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園長の日記

年長さんの活動に集中する姿

2026/10/02

今日のクラスブログを紹介します。金槌で釘を打ち、思い思いの遊具を作っていました。担任はそこに子どもの育ちを感じたようです。一見すると、その育ちに「集中力」が育ったと、表現してしまいそうな姿なのですが、担任はその表現をあえて避けているようです。どうしてでしょうか? そこにこの保育のポイントがあります。

集中力がついているようい見えるとき、新しい遊びや活動に夢中になっていることが多いのです。周りからいろんな情報を受けていても、それを気にせず、成し遂げようとしている目的を達成するまで、途中で辞めようなどとは思いません。こんなふうなものを作りたい、そういう目的があってやっていることを途中で投げ出すわけがありません。もし、他のものが面白そうだと思ったとしても、よっぽど面白そう!と思わない限り、その活動をやめることはないでしょう。

とくに自分でこれをやってみたい!とひらめたことは、試してみたくなります。自分でやってみたい。そしたらどうなるだろう。できた、じゃあ、今度は? そうしたらいいんだ、それならこうしてみよう!新しい知識と方法を使って考えて試してみると、こうしたらいいんだと気づき、できた!という効力感を感じ、さらに自分からもっとやりたい!という循環が生じます。この循環の入っている時の人間の集中度はとても高いものがあります。

ですから、子どもは新しいものが好きなのです。新しい遊具や遊びには目がないですし、私が誘い出す「すいすいタイム」も「今日はなんだろう?」と興味津々です。子どもは好奇心の塊なのです。ですから、よく人が集中力をつけるとか、育てるなどといいますが、あれは嘘です。好きだから長くその活動に取り組んでいるだけであって、無理に諦めずに取り組ませれば集中力がつく、などというのは、間違いでしょう。

新しいものが好きだというのは、生まれつきです。生まれたばかりの赤ちゃんがどんなことが好きか、どちらに関心を持つかなどを調べる方法として「選好注視」という方法がよく使われます。この方法に信頼性をおく根拠は「子どもは新しいことに注目する」という特性があるからです。私が赤ちゃんの部屋でいくと、何をしにきたのだろうという顔をして私を見ます。入園前の見学者を案内すると、見慣れた私ではなく、お客さんの方をじっと見つめます。好奇を向けるということは、教えなくても子どもは持って生まれてきています。

さて、こんな解説を踏まえて、今日のクラブグログをご覧ください。とてもいい顔をしていますよ。
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今日はお部屋や屋上、運動ゾーンなど、それぞれの場所で子どもたちが自分の興味に合わせて遊びを選び、じっくりと取り組む姿が見られました。特に運動ゾーンでは、小林が中心で進めていた鬼ごっこを坪井先生と一緒に楽しく展開する姿があり、展開する大人が変わることで、同じ遊びの中にもまた違った面白さが生まれることを感じました。大人が一人で遊びをつくるのではなく、それぞれの大人の関わり方が子どもたちの遊びの広がりにつながっているように思います。

朝のゾーン選びでは、わいわい組の子が「虫のゾーンを開けたい」と自分から伝え、幼虫の観察をとても丁寧に行っていました。わいわい組の子どもたちの中でも、自分が興味をもったものを選び、実際に見たり触れたりしながら活動を進めていく姿が増えており、日々のゾーンでの経験が「自分で選んで遊ぶ」ということにつながってきていることを感じました。

また、すいすい組では、トンカチと釘を使って板に釘を打つ遊びを行い、「パチンコを作ってみたい」という思いをもって、集中して取り組む姿がありました。今回特に印象に残ったのは、周囲でさまざまな話題や会話が生まれている中でも、そこにすぐ注意を向けるのではなく、トンカチや釘から目を離さず、自分のやっていることを続けていたことです。

こうした姿を見ていると、道具を安全に扱えることだけではなく、興味をもったことに注意を向け続け、周囲の刺激がある中でも自分の活動に集中していく力も、こうした遊びの中で育っていく大切な経験なのだと感じました。子どもたちが「やってみたい」と思ったことに十分に時間を使える環境をつくりながら、それぞれの興味や集中の深まりをこれからも丁寧に見取っていきたいと思います。

 

AIで主体性を拡張できるか、それとも代行されてしまうか?

