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園長の日記

アンパンマンのクック

2026/10/23

昨日の図の説明をもう少し続けましょう。

1歳ちょっとの赤ちゃん(Hちゃん)が私にアンパンマンの絵が載っている靴を見せてくれます。玄関にある保育園の靴です。私がそばにしゃがんで、相手をしてくれると分かっているからか、その靴を手にして「ほら、これ」といった風に、見せてくれます。そのときHちゃんは「ウンパンマン」といいます。靴を黒マットに置いてみたり、棚に戻したり、きっと靴はこうやってここに置いて履いて、と靴を履く動作をしているのでしょう。

大人からみると、何をしたいのかはっきりしないようなことなのですが、その靴が気になって仕方ないようです。そのたびに私が「そうだね、アンパンマンだね。アンパンマンのクックだね」などと、何度も同じことを言って、ことばを返します。

言葉を返す、といっても、私はべつにそれが言葉を教えているつもりはありません。それが「アンパンマン」であるとか、それが「靴というものだ」とか言葉を教えたいわけではありません。Hちゃんのが気になって手にして「これ」と見せてくれているかのように振る舞うジェスチャーに、私が応答し、それを彼女が受け取り、言葉にならない何かがそこに生まれては、交互に行ったり来たりしているかのようなことが生起しています。

ただ、そこで何が起きているのかを明示的に言葉で説明することは難しいのですが、何かコミュニケーションであることは間違いありません。保育の用語では「身近な人と気持ちを通わせる」としかいいようのないことです。これはHちゃんの世界のなかに、身近なものとしての「アンパンマンのクック」が気になるものとして立ち現れ、その世界に私を招き入れてくれているような三者関係ができています。

Screenshot

さて今日の本題はここからです。

Hちゃんは実物に接するたびにイメージとしての「アンパンマンのクック」を頭の中に思い描いています。実物とつながって表象されているのですが、そこに「アンパンマン」という人の「声」を何度も聞くことを繰り返し経験し、これが「アンパンマン」という名前であることを獲得しています。こうして身体的知は、映像イメージ系と音・言葉系とに分化してそれぞれが豊かに発展していきます。実物の靴の代わりにシンボルとしての表象が分化していくのです。

昨日の図は、その分化発展していく表象の世界のモデル図案です。

Hちゃんが生きている世界に誘ってくれた私は、「アンパンマンのクックだね」などと繰り返し応答するたびに、「Hちゃんの世界」に入り込み、勝手な区切り線を描きこんでいるように感じてしまいます。この社会化の強制力は、無くすわけにもいかなので、やめるわけにもいきません。それでも全体から部分に枝分かれしながら生成変化していく世界が、少しでも輝くように膨らんでくれたらいいな、と願うのです。

身体性から広がる、子どもの表現

2026/10/22

子どもは、遊びのなかで、身体を使って世界に出会っています。これは、なかなか深い話なのです。

たとえば子どもが公園で走る、跳ぶ、揺れる。誰かを追いかけたり、何かになったつもりで動いたりする。そうした経験は、まず身体の感覚として子どものなかに残りますよね。

やがて、その経験は「もう一回!」という「言葉」になったり、「歌声」になったり体を動かす「リズム」になったりします。中には「絵」を描いたり、「絵本」を読んだり、ごっこ遊びのなかで別の「物語」に作り替えたりすることもあります。

最近では、にこにこ組の子どもたちが体験した「味の探究」。きのこピザを食べた子どもたちが、昨日、小麦粉粘土で再現して遊んでいました。

このように、子どもが感じたことや経験したことは、さまざまな表現の形になって現れます。子どもの「心動かされた経験」は、同じ身体の動きだけではなく、ごっこ遊びや言葉や絵や制作物などに広がっていきます。そして、表現されたものが、また新しい遊びや身体の動きを生み出すこともあります。

わらべうたを聞けば、子どもは声やリズムに合わせて身体を動かします。絵本を読んでいて、登場人物になったつもりで歩き出すこともあります。遊びのなかで生まれた言葉が、友達との新しいやりとりをつくることもあります。

児童文化財には、絵本や紙芝居、歌、昔話、映像、ごっこ遊びなど、いろいろな形があります。けれど、それらを別々に考えるだけでは、子どもがどのように楽しみ、経験を広げているのかは見えにくいのかもしれません。身体で感じたことが、言葉や音、絵や物語と結びつき、また身体の経験へと戻っていく。その行き来のなかに、子どもの遊びの豊かさがあります。

