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園長の日記

神幸祭の大行列で祓い清まる108町

2019/05/11

 ■お神輿の行列を見物

昭和通りに面した保育園でよかったと思えることが今日ありました。そうです、お察しの通り、子どもたちが、お神輿の大行列を眼前で目にすることができました。
今日は神幸祭。三柱(だいこく様、えびす様、まさかど様)の神様が、絢爛豪華な三基の鳳輦と神輿に乗って、神田明神から108町を一日中、祓い清めるために練り歩きます。
保育園の前は11時45分ごろから、約1000人、500メートルの大行列が、鳴り物と一緒に通り過ぎていきます。玄関に椅子を並べて「映画館のような客席」などと言って、なんだか「特別な感じ」の気分を味わっていましたが、途中からもっとよく見えるようにと「客席」は2階のベランダに変更しました。
「お神輿見たよ。園長先生、みた?」と興奮気味に、その様子を話してくれました。
岩本町3丁目町会のお神輿も、保育園の前で一本締めを賜り、お祓いお清めをいただきました。感謝。
明日は、町会のお神輿の列に加わって、子ども神輿を担ぐお友達もいます。神田祭りは、明日、最高潮を迎えますね。
■夕刻の美しき着輦祭
 
私は仕事をして、午後7時前、神田明神へ着輦祭に出かけました。大勢の見物客がスマホを高く掲げる中、一の宮鳳輦、二の宮神輿、三の宮鳳輦と鳥居を潜っていきます。
「木遣り」の歌声が夕刻の坂道に響きわたります。これだけの人が集まっているのに、行列の周りは静かです。昼間の賑わいとは違う、そして明日の神輿宮入りとは、また違う抑制された都市祭礼の美を垣間見た気がしました。

氏子町会の神輿に御神霊を遷す

2019/05/10

■お神輿に御神霊を遷して「神田祭」スタート

神田明神の宮司が、小さな声で降神詔を唱えています。参会者には、ただ「かしこみかしこみ〜」といった声しか聞こえません。神道ではそれを明かさないというのがルールだからです。仏教だと逆に大きな声で唱えます。そのあいだ、参会者は頭をたれて「儀式」に臨んでいます。今日は神田祭の「氏子町会神輿御神霊入れ」でした。夕方から氏子108町会が大小合わせて200基といわれる神輿に、明神様の御神霊を遷す神事です。保育園のある神田岩本町は、岩本町三丁目町会のお神輿です。山崎パン本社前のお神酒所に御仮屋を設けて執り行われました。
■大事な園としてのスタンス
神田祭は、宗教行事ですので、当園は正式に参加することはしません。町会など行事への協力はしますが、特定の宗教や特定の政治団体を支持することはでないからです。千代田区など自治体も宗教行事である神田祭に直接関わることができません。それと同じです。昨年私はねぶた祭りを見ましたが、青森県庁や青森市役所の職員が「ねぶた」を作って出ていました。ねぶた祭りは特定の宗教とはみなされていないのです。それはともかく、都会のど真ん中で、伝統行事が日常生活の中に脈々と息づいていることを実感することができました。保護者の皆さんも、明日からの神幸祭に参加される方も多いことでしょう。どうぞ楽しんで下さい。