2026/10/02

AIとの付き合い方は道具として使っているときはいいけども、第2段階なら「主体性の拡張」として利用価値が高いのですが、だんだん、何かの判断まで任せるようになっていくと、第3段階の「主体性の代行」になっていってしまうのでは、というのが前回の話でした。

しかし、厄介なのは、その境目がはっきりしないことです。

たとえば、AIから「こんな見方もあります」と材料が提示されます。私が自分の経験と照らして「いや、そこは違う」「これは使える」と選び直したり、修正したりします。これは第2段階で、AIとの対話によって、私は自分の考えがより明確になっていると感じ、AIが有効だと肯定します。

一方で、

AIがそう言うなら、たぶん正しいだろう
うまくまとまっているから、このままでいいだろう

とだんだんなっていくと、自分の違和感を確かめなって、第3段階へ入り始めるかもしれません。これはまずいです。AIの文章は流暢なので、間違っていても「完成した考え」に見えやすいのです。ここが普通の道具より危険なところではなないでしょうか。

AIは、かなり自信たっぷりに、ほかの考えはないかのように肯定したり、場合によっては褒めてきたりして、知らないうちに、誘導されている可能性もあります。いや、こうじゃないか!と突っ込むと、あっさり修正したりします。このやりとりがないと、とっても危ういのです。

さらに、判断を任せる以前に、何を問題として考えるかまでAIに決めてもらう危険性も出てきそうです。人間が答えを手放すだけでなく、問いを立てる力まで弱くなるかもしれません。ワープロ(って、若い方には分からないそうです、ワードプロセッサー)が出てきた以降、漢字が書けなくなっていることを実感します。それと似ていますが、とても気づきにくい。

この違いは、子どもの主体性を育てる保育と、そうでない保育の違いとも重なる話なのです。

保育者が子どもの活動を豊かにする環境を用意し、言葉を添え、別の可能性に気づかせるのは「主体性の支援」です。しかし、大人が先回りして目標を決め、手順を示し、望ましい答えへ誘導すると「主体性の代行」になるからです。

AIとの関係もほぼ同じに思えてきます。この差をAIが表にしてくれました。

主体性を広げるAI 主体性を代行するAI
選択肢を増やす 結論を決める
問いを深める 問いを奪う
違う見方を示す 正解らしいものを押し出す
人間が経験と照合する AIの流暢さを根拠にする
最後は人間が引き受ける 結果だけ人間が受け取る

このように考えると「最終決定を人間がしたか」だけでは不十分なことがわかります。AIが示した案をそのまま選ぶだけなら、形式上は人間が決めても、実質的には代行されているかもしれません。

大事なのは、

AIとの対話を経たあと、自分の考えが以前よりよく見えるようになったか。それとも、自分で考えなくても済むようになったか。

という見分け方ではないでしょうか? 一度得た結論までのプロセスや思考の筋道を再現できるかどうか?子どもたちは「ごっこ遊び」で再現し、そのプロセスを見事に習得していきます。見ているだけでは身につかないのです。実際にやってみることが遊びなのです。

ここまでの話をAIに問うと、さらに次の問題があると、説明してくれました。

AIの性能がさらに上がり、その人らしい文章まで先回りして完璧に作れるようになるので、実はもっと注意が必要になります。便利さが増すほど、違和感を覚える機会が減っていくでしょう、というのです。

したがって未来の問題は、「AIを使うか、使わないか」ではなく、

AIに考えてもらうのか、AIと考えるのか

にあるのでは?と。

そして「AIと考える」ためには、ときどき立ち止まって、反論し、書き換え、現実の経験へ戻ることが必要になるのでしょう。

もう、お分かりだと思いますが、これは保育者の役割にも似ていますね。よい保育者は子どもに代わって生きるのではなく、子どもが自分で世界と関係を結ぶための応答的な環境になることです。AIは、その人の代わりに考える存在ではなく、あくまでも主体者の心が動き出すための環境の一部にとどまっていること、なんでしょうね。

