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2019年 4月

真似してやってみたがることの意味

2019/04/13

土曜日は子どもが少ないので、先生と子どもの距離が近くなり、関わりが密になります。「先生これやるけど、〇〇君もやってみる?」。絵本にブッカーをかけたり、ラミネートで掲示物を作ったり、階段や廊下の掃除をしたり。先生にとっては仕事であっても、子どもにとっては興味深い体験であり、新しい学びになっています。子どもは大人がやっていることを真似してやってみたくなります。「子どもはどうして、真似をしたくなるのだろう?」と改めて考えてみると、面白いことに気づきます。

【行動の意味や目的を知りたがる】
実は、子どもは真似をする前に、このように考えます。「あれ、先生が絵本に何か透明なものをくっつけようとしている。何をしてるのかなあ」と思って、子どもは、こういいます。
「先生、何してんの」
なぜ子どもはそう聞くのでしょうか。何をしているのかと聞きながら、実は何をしているのかだけを聞いているのではありません。そうすることの意味、あるいは目的も聞いているのです。
また、お友達がそう聞いて先生から返事をもらっているその様子を、じっと見ているお友達もいます。このように、人がやっていることには意図があることを察して注意を向けるのが9ヶ月ぐらいから始まっています。言葉が上手に話せるずっと前から、人は観察によっていろいろなことを学習しているのです。
【目的志向の模倣について】
絵本にブッカーを貼りながら「この透明なのはね、ブッカーって言うんだけど、こうやっておくと、絵本が長持ちするんだよ」と、先生が説明しています。
同じように、ラミネートをする時も「2枚あったのが1枚になって、中に紙がサンドイッチみたいになったでしょ。これで丈夫で綺麗な掲示になるね」といったやりとりが見られます。
このように、やっている事の「意図を理解すること」で、その目的に向かって自分もやってみると言うのが、ヒトしかやらない模倣の本質です。ただそのままやり方を真似ると言うことも多いのですが、幼児になってくると目的を達成するためなら子どもなりにやり方を変えることもあります。そして、自分のやった出来栄えを確認したがります。狙っていた目的にかなった結果になっているかどうかを確認しているのです。それが「みて、みて」と言ってくることの意味なのです。
このような目的志向の模倣は、ホモ・サピエンス独特のものです。そのような場面が、今日はたくさん見られました。

「慣れ」からくる危険性

2019/04/12

小さい子どもたちも、園生活に随分と慣れました。朝親と別れるときに、寂しがある事はあっても、昼間泣いている子がほとんどいなくなり、部屋の中での遊びや食事に意識が集中してきています。3階の幼児の方は、園生活に慣れてくると、急いで思わず走ってしまったり、園生活のルールを破ってしまう子どもたちが出てくる時期です。例えて言うなら、自動車の運転免許を取ったばかりの慣れない時期よりも、運転に慣れてきた頃が1番事故を起こしやすいことに似ています。また園生活が始まってから2週間ほど経ち、子どもたちのお疲れも、ちょうど出て来やすい時期でもあります。家では子どもたちの甘えも強くなるかもしれません。この週末はのんびりと過ごすことをお勧めします。

来週あたりから、育児休業中の方の職場への復帰が増えてきます。子どもたちが園に慣れてきたように、今度は親御さんが、職場への出勤に慣れていかないといけませんね。

散歩までの見通し

2019/04/11

「そろそろ戸外に出たい」。子どもだけではなく、大人の私たちもそう思っていますし、保護者の方も「いつになったら散歩が始まるのかなぁ」と思われているはず。今日のように天気がいいと、なおさらです。園生活に慣れてきた子どもも増えてきましたし、どの子がどんな行動パターンかもわかってきました。

でも、もうちょっと時間が要ります。何かのコマーシャルのように、「ドアを開けたら、そこはハワイ!」というなら直ぐにでも戸外へ出たいところです。でも、現実は「園の門扉を開けたら、危険な道路」なのです。どこへ行くにしても、どうしても、ある程度、同じタイミングで同じ行動ができないと、怖くて散歩には行けません。

