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園長の日記

再会が嬉しそうな子どもたち

2022/06/14

コロナ禍での長いお休みが終わり、昨日13日(月)から園生活が再開しました。全園児数は51名ですが、昨日は45人(6人のお休み)が登園しました。急にはじまった5日間の登園自粛は、とても長かった気がしますが、2年前の春の、2ヶ月近い休園は、今思うとよくできたものだと驚きます。この5日間が長かったのか短かかったのかは、それぞれだと思いますが、登園してきた子どもたちの様子をみると、再会を喜ぶ姿が随所にみられました。今日14日(火)は48人(3人のお休み)の登園で、いつもの活気がすっかり戻ってきた感じです。

先生たちに子どもの様子について感想を聞くと「わあ〜っ」と集まってきて「◯◯ちゃ〜ん」と、集うような姿が見られましたよ、とぐんぐんの先生。朝のごあいさつの歌でさえ、なぜか新鮮に聞こえるのは、にこにこの先生の気合いからでしょうか? 「♪せんせいと おともだち〜」と、指差す仕草も、楽しそうなのです。お昼ご飯も「見て、ピカピカだよ。これだとあやいやすい?」と、頬張っているごはんで、ほっぺたがふくらんで、美味しそう。

やりたかった遊びができたのか「見て〜」と出来上がったものを見せてくれると、その子らしさが表れていて「やっぱりそれなんだなあ」と安心したり、感心したり。すっかり、いつもの子どもたちです。昨日はさっそく新しい公園へ出かけたり、今日は午後から雨だというので、急いで旧今川中校庭へ、出かけてました。医療的ケアの保育も昨日から始まり、区からは看護師さんも巡回に来てくださり、区内の感染症の状況などを教えてくださいました。また保健所からも梅雨の時期でもあるので、食中毒防止の観点から、調理室の衛生環境を調べてくださりました。安心して生活できるように、環境をしっかりと確認して進めていきたいと思います。

13日(月曜日)からの登園に向けて

2022/06/10

新型コロナ感染症の感染を広げないように、登園を控えていただき、心より感謝申し上げます。おかげさまで今週6日(月曜日)から本日10日(金曜日)まで、新たに罹患した園児や職員はいませんでした。本日朝、早退したお子さんの検査結果も陰性でした。これらの結果を千代田区と共に状況を確認してもらった上で、すでに連絡アプリでもお知らせしましたが、来週13日(月曜日)からは平常通りの保育を再開する予定です。

昨日9日(木)は18名、本日10日(金)は25名の登園がありました。明日土曜日、日曜日の健康観察は引き続きよろしくお願いします。発熱などの体調が悪い方がご家庭にいらっしゃるとき、検査をしている場合などは、結果が判明するまで登園を控えてくださるようにお願いします。

その一方で、家庭内での感染を防ぐのはとても難しいので、残念ながらお子さんから保護者の方へうつってしまうケースが見られました。症状があると心身ともにとても辛いものです。くれぐれも、どうぞお身体お大事になさってください。元気で再会できる日をお待ちしています。

登園を控えてくださった乳児の保育料は免除に

2022/06/08

今週から登園を控えてくださった方の保育料は、千代田区の運用により免除となります。3歳児以上の幼児は最初から保育料が無料です。「休園届」を6月末までにご提出ください。用紙は事務所にあります。またホームページ「各種申請書類」からダウンロードできます。令和4年4月〜6月用をご利用ください。

