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2020年 2月

子どもと出会い、保育と出会う

2020/02/20

今日20日は、実習生の大学の先生と午前中、語り合うことができました。この方とは、随分長いお付き合いになります。実習生の個性や育て方、実習で学んでほしいこと、保育の魅力がどうしたら伝わるか。昔から言われてきていることですが、その本質は従来以上に大切にしないといけない時代になってきていると感じます。

実は、保育実習は養成課程の中で核になるもので、大学での勉強を実際の保育に活かし、また実際の保育の体験からの学びを大学での学びに活かす。そうした相互循環がとても大切です。私は厚生労働省の保育士養成課程検討委員をやっていた経験があるのですが、現場の実習と大学での授業を繋ぎたいと、ずっと思っていました。大学の研究者になりたいのなら別ですが、将来保育者になるのなら、就職が保育者デビューだとすると、実習はそのプレデビュー、あるいはその前のプレ・プレデビューのような位置付けになってきます。そうすると、実習などの現場での経験を積んでいくことが、実践力や保育の構想力を培うためには、とても必要なことだと想像してもらえることでしょう。

大学にはなくて、現場にしかないもの。それは子どもです。保護者です。そして先生です。この三者が大学にはないのに、専門性を授けようとしているのです。臨床経験のないお医者さんに、診てもらおうという患者さんはいないでしょう。それと同じです。実習は大学での学びに欠かせない臨床経験です。

保育所は保育士という資格がないと保育ができないわけですから、その資格を取得するために、保育園で実習することはとても大事なことです。大事というのは、保育園は「保育士養成課程の一翼を担っている」からです。実はその意識を保育園の先生に、よく理解してもらうことが、ずっと課題でした。一方で、養成校の方も、表面的な保育技術を教えることが専門性であるかのような講義や、音楽なら音楽、自然なら自然の専門家ではあるものの、保育の専門ではない人が講義を受け持つということが多いのも課題でした。

そういう構造的な問題がすべて解消したわけではないのですが、それでも保育士不足で保育園は学生を大切にしたり、やっと養成校の養成課程に関心を持ったりするようになってきました。また養成校の方も経営が苦しくなっていることもあり、質の高い授業を展開しようと、保育現場とのつながりを大切にするようになってきました。以前に比べて保育士養成課程の質を高めようとする空気は強くなっていると思います。

実習生は子どもと出会います。保育園の生活の中で出会う子どもです。遊びへの欲求がこんなに強く、遊びがこんなに大事なものなのかと実感できるのは実習の場です。保育者が子どもの繊細な心の動きを必死で捉えようとしていることに気づけるのも実習の場でしか体験できないでしょう。いくらビデオや動画で擬似保育を見ても、実習で実際の心を通わせあった実名の子どものリアル感は、授業では体験できないものなのです。

実習生の感想でもっとも嬉しいのは「子どもって、こんなに遊びが好きなんですね」「子どもって、こんなに○○なんですね」といった「子ども発見」です。その上で「保育の仕事って面白いですね」という感想を持ってくれたら最高です。ただ、その「面白さ」とは、ファンではなく、インタレスト、奥深さのことです。保育の醍醐味です。それが伝わるような実習であったらいいなと思っています。

雛人形を飾る

2020/02/19

◆雛人形を飾る

本日19日(水)は二十四節気の雨水。この日に飾ると良縁に恵まれると言われているので七段飾りの雛人形を飾りました。内裏は天皇がお住いの御所のことです。その内裏びな(男びなと女びな)は天皇と皇后、あるいは皇太子と皇太子妃ということになります。時代を考えれば京都御所が本来です。

七段飾りには、内裏びな、三人官女、五人囃子、随身、三人上戸(仕丁)の15人全員が揃うので、子どもたちには童謡の「うれしいひな祭り」で歌われる歌詞を実際に見ながら歌うことができます。