具体的には、先生の話がどこまで通じるか、通じないか。やって欲しいことが行動に移せるかどうか。車道に飛び出したりしないで歩道を歩くことができるか。大人なら簡単なことでも、それがまだできないのが、子どもです。しかも新園の場合はすべての子どもが未知数です。室内でさえ何でも1番になりたいと、競って走ってしまう子どもたち。正直なところ「これじゃぁ、まだ無理だなぁ」と言う感じです。全員が「あそこまで行ってみたい」という目的を共有できれば、そして、子ども自身が目的地を想像できれば、ルールを守ろうとする意識も強まります。
でも、そのためには、今言ったようなことが守れないといけないのです。信号は青で渡るのであって、青でも黄でも赤でも、好きな色で渡っていいよ、というわけには行きません。そこができそうかどうかを見極めないといけません。
それでも、もうちょっとの辛抱です。今週は月曜と昨日の水曜があいにく雨でしたから、今週の計画(週間計画、週案)が変更されています。やっと今日、わいわい、らんらんの子どもたちが、ゾーンの一つとして神田川のベランダに出てみました。
すると、いろんな船が通って、子どもたちの興味は尽きなかったようです。警戒船、貨物船、観光船などが頻繁に姿を見せてくれました。私は見なかったのですが、川面を掃除する船もあって、水面に浮かぶ桜の花吹雪を、一気に飲み込んでいったそうです。極めつけは、船のドラフト・ターンでした。船先を護岸に接触させて起点とし、船の胴体を180度回転させて向きを変えたのです。これには、子どもたちだけではなく、先生たちも驚いたようです。船がクイックターンできるとは思っていませんでした。
このような景色の中から、子どもたちにとって行ってみたい場所を散歩先にしながら、その範囲を徐々に広げていってみたいと思います。もうしばらくお待ちください。

ホームとアウェイの意味

2019/04/10

【新井課長がご挨拶に】

千代田区は、珍しい。何が珍しいかというと、保育園の所管が教育委員会だということです。多くの自治体では保育園は福祉民生部局が所管します。千代田区では保育園を教育委員会が所管するのですが、私はそれはとても好ましいことだと思います。保育と言うのは学校教育以上に、本当の意味での教育的な営みだからです。ただ、乳児を含めた児童福祉の専門性にやや乏しいと言う感は否めませんが。
一方で、他と同じように変わらないのは、4月1日付けで人事異動があることでした。千代田せいが保育園の開園まで大変お世話になった子ども支援課の加藤課長が、残念ながら異動になりました。
しかし、これまた千代田区は珍しいことがありました。というのは、加藤前課長が新しく就任なさった新井課長と共に、わざわざ当園にご挨拶にいらしたことです。新井課長は3月まで区立児童・家庭支援センターの所長をなさっていましたから、私は2月にはセンターでお目にかかっており、驚きました。4月からは私たち保育園を束ねる直接の「上司」という関係になります。新井課長、よろしくお願いします。
【子どもの居場所】
ところで、先週水曜日から、子どもたちは一人で過ごし始めましたが、すっかり慣れている子が多い4歳児クラスのらんらんさん達に比べて、歳が下がるにつれて保育園生活に慣れるのも時間がかかるものです。私は2月の入園説明会で「最初は保育園がアウェイでも、そのうちホームになりますよ」と言う話をしました。サッカーでは相手チームの国で戦う時アウェーといい、自国で戦う時はホームと言います。いつものパフォーマンスを維持できるのはホームでの試合です。サッカーはホームの方が勝率が高いのです。なぜでしょうか。スポーツ解説者によると、客席の応援団が敵か味方かによって、精神的なパフォーマンスが全く変わってくるからだと言うのです。
この話を「慣れ保育」中の子どもたちに当てはめると、その子にとっての環境が敵か味方かと言うことになるでしょうか。子どもにとって「環境が味方ですある」と言うのは、例えば大好きな親がそばにいて、大好きなおもちゃがあるといったことです。つまり、ホームでは人と物が味方になっています。
そうすると、子どもたちにとって保育園がホームになっていくことは、どの子にとっても保育園の中に、何か困ったり悲しかったり寂しかったりすると、駆け込める安全基地が必要と言うことです。パパやママの代わりの保育士がその役割を果たします。
そして、心落ち着く空間や、心惹かれるもの、好きな遊びや心の落ち着ける場所、興味ある遊具等も必要となるのです。そして保育園が家と同じような自分の居場所となっていきます。子どもが保育園で安心して過ごせると言うのは、怪我をしないとか、トラブルがないといった事ではなくて、自分らしくのびのびと、自己が発揮できるということです。
【家庭と園をつなごう】
集団の場である保育園と、親子関係が軸となる家庭とでは、人間関係の幅が違います。保育園が家庭と同じようなホームになるには、家庭と園の環境がつながっていると、子供は慣れやすいのです。家で馴染んでいるぬいぐるみや毛布、肌に身に付けておくと安心できるもの、そういったものを保育園に持ち込むことも良いでしょう。それによって寂しさを乗り越え、周りへの興味が湧いてくることもあります。千代田せいが保育園は、子供たちが大好きな景色に恵まれています。自動車や電車や船を、園にいながらにしてみることができるのですから、こんな環境を生かさない手はありません。今日はこんな話を先生達としました。