家庭での子育てはいかがでしょうか

2022/06/07

保育園を休んでいただいている代わりに、始まったら思いっきり楽しいことができるように、今日は展示会へ出かけて子ども用実験器具を購入したり、今年度揃えたい絵本のリストアップをしたりして、”再開後”に備える準備をしました。再開と言っても休園している訳でもないのですが、多くの皆さんに登園を控える協力をしていただいて、申し訳ない気持ちが強いです。きっと「保育園、まだあ〜?」とお子さんにせがまれている様子が目に浮かびます。また職場から「そんなに長く仕事を休まれては困るんだけどな」とプレッシャーを感じている方もいらっしゃると思います。保育園が家庭と同じホームでありたいと思っているので、1日も早く多くの子どもたちに、いつものように戻ってきてもらいたいと願っています。本来は今日から保育参観だったのですが、延期させてもらいました。また今週からコンテンポラリーダンサーの青木さんたちにも来てもらって、今年度のダンス遊びもスタートさせたかったのですが、こちらも延期になりました。今日は関東も梅雨入りで、雨の日が多くなりますが、室内で体を動かす遊びには、新しい遊具も加えて新鮮さをアップしていく予定です。職員も簡易検査ですが陰性であることを確かめながら保育に入っています。あともう少し、家庭での保育、よろしくお願いします。

新型コロナ感染症対策へのご協力、感謝申し上げます

2022/06/06

本日は多くの方に登園を控えてくださり、ありがとうございました。園の関係者(*)2名が続けて新型コロナウイルス感染症の陽性になったことから、千代田区と相談して今回のような対応を取らせていただきました。新型コロナは変異を繰り返しており、感染力や症状が変化しているそうです。発症した日を起点に考えると、その前の2日間と、その後の7日間が感染しやすいと想定されています。つまり発症した日から2日遡るあたりが感染した日だと想定していますので、もし発症した日あたりから二日間は、症状がでやすい、ということが言えます。そこで今回の場合は、土日を挟んで月火を感染しやすいピークだと想定し、この間に接触を経つことで感染拡大を防ぐ効果が高いと判断しました。今日はお休みいただいたから、新たに新型コロナになったという報告はなく、このまま何もなく推移していくことを願うばかりです。東京都の感染者数が1日1000人程度になってきましたが、まだ感染リスクはあります。子どもたちが集う場である保育が、集団であることからもたらされるメリットは大きのですが、こと感染症となると、どうしても移しやすい、移されやすいという課題があります。どうぞお子さんとご家族のみな様の健康状態を把握していただき、早く安全な保育園生活が戻ってくるように力を合わせていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

集団的思考「みんなで育てたい枝豆」からの私の学び

2022/06/05

今週を振り返ってみて私が印象に残っているエピソードは(私に届いているエピソードの中では)、枝豆をみんなで育てたいと先生に言ってきた子どものことです。年長さんらしい「共に」の心が美しい話です。集団でこそ育つものが現代では失われてしまったという強い危惧を抱いて、この仕事の世界に30代で入った私は、それから四半世紀が過ぎても、その状況が好転しているのか停滞しているのか、少しでも改善しているのか、思案することが続いています。

そんな中で、友達のいる保育園の仲間と枝豆を育てたい、分かち合いたいと思う気持ちほど、素敵な育ちはないように思えて仕方がなく、なんだか私が救われたような気になります。ちょっとした「いいな」に気づき、それを伝える勇気を育み、共感の輪を広げていく。そこに彼女の思いが素敵だなと思った次第です。また担任がそれを受け止めて目に見える形にしてくれています。玄関の昭和通り側にあるプランターに、その枝豆の「赤ちゃん」がいます。種を撒いてから数日後、それこそ枝豆のように、ふっくらと頭をもたげて芽を出し、双葉を広げて日差しを浴びようと大きな背伸びをしています。

話は変わりますが、生きている上で大事なものを大事にする順番がこんなに違う。そう思うことが多くて、世の中の常識を疑ってみないといけないことがたくさんあります。ただこれまでそうだった、ということを根拠に物事を判断できない時代が、1980年代以降(ポスト近代)始まっているのですが、突然にロシアが世の中を近代に連れ戻してしまいました。半世紀以上も世界時計が戻ってしまいました。悲劇の絵本の世界に、現実を描いて見せたのではなく、悲劇の絵本がまるで現実になってしまった。うそだろ、を本当にしてしまった。