◆「うれしいひな祭り」の歌詞を思い出す

作詞はサトウハチローです。作曲は河村光陽。覚えていますか?ちょっと歌ってみましょう。

(1)灯をつけましょ ぼんぼりに

お花をあげましょ ももの花

五人囃子の笛太鼓

今日はたのしいひな祭り

(2)お内裏様とお雛様

ふたり並んですまし顔

お嫁にいらした姉様に

よく似た官女の白い顔

(3)金の屏風にうつる灯を

かすかにゆする春の風

少し白酒めされたか

赤いお顔の右大臣

(4)着物をきかえて帯びしめて

今日は私も晴れ姿

春のやよいのこのよき日

何よりうれしいひな祭り

◆人形の表情に気づいた子どもたち

人形を飾るとき、何人もの子どもたちがずっとみていました。「おびな、女びな」という言葉を知っていたり、「♫灯をつけましょ、ぼんぼりに」と歌う子もいれば、「赤いお顔のお人形はどこ?」など、みんな興味津々です。私が人形に帽子をつけたり、三人官女にお銚子を持たせ、五人囃子に太鼓や笛をなどの楽器を持たせ、お内裏様を警備する左大臣、右大臣の随身に弓矢や刀を持たせ・・・などと小道具を持たせているとき、「このお人形、困っているよ」と教えてくれた子もいました。いいところに気づいたなあ・・・。

「そうそう、この沓を持っている人は、泣上戸なんだよ」「泣上戸って?」「上戸っていうのはね、すぐそうなってしまうってこと。だから泣いてばかりいる人ってこと。ほら、こっちは笑っているし、こっちは怒ってでしょ。どうしてだろうね。面白ね」。

三人上戸は宮中で雑用をする人で、親王様が出かけるときに使う、靴と帽子と傘を持っているんだよ。いつでも外に出かけられるようにね。そんなことを話しながら、人形を飾っていくと、とても面白い時間になりました。籠や牛車に乗った真似をしてあげると、まるで狼と子山羊のような展開になって、笑い転げたのでした。

表現③自分の体の動きがアートになる遊び

2020/02/18

◆体の動きのつながりとアート感覚

アートってなんだろう。色々な定義や説明があるのですが、子どもの言葉を借りると「なんかいい!」という感じのことです。今日もその「なんかいい」といった男の子がいました。今日はダンスのアーティストが3人いらっしゃって、わんらんの子どもたちと体を動かして遊びました。体を動かして遊ぶ、といっても、いつもとちょっと違います。例えていうと、体の動きを、一つずつ丁寧にバラして感じとっていくプロセスがある、といっていいでしょう。あるいは、粗大運動の中の微細運動といってもいいかもしれません。

◆いろいろな身体遊び

やったことは、正式な名前があるわけではないのですが、今日楽しんだ子には多分、こう言ってもらえたら通じると思います。一人スキップ、二人スキップ、やさしいだっこ、マネキンとデザイナー、片手にょろにょろ、両手にょろにょろ。どれも楽しそうにやっていたのですが、マネキンとデザイナーはかなりアートらしい体験だったと思います。

◆自分の体の骨をイメージする

一人がマネキンになり、もう一人がデザイナーになって体の一部を優しく押したりして動かします。これをやる前に、イミテーションの人の骨を見せて、人の体には骨が入っていて、それがうまく動くようになっていることを感じ取った上で、この遊びをしたのです。自分の体の中にも、この骨があって、それが動いて体の動きができていくんだということをやりながら学んだのです。

◆自分の身体を自分で感じながら動かす

こんなことはやったことがなかったからでしょう、それが面白かったようで、カクカクと動かされる自分の体の姿勢やバランスを感じながら、それが「身体表現」になっている面白さに気づくことができました。動かされている本人の感覚はあっても、外からどう見えるのかがわかりません。少しの力に優しく動いては静止し、少し押されてはまた動き、その繰り返しの中で、自分の体の姿変わっていく。そうした自身の身体の動かし方を意識したのは初めてだったのではないでしょうか。

◆自己イメージの形成

逆に動かしているデザイナーの方は、「こうしたらどうなるかな」「もっとこうしてみよう」という造形的な面白さを感じています。「こっちの方が、なんかいい」という感覚を頼りに、友達の体を使って造形活動をしている、まさしく表現遊びです。動かされる方(マネキン)と動くかす方(デザイナー)の両方を交代でやりながら、最後は同じポーズで記念写真を撮りました。自分の姿がどのように見えているのか、何度か繰り返すことで、マネキンになりながら外から見える「自己イメージギャップ」にも気づく体験になっている子どももいたことでしょう。