幼児クラスの保護者会がありました

2019/04/09

【園長の一日】

7時に出勤して、メールのチェックと日々の動きの確認。朝8時30分のスタッフミーティングのあと、9時から園内をチェックして回り、その後はコピー複合機の会社に電話してスキャン機能を拡張させ、10時に2冊児クラスの入園先を探している方に園内を案内し、10時45分から、子どもたちがどのように遊んでいるかを見て、11時30分に来園したレンタル会社の見積もり提案の説明を聞き、12時20分から2階で昼食を楽しむ。14時30分からは会計システムの操作方法を打ち合わせ、16時30分からは、今日のメインイベントである3歳4歳5歳児クラスの保護者会に参加しました。その後、来客が3人あって8時まで話し込む。細切れの時間には、電話やメールやラインでの連絡やネットでの発注などが途切れることがありません。この1週間、こんな日々が続いています。
【コンタクト・タイム】
この中で、保育士でもある私の専門は、コンタクト・タイム、つまり子どもと接する時間にあります。この時期がなくなってしまったら、保育園にいる意味がないでしょう。保育で何が起きているかがわからなくなってしまうからです。野球なら試合会場にいない監督、味見をしない料理人のようなものかもしれません。
さて、今日のコンタクト・タイムで発見したことがあります。それは保護者会で言いそびれたことですが、集団の育ちの意味についてです。
3歳4歳の子どもたちは、この1週間で随分と保育園生活に慣れてきました。どのゾーンにどんな遊具があるか、その遊具ならどんな遊びができるか、誰と一緒に遊びたいか、そんなことがわかってきて、面白いと思う遊びを選んで過ごしています。
思い思いの遊びに熱中しています。複数の子どもたちが店員さんやお客さん、親と子どもといった役割を演じながら遊ぶロールプレイングのような見立て遊びはあまり見られません。それよりも1人で、思う存分、楽しみたいと言う感じです。
ただ、こんな貴重な瞬間に出会えました。ごっこ遊びのゾーンでした。お椀いっぱいに色とりどりの食材が山盛りになった丼ものが2つありました。ある男の子が「一緒に食べよう」と言うと、もう1人の男の子が「いいよ」。すると、「わーい」と喜んでいます。この「わーい」は、〈嘘っこ〉の「わーい」ではありません。ごっこ遊びの中で本当に喜んでいるのです。こうやって友達ができていくんですね。
【先生の役割】
私たちは、こんな子どもたちの育ちの状況を「集団の育ち」と言う言葉でとらえることがあります。バラバラに遊んでいるように見えるみたて遊びのゾーン。そこで担任はこんな援助をしていました。うちの職員ながら、さすがだなと思いました。何をしたかと言うと、「いただきま~すをします。用意はいいですか」と言う、毎日食事の時にやっている挨拶をつぶやきだしたのです。すると子供たちが一斉に寄ってきました。2人しかいなかったその場に、数人が寄ってきて「食事ごっこ」を始めたのです。
【楽しい体験が、みたて遊びを生む】
子どもたちの中に同じような体験が増えていくと、関わりのある会話も弾んでいくことでしょう。〈嘘っこ〉なんだけど、共通する世界を分かち合って、その世界に入り込んで豊かに遊びを展開する、そんな姿が見られるようになっていくのも、時間の問題です。友達ができて仲の良い関係が深まっていくと、楽しいことや面白い体験をしたら、それをもう一度再現したいと言う衝動に駆られるものです。それが制作になったり絵になったり、そして役割分担遊びになったりしていくのです。自然とそのような遊びも増えてきます。楽しみですね。