枝豆の芽を大切に育てたい。その気持ちとウクライナの人々への想い、ロシアでの不幸に巻き込まれてしまった人々の苦悩。この二つが近づくのに決して重ならない。やっぱり数と勝敗と武力で語られる戦争の愚かさ。いいな、こうしてみたい・・・そんな子どもの小さな願いを叶えていくことができる平和な時間が、今ここにあると言いたいのではなく、それこそ井の中の蛙だと自覚しながらも、それを守ることぐらいもやれないなら、目の前の子どもたちのために何がやれるというのでしょう。戦争は動いているように見える世の中で私の心を動かなくさせてしまう。でも枝豆は葉を広げる。

 

集団的思考の結果としての3歳児のあいさつ

2022/06/04

今の時代に保育園に期待されていることは何だろう? いつもそんなことを考えながら保育園の運営をしてきました。育ってほしい資質や能力という、眼差しで子どものことを考えると、昨日もお話ししたように、コミュニケーション能力、集団思考、実行能力という3つのことを、これからのAI時代に必要なものだと、藤森統括園長は考えています(5月13日ブロク)。

(1)「対話する能力」コミュニケーション能力

(2)「他と協力する能力」コラボレーション力・集団的思考

(3)「実行機能」自己調節能力

このことは家庭や地域ではあまりできないけれども、保育園だからこそできるものということでもあります。家庭のしつけだけでは、子ども同士の刺激やモデル、模倣、集団力などで育つ力が発揮できません。多様な人間関係があって初めて、さまざまな<児童文化の世界>が成り立っているからです。

わらべうた、絵本、素話、紙芝居、人形劇、子ども同士のごっこ遊び、鬼ごっこ・・・このような児童文化財の質の選択には、学識経験者や研究者たちによる知見が生きています。それが私たちの仕事の質を支えていると言ってもいいでしょう。

その児童文化の中に入っていって、コニュニケーションをはかりながら、そこに展開されている子どもたちの体験は一人ひとりのことでだけではなく、人と人の関係の中にあります。それがコニュニケーションが発生し、集団的思考が働いたりしています。

集団的思考というのは、当事者にとってはどんなことなのか、私の体験から説明します。子どもの側にもそれと似たようなことが起きているんだと想像してみてください。この体験は家庭でも起きているのですが、保育園の集団の中でしか起きないものがたくさんあるということを想像していただきたいのです。

その具体的な出来事を、昨日の「園長ライオン」の終わりに私は体験しました。わいわい組のKRくんが、お母さんがお迎えに来たので自分で遊びをお終いにして(運動遊びのときは裸足なので)靴下を履き、上履きを履いて、鞄を持って私のところにわざわざやってきて、私の目をしっかり見て「せんせい、ばいばい」と挨拶して行ったのです。

その「せんせい、ばいばい」の中には、“たのしかったよ、またやろうね”がはっきりと含まれていました。あの表情は忘れられません。まるで映画のシーンのように、彼の目が焼き付いています。その瞬間の表情をよ〜く吟味したいので、映画作品などで、その瞬間を止めて、しばらく数秒間そのままにするという手法がありますよね、あれを思い浮かべてください。(例えば、ちょっと古いですが映画「つぐみ」(吉本ばなな原作)の片瀬里穂が黙って真田広之のことばを聞いている時の表情のようでした)

この挨拶こそ、挨拶の本質だな、と思いました。自分から自分のうれしい気持ちを伝えたくなって伝えに来てくれたのです。二語文ですが、多義的な、というよりも、自分が体験した時間は充実していたよ、うれしかったという気持ちを分かち合いたかったのだと思えます。学生には精神間機能から精神内機能へ(ヴィゴツキー)の事例として説明することもできるでしょう。社会的な知性というものは、人と人の精神の間にあるものを、個人の内面に「略奪」して獲得していくんだ、という意味です。

確かに心の中で起きていることは見えません。誰にもわからないものです。しかし、KRくんと私の間には、確かに通わせたいものが同時にそこに発生したとしか言いようがないのであって、その豊かな<表象>をもっと正確に再現させるとしたら、それはいろんな表現方法があるんでしょうが、3歳の彼には「せんせい、ばいばい」という言葉に代用させたのです。体験からえた感覚が表象となり、それが言葉に結実した瞬間がそこにはありました。

