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園長の日記

集団的思考の結果としての3歳児のあいさつ

2022/06/04

今の時代に保育園に期待されていることは何だろう? いつもそんなことを考えながら保育園の運営をしてきました。育ってほしい資質や能力という、眼差しで子どものことを考えると、昨日もお話ししたように、コミュニケーション能力、集団思考、実行能力という3つのことを、これからのAI時代に必要なものだと、藤森統括園長は考えています(5月13日ブロク)。

(1)「対話する能力」コミュニケーション能力

(2)「他と協力する能力」コラボレーション力・集団的思考

(3)「実行機能」自己調節能力

このことは家庭や地域ではあまりできないけれども、保育園だからこそできるものということでもあります。家庭のしつけだけでは、子ども同士の刺激やモデル、模倣、集団力などで育つ力が発揮できません。多様な人間関係があって初めて、さまざまな<児童文化の世界>が成り立っているからです。

わらべうた、絵本、素話、紙芝居、人形劇、子ども同士のごっこ遊び、鬼ごっこ・・・このような児童文化財の質の選択には、学識経験者や研究者たちによる知見が生きています。それが私たちの仕事の質を支えていると言ってもいいでしょう。

その児童文化の中に入っていって、コニュニケーションをはかりながら、そこに展開されている子どもたちの体験は一人ひとりのことでだけではなく、人と人の関係の中にあります。それがコニュニケーションが発生し、集団的思考が働いたりしています。

集団的思考というのは、当事者にとってはどんなことなのか、私の体験から説明します。子どもの側にもそれと似たようなことが起きているんだと想像してみてください。この体験は家庭でも起きているのですが、保育園の集団の中でしか起きないものがたくさんあるということを想像していただきたいのです。

その具体的な出来事を、昨日の「園長ライオン」の終わりに私は体験しました。わいわい組のKRくんが、お母さんがお迎えに来たので自分で遊びをお終いにして(運動遊びのときは裸足なので)靴下を履き、上履きを履いて、鞄を持って私のところにわざわざやってきて、私の目をしっかり見て「せんせい、ばいばい」と挨拶して行ったのです。

その「せんせい、ばいばい」の中には、“たのしかったよ、またやろうね”がはっきりと含まれていました。あの表情は忘れられません。まるで映画のシーンのように、彼の目が焼き付いています。その瞬間の表情をよ〜く吟味したいので、映画作品などで、その瞬間を止めて、しばらく数秒間そのままにするという手法がありますよね、あれを思い浮かべてください。(例えば、ちょっと古いですが映画「つぐみ」(吉本ばなな原作)の片瀬里穂が黙って真田広之のことばを聞いている時の表情のようでした)

この挨拶こそ、挨拶の本質だな、と思いました。自分から自分のうれしい気持ちを伝えたくなって伝えに来てくれたのです。二語文ですが、多義的な、というよりも、自分が体験した時間は充実していたよ、うれしかったという気持ちを分かち合いたかったのだと思えます。学生には精神間機能から精神内機能へ(ヴィゴツキー)の事例として説明することもできるでしょう。社会的な知性というものは、人と人の精神の間にあるものを、個人の内面に「略奪」して獲得していくんだ、という意味です。

確かに心の中で起きていることは見えません。誰にもわからないものです。しかし、KRくんと私の間には、確かに通わせたいものが同時にそこに発生したとしか言いようがないのであって、その豊かな<表象>をもっと正確に再現させるとしたら、それはいろんな表現方法があるんでしょうが、3歳の彼には「せんせい、ばいばい」という言葉に代用させたのです。体験からえた感覚が表象となり、それが言葉に結実した瞬間がそこにはありました。

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