MENU CLOSE
TEL

園長の日記

保育の実例集を作ってみたい

2023/07/01

「園だより」7月号「巻頭言」より

最近のSNSで汐見稔幸先生のエッセイが紹介されていました。そうか、こういうことが背景になると考えるといいのかも、と思ったのでご紹介します。雑誌『エデュカーレ』2019年9月号に掲載されてもので、タイトルは<古い型の保育からななかな抜けられないわけ〜「子どもを主体にする」とは言えない保育があちこちで>です。

・・・・新しい指針・要領・教育保育要領に変わって1年半。新しい3文書の考え方には、なるほどというものがたくさんあります。しかし、実際に保育をみて見ると、たとえば「子どもを主体(主人公)にする」がとても言えない保育がまだあちこちで見られます。昔からのやり方が変わらないのです。どうしてでしょうか。

いろいろ理由はあると思いますが、最も大事なことは、そもそも保育とか教育、育児等の実践は、理屈でやっている部分が少ないから、ということです。ある場面に直面したとき、「〇〇ちゃん、ダメよ、そんなことしたら壊れるよ」と言うか、「〇〇ちゃん、それどうしてもやってみたい?」とまず聞いてみるか、等の判断の多くは、実は無意識にやっています。

無意識ですが、でもその判断に根拠はあります。その根拠はどこで得たかというと、その保育者の幼いころからの育てられ方、受けた教育等の基本パターンを体は覚えていて、同じような場面で、そのパターンを適用するのです。ほとんど無意識のうちに、です。

保育や教育全体の営みにおいて、新しいやり方がなかなか広まらないのは、そうしたやり方で育てられた記憶がないからです。そして、それが今はダメだ、古い、と言われると、まるで自分が過去が否定されたようになりますから、自分を肯定したい人間という動物は、それに簡単に乗ろうとしないのです。

だから今は、原点に戻って自分たちのやり方の特徴を自覚することがまず大事なのです。そこから徐々に、です。

・・・どうでしょうか。身に覚えのある話ではないでしょうか。私には身に覚えが大いにあります。頭でこうしたらいいんだと分かっているつもりでも、体と口は勝手に動いてしまうという感覚。そうか、自分が受けてきた体験でそのパターンが染み付いてしまっている感覚。これを変えるには、そうしていない人のモデルをそばで感じること。別のパターンを意識的に取り入れようとするといいのでしょう。そのためのこんな標語はどうでしょう? こちらもSNSで教えてもらいました。こちらは無藤隆先生の作です。

「人の言うことを聞ける子どもを育てよう」から「子どもの言うことを聞ける大人を育てよう」へ。これも実例集を作ってみたいものです。

大人は子どものトラブルをどう受け止めるか

2023/05/30

私たちが立ち帰るものに保育原理があります。そこに書いてあることは、長い年月をかけて先人たちが作り上げてきた教育や保育や育児の要諦が、簡潔に記載されています。大事な原理、原則のようなもの、あるいは保育の道標のようなものになります。こういうことが起きていて、どうしたらいいのだろうか、どう考えたらいいのだろうか、という時、私はまず、「保育は養護と教育が一体的に行われている営みである」という保育所保育の特性に立ち帰ることにしています。

養護は生命の保持と情緒の安定ですが、そのためにはさまざまな欲求が満たされていく必要があって、とりわけ社会的な欲求、つまり人と人の関わりの中で見えてくる欲求、社会的な欲求が十分に満たされていないと、とかく不安定になりがちです。どんな関わりの欲求なのだろうか。それはケースバイケースです。

それはある時は愛情かもしれないし、私をみて「これ作ったの、みて」と認めてもらいたいという承認の欲求かもしれません。あるいは自分でやりたい、思う通りにしたい!という自在感のようなものだったり、何かを成し遂げた時の達成感のようなものの時もあるでしょう。また、お友達という仲間の一員になりたいという仲間意識、所属感のようなものも、あるかもしれない。

規範意識が育ってきたからこ生まれる葛藤もあります。自分はきまりやルールを守っているのに、そうじゃない姿を目にすると「違う」と言いたくなる気持ち。そうすることになっているという事を守れないお友達への注意をめぐって、手が出てしまうこともあります。公平感や正義感からくる「守らないのは悪いこと」という意識から、強い働きかけが生まれてきます。指摘されて「あ、そうだった」と、行動が変わればいいのですが、そう簡単にはいかないものです。それができるようになるまでに、ある程度の時間がかかります。

