見てはいけないものを見ようとして、拒まれたわけではありません。にこにこ組の子どもたちが、いつものようにお昼ご飯を食べていました。ある子どものそばに寄って「どう、おいしい?」と聞いてみたのです。

すると、おかずのお皿に、ご飯がお茶漬けのようになっていて、それをスプーンで混ぜながらNちゃんが「見て」といいます。「どう、◯◯でしょ」と、披露したい、ちょっと見てほしい、といった感じなのですが、◯◯のところが、わかりませんでした。
ところが、その前に座っていた、Kんが「見ないで」と言い出したのです。お茶漬けのようになっている、そのお皿を見ないでと言っているのか、それともお友達の様子を見ないでと言っているのか、あるいは自分のことを見ないでと言っているのか、よくわかりませんでした。それでも「見ないで」というのを繰り返すので、ごめん、ごめんと退散したのです。
ところが、周りにいた子たちも「見ないで」と、いう言葉が感染し、私のほうに目をやって「見ないで」と言い出したんです。ちっち、ぐんぐんの頃から、一緒に生活してきたこの子たち。自分たちと違う他者である私との間に一線をそこに引かれたような気がして、私がこの子たちとは違う存在であり、仲間ではないんだと言う宣言を受けたようにも感じました。
そういう「自分たちと他者」と言う区別ができるようになったのかな?と、そうだとしたら、にこにこ組(2歳児クラス)なりの、それも成長かもしれません。そこに、彼らの仲間同士のような絆や連帯感のような気持ちもできたのかもしれません。










