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園長の日記

散歩ギャラリー【拡大版】⑧アカカタバミ

2019/05/18

散歩ギャラリー【拡大版】 ⑧アカカタバミ(赤片喰)

花が黄色と紫のカタバミが、園の近くにはたくさん見られます。同じ黄色の花をつけているカタバミでも、葉が赤っぽいのもありました。【注】カタバミの和名には、片喰と傍喰の二種があるようです。
生物は世代交代の度に、変異体を生じるように出来ています。ヒトも同じです。異なる特性を持つ個体のうち、その環境で次世代を多く残した個体の特性が、結果的に環境に適している。そう考えるのが、現代の生物学が支持する進化論です。葉っぱが赤っぽいという特性が、どう環境に適しているだろう。散歩中にチラリと思いついた疑問符は、まだ疑問のままです。調べても「突然変異」という説明までしかありません。こういうときは、大抵まだ有力な説がないことを意味します。
■子どもは小さな科学者
「アカカタバミの生存戦略はなんだろう?」その納得できるような説明理由を思いついて(仮説を立てて)、その根拠を調べようとするのが、科学者の営みです。この「不思議だなぁ」と思うことが「科学」の始まりです。保育界には「子どもは小さな科学者」という言葉があります。子どもと一緒にいると、確かに「子どもは小さな科学者だなぁ」と、思います。
「どうしてブロンズプレコ(熱帯魚)」は出てこないの?」「どうして園長先生は仕事を先にするの?」「どうして眼鏡をかけているの?」・・・子どもの「どうして」には、いろいろなメッセージが盛り込まれますが、内面から立ち上がる自発的な動機を持って、自己主張できることは、素晴らしいことです。大人は困るかもしれませんが・・(笑)
■論理的な疑問を持てるのは無矛盾性を探究する「善さ」である(佐伯胖)
なぜ「素晴らしいか」というと、社会的行動規範はやがて身につきますが、自発的動機をなくすのはたやすく、一度じぶんの言葉と頭で考えることに意味がないと教え込まれると、自分で問う力を取り戻すのことが、どうも困難な教育の仕組みと社会になっているような気がするからです。子どもの思考のシナプスを、そのまま太い幹線道路にしてあげたい。その脳を楽しく使い続けることができる生活環境にしてあげたいのです。
■子どもには負ける好奇心
前のこども園(保育園時代)で、恐竜が好きだった子は研究者になっています。何でだろう?どうして〜なの?という、子どもの「?」には、一緒になって不思議だなぁと、思うしかないこと、答えのないことがたくさんあります。この教えなくても子どもが持っている好奇心、探究心を、持ち続けられるようにしてあげるには、大人が好奇心、探究心を、持ち続けることが大事なんでしょうね。それが忙しくてできなくなったり、大人の都合で作った職場のルールも含めて、いろいろな理由で人生を探究するテーマを諦めたり、先送りしながら生きざるを得ないのが、私も含めて一般の大人たちなんでしょうね。