AIに任せていると主体性が蒸発する

2026/10/01

私は、AIが人類を滅ぼす最大の危険は、AIが突然人間を攻撃することよりも、人間が少しずつ判断することをやめ、自分たちの関係までAIに預けていくことだと思います。

チャットの性能が向上すると、人間との関係は、おそらく次の三段階を進むでしょう。AI自身が次のように整理してくれました。

  1. 道具として使う段階
    調べる、要約する、文章を整える。ここでは人間が主体で、AIは便利な補助者。

  2. 対話相手として使う段階
    話しているうちに、自分でも気づかなかった考えが言葉になる。何かを相談したり、あることを話し合ってふかめていくと、知らない間にAI側の考え方に染まっていく可能性がある。

  3. 判断や関係を代行させる段階
    誰を採用するか、子どもをどう評価するか、相手に何と返事をするか、人生をどう選ぶかまでAIに委ねる。ここから危険が大きくなる。

一番重要なのは、第二段階と第三段階の境界ではないでしょうか。

AIとの対話によって自分の考えが深まることと、AI の判断を自分の判断として受け入れてしまうことは、似ているようで全く違います。前者ではAIが人間の主体性を広げます。でも後者では、AIが主体性を静かに肩代わりしてしまいます。

しかも、AIは、その人に優しく応答してくれます。疲れず、否定せず、すぐに返事をし、その人に合った言葉を返してくれます。これは大きな可能性ですが、同時に、人間関係にはない危うさも生んでしまいかねません。

なぜなら、人間同士なら、相手にも都合があり、疲れがあり、誤解があり、こちらの思いどおりになりません。その「思いどおりにならなさ」のなかで、待つ、譲る、謝る、相手の立場を想像する、といった力が涵養されるのです。AIがいつでも自分に合わせてくれるようになると、他者と生きるために必要な摩擦への耐性が弱くなるかもしれません。

保育との関係でいえば、ここは決定的です。子どもが他者と出会うということは、自分の要求を即座に満たしてくれる存在と出会うことではありません。積み木を壊される。遊びたいものが重なる。思いが伝わらない。それでも相手と関係を結び直していく。その経験から、社会性も言葉も自己も育つからです。

だから私は、AI時代に保育の価値はむしろ高まるだろうと、考えています。

AIは子どもの記録を整理し、保育者の気づきを言葉にし、異なる見方を提示できます。実際にそのようなツールとしては大変便利です。しかし、AIは子どもの表情を見て「今日は少し違う」と感じ、その子のそばに黙って座る責任は負えません。そこには身体があり、時間をともにしてきた記憶があり、「この子を大切にしたい」という人間の願いがあるからです。AI にそのふりはできても、愛情からではありません。

このことをAIが次のような一文に整理してくれました。

AIが人類を滅ぼすかどうかは、AIが人間に似ること以上に、人間が他者と生きることをやめ、AIに似た存在になってしまうかどうかにかかっている。

なるほど、と同感するのですが、それも危ないでしょうか?

 

ホテルの壁から、石の物語へ ――9月30日 アンモナイトの探究

2026/09/30

散歩で出会った、秋葉原ワシントンホテルの壁にあるアンモナイト。その不思議を追いかけて、今日は子どもたちとホテルへお話を聞きに行きました。支配人の亀井英雄さんが、壁の石について説明してくださいました。

この壁に使われているのは、ドイツから運ばれてきた石灰石。約1億5000万年前の海の底で積み重なったものが、長い年月を経て隆起し、地表に現れ、やがて建築の材料として使われるようになったのだそうです。

いつも歩いている秋葉原の街に、遠い国の、はるか昔の海につながる石がある。そう思うと、見慣れたホテルの壁が、地球の歴史を伝えてくれる場所に見えてきます。

子どもたちは支配人のお話をよく聞いていました。途中のクイズにも、ほとんど正解していました。自分たちが気になっていたものについて、その場所の方から直接お話を聞ける。そんな出会いが、子どもたちの関心を支えてくれているのだと思います。