保育園に期待されていること

2022/06/03

園生活の中にあって、家庭生活の中にないものがたくさんあります。特に私たちが意識しているのは子ども同士の関わり、子ども文化の継承ということです。会話だけではなく、言葉にならないものも含めて、あるいは言葉以前のことばを含めて、コミュニケーションの力を育てることを大事にしています。歌や音楽、運動、ダンスなど体を使う表現活動は、自分と世界、自分と他者を繋いでいく大切な自己表現です。考えや気持ちを伝え合う、伝わりあっているという体験が喜びになっていくように、子ども同士の文化を豊かにしたいと思っています。

また人と人が力を合わせること、協力することは人の人たるゆえんとも言われていることです。ホモ・サピエンスが氷河期を乗り越えることができたのは、その何かの目的に向かって協働することや考えること(集団思考)が長けていたからだそうです。子どもの育ちというのは、人類の系統発生的なプロセス(進化の過程)を再現している面もあります。ですから、人との関わりという、そうした体験を積み重ねることで、子どもたちは自分らしい自己決定ができるようになっていきます。やりたいことと期待されていることのジレンマを乗り越えていきながら、実行機能を育むようにしています。

今日は久しぶりに夕方2時間、4時から6時まで3階の運動ゾーンで「園長ライオン」を3セット行いました。3歳のわいわいから始まって、4歳のらんらん、5歳のすいすいと20〜30分ずつやったのですが、発達の段階がよくわかると同時に、この3年間の変化を比べると、明らかに今の方が身体能力が全体的に向上しています。ネットに登っている子どもたちは700万年以上前から使ってきた身体を使っています。脳幹の部分を刺激しています。またライオンから食べられないように逃げる動物を演じているごっこ遊びですから、そこに蘇る感情は恐れと安堵という、とても原初的な情動です。かくれんぼのドキドキ感、スリル感が楽しそうです。そしてこの遊びの中には、ライオンを騙して仲間を助けようとする姿が見られます。こんな群れ遊びは家庭や地域にはありません。

現代は子育てが家庭だけでは難しい時代になりました。第一次産業から第二次産業へ移行する過程で「職住の分離」と「都市化」「核家族化」が進み、住んでいる家の近くで働きながら子育てができる環境がなくなりました。それは現代では当たり前の姿かもしれませんが、実は人間は何百万年もの間続いた狩猟採集社会にできた「脳」と「身体」のままであり、現代のような急激な環境変化に適応できていません。その悪条件の中で、子どもたちに取り戻さなければならない体験を、保育園は創り出していく必要に迫られています。

保育参観について

2022/06/02

6月には保育参観があります。そこで、少し見学や参観や保育体験について考えてみたいと思います。まず、この時期の保育参観は、新年度から2ヶ月が経ち、入園や進級した子どもたちが園生活をどのように過ごしているのか、どのように慣れてきているか、などが見てみてください。秋にももう一度あります。とは言っても、保育参観はこの時期に限らず、いつでもできますので、ご希望があれば担任にご相談ください。

保育参観はベランダなど、ちょっと離れた場所から見てもらうので、だいたいこんな様子なんだなあ、という程度しかわからないかもしれません。遠くからの印象という感じになるかもしれません。それでも、楽しく遊んでいるな、とか、おやつやお昼ご飯も美味しそうに食べているな、とかがわかると思います。時間帯を選んでご覧になってみてください。

保育園では、家ではあまりやらないことがたくさんがあります。園だより6月号の巻頭言では、その活動が色々あることをお伝えしました(5月30日)。これは毎日のルーティーンのことなので、クラスのブログや日誌でも、取り上げることさえあまりないのですが、その一つ一つに、とっても大事な体験がギューっと詰まっています。

例えば、今日6月2日(木)のちっち・ぐんぐんの生活を覗いてみます。すると子どもたちが毎日の生活の時間の流れの中で、それぞれが「自分」というものを発揮していく姿があります。先生に「あれ!」と求めたり、先生が「これな〜に?」と聞いたり、「今日は、どの絵本にしようかな。これにしたいと思うけど、どう?やる?」と話しかけたり、じゃあ、お歌うたおうか・・・♪でんでんむしむし かたつむり〜 と歌をうたったり、先生がつくった電車の写真が「ガタン ゴトン ガタン ゴトン」と、子どもたちの周りをぐる〜っと回ったり・・なにげないように見える生活のシーンなのですが、そこには計画された体験のつらなりがあります。