小学校の入学式

2019/04/08

千代田区は今日が、小学校の入学式。私はこれまで、八王子市の小学校に毎年、卒園児の入学をお祝いに行っていました。千代田せいが保育園からの卒園児をお祝いするのは、来年からです。数年も経てばいくつもの小学校に入学することになるでしょう。当園のある神田岩本町は、千代田小学校区になりますが、今年は当園から最も近い和泉小学校にいかせていただきました。
並ぶ官庁    広場   濠
帝の官居    とりめぐり
わが千代田区に誉あり
大東京の中心地
江戸の名残も風情にて
ここを都の都とぞ
澄める千代田の城の月
これはご存知、「千代田区歌」です。作詞は佐藤春夫、作曲は山田耕作。国家斉唱の後に、子どもも含めた参会者一堂で、これを歌うという千代田区にあっては当たり前の事ながら、新参者の私にしてみると新鮮でした。
「わが千代田区に誉あり」という歌詞は、祈念でも、希望でも、願いでもなく「大東京の中心地    江戸の名残も風情にて    ここを都の都とぞ」という「歴史的事実」であることに、改めて感慨を抱いたのです。ちなみに私の師匠は、今川中出身なので、この歌を歌うことができます。
さて、私の感慨について、もう少し触れさせてください。この3月まで私がいたせいがの森こども園は、八王子市の多摩ニュータウンにあり、街開きの1997年に開園しました。同じ年に小学校も開校しました。ですから地域の歴史はたったの22年です。開園当時のキャッチフレーズは「地域を創る保育園」でした。当時よく使われたキャッチフレーズに「地域に開かれた保育園」と言うものがありました。しかし、開く先の地域がなかったのですから、地域を創るしかなかったのです。
それにひきかえ、千代田区は徳川幕府の開幕まで遡るわけですから、その歴史の差はあまりにも大きすぎます。「千代田の城の月」の「城」は「江戸城」ですから、月を眺めるお月見ひとつにしても、その味わい深さは格別のものを感じます。今年は園のテーマを「地域」としました。千代田区が一体どこへ向かおうとしているのか。地域の方々と語り合いながら、まずは、よく見つめていく1年にしていきたいと思います。

藤森統括園長の講話

2019/04/06

藤森統括園長と私は、兄弟でも親戚でもありません。クラスの担任から「保護者の方から聞かれた」と聞きました。兄弟ではありませんが、私の師匠です。師匠がいなかったら、私はこの世界に足を踏み入れる事はなかったでしょう。そのいきさつは別の機会に譲るとして、今日は私の師匠の皆さんへのお披露目の日、と言うと変ですが、とにかく師匠の話をたくさんの保護者の方に早く聞いてほしいと思っていました。開園して1週間、最も早い土曜日に設定させてもらいました。今日ご参加いただいた保護者の皆さん、ありがとうございました。以下、話を要約してご紹介します。