記念すべき日になった今日

2019/05/17

■初めての園庭遊び

今日は2つの意味で記念日でした。何の記念日でしょう?それは千代田せいが保育園が、初めて「園庭」で遊んだ日として、記念すべき日になったこと。そうです!佐久間公園で遊んできたんです。
開園してから、まだ一度も園庭の代替地の公園に行ったことがなかったとは、事情を知らない他人には、言いにくいものです。でも、子どもたちと私たちにとって、一つ一つの課題をクリアしながら、やっとここにたどり着いたという「安堵感」が、ジンワリ胸に来ます。えっ、まだだったの?という声なき声が聞こえそうですが、「そう簡単じゃないんだよ、いろいろあるんだから」という気持ちが、フツフツと込み上げて来ます。でもそれはこちらの問題であって、子どもたちには関係ありません。子どもたちには、たかが普通の公園で遊ぶために、こんなに待たせてしまって、申し訳なかったなぁ、という気持ちです。
■日比谷線の地下を通り抜けて
懸案の昭和通りは、日比谷線の地下を通って渡り、柳原通りから、美倉橋に抜けて行きました。このルートが一番安全だと思います。職員は幼児の担任3人と私の合計4人態勢です。
朝のお集まりの後、10時過ぎに園を出て和泉橋を渡って行きます。佐久間橋児童遊園に行き慣れたわいわい、らんらんの子どもたちにとっては、余裕のルートで始まります。この時刻の地下鉄は通行人も減っていて、スムーズに地下通路を通り抜けることができました。
■子どもたちの頑張りと成長
そして、もう1つの記念すべきことは、子どもたちの頑張りです。あの場所まで、ルールを守りながら歩いていくのは、まだ幼い子どもたちにとっては、かなりの努力が必要です。道路側ではなく壁側を歩く、前の人との間を開けない、横断歩道が右左を確認して渡る、その都度の先生の話を聞く、気になるものを見つけても我慢して歩く・・いろんな頑張りがありました。本当に心から褒めてあげたいと思います。
■佐久間公園は、砂利土が入っていて砂埃が舞いやすい状態でした。アスレチック遊具があるエリアは、よくある赤土で程良い湿度を保つ地になっていました。滑り台やロープ付登斜面、平面鉄棒などからなるアスレチック遊具は大人気で、公園にいた1時間ほどの間ほとんどをこの遊具で遊びました。黒アゲハが、ツツジの花の蜜を探しに来ていて、葉っぱに止まった瞬間、坪井先生が虫取り網で豪快に捕まえました。虫かごに入れて持って帰り、昼食後に観察した後、自然に返してあげました。公園散歩は、笑顔と歓声の絶えない小一時間でした。

散歩ギャラリー⑦ムラサキカタバミ

2019/05/17

5月16日

散歩ギャラリー⑦ムラサキカタバミ(紫片喰)
第⑥回で紹介した散歩ギャラリーのコオニタビラコ(小鬼田平子)から、一つ先の街路樹(消火栓がある所、駐車場の前)の下には、タンポポやノゲシ、カタバミなども花や綿毛の静かな“競演”が楽しめますが、これらの花の色は全部、黄色です。同じ場所に、花が赤紫色のカタバミが生えています。
一般に、花が赤や黄色など色鮮やかのは、蝶や蜜蜂などの昆虫に見つけてもらい、花粉をつけてもらったりして欲しいからですが、このムラサキカタバミ(紫片喰)は結実せず、種を作らないでも子孫を残しています。株元に小さな鱗茎を何十個も作り、土が耕されると、それを拡散させていくそうです。その方法と花の色が関係あるかどうかは分かりません。でも、蝶や蜜蜂などの昆虫に見つけてもらわなくても殖える方法で生きているんだなぁと思うと、赤紫色のカタバミに、「孤高」を感じた武士が昔いたかもしれませんね。この色に、深い色合いを感じてしまいます。
■柳原通りのムラサキカタバミ
佐久間公園まで歩いた柳原通りに、何箇所かムラサキカタバミを見つけました。散歩していて分かるのですが、どうも柳原通りは、通り沿いに緑を愛する市民が多い印象です。緑が少ないビルだらけの都会だけに、返って少ない街路樹の下の半畳程の地面を、小さな花壇にしている所があります。土を耕すことが多いので、ムラサキカタバミも増えているんだと思います。以外の写真は、すべて柳原通りです。

