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園長の日記

普遍性を持った主観について

2019/05/05

昨日に続いて、日本保育学会に来ています。話も昨日の続きです。私たちが「見ている子どもの姿は、主観的なものである」というと、「えっ、私が見ている姿ってちがうの?」と不安になる人がいるかもしれません。そうではなくて、私たちは誰であろうと何かを見るときに、すでにある「枠組み」「○○観」のようなものを持っているという意味です。

■生物としての認知の枠組み
生き物である私たちは、感覚器を通して世界の情報を知覚していますが、視力も聴力も味覚も嗅覚も触覚も、それぞれ他の生物よりも優れていたり劣っていたりします。その範囲でしか、世界を知覚するしかありません。生物学的にも認知の枠組みに縛られています。(生物学者のユクスキュル参照)
■文化的価値観としての認知の枠組み
さらに私たちは、社会や文化の価値観や考えを身に付けているので、無意識にその視点で物事を捉えています。夜の月をアートのように鑑賞したり、虫の音や風鈴に風情を感じたりするのは、日本の文化の影響です。カツオや昆布の出汁の『うまみ』を美味しく感じるのも、海産物に恵まれた和食の文化が生み出したものです。奈良時代にそれまで日本にはなかった『梅の花』について、和歌で心情を描写するときも、美の基準を創造しています。
このように人は、生物学的にも、社会学的にも、そして心理学的にもある種の視点、物事を見る枠組みといったものを通して世界を眺めているわけで、それを主観的と言っているのです。同じ対象を目の前にしたとしても、人によって、つまり持って生まれた特性やそれまでの経験の違いによっても、主観的な内容は異なってきます。
ただ、そこで見えているものは、独善的で、無秩序で、無用なものではなく、社会的・相互的で、首尾一貫しており、有効なものになっている主観です。恣意的にでたらめに作り上げた姿ではなく、説得力を持った見立てになっていることが多いのです。しかも、場合によっては、それは美しいものでさえあります。(村井実『善さの構造』)
■クラスのブログから
たとえば、ちっち組のブログに、4月の、子どもたちの、様子が描写されています。
「そしてお友だちとの様々なかかわりの中で、楽しい気持ち、嬉しい気持ち、悲しい気持ち、怒った気持ち…いろんな気持ちを共有しながら、いろんな体験をして大きくなっていくのだと思います。なんだかわくわくしますね!」
■子供同士の関わりの中で育つと言う発達観
この描写のなかにも、「見える」ための視点、フレームが無意識に活用されています。子ども同士の関わりの中でいろいろな気持ちが生まれ、共有される事は間違いがありません。またそのようなスタンスで、子どもたちを見守っていることも、わかります。子ども同士がかかわるの中でこそ、心が育っていくという、子ども観や発達観を持っていることも、想像してもらえるでしょうか。ただし、その子どもがその時、どんな気持ちだったかは推測するしかないのです。したがって主観的であると言うことになるのです。(続く)
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