とにかく、いろいろな「思い」の伝え合いの中で、それが子ども同士の中でぶつかり合ったり、受け損ねたりし、誤解しあったりすること、やりとりしている間に、こんがらがってしまってうことも起きます。子どもたちは、幾つもの「こうしたい、ああしたい」が絡み合って、それぞれの主張がぶつかってしまう時もあります。さらに感情的になって、気持ちを抑えきれず、手が出てしまうこともあったりします。

子どもは「やり方が違うよ、こうだよ」と優しく教えることができず「違うよ、ダメだよ」という強い言い方になることもしばしば。それを無視したり応えたりしないと、伝えた方が「制裁」への向かうことがあります。先生に言いつけにくる、といこともあります。守ってほしいルールは子どもがやることなので単純明快な方がよくて、人を叩いたり(バンしたり)、蹴ったり(キックしたり)、噛み付いたり(ガブしたり)はダメだよ、ということは、大体小さい時から理解していきます。それでも、相手がそうしてくると、つい自分も「応戦してしまう」ということだったあります。

このような我慢できる力や、感情をコントロールする自制心などは、持って生まれた特性や経験の積み重ねの度合い、他の欲求が満たされているか(睡眠不足とか運動不足、お腹が空いているか)など、生理的な欲求も含めて、どうなっているかという個別の影響なども相まって、いろいろなことが影響します。

先生や親の話も理解して、わかっているのですが、実際にその場面になるとまだできないということもあります。私たちは、起きた事柄の経緯から、それぞれの子どもの「こんなつもりだった」という思いを丁寧に受け止めていくこと(言葉で表現できないことも多いくて、察していくしかないことも多いのですが)を大切にしながら、伝わっていないときは、仲介して「こういうつもりだったんだって」と代弁したり、橋渡しをしたり、しています。どっちが正しかったか、ということはあまり優先しません。そもそも、白黒つけることが目的でもなく、それぞれの折り合いの付け方、気持ちの寄せ合い方、許し方、仲直りへの気持ちの整理の仕方などを、体験的に学んでいく、貴重な体験の積み重ねだと思っています。

環境との関わり方や意味に気づいていくプロセス

2023/04/24

私がぶらぶらと園の中を歩き回っていると「これからお店やさん、やるの!。これから準備するの」と2歳児クラスの女子二人が私にそう言って遊び始めました。「〜やるの!」のところで両足でピョンと飛び跳ねながら、抱きかかえたぬいぐるみを振り回しながら、足取りも軽やかにルンルンしています。自分がこれから始めることをそう言って始めるのは、それが楽しいことで、それを人に伝えたいコトになっているからでしょう。そこに気を許せる親しい人(私)が来たから、またそれはすでに知っている担任に言うのではなく、今ここに現れた私にいうのは漠然と「この人はそれを知らないだろうから」と意識したか、しないかはわかりませんが、とにかく私に教えてくれたのです。

子どもが言葉を獲得していく過程には、自分が伝えたいことがあって、それを親しい人や好きな人、特定の大人に伝えようとして、表現し始めるのでしょう。その時、私が現れなかったら「これからお店やさん、やるの!。これから準備するの」という言葉は発せられなかったかもしれません。彼女たちの表現にとって、私はそれを引き出すきっかけになったとわけです。私が現れただけで、彼女たちにとっての環境は変化し、言葉を引き出すリソース(資源)として働いた、と見ることもできるのでしょう。その子がそう言った時、多分あまり意識しているとは思えないので、無意識的なメカニズムが働いているように見えます。

そのような人と人、人ともの関係やかかわりに焦点を当てながら、その時のことを振り返ると、どうしてそういうことが起きたのかな、ということの理解の仕方が、変化することを実感できます。本人の特性にだけ還元して「気になること」をその子どもの原因として語るようなことではなく、そこで創発したことの複雑な要因のネットワークに視線を凝らすようなことが必要だと思えてきます。