このようにこれまで考えてきたことを、図にしてみました。児童文化財の表現を、身体・言葉・音楽・映像の関係として表してみたのです。この図が示すように、子どもの発達は何かが一方的に膨らんでいくのではありません。子どもの身体知を土台に、いろいろな表象の身体的な根っこが、それぞれの表象領域と結びつき、広がっていく様子を考えるための図です。

子どもが遊んでいるとき、身体のなかでは、感じること、思い浮かべること、誰かと通じ合うことが重なっています。その重なりに目を向けると、絵本を読むことも、歌をうたうことも、身体を動かして遊ぶことも、子どもの経験を育てるつながりのなかに見えてきます。

東京お茶の水ロータリークラブの卓話で話題提供

2026/10/21

子どもの発見から、地域の未来をつくる〜千代田の街を「学びの園庭」に〜

こんなテーマで30分、話をしてきました。その内容は、以下のようなものです。

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経営者の皆様は、若い社員について、「指示を待って自分から動かない」「失敗を恐れて試そうとしない」「周囲と相談しながら課題を解くことが苦手だ」と感じることはないでしょうか。こうした課題は、主体性、協働性、問題解決力、社会情動的スキルなどの言葉で語られています。では、その土台は、いつ、どのように育つのでしょう。

保育園は、将来の社員を早くから訓練する場所ではありません。しかし、人が自分から動き、失敗から学び、他者と力を合わせるための根は、幼児期の遊びと生活の中で育ちます。指示を増やしても主体性は育ちません。自分の関心や考えを受け止めてもらい、試す余地があり、仲間との関係の中で自分の役割を実感するとき、子どもは動き始めます。当園で働くスポットワーカーからも、「大人が子どもの行動を先回りして決める保育に違和感があった。ここでは子どもが自分で考えている」という声をよく聞きます。子ども主体の保育とは、何でも自由にさせることではなく、子どもの興味や問いを出発点に、選び、試し、考え直せる環境を大人がつくることです。

ある日、子どもが秋葉原ワシントンホテルの壁を指さし、「これ、アンモナイトじゃない?」と言いました。大人が毎日通り過ぎていた場所です。写真を拡大し、本当に化石なのかを確かめ、石の産地を調べると、ドイツのバイエルン州、ニュルンベルクとミュンヘンの間にある採石地域へとたどり着きました。目の前の壁が、1億5000万年前のジュラ紀の海につながったのです。ホテルの支配人との対話も生まれました。答えを教え込んだのではありません。「もっと知りたい」という意欲が、人、物、場所を結び、探究を動かしました。文部科学省の次期学習指導要領に向けた審議まとめの素案でも、「遊びの深まり」を中心に、育みたい資質・能力を捉える方向が示されています。

幼児教育で育む三つの資質・能力の核には、「心情・意欲・態度」があります。なかでも意欲は、知識や技能を求め、考え、判断し、表現する力を動かします。経済と社会の未来を考えるOECDも、教育の中心に「スチューデント・エージェンシー」を置いています。それは、好きなものを選ぶだけではなく、自分たちの生活に関わることを我が事として引き受け、他者とともによりよい状態をつくろうとする力です。眠っている友達に気づいた年長児が、年少児に「静かにして」と伝える姿にも、その芽があります。これは、子どもの権利条約が求める参画の感性にも通じます。

当園には園庭がありません。だからこそ、千代田の街全体を「学びの園庭」と考えています。公園は自然科学の教室、原っぱは身体と社会性の教室、電車や街路は地理と社会の教室、神田川や地域行事は歴史、文化、市民性の教室です。街で出会い、気づき、集めたものを園へ持ち帰り、確かめ、表し、つくり、伝える。この往還が、一度の散歩を継続的な学びへ変えます。

さらに、子どもの学びは園の中で完結しません。鬼ごっこで相談し助け合う経験は、地域の保育園との交流や保育者の合同研修へ広がり、小学校、教育委員会、大学へとつながって、「鬼ごっこのある町 千代田」という構想になりました。入谷朝顔市で出会った一鉢は、子どもが育て、採れた種を地域や小学校へ返す活動にする予定です。プロのシェフとの「味の探究」は、野菜を好きになる経験から、全国各地の生産者との交流や若手農家を応援する学びへつながっています。神田祭では、子どもも町の文化の担い手になります。私たちは、これを「子ども起点の地域共創」と呼んでいます。地域から学ぶだけでなく、子どもも地域をよくする側に加わるのです。