◆知らなかった自分の体の動きと出会う

たった一時間という短い時間でしたが、3人のアーティストをご紹介しておきましょう。リーダーの青木尚哉さんと、芝田和さん、高谷楓さん。子どもたちは、ダンス遊びの途中から「もっとやりたい!」の連発でした。青木さんも「あの意欲が大事なんですよ。それを引き出したくてね」とおっしゃいました。このようにアートの力は、例えばマネキン人形になって体を動かす/動かされる、という中に「今までなかった自分の体と出会う」という貴重な経験を作り出す力を持っているのです。

成長のしるしとしての夢中度

2020/02/17

 

春の訪れを知らせる梅の開花。八王子市の姉妹園の園庭に白梅が綺麗に咲いていました。小川にはヤマアカガエルが生んだ卵の寒天のような塊が漂い、すでにおたまじゃくしが泳いでいました。すでに春が来ています。このような分かりやすさと同じように、わいらん(3歳4歳)クラスの子どもたちの姿に、くっきりとした成長の印を今日17日、来客者と一緒に確認しました。

それは見学者が来ても、誰も寄って行かったことです。「見学者が多いんですか?」とおっしゃるので、「いいえ。見学者は少ないですよ」と答えたのですが、この質問の意味は「寄って来ないのは珍しくないから、つまり、見学者慣れしているからだろう」。こんな考えからなのですが、私の説明に納得して「覚えておきましょう」と感心されていました。私の説明とはこうです。

「子どもたちは遊び込んでいると、見学者には気づかないんです。もし気づいたとしても、やっていることに夢中になっているから、見学者に関心が向かないんですよ。もし見学者にすぐに寄っていくような姿が多い時は、まだ情緒が安定していないか、没頭して遊び込んでいないのかもしれませんね」

こうした姿は、保育の質を測る「ものさし」の一つになっています。開発したのはベルギーのF・ラーバース女史で、日本でもSICSという略語で有名になりました。先日、いずみこども園で講演された秋田喜代美教授が日本版を開発しました。ごく簡単にその要点を説明すると、ラバースは保育の質を、子どもの情緒的な安心の度合い(安定度)、熱中度(夢中度)、大人の関与の3つの要素から捉えました。そしてSICSはそのうち、安定度と夢中度を保育者の観察によって自己評価するのです。

もし、ラバースさんが、その視点で今日のわいらんの子どもたちの様子を見ると、とても高い得点がついたと思います。今日の来客者は、実は千代田区の保健福祉オンブスパーソン事務局の方と相談員のお二人です。お二人は千代田区の保育園を全て見て回っていますが、子どもが誰もよって来ない経験は初めてだったそうです。それだけ遊び込んでいた時間だったとも言えますが、子どもたちが主体性を発揮した集団の雰囲気の良さを感じ取ってくださいました。

表現②豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする

2020/02/16

15日(土)の午前中、私が昨年3月までいた八王子の「せいがの森こども園」が開いた行事「成長展」に出かけてきました。成長展は子どもの成長をお伝えするものです。これは、現在の子どもの状態をお伝えするだけではなく、昨年の4月から毎月、記録してきた育ちを並べてみることで、その成長のプロセスを可視化します。教育の「ねらいと内容」は5つの視点があるのですが、その分類(領域)に従って展示します。

子どもの発達を概ね右肩上がりのグラフで表すとすると、それは直線にはなりません。カーブを描いたり、山並みのようにギザキザになったりします。身長や体重、手や足の大きさ、人間関係の広がりやコミュニケーション力、遊具のバリエーションや活動範囲、言葉の発達など、それぞれのテーマで異なりますし、個人差もあります。

特に表現の領域は「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」ことです。そこで成長展では、1歳児クラスから子どもの4つの描画制作を展示します。4つというのは「自由画」「ぬりえ」「人物画」「シルエット」です。

シルエットというのは、人や家、犬などの形をしたシルエット(黒画用紙を切り抜いたもの)を子どもが白い画用紙の上に自由に並べて「お話」を語ってもらうます。それを先生が聞き取って説明文を添えたものです。