〈散歩ギャラリー〉 ⑥ コオニタビラコ

2019/05/17

5月17日

〈散歩ギャラリー〉 ⑥  コオニタビラコ(小鬼田平子)
柳原通りの南側、園から30メートルほど先の交差点にクリニックがありますが、その前の街路樹の根元に、春の代表的な雑草が生えています。この時期に発見しやすいのは、花をつけてくれるからです。
葉の花びらの先が、まるでトリミングされたかのように四角に揃っています。舌のような形だからでしょうか、舌状花というそうです。直径は1センチもありません。漢字でかくと鬼田平子。こんな可憐なかわいい花なのに、どうして鬼と言う事が付いているんでしょう?やや複雑ないきさつが分かりました。稲垣さんの解説はこうです。
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田んぼで、平らに葉を広げているから「田平子」とかきます。・・・もともと「たびらこ」と呼ばれていたが、タビラコより大きな本種が、「鬼たびらこ」と呼ばれるようになり、今度は「鬼たびらこ」より小さいとされて「小鬼たびらこ」と呼ばれるようになってしまった・・・
⭐️
つまり、大きいだけで鬼扱いされるとは、可愛そうですね。昔、タビラコと呼ばれていたのがコオニタビラコなんですかね。それより大きいのがオニタビラコ、と言うことですか。ややこしいですね。ちなみに「鬼たびらこ」は春の七草の「ほとけのざ」のことです。また、鬼には都会を好む青鬼(葉の色が濃い)と、田舎を好む赤鬼(葉が赤っぽい)がいます。日本人の命名は、楽しいですね。その代わり、名前がどんどん、長くなっていきますが。

初めてのバスでの園外保育

2019/05/16

■青空の下で思う存分、原っぱを駆け回ってきました

ボールを思いっきり投げたり、蹴ったり、モンシロチョウを網で追いかけて走り回ったり、木の根の周りでアリやダンゴムシ、テントウムシを捕まえたり。こんなにシンプルで、単純なことをやることが、楽しい。空は青空。澄み渡った空気。広い原っぱに、大きな桜の木。何をしても自由。子どもたちにはやっぱりこんな環境が欲しいと強く思いました。
■区が無料でバスを提供
今日はマイクロバスで東京都立木場公園へ行って来ました。朝9時40分ごろ出発して、10時過ぎから11時30分まで公園で遊び、12時過ぎに戻ってきました。初めてお揃いの体操服を着ての戸外活動でしたが、服はもちろん、お尻や手や顔も土で汚れました。園庭のない保育園のために千代田区が無料でバスを提供してくれました。感謝です。6月は3〜4回やる予定です。
■戸外遊びに絶好の季節
梅雨入りの6月中旬までのこの季節は、バスによる遠出以外にも、安全には気をつけながら、外に出たいと思います。体を動かす遊びが、子どもたちの心と体をほぐし、柔軟でしなやかな足腰を作っていきます。それは、思い通りに体を動かせる身体を手に入れることになり、怪我の防止にもつながります。併せて、心も優しく強くなっていきます。健康で丈夫な心と体は、幸せの基礎です。自分でやりたいことを見つけ、自分でやることができる『自立・自律』を獲得できるように、育っていってほしいと願います。
■小さな怪我が大きな怪我を防ぐ
子どもたちが原っぱを駆け回り、勢い余って、バランスを崩して転びました。でも彼は、また立ち上がって走り出すたくましい姿が見られました。ちょっと走って立ち止まり、痛かったからでしょう、自分で膝小僧をさすっていましたが、隣で友達が「大丈夫? がんばれ〜」と励ましていました。このように走り回ったり、ボールを追いかけているうちに、転んで擦過傷を作ったりするかもしれませんが、そんな小さな怪我は、必要だと思って頂きたいのです。この考え方は、世界的にみても保育界では共通した考え方で、例えばドイツ・ミュンヘンの公立幼稚園は、入園する保護者向けのパンフレットに「子どもは小さな怪我をする権利がある」と書いています。転んで膝小僧を打つような怪我があっても、その積み重ねが大きな怪我を防ぐと言う考え方です。勢い余って倒れそうになっても倒れなくなる力を身につけるには、倒れそうになってしまう位勢いをつけて走ってみる体験が必要なのです。その体験の中で、これ以上走ったら危ないとか、こうしたらバランスを崩すとか、そういう自己判断の力も育っていくのです。

散歩ギャラリー⑤ノゲシ

2019/05/15

散歩ギャラリー⑤ノゲシ

黄色い花を咲かせる、タンポポと同じキク科の植物です。春の野げし、けしあざみ、ともいいます。園の周りでたくさん見かけますよね。成長が早くて、いつのまにか園の玄関右手に、一株生えています。お気づきですか?  これから、花がたくさん咲きそうです。葉がギザギザしていて、ノゲシは茎を切ると、粘り気のある真っ白な液がでます。そこから、別名を「乳草」ともいいます。明日の園外バス活動先の木場公園でも見つけることができるでしょう。