参観の日に、外遊びとして散歩に行ったり、公園で遊んだりする日になることもありますが、一緒について行ってみてください。小さいうちは見つからないように、少しあとを追っていくといいでしょう。

もっと詳しく知りたいときは、ぜひ「保育体験」をなさってみてください。パパ先生、ママ先生になっていただき、半日子どものいるクラスで保育補助を体験しながら、お子さんの生活の様子をご覧いただけます。この2年間はコロナ禍でできませんでしたが、令和元年度に参加された方は「とてもよかった、どんなふうに過ごしているのか、よくわかりました」という感想をいただいています。「今日はママじゃなくて先生だよ」ということを理解して、子どもなりに先生なんだ、という感覚で接するので、それが理解できるぐんぐん組後半くらいからなら保育体験もありだと思いますので、お勧めします。

今日のクラス日誌から・・

2022/06/01

今日から6月です。新しい月が始まりました。そこで今日は先生たちが毎日書いているクラス日誌を紹介します。そこには、子どもたちの成長の様子が記録されているのですが、その成長を喜んでいる先生たちの書き振りを見て、私は嬉しくなってしまいます。例えば・・

ちっち組

・・・身体測定後、高月の2名は屋上へ。◯ちゃんは、朝から機嫌があまり良くなかったのでもあったので、ゆっくり関わってから屋上へ行って気分転換した。低月は、友だちへの興味が出てきたのか、近づいていってお互いに顔を触ってみるような姿が増えてきた。・・

ぐんぐん

・・・身体測定では自ら洋服を脱ぎ始め測定しようと意欲的な子どもが多くいた。以前まで拒む子もいたが、今日は友達の姿を見たり大人と話をすることで、自ら測定器に乗り測っていた。子どもたちが自分からやろうとする気持ちになることで楽しく行動できていたので、遊びだけでなく身体測定など自ら行動できるような工夫をしていきたい。・・

にこにこ

・・・ぐんぐん組と一緒に屋上で遊ぶ。わらすさんが育てているスイカにアリが沢山集まっているのを見つけて、観察していた。他の野菜よりもスイカの方にたくさん集まって来ていたので、「甘い匂いがするのかな?」と葉っぱの匂いを嗅いでみる。◯◯ちゃんが「何もにおわな~い。葉っぱの匂いだけする~」と話していた。それからしばらくアリの観察が続いていた。・・・

わいらんすい

・・・浜町公園で、鬼ごっこや自然物での遊びを広げていた。ひと遊びの後、すいすい組が集まってミーティングをする。テーマは「この公園をより楽しく遊ぶために必要な物」という内容。 子どもからは虫網が提案され意見が一致。 具体的にどれくらい用意するかを話し合うと「5,10、15・・・」と意見が出て「5本か15本」で割れる。最後は5本用意して遊んでみようと決まった。・・

こんな子どもたちの様子の描写が続き、それに基づくその日の反省・振り返りが記載れていくのですが、そうした計画、実施、評価・反省の保育サイクルを推進していく原動力は何かというと、先生たちの子どもたちへの愛情です。一人ひとりの子どもたちに「こうしてあげたいな」「こうしたらもっと◯◯になっていくかな」という、先生たちの願いが、計画に変わっていくということが、よくわかります。

そして愛情に裏付けられた保育に、その実質を与えるものが、子どもや保育を見ていく力、多面的な視点や重要と思えることを選び出せる判断力です。特に子どもの姿から、心の動きや心情、学んでいる内容、身につけていることは何かなど、発達の意味を理解するには、専門的な知識を得ることが不可欠です。日誌に記録されることは保育全体のほんの一部でしかありませんが、それでも部分の質は全体の質と相関があるのです。

 

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