【どうしてこのような保育なのか】
今日の講演の内容は、2つテーマがありました。1つ目はどうしてこのような保育なのかということでした。私たちの保育は、「子ども一人ひとりを大切にした保育、子どもの主体性を育む保育」と言うことができます。
世界ではいま、保育の質に関する研究が盛んです。中でも、脳科学の進展によって、人生が健康で幸せであるためには、乳児の頃の在り方がとても大事であることがわかってきました。
例えば、一歳になる頃までに、環境から受ける刺激の感受性がピークになるという研究があります。その研究が正しいとすれば、赤ちゃんにとって必要な環境は親だけではなく様々な人々の応答的な関わりだ、ということになります。
これは人類の進化の中で、ずっと行われてきた子育てとも一致します。しかし日本では、家庭や地域にこども同士の群れ社会がなくなってしまいました。大人がさせる体験ではなく、子どもの方から環境に働きかけて、その変化が子どもに戻ってくるような体験が大事なのです。
【これからの時代に必要な保育】
AI技術の進展によって、今ある仕事の約7割近くがなくなってしまうだろう、と言われています。どんな時代になっても必要な資質や能力は何か?それは一言で言うと非認知的能力です。平たく言うと、何かを認識して覚えたり理解したりする力は、コンピューターが得意です。
しかし、人の気持ちに共感したり、自分の感情をコントロールしたり、何かと何かを組み合わせてクリエイティブで芸術的な営みを行うこととか、人と協力して何かを成し遂げる、そういった人間力が将来も、もっと必要になるだろう。そうした力を育てていくためにも、人と人の関わりを大切にして、長所に着目しながら持って生まれた力や脳のシナプスが強くなった部分を伸ばしていくこと、その人格特性を一人ひとりの個性として伸ばしていくような教育が必要になります。
【子育てのポイントについてQ&Aも】
参加された方々から、いくつか質問もありました。家庭での育児のポイントは?睡眠時間が与える発達への影響は?お稽古事についてはどう考える?こんな質問に、「師匠」から答えてもらいました。