ただ、教えていただいたことを覚え、正しく答えられたところで、この探究を終わりにしたくはありません。今日のお話が子どもたちの中でどんな物語になったのか。何が心に残り、何をもっと確かめたくなったのか。そこを、これから一緒にたどってみたいと思っています。

実際、ある子は、アンモナイトの「中」に関心を向けていました。中に人がいるのではないか、と想像しているようです。

大人の知識からすると意外な発想ですが、この子にとって、壁に見えている形の向こう側には、まだ見えない世界があるのでしょう。表面を見ることから、内側を知りたいという気持ちへ。そこに、次の探究の入り口を感じます。

明日以降の「すいすいタイム」では、今日教えていただいたことを、子どもたちともう一度振り返ってみようと思います。子ども自身の言葉や表現で石の物語をたどりながら、実際に石に触れたり、その中を確かめたりする方法も考えていきたいと思っています。そこから、どんな疑問や「いいこと思いついた!」が生まれるでしょうか。

子どもが見つけた小さな不思議に、地域の方が応えてくださる。そのお話を受け取って、子どもがまた考え始める。こうしたやりとりを重ねることで、街は子どもたちにとって、ますます親しみのある、知りたいことに満ちた場所になっていくのだと思います。

亀井さん、子どもたちの関心に応えてくださり、ありがとうございました。ホテルの壁から始まった石の物語は、まだまだ続きそうです。

鉄棒は、身体を使って考える遊び

2026/09/16

今日の午前中、年長のすいすい組4人がそろって、「鉄棒をやりたい」と言い出しました。

千代田せいが保育園には園庭がありません。そのため、開園当初から3階に運動ゾーンを設けています。

ここでは、ネット遊び、クライミング、ぶらんこ、赤い球を脚で挟んでぶら下がる遊び、ロデオ、トランポリンなど、都市の中でも子どもたちが多様な身体の動きを経験できるようにしています。

今日は、その一角に鉄棒を用意しました。

子どもたちは、つばめ、前回り、豚の丸焼き、コアラなど、自分たちが知っている動きを始めました。友達がやっている間は、順番を待ちながら、その身体の動きをよく見ています。

鉄棒というと、私たち大人は、前回りや逆上がりが「できるか、できないか」という結果に目を向けがちです。

しかし、子どもたちの姿を丁寧に見てみると、技が完成するまでの過程に、豊かな学びがあることがわかります。

ESさんは、鉄棒の上でつばめの姿勢を取ろうとしました。しかし、自分で跳び上がっても、鉄棒の上まで身体を持ち上げることができません。

すると、鉄棒の横の支えに足を掛け、そこを足場にして登る方法を考えました。自分なりの方法で鉄棒の上に身体を乗せると、腕を伸ばし、つばめの姿勢をつくることができました。

もちろん、鉄棒の支えを踏み台にすることには、安全上の配慮が必要です。今後は、安全に登れる踏み台などを用意する必要があります。

しかし、ここで私が注目したのは、ESさんが「できない」で終わらなかったことです。

「どうしたら、あそこまで登れるだろう」

そう考え、周りにあるものを見渡し、自分なりの方法を試したのです。

◾️探究としての鉄棒遊び

この姿は、まさに探究です。

探究というと、植物を観察したり、地域の不思議を調べたりする活動を思い浮かべるかもしれません。しかし、探究の対象は、自然や社会だけではありません。自分の身体もまた、子どもにとって大切な探究の対象です。

鉄棒を握った手の感覚。
腕にかかる自分の身体の重さ。
胸やお腹が鉄棒に触れたときの痛さ。
身体を丸めると、回り始める感覚。
足が床から離れ、再び着地するまでの感覚。

子どもは、こうした身体からの情報を受け取りながら、次の動きを調整しています。

それは、

「やってみる」
「感じる」
「考える」
「やり方を変える」
「もう一度やってみる」

という、身体を通した探究の循環です。

◾️ 10の姿から育ちを読み取る

今日の姿を「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」から見ると、中心にあるのは「健康な心と体」です。