初めての区の情報連絡会

2019/05/15

■あと5年は人口が増えていく
「あと5年は人口が増えると予想して保育園を整備していく予定です」。千代田区のこども部長が、こんな見通しを今日、語りました。待機児童を出さないという大方針の元で、保育園を毎年開園している千代田区ですが、すでにこんなにたくさんの保育園があるということを再認識しました。現在、区内には、認可保育園は公立4園、私立11園、こども園2園、認定こども園1園、幼保一体施設4園、事業所内保育所2園、小規模1園あります。この25の全ての保育園園長が集まって情報交換する会合があったのです。年2回予定されているこの会合に、事務長と2人で初めて参加し、「よろしくお願いします」と挨拶してきました。
■園長会はなくても区のイニシアチブに期待
区には、まだ園長会がありません。情報交換会ですから、団体としての意思決定機能が何もありません。その状況が課題だという雰囲気もない、区主導の会合でした。ただ、必ずしも園長会がないこと自体が、問題とも思いません。単に組織の維持のための活動に時間を取られ、園運営がおろそかになるよりはよっぽどマシだからです。区には保育の質も量もイニシアチブを発揮していただき、望ましい理念構築をリードしてほしいものです。
■園生活の中のリスクを整理
情報交換会の後で、講師の講演による研修会も開かれました。園の生活の中には子どもの命をうしなったり、後遺症が残るような重大事故があってはなりません。そのリスクをできるだけなくすために、ソフトウェア、ハードウェア、環境、人の意識と言う4つの要素を点検し直す必要があります。過去の重大事項には、睡眠、食事、遊びの中で起きています。今日はその再確認をしました。
■散歩のリスクを考える
滋賀・大津市の園児2人が死亡した自動車事故から1週間、今日の会合でも、千代田区の地図をテーブルに広げて、散歩で危険な交差点を出し合いました。ちょうどその頃、砂場に突っ込んだ車から園児を守ろうと保育士が大怪我をしたと言うニュースが飛び込んできました。
実は高齢者の操作ミスによる自動車事故は毎日のように起きていて、そのうち報道されるニュースは、死亡事故や子どもが巻き込まれた事件だと言うことを忘れてはいけません。ある年齢を超えたら、自動ブレーキの装着を義務化すべきではないでしょうか。あとどれだけの犠牲を積み重ねて世論を高めなければ、法制化できないのでしょうか。
■一刻も早く自動ブレーキの義務化を
池袋の事故は、大通りの青信号でも油断できないこと、大津市の事故は歩道で待っていても油断できないこと、そして今日の市原市の事故は駐車場の出入り口は油断できないこと、などを物語っています。次は何が油断できないことになるのでしょうか。そばに自動車が走っている限り、どんな場所でもヒヤリハットの対象になってしまいます。リスクマネジメント学の王道から考えれば、危ない場所を探す対症療法で問題を先延ばしするのではなく、ヒューマンエラーの発生源を物理的に押さえ込むことが大切なリスク軽減策である事は間違いないはずです。

皆さんもこんなこと考えること、あるでしょ?