人やものからその子どもに届く情報は、子どもにとってそれ見るだけで伝わってしまう意味が色々あって、それがその子どもの認識の変化を引き起こして、あることが気づかれたり、わかったり、できたりするように見えてきます。またそうやって発した言葉を聞いた私が「そう、お店屋さんやるの、いいね、何屋さんになるんだろうねえ」などと応えるものですから、より嬉しく思え、また楽しくなったりして、子どもが思ったことの注意の向かう仕方に影響を与えます。昨日までの話の続きに戻るなら、環境との関わり方や意味に気づいていくプロセスの一コマのようでもあります。

その子たちの遊びは、その後、延々と展開されていきました。このようにちょっとした「一コマ」をあえて虫眼鏡で拡大するかのように取り出しているのは、環境と子どもの間に起きている相互作用と言われているものの姿をよく理解し直したいからです。なぜなら、子どもにとっての経験のあり方をどう捉えるのかということについて、私たちの方が見方を変える必要性を感じているからでもあります。それは無藤隆先生の導きが大きいのですが、併せていま私が面白がっているのは佐々木正人さんの説明しているアフォーダンスと、鈴木宏昭さんの認知科学の知見、そして戸田山和久さんの知識論になります。

保護者会へご参加頂きありがとうございました。

2023/04/07

本日はお忙しい中、保護者会にお越し頂きありがとうございました!!保護者の皆様と一緒になってお子さんの育ちを考えながら、より豊かな一年を過ごしていける様努めて参りたいと思います。

今年度一年間宜しくお願い致します。





~今週の様子でした♪♪~

ちっち組 保護者会

2023/04/03

今日3日(月)から、新年度の保育が本格的に始まりました。と言っても、新しく入園された子どもたちにとっては初めての場所での生活に慣れていくための第一歩。0歳児クラス4人、1歳児クラス2人、3歳児クラス3人が新しく仲間に加わりました。

今日は初日なので、ママやパパ、お家の人と一緒に過ごしてみて「楽しそう」「面白そう」って感じてくれたら・・・そんな「ほんわかした雰囲気」で園生活が始まりました。と言っても、本人は内心はちょっとドキドキ、心配な気持ちもあるでしょうけど、朝から遊んでいる様子を見ていましたが、今日の感じだと、すぐに慣れてしまうでしょう。

午前中にちっち組は保護者会を開き、担任の自己紹介と今年度の保育のねらい、今月の目標や配慮点をお伝えしました。

(資料はクラスブログ「ちっち組」パスワード必要)

私からは、入園案内の時から説明してきた子どもの姿で描いた保育目標「自分らしく意欲的に思いやりのある子ども」について、目の前の子どもの姿から説明しました。

20230403 ちっち保護者会(PDF資料)

一人ひとりが異なることが保育のベース。その自分を発揮できるように守ることがその子の人権を保障すること。そのためには思わず遊びたくなるような、手を伸ばしたくなるような環境を通した保育が基本となること、人的環境としても、家庭では体験できない子ども同士の関係が色々あること。

子どもが慣れていくポイントの中に、不安から安心に至る過程があることを伝えました。身近に知っているもの、好きなものに気づき、それが増えていくことで不安から安定した生活に移行していくことを。それは物だけではなく、知らない人と親しくなるのも似ているという話をしました。

「大人同士が楽しそうにしていることを赤ちゃんたちもじっと見ています。楽しそうな雰囲気や会話に包まれている感覚を好ましく思い、それを感じ取っていますよ、ここが安心できる場所だということを感じ取っています。心の交流の心地よさを感じていると思いますよ」

その上で(1)子育ては親だけで行うものではないこと(2)子どもだけが家庭と保育園の両方の生活を経験していくこと、そのためにお互いの様子を丁寧に伝え合うことを大切にしたいこと(3)園は保護者の皆さんと共に社会的親でありたいと思っていること、をお伝えしました。

お子さんのお名前の由来をお聴かせていただき、ありがとうございます。お名前に込められている親御さんの愛情を感じました。子どもたちの名前を呼ぶときに思い出したいと思います。