幼児は歩道橋を渡って昭和通りの東側へ

2019/05/09

〈散歩ギャラリー〉③ナガミヒナゲシ
最近、よく見かけるようになりました。その訳がわかりました。この「ヒナゲシ」の仲間は、繁殖力が『半端ない』そうです。その秘密は、種の小ささにあって、一つの実から千も二千もの種が作られるからだそうです。道端に増えているのは自動車のタイヤが運んでいると言う説も。ちなみに、小さいことを「芥子粒」と言うのは、花のケシから来ている言葉です。
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■いよいよ明日から、神田祭です。今日、岩本三丁目会の法被が届きました。どの町会の神輿も小屋で立派な佇まいを見せ、明日の御霊入れを待っています。
写真は、須田二丁目町会のお神輿(柳森神社の隣〉です。
■今日はどのクラスも散歩に出かけました。ちっちはベランダで、気持ちのいい外気浴を楽しみました。ぐんぐんは柳原通りを柳森神社方面へ。にこにこは万世橋を渡って秋葉原側に出て、佐久間橋児童遊園を通って戻ってきました。わいらんは、佐久間橋児童遊園でたっぷりと遊びました。
昨日もそうでしたが、花壇の花が綺麗で、人が植えたのではないカタバミやスイセンが、綺麗な花を咲かせています。蜜を吸いに来ている小さな蜂が、小さなカタバミの花の蜜を集めていました。この蜂は刺しません。カタバミについては、〈散歩ギャラリー〉①で取り上げましたので、ご覧ください。
それをじっと見ているだけで、おもしろいようで、活発にエサを探し回るアリを見続けている子もいます。時々、思い出したように走り回り、また階段に座って休んでいる人に、何をしているのかと尋ねたり。和泉橋出張所の石綿所長さんも外に出てきてくださり、私が子どもたちに「石綿さんです。名前を覚えてくださいね」と紹介しました。「子どもは風の子」といいますが、まさに「水を得た魚」のように楽しそうです。
■横断歩道か歩道橋か、どっちが安全か
当園の園庭の代わりの公園は「佐久間公園」です。そこへ行くには、昭和通りを渡らなければなりません。必ずそこへ行かなければならないと言う決まりはありません。ただ、和泉公園も、昭和通りの東側です。では、どうやったら、最も安全に昭和通りを超えることができるか。答えは歩道橋です。ただし階段の上り下りが安全にできる子どもに限る、と言う条件は付きますが。
実はこの議論は、保育園が省我会に決まったときから、町会など地域の方々も関心の高い問題でした。
地域説明会でもその質問が出ました。そこで、私は「休日に歩き回った結果は、こうでした」と、説明してきました。
「まず、横断歩道は秋葉原の駅前か、岩本町の交差点の二箇所です。どちらも交通量が多く、幼児が歩いて渡るのも、乳児がバギーで渡るのも、正直言って怖いです。それでは地下鉄の通路はどうかと言うと、利用者がとても多いのですが、歩ける幼児なら使うかもしれません。しかし、乳児をバギーに乗せて渡るのは不可能なことがわかりました。なぜなら、バギーが載れるエレベーターが2台あるのですが、昭和通りの西側にしかなく、東側にはないからです。バギーで西側から地下に降りることができても、東側から上ることができないのです。したがって、乳児は昭和通りを渡る事は諦めようと思っています。歩ける幼児は、基本的には歩道橋を使うつもりです」
この様に地域の方の質問には答えてきました。また区の当時の子育て推進課長も、その考えに同意していました。
■池袋と大津市の教訓を踏まえると
青信号で横断歩道を渡っていても、また歩道で待機していても、暴走してくる車に立ち向かうことができません。高齢者による過失運転致死の事故は近年急増しています。自動ブレーキ等の義務化はまだ日程に上っておらず、当面、自衛するしかありません。その時、暴走自動車のリスクを考えると、歩道橋が安全です。 1列になって必ず手すりを持って上り下りする。その歩道橋横断スキルを身に付けることが、高速道路の隣に建った保育園の宿命なのかもしれません。

都会で感じる自然と季節

2019/05/08

〈散歩ギャラリー〉②ハルジオン

花は薄いピンク。つぼみは下を向く。葉が茎を抱く。大正時代に帰化した多年草。北米・フィラデルフィアの野花。

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■地域で季節を感じる方法

5月25日の親子遠足は、この地域を散策します。今日、下見のために先生たちと歩きました。すると、面白い発見が、いろいろあったのですが、それは当日までのお楽しみとしておきます。