2019/05/14

■振り返る時間があることへの感謝

毎日、1日を振り返りながら、自分の行いを反省する時間があることに感謝する気持ちになります。振り返り。簡単な言葉ですが、その時何を感じ、思い返し、気づくことができるのか。1日を振り返ったとき、いろんなことに気づきますが、ありがたいことに、自分の有り様に気づける時は本当に「ありがたいなぁ」と思えます。どんな自分に気づいたのかということは、恥ずかしいのでここでは言いませんが、同時にいつも、こんなことを考えます。
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「こんな複雑な生き方をしなければならなくなった人間て、一体何なんだろう」
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そして、最近また、こう思うようになりました。
自分が「自分の有り様に気づける事がありがたいと思えると言う事は、自分がなぜだかわからないけど『よりよく生きようとしている』と言うことに他ならないんじゃないか」と。
実際のところ、どうして人がよりよく生きようとしているのでしょうか。どんな行動にも、どんな感性にも、どんな言葉にも、その裏側には、「よりよく生きようとしていた自分」と言うものがある。それに気づき、信じることができれば、自信をなくす必要など全くないのではないか。そのことを皆さんに強く伝えたいと言う気持ちになります。子育てに間違いなんかないんですよ。一言で言うと、あなたの今のその存在がそのままで大丈夫ですよ、と言うことです。
■善さを探求した村井実という人
人は、なぜだかわからないけれど、よりよく生きようとしている。このことを哲学的に突き詰めて考えた人に、村井実という人がいました。私の世界観に大きな影響を与えた方で、今でもブーメランのように影響を与え続けている哲学者です。若い頃はよくわからなかったけど、こうして歳をとってくると「すごい人だったんだなぁ」とわかる人がいるものです。皆さんも、機会があったら、ぜひ村井実の思索のプロセスに付き合ってみてください。人の生き方の本質が見えてきます。
■気づけることが幸せなこと
今日、どうしてこんな話になったのかと言うと、ある方と「徳とはなにか」について、夕方から話をしたからです。その人は、ある会社の社長さんですが、純粋に生きている方です。いつも物事を真正面から捉えて言葉にする人なのですが、生きていく中で、自分が思い込みすぎていたことに気づく瞬間と言うものがあるよね、というテーマになっていったのです。
そして結論は、「そういう気づきができるというのは、幸せなことなんじゃないか」ということになりました。
■等身大の私
今日はこんな主観的な思いをつらつらと、園長としての日記に書き連ねる意味があるかどうか、自分でもわかりません。でも、そんな悩める人間が、園長をやっているという等身大のリアリティーを理解していただけたらありがたいです。「皆さんもそんなことってあるでしょ」と言うことです。

散歩ギャラリー④シロツメクサ

2019/05/13

〈散歩ギャラリー〉④シロツメクサ
ありました、ありました!シロツメクサのある原っぱが、園のすぐそばにあるなんて!これで花かんむりを作って、遊べます!
英語名はホワイト・クローバー。シロツメクサは三つ葉で、カタバミのようなハート型をしていません。時々四葉のクローバーがあります。「四つ葉は十字架に見立てられ、セント・パトリックがクローバーの三つ葉を愛、希望、信仰の三位一体にたとえ、4枚目を幸福と説いたことに由来する」という説があります。そこから、それを見つけると幸せになると言われるようになりました。日本語では「詰め草」と書きます。それは江戸時代にオランダからガラス製品を輸入する時、割れないように緩衝材として詰められていたことからという話は、よく聞きますね。ちなみに、よく勘違いされますがトランプのクローバーはラテン語の棍棒を意味するclavaが語源だそうですよ。私は、てっきり花のクローバーだとばかり思ってました。
場所は、岩本町交差点の道路が交差する三角地帯「馬の水飲み広場」です。しばらくあれ放題でしたが、春先に刈り取りが入ってきれいに整備された後、早速シロツメクサが育っていたんですね。