こうした保育は一園だけの試みではありません。社会福祉法人省我会の藤森平司理事長が立ち上げた全国組織「ギビングツリー」では、見守る保育・藤森メソッドに共感する国内外の園が、見学や研修を通して学び合っています。一つの園の特色にせず、地域全体の文化にしていくことが大切だと考えています。

保育と会社経営では、対象も目的も異なります。それでも、「人が意欲をもち、他者とともに育つ環境をどうつくるか」という問いは重なります。ロータリーの皆様が日々培ってこられた仕事、技術、場所、人とのつながりは、子どもにとって本物の学びの資源です。特別な教育プログラムは必要ありません。子どもに見せられる場所はないか。出会ってほしい人はいないか。一緒に考えたい地域の課題はないか。まずは30分、一度だけでも、会社の日常を子どもの問いにひらいていただければ、新しい関係が始まります。

街が子どもを育て、子どもが街を育てる。奉仕の心と子どもの意欲が出会うところから、千代田の未来を皆様と一緒につくっていきたいと思います。

遊びの中で、思い出が動き出す

2026/10/20

今日は公園に出かける予定でしたが、天候が不安定だったため、わらすは3階の運動ジムで過ごしたそうです。そこで子どもたちが楽しんでいたのは、先日の「親子運動遊びの会」でも親しんだ遊びでした。コドモンの「活動の記録」をご覧ください。

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音楽が流れると、自然に身体が動き出す。綱引きでは、ただ綱を引き合うだけでなく、友達が友達を呼び、仲間が次々に加わっていく。『おおきなかぶ』のお話のような展開も生まれていた、とあります。

子どもたちは、行事でやったことをそのまま再現していたわけではないのでしょう。覚えていた動きや楽しさを、友達と一緒に、それを出し合うことで、自分たちの遊びへと作り変わっていたのだと思います。「楽しい」「面白い」「もっとやりたい」という気持ちが、遊びを繰り返させ、そこに新しい展開を生み出していくのですね。

昨日、1階玄関の看板の写真を指さして当日のことを思い出す子どもたちがいました。今度はその思い出が、ジムでの遊びの中に現れています。行事で感じた楽しさは、心に仕舞われてしまうのではなく、身体を通して日々の遊びに戻ってくるのですね。

先生たちがその姿を見つけ、活動の記録に残してくれたことで、私もまた、子どもの遊びの続きに気づくことができました。子どもたちの「またやりたい」から、次はどんな遊びが生まれてくるのか楽しみです。

遊んだ時間の、そのつづき

2026/10/19

新しい週が始まりました。園には、土曜日の「親子運動遊びの会」の余韻が、まだ残っています。

自分が綱引きをしている写真の載った看板を、指差している子どもたちがいました。土曜日のことを思い出しているのでしょう。一枚の写真をきっかけに、あのときの楽しさが、もう一度よみがえっているようでした。

参加した子どもたちには、一人ひとりの顔写真を入れたメダルを贈りました。「記念に楽しみなコレクションです」と話してくださった方もいました。家のどこに、どんなふうに飾られているのだろう。そんなことを思いながら、子どもたちの姿を少し眺めていました。余韻は、私のほうにも残っているのだと気づきます。

お願いしたアンケートにも、あの日のつづきが届いていました。

人の多さに緊張して、当日は固まってしまっていたお子さんが、家に帰ると「さんぽ」の歌を歌いながら、ソファの周りを歩いていたそうです。

会場で見えていた姿だけでは、その子が何を受け取っていたのかは、わからないものですね。歌も、みんなが動く様子も、その子の中に残っていたのでしょう。家でくつろいだときに、自分から楽しむ姿になって現れた。その様子を伝えていただけたことが、うれしく思えました。

会が終わったあと、クラスの友達といずみ公園で遊んだという感想もありました。普段の散歩の様子を知り、保護者同士でも交流できた「とても有意義で優しい時間」だったと書かれていました。体育館で一緒に遊んだ時間が、公園で過ごす時間へと続いていたのですね。

また、パン食い競争でお子さんを持ち上げるのに苦労していたところ、ほかのご家庭のお父さんが助けてくださったというお話もありました。玉入れで、子どもたちがほかのご家庭のお父さんやお母さんにも安心して抱っこされている姿を見て、「みんなでみんなのパパとママなんだな」と感じた方もいました。

一緒に遊ぶなかで、自分の子に加えて、隣にいる子にも自然と手が伸びる。そんな場面を「アロペアレンティングだ」と思い出しました。一方で、抱っこする大人の負担や、もっとこんな遊びをしてみたいという声もいただきました。一緒に楽しめる時間を、さらによくしていくために受け止めたいと思います。

 