ただ、歩いていると、暖かくなって生き物たちが一斉に活動を始めたことがわかります。散歩にはとても良い季節になりました。子供たちも、アリやダンゴムシとの出会いを楽しんでいます。
そこで、私も地域を歩いていて見つけた小さな自然を、この日記の中で〈散歩ギャラリー〉としてアップしていきたいと思います。
■トップバッターは「カタバミ」でした
昨日の写真は、カタバミです。ガイド役は、私が敬愛してやまない稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)さん。専門は雑草生態学。読んで楽しい雑草の話が得意な方です。『身近な雑草の愉快な生きかた』『都会の雑草、 発見と楽しみ方』などの本があります。
カタバミは、お侍さんが、その生命力にあやかろうとしたといいます。ハート形をした3枚の葉の形がとてもバランスが良いので、代表的な家紋として使われています。
■甘夏の旬は4月でした
都会には自然がないといっても、季節感を感じる事は充分できます。4月の給食では、ポンカンとオレンジを掛け合わせたデコポンが出ました。ホームページの「食事」のところに、毎日、食事メニューの写真を載せてますので、ご覧ください。
また野菜屋さんや八百屋さんに行くと、様々な柑橘系の果物が並んでいます。
ところで、「甘夏」の旬はいつだかご存じですか。夏という字がついていますが、実は4月です。ですから甘夏の出荷はほとんど終了しています。そして今日の昼食には、デザートにイチゴがでました。イチゴの旬は5月です。
5月6日は「立夏」でしたが、店頭には、熊本産のスイカが出始めましたね。
■散歩コースに「甘夏」発見!
今日は、三代にわたって表札を作っている方に教えてもらったのですが、甘夏の「三宝柑」(さんぽうかん)がありました。意識して歩かないと、見つかりません。遠足の時のクイズにするかもしれないので、これを読んでおくと、お父さんやお母さんがちょっと自慢できるかもしれませんよ。
大手通販サイトの説明によると、産地、和歌山の三宝柑は「徳川家に愛され、門外不出として和歌山城内でしか栽培されていなかった柑橘です。見た目はデコっとしていて不知火(デコポン)に似ています。外皮は厚いのですが、その爽やかな果肉を味わいたいあまり、剥くのはまったく苦になりません。厚い皮を利用して、お料理の茶碗などにも利用されているのだとか」とあります。
■実のなる木で季節感を感じたい
今日などは、日差しが暑過ぎる位で、早くも夏の暑さ対策を計画しないといけません。季節の移り変わりは、とても早いものですね。それだけに、道端の雑草たちは、そのタイミングを間違わずに正確に季節を伝えてくれています。とても面白いです。

散歩ギャラリー① カタバミ

2019/05/07

〈散歩ギャラリー〉①  カタバミ

葉っぱがクローバーに似ていますが、カタバミはハート型をしています。夜は半分閉じて眠るので、半分かけたように見えるから片喰みです。この葉っぱの形から片喰紋(日本10大家紋の1つ)は生まれました。繁殖力が旺盛なことから、子孫繁栄を願う武家が好んだと言われています。(稲垣栄洋『雑草手帳』より)

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戻りたくない理由の背景を考える

2019/05/07

〈散歩ギャラリー〉①  カタバミ

葉っぱがクローバーに似ていますが、カタバミはハート型をしています。夜は半分閉じて眠るので、半分かけたように見えるから片喰みです。この葉っぱの形から片喰紋(日本10大家紋の1つ)は生まれました。繁殖力が旺盛なことから、子孫繁栄を願う武家が好んだと言われています。(稲垣栄洋『雑草手帳』より)

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■令和初保育の印象は?

「どんな気持ちでやって来るだろう?」こんなに長い休みのあとは(A)園に行きたくないと思うんじゃない?それとも、案外(B)保育園にいくのを楽しみにしてないかなぁ?・・・?私たちは(A)を予想してました。「また4月の初めのように、寂しがって泣いてしまう子が多いんじゃないか、最初に戻ってしまうんじゃないだろうか」と。
さて、実際はどうだったかというと、連休に入る前と、ほとんど変わりませんでした。先生たちが「なんだか、休み前と変わらないですね。休みの影響って、あんまりなかったみたいですね」と話しています。「お、これはいいぞ、『連休ギャップ』なしでいけるぞ、これなら」というのが「令和初保育」の印象です。
■史上初の大型連休、明けてみたら・・・
仕事を辞めたい人のための、退職代行サービス業が、ニュースで取り上げられています。「びっくりしました。会社と相談しないで辞めることができるなんて。でも、これがなかったら、体壊すまで働いていたと思います。自分から辞めたいとは言えないと思うので」。
学校や会社に戻れなくなる「新5月病」の背景には、もともとの場所への過剰適応がある場合もあります。過剰適応の状況に気づくと言う意味では、これぐらい長い休みも、かえって良いのかもしれません。休みが長すぎると戻れなくなる場所は、もともと、無理をしすぎている場所なのかもしれません。
■自分らしくリラックス出来る場に
保育園が幼稚園と同じ教育の場になっても、遊びを中心とした生活の場所であり、自分らしく過ごすことができることが大前提です。心身ともにリラックスでき、くつろいだ雰囲気の中で、やりたいことに熱中できる場所。そんな保育園でありたいと思います。おうちの人と過ごせる家も大好きだけど、友達と一緒に遊びこめる保育園も大好き。そんなふうに思ってもらえたら、いいなと思います。