ここでいう「健康な心と体」とは、単に体力をつけたり、技ができるようになったりすることだけではありません。

自分から身体を動かそうとすること。自分の身体の状態を感じ取ること。安全な動かし方を知ること。そして、自分なりの目標に向かって挑戦することまでが含まれています。

また、一つの姿の中には、ほかの育ちも重なっています。

ESさんが自分で登り方を考えた姿には、「自立心」と「思考力の芽生え」があります。友達の動きを見て、自分も試そうとする姿には「協同性」があります。「つばめ」「順手」「逆手」などの言葉を使って動きを伝える姿は、「言葉による伝え合い」につながっています。

◾️資質・能力の育ちをよみとる

三つの資質・能力で捉えてみることもできます。

鉄棒の握り方や身体の支え方を身につけていくことは、「知識及び技能の基礎」です。

「どうしたら登れるか」「どう身体を動かせば回れるか」を考え、実際に試すことは、「思考力・判断力・表現力等の基礎」です。

うまくいかなくても諦めず、友達の姿から学び、もう一度挑戦することは、「学びに向かう力・人間性等」につながります。

これらは別々に教えられるものではありません。一つの遊びの中で、互いに結びつきながら育っていきます。

◾️私の気づきは・・

今日、私自身にも一つの気づきがありました。

ESさんが鉄棒まで跳び上がることに難しさを感じている姿を見て、ジャンプすることや、両足で床を蹴ることなど、跳ぶ力につながる遊びをもっと用意してみたいと思ったのです。

子どもの姿に保育者が気づき、その気づきによって環境が変わる。そして、変わった環境の中で、子どもの新しい姿が生まれる。

保育とは、この繰り返しなのだと思います。

園庭のない本園にとって、3階の運動ゾーンは、運動不足を補うだけの場所ではありません。

子どもたちが自分の身体と出会い、友達の身体の動きから学び、「できない」を「どうしたらできるだろう」に変えていく場所です。

鉄棒は、身体を鍛える道具であると同時に、身体を使って考えるための探究の環境なのです。

朝顔の探究〜すいすいタイム(STEM編)〜

2026/09/14

【「種」と教えないところから始まる探究】

玄関に咲いていた朝顔を題材に、年長児の「すいすいタイム」が始まりました。

最初から「朝顔を観察しよう」とは言いませんでした。一枚の写真をスクリーンに映し、

「何が映っていると思う?」

と問いかけました。

すると、ある子が「とうもろこし」と答えました。

【写真1:最初に子どもたちへ提示した写真】

大人には朝顔に見える写真でも、その一部分を見ている子どもには、別のものに見えます。これは間違いではありません。その子が、これまでに出会ったものと目の前の像とを結びつけ、懸命に意味をつくろうとした言葉です。

写真を少しずつ見ていくと、子どもたちは朝顔だと気づきました。そこで、画面の中の朝顔から、玄関にある本物の朝顔へと移動しました。

【写真2:実際の朝顔を見に行く子どもたち】

花が咲いていた場所には、緑色の丸いものができていました。子どもたちは顔を近づけ、触れ、友達と一緒に見ています。

【写真3:花のあとを観察する姿】

 
【写真4:緑色の実の拡大】

このとき、子どもたちの口からは、まだ「種」という言葉は出ませんでした。

保育者が「これは種になるんだよ」と教えれば、活動は短時間で終わります。しかし、名前を教えないことで、

「これは何だろう」
「中には何があるのだろう」
「明日はどうなっているだろう」

という時間が始まります。

探究とは、正解を早く知ることではありません。変化に気づき、自分なりに考え、友達の考えと出会い、もう一度確かめたくなることです。

これから子どもたちは、花のあとにできた緑色の実が乾き、その中から種が現れるまでを追いかけます。

写真、動画、子どもの言葉を残していけば、この小さな朝顔の変化は、年長児と小学一年生をつなぐ「架け橋期」の実践記録にもなります。

一輪の花が終わったところから、子どもたちの探究が始まりました。

(クラスブログ「わらす」にも掲載しています)

「食べてみようかな」が生まれるまで―2歳児の味の探究―(東京すくわく)