どうぞ、よろしくお願いします。

シンガポールの学生たちが来日

2023/03/08

都内のある大学がシンガポールの養成校の学生を招き、日本の保育を案内しました。約1週間の日程の中で今日8日、シンガポールとの交流がある藤森平司(省我会理事長)が、その大学で学生向けに2時間半の講演をしました。テーマは日本の保育の特徴、中でもに非認知能力と言われるようになった背景、こども同士の関わりから育つ自立心と協同性について、新宿せいがこども園の実際の保育の動画を使って語りました。

シンガポールといえば、世界の学力調査で上位になる「教育先進国」のイメージがあります。講演の後半のグループ・ディスカッションや、その後のグループ発表などを聞いていると、日本の大学生との差を感じます。それは自分の意見をはっきりと話すことです。質問もすぐに手があがります。その内容も率直です。たとえば「子どもの自主性を大切にすることはよくわかったが、保育者はそれをウォッチ・アンド・ウェイトとしていたら、親から何もやっていない、お金を払っているのに何もしないのか、と言われませんか」といったことを聞いてきます。

講演のテーマが保育者のペタゴジーに焦点を当てた切り口になっていないので、質問内容がそうなるのかもしれず、それはよくあることなので、それほど意外ではなかったのですが、やはり、なんでもはっきり疑問点を口にして問う、ということは大事なことだと思えます。控室で大学の先生ともその話題になりました。大学にもよるのでしょうが、概ねそういう意見は多い気がします。自分の考えや意見を伝え、相手の話を聞いて再構築していくような対話のスタイル、日本の学びの中にそのスタイルをもう少し取り入れていいだろうと思います。

成長展 子どもの育ちを作品にする工夫

2023/02/25

今日25日、第4回成長展(令和4年度)を開催しました。保育園の中を展示会場にして、1年間の「子どもの育ち」を展示したものです。育ちを展示するって?どういうこと?・・きっとそう思われると思います。でも、今日見ていただいた方には、その意味がおわかりいただけたのではないでしょうか。

子どもが描いたり作ったりしたものを「作品」として展示するのはよくあると思いますが、当園の展示は、子どもが描いたり作ったり遊んだりした結果や過程の変化を展示するのです。

成長のアルバムは、0歳児クラスだけですが、写真を使ったドキュメンテーションになっています。

展示の見せ方は教育の五領域です。健康、人間関係、環境、言葉、表現の五領域です。1年間の中であらかじめ同じ活動を数回実施して、その変化をたどります。するとその変化の中に育ちが見えてくるのです。

例えば「言葉」では、シルエット表現という手法を使います。人間、家、自動車、犬などの影絵(シルエット)を白画用紙の上で動かしてお話をしてもらいます。

例えば3歳児(わいわい組)のある子どもは、7月は犬や家の向きがバラバラで「(右下のは)ぼくたちのおうちで(右上のは)ワンちゃんのおうち。これはわんちゃんで、これもわんちゃんで、これはばすで、ぼくとぱぱとままがかえってきた」という話。

それが3回目の11月になるとシルエットは天地がはっきりして地面らしきものが意識されているのか横に並び「みんなでぼうけんにいって、おうちにかえって またおそとにいって わんちゃんたちがついてきて それでおおさかにいった」と変化します。1歳児クラスから年長まで年齢ごとにその変化は大きく、言葉遣いの発達もよくわかります。

このような一人ずつの変化を、同じテーマで並べると、今度は個性が際立ちます。一人ずつのその子らしさが一眼でわかるようになるのです。

名前を伏せてクイズにしてあるので、親御さんは、うちの子はどれかしら?と探して当てていくのですが、単語や言葉遣い、言いそうな話題などから、たいてい当ててしまいます。「わんちゃんとか言わないで犬(笑)きっとこれだ!」というように。このお父さんは一回で正解でした。

シルエットの他に、「自由画」も名前を当ててもらうクイズにします。何を描くかで、その子らしさが現れます。

そのほか、人物画とぬりえも年に3回4か月ごとに描いて、その変化を展示します。人物画はその子どもの家族やお友達、先生との関係が現れます。私も「えんちょうライオン」と呼ばれているので、その名前で登場しています。

ぬりえは、「まる・さんかく・しかく」に対する塗り方、りんごとバナナへの色づかい、子ども二人(男の子と女の子らしいイラストは、今後変える予定)への描き方の違いが現れます。1年間の中での変化というよりも、5年間の変化をみると、それぞれの変化を辿ることができます。