日本保育学会を振り返る

2019/05/06

今日で大型連休も終わります。明日からの生活に備えて、今日はゆっくりと家で過ごされた方も多いでしょう。また、家庭と園の共同生活が始まります、よろしくお願いします。

■日本保育学会に参加して

昨日、一昨日と、日本保育学会に参加してきて、それぞれの研究者や保育者の人たちのものの見方や考え方が〈いかに多様であるか〉ということがわかります。でも、考え方が違っていても、保育や研究のアプローチの仕方が違っていても、そこに〈共通する大きなエネルギー〉を感じました。それは〈今よりもより良くしようとする人間の営み〉です。休みだと言うのに全国から研究者や実践者が集まって、発表や議論や研鑽の歩みを分かち合おうとするエネルギーは、明らかに人間だけが持っている特徴です。この学会で聞こえてきた学者の名前を使って、キーワードで遊ぶとしたら、このエネルギーは「社会性」(アリストテレス)であり、「協力性」(マイケル・トマセロ)であり、「善さへの志向」(村井実)であると思えます。
■目指している保育理念によって子どもの見え方が変わる
この2日間の私の「園長の日記」は、おおざっぱに言うと「子ども理解とは何か」という、保育や教育のスタート地点に立つための準備のような話でした。ただ、この「スタート地点に立つこと」が、実は簡単には立てない、ということを、よくよく理解することが極めて大切だと思っています。なぜなら「子どもがそうするのは、きっとこうだからだろう」とか「こうすることが子どもには大切だ」といった判断は、その人の子ども観や発達観がそう思わせているからです。
■保育理念の構築が大事
今回の学会で、そのことについてはっきりと明言されたのは、日本保育学会会長で、白梅学園大学の汐見稔幸教授でした。「保育の質は目指す理念の構築が重要である」ということを強調していました。目指す保育理念によって、子どもの姿に対する評価ががらりと変わるからです。
■民主的な社会をつくる構成員として
人が100歳まで生きるなら、保育園の子どもたちは、22世紀を生きます。つい「未来」と言いたくなる大人の感覚で考えては、いけないのでしょうね。子どもたちにとっては、現実にやって来る「将来」のことだからです。その時、間違いなく大事なのは、民主的な社会の構成員になるための資質や能力を備えておくことです。(国連の『持続可能な開発目標(SDGs)』を参照してみてください)
■赤ちゃんの頃から保障したいこと
民主的な社会の構成員になるための資質や能力を備えておくことが大事だということになると、今度は次のようなことが大切になります。
・赤ちゃんの時から個人の考えが尊重される経験を持つこと。
・何をして過ごすかは、子どもの意見(意向)も反映されること。
・子どもが参画できること。
・自分で考え判断できる主体性が育つこと。
・さまざまな欲求が満たされた上で落ち着いた生活ができること。
・興味を持ったことを探求できる環境が用意されていること。
■学会が課題にしているテーマ
日本保育学会は、何十年にもわたってその見方を支える理論の構築に向けて議論してきました。その流れの中で、今回学会が企画したシンポジウムが2つありました。その1つは「実践者による主観を生かした研究の可能性を考える」というもので、今だにこの議論を続けていることに「保育研究の道遠し」の感を強く覚えました。
実践者から見える現象から、保育理論を構築していこうという研究アプローチそのものは時代にかなったもので、今後も探求すべき方向性なのですが、保育の現場で生起する「現象が起こる環境要因の質」には、あまり触れないと言う恨みがあります。保育界には教材論がまだ浸透していないのだなぁ、と言う感想を持たざるをえませんでした。子ども同士の関係の質や相互作用を捉えるための研究手法を早く編み出すべきです。