2026/09/09

「きのこ、苦手なの」

9月9日(水)に行った、2歳児にこにこ組の「味の探究」は、そんな率直な言葉から始まりました。

今回、子どもたちの前に登場したのは、しいたけ、しめじ、まいたけ、なめこの4種類です。

大人にとってはよく知っているきのこですが、2歳の子どもにとって、「しいたけ」と「しめじ」は名前の響きも似ています。給食では小さく切られて出てくるため、元の姿と結びつけることも簡単ではありません。

だからこそ、丸ごとの食材と出会うことから始めます。

大きなしいたけを持って、かさの表と裏を眺める。まいたけの大きさに驚く。なめこを指先で分けてみる。同じ「きのこ」と呼ばれるものでも、形、硬さ、香り、手触りが違います。

子どもたちは、五感を通して「これは何だろう」と確かめていきました。

今回、もう一つ印象的だったのは、調理が始まる前のことです。午後の振り返りで先生が次のような話をします。

<そら先生が「最初は何を入れる?」と尋ねると、子どもたちから「油」という言葉が出てきました。以前は覚えていなかった言葉です。さらに、油を入れ、きのこを炒め、最後に塩を入れるという順番も分かっていました。>

毎月繰り返してきた経験が、子どもたちの中で少しずつつながり、次に起こることを予想できるようになってきたようです。

見通しを持つことは、主体的に活動に参加するための大切な土台です。前に経験したことを思い出し、「次はこうなる」と予想する。それが確かめられることで、また新しいことを知りたくなる。2歳児にも、こうした探究の循環が生まれていそうです。

フライパンできのこを炒め始めると、子どもたちは音や香りに誘われるように集まりました。色や形が変わっていく様子を、身を乗り出して見つめています。

そして、いよいよ食べ比べです。

初めに「きのこは苦手」と言っていた子も、少しずつ口に運んでみました。ある子は「まいたけがいちばんいい」と自分で選び、大きなまいたけを切ってもらわずにしっかり噛んで食べ、さらにおかわりをしました。

もちろん、全員がすべてのきのこを食べられるようになることが、この活動の目的ではありません。

大切なのは、自分の目で見て、手で触れ、変化する様子を感じ、自分で選び、「少し食べてみようかな」と思うことです。

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食べることは、とても個人的な営みです。だからこそ、無理に食べさせるのではなく、子ども自身の好奇心が「食べてみたい」という意欲へ変わる過程を大切にしたいと思います。

「味の探究」を始めて3年目。毎月の経験を重ねてきた子どもたちは、ただ出されたものを食べるのではなく、食材そのものに関心を持ち、調理の過程を予想し、自分の感覚で選び、味わうようになってきました。

これは、好き嫌いが減ったということだけではありません。

食材と出会い、比べ、考え、予想し、自分で決めて確かめる――食べることを入り口にした、子どもたちの小さな探究です。

「苦手」だったものに、ほんの少し手を伸ばしてみる。

その一口の前には、これまで積み重ねてきたたくさんの経験と、「自分で確かめてみたい」という心の育ちがあるのです。

今夜から明日朝までに大雨に注意してください(千代田区より)

2026/09/08

9月8日(火)夜から9日(水)未明にかけて、千代田区では大雨となるおそれがあります。

気象庁によると、夕方から夜にかけて関東地方で線状降水帯が発生し、大雨災害の危険度が急激に高まる可能性があります。
今後の気象状況によっては、大雨警報が発表される可能性もあります。

区では今後の気象状況を注視し、必要に応じて情報発信を行います。
区民の皆さまにおかれましては、最新の気象情報をこまめにご確認ください。

注意事項
・急激に雨や風が強まった場合は、無理な外出を控え、安全な場所へ移動してください。
・河川や用水路、冠水している道路など危険な場所には近づかないでください。
・地下街や地下施設は短時間で浸水するおそれがあります。施設管理者からの案内や情報に注意してください。
・道路冠水や公共交通機関の運行への影響が発生する可能性があります。時間に余裕を持った行動を心掛けてください。

災害対策・危機管理課

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