この領域「表現」のように描かれたもの、領域「言葉」のように語ったりしたものの他に、領域「環境」では、好きな遊びや好きなおもちゃ、好きな公園などをクイズにしました。

また「人間関係」では友達の広がりを、親御さんに同じクラスの子どもの名前を当ててもらうことで知ってもらいました。

その他、健康は身長、体重、手形、足形を当ててもらいます。身長は1年間で何センチ伸びたか。体重は何キロ大きくなったか、を当ててもらうのです。

重さをペットボトルを持って実感してもらいました。「2キロってこんなにあるんだ!」

子どものトータルな育ちは、先生からのメッセージとして描いています。これも誰のことか、当ててもらうクイズです。

ちなみに、毎月の誕生日会は、子どもがとくに好きな料理にしました。

その誕生日会メニューや、季節の行事食も、その時の様子を写真にまとめたものを展示しました。

また、昨年の秋から給食の調味料(砂糖・塩・味噌・醤油・こんぶ・鰹節など)は全て自然栽培か良質なオーガニックに替えました。その実物を展示しました。

給食で出したメニューの中で、人気のレシピも提供しています。

ぜひご利用ください。

これからのスクールとは

2023/02/23

次のちっち組(0歳児クラス)のクラスブログは、すべての人に読んでもらいたいと思います。この姿の中に、人の学びの原型があるような気がしてなりません。ここは保育園ですから、乳児もいて、その子たちに年中さん(4歳児クラス)のらんらん組の子どももたちが、絵本や図鑑や紙芝居をよんであげているのです。保育園やこども園ならではの「幼児教育」だと思います。幼稚園ではできないことなのですが、この形が学校へ広がるといいのに、と思います。これから小学校を作るときは、就学園施設はこども園にしてほしいものです。

・・以下は、ちっち組の2月22日のグログ(個人名はイニシャルに変更)わらす組とは3.4.5歳児クラス。

最近、わらす組の子どもたちが遊びにくるたび、絵本や図鑑を読んでもらう姿が多いちっちさんです。
「読む〜?」と誘ってもらったり、『読んで』と持っていったりして、すっかり慣れた様子で、お兄さんやお姉さんの膝の上に よっこいしょ、と腰をおろします。


指を指したり、「こぉーわっ?(“これは?”と言っているように聞こえます)」と聞いたりするたび、「はしごしょうぼうしゃ」とか「すいなんきゅうじょしゃ」とか、お兄さんお姉さんが読んでくれます。

乗り物が大好きで、乗り物図鑑を眺めることが多いSくんやYくん。そして、今、発音を真似たり何かを伝えようとしてみたり、言葉を楽しみながら獲得している真っ最中。見たものを、言葉と結びつけながら眺めるその時間が楽しいようで、いつも長いこと夢中になって、わらすの子どもたちと一緒に図鑑を眺めています。

 

わらす組(3〜5歳児クラス)の子どもたちも、その子が好きな本をよく知っていて、選んできてくれます。

図鑑が人気です。

 

↓らんらん組(4歳児クラス)のHちゃんが、ちっちぐんぐん(0〜1歳児)の子どもたちに紙芝居を読んでくれた日もありました。ときどきカタカナが出てくると「これ何て読むの?」と尋ねながら、一生懸命読んでくれていました。

・・・・・・・ブログはここまで。

これとは、直接関係がないのですが、これからの学校は、個々の学びにふさわしい方法でライブラリー、ラボラトリー、ミュージアムなどと手軽にアクセスでき(あるいは融合し)、学校の役割はその子どもの「学びのコントロール」の指導にも比重をおきながら、先生自身の学びが同時に起きていくようなものをイメージしていきたい。

大学を除けば(いや大学もだろうけど)、残念ながら、最先端のコンテンツは地域や会社(特に大企業か?)などの民間に集中していく流れは避けられない(国家を飲み込みそうな勢いだ)ので、それを公教育の一環として認めて多様化させ、それをコントロール?しながら、そこに集ういろんな人がそれぞれのイシューに取り組んでいる問題解決過程に参画しているプロセスをスクール化したい。学んだ学力をそこでツール化する場。子どもが学校に登校する意義は、身体性を伴う集団の中でのコラボレーション、コミュニケーションあるいはディスコースを活性化させた中での、真のリテラシーと自分づくりと世界づくり(市民性や進路開拓)あたりを目指す。

