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園長の日記

集団的思考「みんなで育てたい枝豆」からの私の学び

2022/06/05

今週を振り返ってみて私が印象に残っているエピソードは(私に届いているエピソードの中では)、枝豆をみんなで育てたいと先生に言ってきた子どものことです。年長さんらしい「共に」の心が美しい話です。集団でこそ育つものが現代では失われてしまったという強い危惧を抱いて、この仕事の世界に30代で入った私は、それから四半世紀が過ぎても、その状況が好転しているのか停滞しているのか、少しでも改善しているのか、思案することが続いています。

そんな中で、友達のいる保育園の仲間と枝豆を育てたい、分かち合いたいと思う気持ちほど、素敵な育ちはないように思えて仕方がなく、なんだか私が救われたような気になります。ちょっとした「いいな」に気づき、それを伝える勇気を育み、共感の輪を広げていく。そこに彼女の思いが素敵だなと思った次第です。また担任がそれを受け止めて目に見える形にしてくれています。玄関の昭和通り側にあるプランターに、その枝豆の「赤ちゃん」がいます。種を撒いてから数日後、それこそ枝豆のように、ふっくらと頭をもたげて芽を出し、双葉を広げて日差しを浴びようと大きな背伸びをしています。

話は変わりますが、生きている上で大事なものを大事にする順番がこんなに違う。そう思うことが多くて、世の中の常識を疑ってみないといけないことがたくさんあります。ただこれまでそうだった、ということを根拠に物事を判断できない時代が、1980年代以降(ポスト近代)始まっているのですが、突然にロシアが世の中を近代に連れ戻してしまいました。半世紀以上も世界時計が戻ってしまいました。悲劇の絵本の世界に、現実を描いて見せたのではなく、悲劇の絵本がまるで現実になってしまった。うそだろ、を本当にしてしまった。

枝豆の芽を大切に育てたい。その気持ちとウクライナの人々への想い、ロシアでの不幸に巻き込まれてしまった人々の苦悩。この二つが近づくのに決して重ならない。やっぱり数と勝敗と武力で語られる戦争の愚かさ。いいな、こうしてみたい・・・そんな子どもの小さな願いを叶えていくことができる平和な時間が、今ここにあると言いたいのではなく、それこそ井の中の蛙だと自覚しながらも、それを守ることぐらいもやれないなら、目の前の子どもたちのために何がやれるというのでしょう。戦争は動いているように見える世の中で私の心を動かなくさせてしまう。でも枝豆は葉を広げる。

 

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