看板の写真を指差す。家で歌いながら歩く。公園でもうひと遊びする。飾られたメダルを眺める。

会が終わっても、遊んだ時間は、こうして暮らしのなかに続いていくのですね。

ご家庭で、ふと土曜日のことが話題になったら、ぜひ聞かせてください。そのお話を聞きながら、私たちもまた、あの日の楽しさを味わえる気がします。

親子の心にいつまでも残る思い出になってほしい

2026/10/18

昨日の「親子運動遊びの会」に、ご参加いただき、ありがとうございました。

この一週間、身体を動かす楽しさや、親子で遊ぶことについて書いてきました。最後に考えてみたいのは、一緒に遊んだあと、親子の間に何が残るのだろう、ということです。

私個人の幸せな思い出の一つに、子どもの運動会に親子で参加したときの風景があります。それは、いまでもよく覚えています。

子どもにとって、お父さんやお母さんは、毎日の暮らしを支えてくれる人です。食事を用意し、着替えを手伝い、出かける時間を気にかけてくれる。忙しい毎日のなかでは、大人が子どもに何かをしてあげたり、伝えたりする場面がどうしても多くなります。

その大人が、高い高い!をやってくれる。わらべうたで、体をくすぐってくれる。おんぶしてキリンの背中に乗せてくれる。大人抱きリレーで玉入れを手伝ってくれる。一緒にリレーで走ってくれた。大人チームに綱引きで勝った。・・・子どもは、きっと、いつもとは違うお父さんやお母さんに出会ったことでしょう。

大人にも、そんな出会いがあったのではないでしょうか。こんなところで笑うんだね。この動きが好きなんだね。もう一回やりたいときは、こんな顔をするんだね。そこで駄々こねるか!? ・・・一緒に遊ぶと、子どもの楽しさが、少しわかってきた感じがあったかもしれません。

そこで知った表情やしぐさ。これからの日々のなかでも、ふと顔を出すことがあるかもしれません。子どもが、🎵きみはできるかな?と、歌を口ずさむ。すると大人がその続きを歌う。それだけで、お互いに顔を見合わせる。「あれだね」と通じ合うものが、親子の間に一つ増えています。

また同じ遊びをしても、次は少し違う展開になるかもしれませんよ。子どもがルールを変えたり、親と子の役割が入れ替わったり。そのたびに、お互いのことをまた少し知っていく。親子で遊ぶ面白さは、そんなところにもあると思います。

さて、親子運動遊びの会は終わりました。また明日からいつもの毎日が始まります。忙しい日には、ほんの短いやり取りになるでしょう。それでも、あの歌や、あのしぐさから、一緒に楽しかった時間へ戻れることがあるかもしれません。

「ねえ、また、あれやろう」

子どもからも、大人からも、そんな声が生まれたらうれしいですね。

「親子運動遊びの会」についての連載は、今日でおしまいです。でも、一緒に遊ぶ楽しみは、これからも続いていきます。

楽しかったですか?親子運動遊びの会

2026/10/17

今日の親子運動遊びの会、いかがでしたか?

私たちの行事は、なにかが上手にできるとか、できないといった物差しはありません。焦点は「心情・意欲・態度」にあります。これは、要するに「楽しかった」「面白かった」「もう一回やりたい」「またやってみたい」といった姿がみられるようなことです。

<第一部 ちっち・ぐんぐん・にこにこ>

①わらべうた「ゆすらんかすらん」「いもやのおじさん」
②体操「できるかな?」
③なりきりあそび

<第二部 わいわい・らんらん・すいすい>
①パン食い競争
②問答鬼ごっこ
③たまいれ
④リレー/傷鬼ごっこ
⑤目隠し鬼ごっこ
⑥つなひき

第二部は「おうちの人と、これをやりたい!」という希望によってできあがりました。

 

一緒に遊ぶ、その時間を慈しむ

2026/10/16

さあ、明日はいよいよ「親子運動遊びの会」です。

この会に向けて、子どもたちが特別な練習をすることはありません。日頃楽しんでいる遊びを、明日は親子で一緒に楽しみます。「こんな遊びを楽しんでいるんだね!」。一緒に遊ぶなかで、そんな発見があれば、何よりです。

わらべうたで声を交わす。音楽に合わせて身体を揺らす。鬼ごっこで追いかけたり、逃げたりする。子どもに誘われて、大人もやってみる。顔を見合わせて笑ったり、「もう一回!」と繰り返したりする。その時間を、親子で味わっていただきたいと思っています。