 

ギビングツリー 第1回全国実践研究大会in鹿児島(2日目)胸を打つ熱心な取り組み 第1回全国実践研究大会in鹿児島(2日目)

2023/02/11

鹿児島での往還型教育の二日目は、保育実践に学ぶこと。「藤森メソッド」と呼ばれるようになってきた子ども主体の保育、環境を通した保育、子どもの大人も共に学ぶ保育の実践が、西日本各地から7つ紹介されました。どれも参考にしたいものばかりでした。何よりも、何かがすぐにうまくいった、というものではなく、紆余曲折があり、困難な課題にぶつかりながらも粘り強く成し遂げていった実践、またその途中であるというものばかりで、それが返って胸を打つのです。藤森代表も、一つひとつの報告に「いい実践ばかりで、ほんと、感動するね」と話されていました。

タイトルだけ紹介します。

(1)「幼稚園だって見守る保育!」にのみや認定こども園(栃木県)

(2)「めざせ!オープン保育〜過疎地の保育園の取り組み〜」生見保育園(鹿児島県)

(3)「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」認定こども園ひばり保育園(宮崎県)

(4)「成長展に取り組む中で見えてきたもの」観音寺中部こども園(香川県)

(5)「対話」すずらん保育園(長野県)

(6)「日常の保育の中で育つ非認知的能力」昭徳こども園(長崎県)

(7)「STEMってなんだろう〜夏の水_冬の氷プロジェクト〜」もりやまこども園(長崎県)

ギビングツリー 第1回全国実践研究大会in鹿児島(初日)郷中教育に学ぶ 

2023/02/10

最近、往還型の研修という言葉をよく聞くようになりました。出かけた先で学び、それを現場の実践に活かす。その結果を踏まえて考え直し、新たに学び直しに出かける。行ったり来たり。往還です。出かける先が研修会だったり、学校であったりとさまざま。

今日から明日までの二日間。私は鹿児島市に出かけて、保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)の地域団体「鹿児島GT」が主催した第1回全国実践研究大会に参加しています。全国各地から約190名が集まり、初日の今日は午前中に鹿児島市内のこども園を見学し、午後は藤森代表の基調講演と記念講演がありました。いろんなことを学びましたが、活かしたいと思ったのは、当園の保育の表現の工夫です。それを「郷中(ごじゅう)教育」から学びました。

記念講演は、維新ふるさと館の特別顧問で歴史解説員の肥後秀昭さん。薩摩藩で生まれた青少年教育として有名な「郷中教育」について、詳しく解説していただいたのです。この青少年教育は主に武士の子どもが対象ですが、学問、武術や心の鍛錬がなされています。郷中の「郷」とは、薩摩藩の地域を小単位に分けたいわば町内会のようなもの。

郷中教育で、面白いのは先生という立場の人はいなくて、先輩後輩のように上のものが下を教えます。当時、元服は15歳ですから、6歳からそれまでを稚児(ちご)、元服後から24歳までを二才(にせ)、それ以上の若者は長老(おせ)と呼んでいました。長老でも卒業というものがありません。その理念や方法のエッセンスを、1545年(天文14年)に島津日新斎忠良の記したと言われる「薩摩(日新公)いろは歌」から知ることができます。その「いろは」の「い」つまり第一首はこうです。

第1首:い「いにしえの 道を聞きても 唱えてもわが行ひにせずば甲斐なし」
(訳1)昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけで、実行しなければ役に立たない。実践実行がもっとも大事である。

(訳2)古来から言われてきたどんな素晴らしい教えも、自分で実践しなければ何もならない。

これは往還型の研修そのものですね。あるいは薩摩藩流のデューイです。

郷中教育は薩摩藩が定めたものではなく、郷ごとに独自に展開されました。個人も集団もその自主性が重んじられたのです。今の学校教育や社員育成に通じる重要なエッセンスが詰まった「いろは歌」になっています。

top