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2020年 9月

カタブイの通り雨、熱帯性の夏から秋へ

2020/09/03

(春信のめだか掬い)

暑い夏の終わりと秋の訪れは、「例年にはない猛威」を伴う台風が連れてきました。今日3日(木)は土砂降りの雨と真夏の晴れ間が交互にやってくるという、ちょっと変わった天気でした。よくいう「通り雨」ですが、ちょっと振り方が激しいような気がします。

天気予報士によると、通り雨のことを、沖縄では「カタブイ」というそうで、文字で書くと「片降り」です。こっちは晴れているのに、すぐ隣は大雨という天気のことだいいます。暑い暑いと言っていたら、打って変わって今度は台風に備えないといけない季節が突然やってきました。

夏の秋の季節の移り変わりが、まるで「カタブイ」みたいで、暑さとゲリラ豪雨が入れ混ざっていて、しかも「熱中症」や「暴風雨」という、度を超えたリスクを引き連れていますから、ちょっと厄介な季節の変わり目です。

それでも柳原通りを歩いていると、もう鈴虫が鳴いています(肉の万世、ローソンの前)。江戸情緒の健在ぶりにホッとします。そういえば、鈴虫は夏の虫なのでした。

熱帯性スコールのような雨が東京でも降るようになったとすると、これも温暖化の影響でしょうか。今日は突然の雨にやられた!という方もいらっしゃいましたが、折りたたみ傘が手放せない日が続きそうです。今週5日(土)のこの夏最後のプール開放は、雨の予報なので2時間枠の中で晴れ間を狙って遊びにきていただくことにします。また過去2回の参加アンケート、多くのコメントをお寄せいただき、ありがとうございました。

今日は午後から東京家政大学の先生が来園され、今週から来ている実習生と打ち合わせをしました。新型コロナウイルスの影響で、7月ごろまで実習の受け入れができなかったのですが、この9月から一人の学生を受け入れています。できる範囲で協力しないと学生が実習もできずに現場に送り出されてしまうという前代未聞の保育者養成課程になってしまいます。このことは教員養成課程でも今、大問題になっているのですが、あまり報道されていません。学校の先生になるための大切な実習までもが「例年にない事態」になっているのです。

 

絵本の読み聞かせ

2020/09/02

静と動、集中と発散。絵本は静と集中にもってこいの贅沢なひと時です。今日2日(水)は先週に続き福田さんによる絵本の読み聞かせの会が開かれました。

毎日繰り返される園生活の中には、絵本を読んでもらうのにふさわしい時間帯というものがあります。例えば午前中のお集まりの前後、ひと遊びした後のお昼ご飯の前、あるいは食後の一時、お昼寝に入る前の一時、夕方のお集まりの前・・・。そうしたいくつかの絵本タイムにふさわしい時間の中で、今日は午後のおやつの後の時間になりました。

2歳児はおやつが済んだ後にクラスの丸いテーブルのあたりで、3歳以上の子どもたちは3階の運動ゾーンで行いました。子どもたちが選んだ絵本は・・

2歳にこにこ組 「おばけなんてないさ」「せんろはつづく まだつづく」

3歳わいわい組 「ねずみさんのながいパン」「じゃがいもポテトくん」

4歳らんらん組 5歳すいすい組 「おとうさんはウルトラマン」「アリババと40人のとうぞく」

そのほか、2歳では子どもから「パンやさん」のリクエストもありました。

 

世の中はたいていがごっこ遊びである

2020/09/01

絵本も能も豊島園もお化け屋敷も、みんな「ごっこ遊び」に見えるくらいの方が、ちょうどいいのです。

絵本はお話の再現だし、舞台上に再現される演目には物語があり、遊園地は大人も子どもも「めまい」を体験する装置であって、そして今日の制作ゾーンでせっせと遊んでいた子どもたち(グログ参照)のお化け屋敷作りも、まさしく「ごっこ遊び」と呼ばれます。

それでも、一昨年亡くなられた「かこさとし」の新しい絵本をもう楽しむことができないことや、コロナで能の持つ時間の流れを能楽堂で体験できなくなったり、メリーゴーラウンドのある遊園地がお仕舞いになってしまったりすることに「寂しさ」を感じるのは、それが「一途に日本らしかった」からかもしれません。

それぞれは、日本にあって良かったと思えるものばかりだからです。一国の総理大臣には、日本の文化を大切にする方になってほしい。

「一途さ」の中に潜む日本の表象の断片の数々を、宝石箱のように大切にしてあげたい。政治も遊びも、子どものお化け屋敷作りと同じ価値があるはずなのです。

そういう意味で、子どもが「一途にやっていること」は、丁寧にアルバムや屏風に納めてあげたい。2階から3階へ続く階段の一面が「すいすいギャラリー」になりました。

子どもたちが、目の前に再び顕にしたいと、再現している「ごっこ遊び」は、大人が庶民のあるべき生活を実現しようとしていることと似ています。つまりより良い社会を作り出すために、それを目の前に顕にする政策論を戦わせることの原点は、「あたなは何を表象しているのですか」に応えうる情熱がないと始まらないのでしょう。

実現させたい理念(イデア)があるから、それを再現させたいと思うことを、一般に「実現する」と言っているからです。何かを実現させるためには、どうしてもイデアが必要なのです。それには想像力とセンスと物語が必要なので、子どもの頃の経験は、そこを意識することが保育になるんだと考えます。

 

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