生きづらさへのジブリからの返事

2019/05/12

■神田祭とジブリの世界
神田明神の文化交流館で今日まで「鈴木敏夫とジブリ展」が開かれていました。これはスタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫の”言葉”に注目した展覧会でした。
■生きづらさについて考える
日本の課題になっているテーマの一つで、私が教育や子育てに大いに関係するなぁ、と思うのは「生きづらさ」をめぐるテーマです。それは、うすうす大人も気づいているのですが、この同じ生きづらさについて、この展覧会を企画した博報堂ディレクターの小松季弘さんが、はっきりと「生きづらい」といっています。生きづらさの中身は子育てではなくて仕事ですが、時代感覚は、共通じゃないかと思います。こう書いてありました。
■小松氏の感じている「生きづらい時代」
【いまの時代、男女にかかわらず、人は生きることに困っている。ぼくも例外じゃない。
なぜこんなに困っているのだろう? と考えると、「現代」という時代のせいのように思えてくる。あらゆるものごとのスピードが速くなり、モノも情報も瞬時に消費され、昨日までの常識は明日には通用しなくなる。そんな世界で働いていると、日々自信を失い、思い悩むことになる。
そうやって戸惑い、困ったとき、ぼくは鈴木さんの隠れ家「れんが屋」へ駆け込む。いい年をして独身で、仕事のうだつもあがらず、ままならない人生をおくるぼくの話を、鈴木さんは胡座をかいて、じっくり聞いてくれる。そして、ひととおり聞き終えると、ぼくの混乱した頭の中を整理するように、明確な言葉にして返してくれる。
(省略)
でも、考えてみれば、鈴木さんの言葉を直接聞くようになる前から、同じ経験をしてきたことに気づく。学生の頃からスタジオジブリの作品を観るたびに、生きるヒントをもらってきたのだ。ジブリの映画、そして鈴木さんの言葉から「生きる力」をもらうことで、ぼくはここまでやってこられた。・・・】
■今日は三鷹の森ジブリ美術館へ
この「生きづらさ」の謎解きの旅は、今日、午前中に私がいた井の頭公園の「三鷹の森ジブリ美術館」に繋がっています。ちょうど保育園の前をながれている神田川を上流へ遡っていくと、飯田橋、高田馬場、中野富士見、高井戸、久我山と続き、源流は井の頭公園になります。
今朝、ジブリ美術館にいたのは、この三月に卒園した家族と一緒の小旅行だったからです。総勢27人、小型バスを貸し切ってのオリジナルツアーです。バスは南大沢から多摩、稲城、調布、三鷹と走りました。神田祭か卒園児保護者か。悩んだ末の選択でしたが、これを読んでくださっている方も、保護者優先には同意していただけると嬉しいです。
■ジブリ・アニメが子どもたちに与えた影響
日本の子どもたちにとって、スタジオジブリのアニメが果たした役割は想像以上に大きいものがありました。風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、おもひでぽろぽろ、紅の豚、平成狸合戦ぽんぽこ、耳をすませば、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ、借りぐらしのアリエッティ、コクリコ坂から、風立ちぬ・・・
誰もが知っている映画タイトルでもあり、ヒット曲が同時に聞こえてきて、そして子どもたちもその歌を歌い、映像に見入ってきた時間があります。
■ジブリのアニメに流れる時間の意味
宮崎駿は、この美術館によって、アニメーションが 1枚1枚の絵からできていること、その2次元の絵が動いて見える仕掛けがどんなものであるかということ、その驚きをリアルに伝えようとしています。美術館に来た人が、思い思いの発見ができるような美術館にしよう。その思いが詰まった空間になっています。それを保育園に当てはめることができます。質の良い保育園は、子供が思い思いの発見ができる空間になっていなければなりません。
それからもう一つ。ジブリ・アニメについて感じるのは、小松氏がそうだったと言うように、一つ一つの作品が今の時代に対峙するメッセージを持っていることです。そして今日気づいたのは、常設展示室「映画の生まれる場所」の壁に描かれた絵です。その絵は、アニメーターの仕事をしている「作画室」の様子が描かれているのですが、なんとも「昭和的」な雰囲気の職場です。(以下の写真は、図録から。この風景は「作画室」ではありません。美術館の壁に描かれていて、ここではお見せできません)
こんな手書きの文が添えてあります。
⭐️
日本が貧乏だった頃のスタジオ風景です。アニメーターがお金持ちになる心配は全くなかった分、みんなどこかで健康で希望を持っていました。ラジオも持ち込まなかったし、まして、ヘッドホンなどなく、代わりに歌を歌い、よくしゃべりをしつつ仕事をしていました。
アニメーターに長時間労働がつきものです。アニメーターが長時間労働を案外平気で続けているには理由があります。机に向かっている時、アニメーターは自分の世界の中にいるのです。いわゆるサラリーマン的な気配りは全然しなくて済むのです。
■じっくり、じっくり、じっくり、と
作品を作っている人たちの持っている時間と、作品自体が放つ時間が一致しているような気がします。このことは、「子どもの時間」を考える上で、保育上の重要なテーマのような気がしてなりません。子どもたちには、じっくりとじっくりと、取り組んでいい時間を、存分に用意してあげたいものです。
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