親子で遊ぶ場所は、いつも過ごしている、慣れた場所がよいのでしょう。ただ、園の中には、皆さんが一度に集まれる広さがありません。そこで毎年、和泉小学校の体育館をお借りしています。

大きな体育館を見て、すぐに動き出したくなる子もいれば、入り口で立ち止まる子もいるでしょう。広い空間や、たくさんの人の声を前にして感じることは、一人ひとり違います。いつもの園での姿とは、少し違う姿を見せることもあるかもしれません。

そんなときも、そばにいるお父さんやお母さんと一緒に、その場所に少しずつ親しんでいけたらと思います。膝の上で歌を聴いたり、手をつないで近づいてみたり。そこから遊びが始まることもあります。

親子で一緒に来たのに、子どもだけが親から離れて、クラスの集まりに入る。それが難しい子もいるでしょう。この会では、親と子どもの席を分けません。クラスごとの場所の中で、親子で座る席を自由に選んでいただきます。親子で一緒にいられることを、遊びに向かう安心につなげたいからです。

何をして遊ぶかも、その場で子どもとやり取りしながら選んでみてください。「これ、やってみようか」「もう一回する?」。言葉だけでなく、表情やしぐさにも、その子の気持ちが表れます。上手にできたかどうかよりも、今、何を感じ、何を楽しんでいるのか。その気持ちを通わせる時間を大切にしたいと思います。

そして、気に入った遊びがあったら、会が終わってからも、ぜひ親子で続けてみてください。「あの遊び、またやろう」。そんな楽しみが、日々の暮らしに一つ増えたらうれしいですね。

8回目を迎える今年も、大切にしている思いは同じです。子どもを応援するだけでも、遊ぶ姿を観察するだけでもなく、大人も一緒に遊ぶ。その楽しさを、明日から先の親子の時間へつないでいくための会です。

明日は、親子で一緒に遊ぶ、その時間を慈しみましょう。体育館でお待ちしています。

「親・子ども・鬼」の三角形

2026/10/15

追う、逃げる、跳ぶ、揺れる。子どもたちが身体を動かして遊ぶ姿には、「面白い」「もう一回」という気持ちがあふれています。

追う、逃げるといえば、鬼ごっこを思い浮かべることでしょう。でも、鬼ごっこには、もう一つ大切な動きがあります。それは「守る」です。

古くから伝わる「ことろことろ」という遊びをご存じでしょうか。鬼ごっこの原型ともいわれる遊びで、鬼と子どもに加えて、「親」の役が登場します。

子どもたちは、前の人の肩に手を置いて一列につながり、その先頭に親役が立ちます。鬼が狙うのは、列のいちばん後ろの子どもです。親は鬼と向かい合い、両手を広げて、背後の子どもたちを守ります。

遊びは、こんな問答から始まります。(「鬼ごっこ協会」ホームページの解説ページより)

鬼「子をとろ子とろ だれとろか」
親「だれをとる」
鬼「ちょっと見ちゃ あとの子」
親「さあ とってみいさいな」

地域によって言葉や節回しは異なりますが、こうして声を交わすことも、遊びの楽しさの一つです。

鬼が右へ動けば、親もそちらへ。鬼が反対側へ回り込もうとすれば、子どもたちもつながったまま身をかわします。追う人、逃げる人、守る人。それぞれが相手の動きを見て、自分の動きを変えていくのです。

ここには「親・子ども・鬼」という三角形の関係があります。自分一人で速く走るだけでは、うまくいきません。親は後ろの子どもを気にかけ、子どもたちは前の人の動きを感じながら、一緒に逃げます。「守ってくれる」という安心と、「捕まるかもしれない」というどきどきが、同じ遊びのなかにあります。

「あぶくたった」も、歌や言葉のやり取りから鬼ごっこへとつながる遊びです。「なんのおと?」と問いかけ、返事に耳を澄ませる。そして「おばけのおと!」を合図に、一斉に逃げ出します。

子どもたちは、ただ合図を待って走っているのでしょうか。やり取りを楽しみながら、次の言葉を待ち、友達と顔を見合わせ、逃げ出す瞬間を一緒に迎えています。言葉とわらべうた、音楽と身体の動きが、一つの遊びのなかでつながっているのです。

「親子運動遊びの会」では、こうした楽しさを親子で味わっていただきたいと思っています。声を交わし、相手の動きを感じ、一緒に身体を動かす。追いかける楽しさも、逃げる楽しさも、守る楽しさもあります。

そのなかで生まれる「面白い」「もう一回」。その気持ちが、次の動きや、新しい挑戦につながっていくのでしょう。

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