もう一つが、認定こども園の保育の質を考えるシンポジウムでした。こちらも乳児同士の関係を捉える研究は皆無でした。

■子ども観と保育観の転換を提案

その中で唯一、最近の脳科学や、進化人類学の知見を活かし、新しい子ども観と保育観を保育実践を通して提案してきたのが藤森先生です。私たちの仲間が、昨日、「乳児のかかわりー乳児におけるブリコラージュ 10の姿に向いての出発点」と題して自主シンポジウムを開きました。「10の姿」とは、小学校に入る前ぐらいまでにそのような姿になっていってほしいという子どもの姿で、国が作ったものです。
■子ども観、保育観の転換を提案
私たちのグループは、2保育園、1こども園それぞれの園の子どもの姿を観察したことろ、赤ちゃんの頃から、自主性や協同性、道徳性の芽生えなどがあることに気づきました。また、満1歳になる頃までに脳の機能が発達していることから次のような子ども観・教育観に転換すべきであると提案しました。つまり「子どもは、まだ何もできない白紙の状態だから大人が教えて力をつける」のではなく「既に備えている力を消さないように、使い続けることができる環境を用意すること」への転換です。
■日本赤ちゃん学会の今年テーマ
このように日本保育学会では、あまり新しい進展はなかったのですが、7月の日本赤ちゃん学会は今年、人類の進化と共同保育をテーマにしています。時代の要請にかなった課題意識だと言えるでしょう。私たちが気付いている問題意識を共有できるかもしれません。

普遍性を持った主観について

2019/05/05

昨日に続いて、日本保育学会に来ています。話も昨日の続きです。私たちが「見ている子どもの姿は、主観的なものである」というと、「えっ、私が見ている姿ってちがうの?」と不安になる人がいるかもしれません。そうではなくて、私たちは誰であろうと何かを見るときに、すでにある「枠組み」「○○観」のようなものを持っているという意味です。

■生物としての認知の枠組み
生き物である私たちは、感覚器を通して世界の情報を知覚していますが、視力も聴力も味覚も嗅覚も触覚も、それぞれ他の生物よりも優れていたり劣っていたりします。その範囲でしか、世界を知覚するしかありません。生物学的にも認知の枠組みに縛られています。(生物学者のユクスキュル参照)
■文化的価値観としての認知の枠組み
さらに私たちは、社会や文化の価値観や考えを身に付けているので、無意識にその視点で物事を捉えています。夜の月をアートのように鑑賞したり、虫の音や風鈴に風情を感じたりするのは、日本の文化の影響です。カツオや昆布の出汁の『うまみ』を美味しく感じるのも、海産物に恵まれた和食の文化が生み出したものです。奈良時代にそれまで日本にはなかった『梅の花』について、和歌で心情を描写するときも、美の基準を創造しています。
このように人は、生物学的にも、社会学的にも、そして心理学的にもある種の視点、物事を見る枠組みといったものを通して世界を眺めているわけで、それを主観的と言っているのです。同じ対象を目の前にしたとしても、人によって、つまり持って生まれた特性やそれまでの経験の違いによっても、主観的な内容は異なってきます。
ただ、そこで見えているものは、独善的で、無秩序で、無用なものではなく、社会的・相互的で、首尾一貫しており、有効なものになっている主観です。恣意的にでたらめに作り上げた姿ではなく、説得力を持った見立てになっていることが多いのです。しかも、場合によっては、それは美しいものでさえあります。(村井実『善さの構造』)
■クラスのブログから
たとえば、ちっち組のブログに、4月の、子どもたちの、様子が描写されています。
「そしてお友だちとの様々なかかわりの中で、楽しい気持ち、嬉しい気持ち、悲しい気持ち、怒った気持ち…いろんな気持ちを共有しながら、いろんな体験をして大きくなっていくのだと思います。なんだかわくわくしますね!」
■子供同士の関わりの中で育つと言う発達観
この描写のなかにも、「見える」ための視点、フレームが無意識に活用されています。子ども同士の関わりの中でいろいろな気持ちが生まれ、共有される事は間違いがありません。またそのようなスタンスで、子どもたちを見守っていることも、わかります。子ども同士がかかわるの中でこそ、心が育っていくという、子ども観や発達観を持っていることも、想像してもらえるでしょうか。ただし、その子どもがその時、どんな気持ちだったかは推測するしかないのです。したがって主観的であると言うことになるのです。(続く)