この4つを4月から2月まで、それぞれ4ヶ月ごとに作って並べます。ですから自由画が3枚、ぬりえが3枚、人物画が3枚、シルエットが3枚並び、その変化をみてもらいます。1年での「変化」の中に、子どもたちの成長の軌跡が見えてきますから、興味深い気づきが生まれることでしょう。

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

小池都知事が新宿せいが子ども園を視察

2020/02/13

昨日のことですが、姉妹園の新宿せいが子ども園を小池都知事が視察しました。NHKの首都圏ニュースで放送されました。

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200212/1000043941.html

(以下は、放送内容から)

子どもの個性や能力を生かす教育の実現に向けて、小池知事は、主体性を育む特徴的な保育を行っている東京・新宿区の子ども園を視察しました。

東京都は、2040年代に目指す東京の姿を示した長期戦略ビジョンの中で、子どもの個性や能力を生かした教育の実現を掲げていて、視察は今後の教育のあり方を検討しようと行われました。

小池知事が視察した新宿区の「新宿せいが子ども園」は、先生が子どもたちに介入しすぎない「見守る保育」を取り入れるなど、主体性を育む保育を行っています。

小池知事は、3歳から5歳までの園児を一緒のクラスにして、やりたい遊びを自分で選ばせていることや、ケンカが起きた時は子どもどうしで解決を促していることなどについて説明を受けていました。

東京都はこうした取り組みを、今後ほかの園にも紹介するほか、幼少期の教育のあり方を検討する上で参考にするということです。

 

令和2年度 入園説明会 2月19日(水)午前9:30

2020/02/12

(*園からのニュースにも載っています)

 

4月入園の皆様、ご入園おめでとうございます。

入園説明会および健康診断を2月19日午前9時30分から行います。

健診の都合上、予定よりも1週間早くなりました。ご了承ください。

入園説明会案内 2020年度 千代田せいがver1

<保護者の方>

このご案内と健診で使う「健康状況票」をお配りします。

<初めて入園される方>

本日12日より健診で使う「健康状況票」をお渡ししますので、18日までに園へお越しください。必要事項をご記入いただき、当日お持ちください。

当日の持ち物は、この健康状況票のほか、母子健康手帳、筆記具、スリッパです。

剣ヶ峰を迎えた日本の新型コロナウイルス対策

2020/02/11

テレビ報道を見ていると、いま行っているピンポイントで封じ込める「隔離」政策だけでは防ぐことができず、感染ルートを遡ることができない患者の発生が報道される日が近いかもしれません。それが世界的に広がると、普通のインフルエンザのような道を歩むことになるかもしれないと思えてきました。この数週間が勝負だといいます。今その転換点にきているのかもしれません。新型コロナウイルスは、WHOによると感染から発症までの潜伏期間が数日から12.5日間もあるので、症状が出ていない間に検疫体制をすり抜けてしまうことがはっきりしてきました。感染連鎖のルートが見えなくなってしまう可能性が出てきました。武漢ではそうなってしまいましたが、日本では症状が出ていない感染者が隔離していない場所にいたとしても、すでに追跡できない状況になっていないといいのですが。でも、それを想定して国は、民間の会社で遺伝子検査を受けられるような体制を準備しておく方がいいかもしれません。

感染力と高齢者の致死率を考えると、この政策転換は難しいかもしれませんが、少なくとも国は特定感染症の指定を緩和したような運用に移行して、インフルエンザ並みに急いで診断ができる病院を増やさないと間に合わなくなるもしれません。約10年前にも新型インフルエンザの時に空港検疫で8人を発見した時、その14倍の103人がすり抜けていたという推計結果を後で公表していたそうです。野生の動物を食用にしている中国から新型ウイルスが生まれます。過去のSARSMARSも鳥インフルエンザもそうでした。SARSは終息まで8ヶ月かかりました。この新型コロナも秋口までかかるかもしれません。

地球上の病原性ウイルスなどが、人の移動によってすぐに地球上に拡散してしまう時代になっています。昔はその特定の狭い地域だけで起きていたので、そこに住む人は抵抗力を持っていました。ところがその抗体を持たない他地域の人にとっては致命傷になってしまう時代なのでしょう。

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