし合っていました。そうそう、これが真剣な遊びというものだと、納得したのでした。

見守る優しさを物語る右手の指の「コンコン」

2020/06/15

赤ちゃんは1歳7か月にもなると、こんな気遣いができるのかと、感動した15日(月)の朝。お集まりで先生が一人ひとりの名前を呼んでいると、Yちゃんはサッと手をあげてにっこり。その直後、右隣に座っていた1歳4か月のMちゃんの名前が呼ばれました。するとYちゃんは「ほら、名前を呼ばれたよ、手をあげたら」とばかりにMちゃんの腕を上げさせよとします。しかしMちゃんは、その気がないようなので、促されません。Yちゃんは、せっかく教えてあげているのに、手をあげようとしないMちゃんの左手をそっと離し、でも離した手の指だけは、Mちゃんの手の甲を優しくちょんちょんと触っていて、まるでその手が見守ってあげているような仕草なのです。言葉だけで説明するのは難しいのですが、その仕草の優しいこと。ああ、こんな風に人の気持ちというのは伝わっていくのだなあ、と感心しました。わらすのブログに心の窓の話が出ていましたが、心が通うというのは、たった右手1つの動きの中ででも饒舌に物語ることができるということに気付かされたのでした。

アクティブラーニングのためのオンライン保育を

2020/06/14

今日6月14日(日)は、オンラインWEB会議が開かれました。ある公益社団法人の評議委員会です。いろいろな組織で、このようなWEB会議が増えています。小中高校のオンライン授業、大学での遠隔授業、私も実際に参加してみると、話している相手の顔と声はよく聞こえて、広い会場や教室に多数集まってもらい話をしていた時よりも、返ってよく聞こえたり、表情も細かいところまでわかったりして、また話も効率よく進むように感じます。司会進行役を起点に、そこから放射状に集まる会議の形式になります。したがって、これまで私が参加した限りですが、オンラインWEB会議の欠点は、参加者相互の横のコミュニケーションがとりにくいということかもしれません。まだ参加者が慣れていないからなのですが、参加者からは「話題の中に途中で入り込みにくい」という感想も聞かれました。オンライン授業は、どちらかというと一斉授業が多くなってしまうかもしれません。当事者が主体となった学びを進めるために、児童や生徒の「アクティブラーニング」をどのようにオンラインと組み合わせるか。大学の遠隔授業では、文部科学省から学生同士の意見交流が求められています。9日の会議では、保育園では園児がタブレットを活用した調べ学習や意見交流をやってみようということになりました。八王子や新宿との交流がオンラインでできるからです。東京の感染者が増えないか心配ですが、新しい生活、新しい保育にはアイデアが必要です。写真は、できるだけ密集したお集まりを避けるために、2階と3階に別れて開いた「誕生日会」です。できなかった4月生まれ、5月生まれのお祝いを、2日に分けて開きました。

子どもにあまり感染しないわけ

2020/06/13

ずっと疑問に思っていたことが、科学者の協働作業で分かり始めました。なぜ子どもは新型コロナウイルスにかからないのかというメカニズムです。有力な仮説が見つかりました。それは小児の細胞には新型コロナウイルスの受容体が少ないからではないかという、至ってシンプルな発見です。東京大学医科学研究所(アジア感染症研究拠点)の論文から、その図を借りて説明すると、新型コロナウイルスが人の細胞に侵入して初めて感染が成立しますが、侵入するためには、新型コロナウイルスの外側に飛び出ているスパイクタンパク質(Sタンパク質)が、人の細胞の側にある受容体と結合する必要があります。その受容体はアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)というエンザイム(酵素)なのですが、それが小児には少ないそうです。

 

長崎大学医学部小児科教授で日本小児科学会理事の森内浩幸医師は、「子どもは大人に比べ、ACE2の発現が少ないことがわかっています。つまり、そもそもの受容体が少ないため、ウイルスがあまり増殖しないのではないかと考えられるのです」(今週号の週刊文春「知っておくべきコロナ最新常識」)で述べています。子どもと言うのは、何歳ぐらいまでなのでしょう。国内の二十歳未満に死亡例はなく、重症化した例も少ない。森内医師は、子どもにとって新型コロナは風邪と同程度の健康上の問題だと言う。このメカニズムが本当なら、子どもを持つ保護者にとっても朗報なのだが、はっきりとした医学的な見解が欲しいところです。

梅雨入りと同時にステップ3へ

2020/06/12

11日(木)の夜11時に「東京アラート」が解除され今日12日(金)から「ステップ3」に移行した東京都。これで全国的に2か月以上に及んだ「緊急事態」が形式上は終わりました。完全な「終息宣言」というものは多分ないまま、ずっと警戒しながらの生活が続くことになります。ですから、また急増するかもしれないという不安は消えません。徐行運転していた車が、ちょっとスピードを出してみました、という状況ですが、さて・・どうなるのでしょうか。すぐまた、ブレーキとならないことを願います。今週末からの世間の「新しい生活」の結果が見えてくるまでの、これからの2週間、見極めながらの保育が進みます。

保育園にとっても、8割の園児に増えた再開後の最初の1週間は「おそるおそる」という感じのスタートだったのですが、今週は公園への散歩を取り入れました。そして関東は11日から梅雨に入ったので、運動不足の解消も課題になって来ますので、来週は天気をみながら、感染防止と熱中症対策を講じた上で、できるだけ戸外遊びを試みようと思います。

毎日の清掃と消毒の結果は、各室で掲示しています。政府は30分ごとの換気を推奨していますが、園では常時、窓を開けて風通しのよい室内空間を保ち、淀みがちな空間は換気をこまめにしています。網戸は外れないように手直しして、蚊などが入らないようにします。

一方で、大雨による水害対策も講じていく必要があります。自粛生活によって、テレワークの浸透で在宅できる時間が長くなったことや、交通機関の運行慣行を変えやすい状況になったことは、予め登園を控えるといった予防的「分散避難」がしやすくなったとも言えます。

子どもたちは、今のところ感染症は全くなく、とても元気に過ごしています。この状態が続いていくように、そして本来の子どもたちの世界を全うできるように保育を深めていきたいですね。

写真は、お誕生会のお祝いをしてもらった子どもたちが、その感謝の「ありがとう」の気持ちをフラワーアレンジメントという形に表して、クラスで飾る活動です。心の中のイメージを外に表すという活動は、言葉や絵や制作などいろいろありますが、こうして「花」の美しさ、生き物の素晴らしさを通して「表現する」という生活は、子どもの心の深いところに届くものです。子どもたちにもコロナ後の癒しが必要なのです。

 

 

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