子どもの内面世界を想像しよう

2019/04/05

すべての子どもたちが帰った後の保育園。誰もいないのに、子どもたちが残していった、様々な出来事がおもちゃ箱のように積み重なっています。1日を振り返ると言う事は、そのおもちゃ箱の中から私だけが知っているおもちゃを、もう一度手に取って、その数個のおもちゃをめぐる子どもの内面世界を追想することに似ています。まだ5日しか経っていないのに、もうこんなにたくさんのおもちゃが積み上がってしまった。もう、全てを紹介することを不可能です!毎日1冊の本が書けそうな位ですが、残念ながら1日は24時間しかありません。本当に残念です。
【だんだん子どもらしさを発揮】
「だんだんその子らしさを発揮してきましたね」「本当はこんなことやりたがってるんだよね、やっぱり」。日を重ねるごとに、そんな先生たちの会話が聞こえてきます。
ママやパパと別れて、1人で過ごした寂しさを、たった1日で乗り越えた赤ちゃんがいました。「たった1日で、けろりと泣きやんで。あんなに泣いてたのに」と今朝、ちっち組の先生が教えてくれました。君はどうしてそんなことができたのと、聞いてみたい。その子がもし話すことができたら何と言ってくれるんだろう。「ママと別れるのは嫌だけど、別れちゃったあとは忘れてた。だって、こんな面白いことがいっぱいあるんだもん。泣いてる暇はないわ」とでも言ってくれそうな気がします。
私はこういう子どもたちの姿の中に、本来の子どもらしさを見出します。心理学者だったら、順応性が高いとか、レジリエンスが高いなどと言うのでしょうが、私には、「子どもは複数でいて初めて子どもであり得る」と思えて仕方がありません。だから先人は「子」ではなく「子ども」と複数形で表したのでしょう。英語のchildrenも複数形ですね。
【制止を振り切ってでもやりたい欲求の強さ】
また1歳児クラスの中だけでは飽きたらず、とにかくいろんな場所を探索してみたいと言う子もいます。その、やってみたいと言う意欲の強いこと、強いこと。まさしく子どもらしい子どもです。私はその姿を、おおらかに肯定します。大げさな話ではなく、真実の話として、この「新しいものへのあくなき欲求」という、持って生まれた資質があるからこそ、アフリカではなく日本と言うこの極東の地にまで、私たちホモ・サピエンスの先祖がたどり着けたのです。「そっちには行かないでね」「それはやらないでね」と言う制止言葉を振り切って、人類は地球上に広がっていきました。
【好奇心いっぱいの子どもたち】
その子もまた、移動できるようになってこの数ヶ月の間に、同じような制止言葉をもう何十回も聞いてきたはずです。それは顔を見たらわかります。その子はその言葉を聞く前から、「この人もまたきっと、私に向けて、やっちゃダメとか、そっちに行かないでとか、そんなことを言うだろう」と、もう想像がついている顔をしています。ものすごく賢くて、そんなことを言いに私に近づいて来てるんだろうなと、空気を読みきっています。子どもにとっては、全てが新しいことの発見の連続だから、その面白さ、楽しさに比べたら、「それを我慢してやらないでおくなんてできないわ」と言う表情をしています。
【ちょっと想像してみよう】
私たちはその欲求の強さをどうやったらリアルに想像できるでしょうか。大人の場合に置き換えて想像してみるとしたら、こんなのはどうでしょう。例えば、その欲求の強さは、ディズニーランドのアトラクションに2時間並んだ後で「今日はもうこれで終わりです」と言われて入れなかったときの気持ちぐらい悔しいと想像してみてください。そんなことになったら、ブーイングの嵐ではありませんか。私にはまだ子どもの方が素直だと思います。まだ生まれて2年も経っていないのに、とても我慢強く物事に接しています。それに比べて大人の方が切れやすく短気です。
だから、たいていの保育園は、最初からそんな面白い情報に接しないように、そんな習慣をつけないように、管理保育を行うことになっていくのです。
社会的なルールを身に付けて、自分の気持ちをコントロールできるようになるのはもう少し先です。ですからこの時期を大人から見たら何でも抵抗するように見えるので「いやいや期」などと名づけましたが、これは現代社会の環境がそういう名前をホモ・サピエンスに貼り付けただけです。子どもたちの中には、何でもやりたがるキュリアス・ジョージ(好奇心いっぱいのジョージ。日本語訳はおさるのジョージ)がたくさんいるのです。