保育におけるブリコラージュ

2019/05/04

■日本保育学会に参加

保育は○○である、と定義することが難しい。それほど意味深い。保育とは実践であり、研究であり、学問であり、人生道でもある。そんなことを1日中考える日でした。千代田区三番町にある大妻女子大学で、日本保育学会があり参加していました。
■保育におけるブリコラージュ
72回目を数える今大会のテーマは「『新しさ』とは何か〜保育におけるブリコラージュの視点」というものです。ブリコラージュと言うフランス語は「いろいろなものを寄せ集めて自分で作る」という意味で、アートの表現技法の1つであるコラージュもフランス語で「貼る」という意味。どちらも「すでにあるものを集めて新たな意味を創り出す」というところが共通です。
■コラージュでできた絵本
たとえばエリック・カールの絵本「はらぺこあおむし」は、見事なコラージュ作品です。保育も、すでにあるものが集まって新たな実践や研究が生まれている創造的な営みです。その「新しさ」を生み出していくプロセスをブリコラージュと言う視点で探求してみようと言うわけです。
私が参加したシンポジウムは「子どもが感じる世界を感じる〜保育における面白さの探求」がテーマで、『確かにそうだなぁと』と腑に落ちたことがありました。それは子どもが「おもしろい」と思うのは、自分が働きかけて変化する対象の世界に、没入しているときです。
たとえば、「ビー玉をおくと勝手に転がり始めて、木のレールを転がり落ちて右から左に、左から右に、行ったり来たりしながら最後はチンと音がしてとまるコト」の世界を、見入ることで探求しています。
■主観としての子どもの姿
その時、子どもによって、気づき心動かされたコトは異なっているはずで、その子なりに意味付けして主観的「世界」を作り出しています。その時、子どもの心で何が起きているのかを、周りにいる私たち保育者は推論するしかないので、その保育者の主観的にみえてくるものを、物語ることになります。自分が見えていると思っている子ども像は、絶対的なものではなく、あくまでも私の主観であると言う相対的なものだと言うことです。
私の見た子どもの姿、同僚の見た子どもの姿、親御さんが思っている子どもの姿は、それぞれの主観です。状況が異なれば、さらに姿は異なります。お互いに語り合ってそれらを集めてみたときに、豊かになっていく子どもの物語があるときしたら、大いにブリコラージュしていきたいものです。(続く)

和歌は万葉仮名だった

2019/05/03

【万葉集は、和歌の部分が万葉仮名だった】

万葉集は、基本的に漢文で書かれていて和歌の部分は万葉仮名になっていることがわかりました。元号「令和」の典拠は和歌ではなく、その解説にあたる序文のところなので、「漢文」で書かれています。当時の貴族や役人たちは、漢文で書いていましたから、説明文は漢文が自然だったのです。しかし、五七五の韻を踏む和歌は、声に出している音そのものを、文字として定着させるには、表音漢字として使うという方法を編み出していったのだと思います。これは私の勝手な想像ですが。私は謎が解けて気分スッキリです。32種の和歌の中には「梅花の宴」の主催者である大伴旅人(後に万葉集を編纂したと言われる大伴家持の父)の歌もあります。

それを万葉仮名、現在の漢字、口語訳の順に並べてみましょう。
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和何則能尓  宇米能波奈知流  比佐可多能  阿米欲里由吉能  那何列久流加母
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わが園に梅の花散る   ひさかたの天より雪の流れくるかも
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わが家の梅の花が散っている
天空の果てから
雪が流れて来るかのように
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私たちが使っている日本語の話し言葉は、まだ文字に書かれていなかった時代、推古朝時代の遣隋使や奈良時代の遣唐使などの使節団が、中国から持ち帰ってきた書物はすべて漢字でしたから、その音だけを代用して書き言葉として使っていたのが万葉仮名でした。
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【ひらがなの誕生】
そこから、ひらがなが誕生していくわけで、子供たちがひらがなを学ぶときに、漢字を崩して教えていくことが難しいと言うテーマに直面します。例えばシュタイナー教育なら、エポック授業の中でローマ字のFを教えるときに、フィッシュの【ふ】と言う発音と【さかなの形】を、一緒に伝えていきます。日本語のひらがなは、象形文字ではなく、漢字を崩したので、それができにくいのです。
      ★
ちなみに、和紙に墨で縦に書く漢字から、ひらがなができたおかげで、日本語は世界に類を見ない、縦でも横でも文字を並べることができる特徴を持つことになりました。
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