保護者会とボルダリング

2019/04/04

【にこにこ組の保護者会】

今日はにこにこ組の保護者会がありました。登園後、おうちの人と別れて部屋で遊んだあとで、また10時30分にお迎えに来てもらい、親子揃っての集いとなりました。親と子どもと先生が丸いテーブルを囲んで顔を見合わせて座ったので、「なんだか、『にこにこ村』の村会議といった感じですね」と、私が話し始めると、子どもたちもママやパパの膝からテーブルの上に身を乗り出すように「何が始まるのかなぁ」と、いった様子で私を見つめてきます。一人前に「ぼくたちも村会議にちゃんと参加してるよ」といった面持ちで、とってもいい雰囲気でした。「お互いに仲良くなることが、子どもにもいい人的な環境になりますよ」といった話や、2歳児クラスの発達の様子を話させてもらいました。最後の懇親会では、ご家庭から子供の名前の由来や、名前に込めた思いを紹介してもらいました。
【基本的生活習慣の自立】
満3歳になる頃までに、人はいろんなことが自立していきます。保護者会では遊び、食事、睡眠、排泄、衣服の着脱、清潔のそれぞれの「自力」の姿や、そうなっていくためのポイントについて簡単に触れました。今日は10分ぐらいしか時間がなかったので、ごくごく、簡単にしかお話できませんでしたが、このことは繰り返しお伝えしていくことになるテーマです。どの自立にも共通するのは、自発性と言うことです。言われてやれる、強制されてやると言うことでは自立とは言いません。自らそれができるようになる自発性という心を身に付けること。これができたら、その後の人生に大きなプラスになります。「保育の質はプロセスにある」とよく言いますが、子どもの育ちにも結果ではなくプロセスが大事であるということがあります。それは、自分で行動に移すことができる内発的な動機を持つ事。それを育てようとするとき、私たち大人の子育ての構えは、あーしなさいこうしなさいと言うことではありません。どうやったら自分からやるような言葉かけや気持ちのやりとりをするかと言うことになってくるのです。
【ハザードとリスク】
遊びの中には、やり方によってリスクが大きくなることがあります。リスクとはハザード(災害や事故、ハザードランプのハザードです)が起きる確率のことです。私たちの生活の中に、リスクゼロと言う事はありません。限りなくゼロに近い状態から、必ずハザードが起きるリスク100%の状態まで、その間のどこかにあります。歩いていても、自転車に乗っていても、自動車を運転していても、電車に乗っていても、飛行機に乗っていても、いずれもリスクがあります。ただし私たちはそれを止めません。それはどうしてでしょうか。人によっては危ないからと思って、自動車や電車や飛行機に乗らない人もいます。多くの人がそれを利用するのは、「受け入れられるリスク」だからです。もしその手術をしたら90%命を落とすと言われて、そんな高いリスクを犯してまで手術をする人はとても少なくなるでしょう。反対に90%成功しますと言われるから、私たちの多くは手術を受け入れるのです。
【ボルダリング、事始め】
何の話をしているかと言うと、リスクの低いボルダリングの遊び方の話です。安全に遊ぶには、正しいルールを守ることで、リスクはとても少なくなります。今日はそのルールを学びながら、安全に飛び降りる方法を先に学んで、手と足を必ず1つずつ動かすことなど、基本的な動作を確認しながら、先生が補助についてボルダリングをしてみました。
子供たちは何かを学ぶことが大好きです。何かができるようになったことが大きな「喜びと自信」になっていきます。その姿は、まるで乾いたスポンジが水を一滴も残さずに吸い取っていくような活力を感じました。このように、型から入って身に付く事は「精神の集中を伴う心地よい緊張が、意欲に変わるような活動に限る」と言うことがよくわかります。子どもと先生の関係を眺めていると、日本の芸能等の子弟関係で使われる守破離と言う言葉を思い出します。ボルダリングの「守」に意欲的に取り組んでいる子どもたちでした。

乳児の保護者会と楽しい食事

2019/04/03

【ママと離れたくない】

「ママ、なんで行っちゃうの」。昨日までは親子で一緒だったのに、今日から1人になる時間が始まった乳児のお友だち。ママと離されて寂しくなったり、別々になることに不安を覚えて泣いてしまったり。0歳児のちっち組や、1歳児のぐんぐん組、そして2歳児のにこにこ組の一部の子どもたちにとって、今日はちょっと辛い日でした。でも、ママと再会したら、また気持ちを立て直して、側で遊び始めるような子もいましたね。
今日は10時半から、ちっち組とぐんぐん組の合同保護者会でした。赤ちゃんたちが1時間半ほど親から離れて、再開してからの、親子一緒の保護者会でしたから、「家の子は1人でどうだったかしら」と、心配だったことでしょう。
でも、保護者会でお話ししたように、おうちの人と離れて寂しがったり、不安を覚えるのは自然な発達の姿です。安心して身を任せられる身近な人と、そうでない人をしっかり区別できる認知力と、知らない人を警戒する力がきちんと備わっている証です。ママと再会して、泣き止み安心できる人にすがる力が感情コントロールを豊かにしていきます。
【人類の子育ての仕方を見習おう】
人類はそうやって何十万年もの間、赤ちゃんの頃から親以外の人に抱っこされたり、世話を受けて育ってきたのです。お母さんだけで、自分の赤ちゃんを育ててきた歴史は人類にはありません。お母さんだけに育児を担わせることが、過剰な負担を招き、精神的に追い詰められたり、担わなくても良いはずの責任感を感じすぎたりしてしまっています。そのあげく虐待と言う不幸な親子関係が生まれてしまうこともあるのです。これはお母さんの子育ての力の問題では決してありません。私が好きな「一人の赤ちゃんが育つには、村じゅうの人が必要」というアフリカのことわざは、例え話ではなく、実際にそうなのです。
【大事な子育ての要諦】
子育てのコツは、意外かもしれませんが、肩の力を抜くことです。自分の考えだけで、良かれと思ってやることの中で、もし「子どもにやってあげたいけど、それをやるのはかなり負担だなぁ」と思ったら、ぜひ、相談してください。現代の世の中に広がっている「ベビー○○」とか「〜幼児教室」などをやらないとダメになるかも、とか考えて不安に思っていたら、なおさらです。心の力こぶこそ、マッサージが必要かもしれませんよ。
【発達は、突然やってくる】
しばらくは、ママやパパと離れて過ごせるようになるまで、子どもたちには、ちょっとした試練が続きますが、それがずっと続くわけではありません。生まれながらにヒトが持つ他人に信頼を寄せる力と、いろんな他人と関わって生きていく力を信じてあげてください。しばらくすると、お迎えに行っても「え、もうお迎え、まだ遊びたい」といった表情を見せるようになるかもしれません。発達は突然やってくるもの。まるで恋のように。そんなつもりで、子育てを楽しみましょう。
【早くもお集まりが成立】
さて、幼児クラスはどうだったでしょうか。午後のミーティングでは「計画通りにいかなかった」と言うので、「そりゃそうだろう、そううまくは行かないよ」と思って報告を聞いていたら、反対でした。朝の自由遊びを午前中は継続する計画にしていたけど、お集まりができてしまったといいます。いい方に裏切られたと、先生たちも嬉しそうです。
お友達は、集団生活がはじめてのお友達もいますが、経験のある子どもたちも多いので、それまでの園生活の習慣が垣間見られて、微笑ましいエピソードもありました。
【食事は楽しく会話を弾ませて】
園長と事務長は、クラス担任の先生たちと同じように2階のダイニングで子どもたちと一緒に食事をします。ところが、今日は少し遅れて加わりました。私が「園長先生も一緒に入れて!」と言うと「いいよー」と元気な声が何人もから返ってきて、一気に場が活気づいたそうです。それまでは、シーンと静かだった時間があったそうで「20分間の食事は静かに食べる」というのがルールだったお友達が何人かいたらしいのです。
せっかく身に付いた習慣なのに、変えてしまって申し訳ないなぁとも思いましたが、食事は人間の場合、歴史的にも世界的にも大切なコミュニケーション文化であり、会話と食事は本来、セットです。話をしたいから「お茶でもしませんか」であり、懇親のために「食事会」「女子会」があるのであって、それが「おしゃべり禁止」だとしたら、ブラックユーモアです。外交でも会談には「晩餐会」がつきもので、お互いが仲良くなるためにも、食事は大切な場なのです。
というわけで、私は何人かお友達と話を弾ませて「友達」になりました。ある子からは「園長先生、自動車買ってあげるよ」と言われました。「えっ、ほんとうに!すごいなぁ」と嬉しがってみると、「大人になったらね」。これには爆笑でした。
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