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園長の日記

生存に必要な「世界の探索」という視点

2023/12/26

最近、これまで使っていた言葉に新しい意味が付け加わっていく感覚があります。私にとって、もっとも大きな変化は「遊び」の定義です。これは無藤隆先生に教わったもので、12月の園だよりの「巻頭言」として、12月1日付のこの欄で、すでに紹介したものです。味わい深いので何度も呟いて(もちろん頭の中でですが、笑)います。

「遊びは思いつきをする楽しさと,そこから少し先の目標を立てて実現しようとする課題解決の充実感からなる。それは物事の可能性を知ること。私の言い方では環境からの呼びかけに応えて、世界性へと開かれること。そして、そこでの目標を立てての課題解決の練習となる」

遊びをこのように捉えると、生活と遊びという区別に意味はなくなり、年齢もあまり関係ないように思われます。さらになぜ人間は進化の中で遊ぶようになったのか、ということを考えても、少し先の目標を立てて実現しようとすることで身につくことは、子どもが大人になった時に有利だという考えとも矛盾しません。また石器時代の人類の多くが大人になれなかったことを踏まえても、子ども時代にとっても意味があります。たとえば課題解決の充実感から様々な認知・非認知的スキルの習得につながるとも思えるからです。

そして私の中のキーワードとして急浮上しているのが「探索」という言葉です。保育の中で、探索活動という言葉を聞かない日がないくらい、頻繁に使われ、書かれています。たとえば、昨日と今日の0歳クラスの日誌を見てみましょう。

「・・・コンビカーに乗ってみる中で足で蹴ると進むということを習得し、広いホールの中を気のおもむくままに走っていました。広々とした環境に心も開放的になり、ダンスしたり探索したり…思わず体が動きだすような子どもたちの姿がありました。」(12月25日)

「・・・お兄さんお姉さんの遊びをよく見て、同じようにやってみたり、やってみる?と誘ってもらって、そばで見守ってもらうことで、安心して探索にふみだす様子がありました。」(12月26日)

探索ではないにしても、発見や収集などの姿は毎日のようにみられます。新しい場所に出かけて、いろんなことを発見して思い思いに体を動かし、いろんなことを試しています。

確かに私たちは生きるために必要なことを優先してきたに違いなく、そのために、まずはありとあらゆるものが、世界の知覚から生存確率を高める行為に繋がっていたはずです。その行為が生存に役立たないなら、私たちは今生き残っていないでしょうから。その生存のスキルの向上に、子どもの探索は役立っているのではないかと思えてきたのです。

そういう意味で、ヒトは探索の名人であるはずです。新しいものが好きであること、そこに生存に役立つものは取り入れ(たとえば旨・甘・塩・酸・苦みのうち、栄養になる旨味や甘味は好むなど)、危険なものは避ける(腐敗と毒の可能性が高い酸味と苦味は避けるなど)などは生得的な味覚として備わっています。ただ、厄介なのは人間が良かれと思って人工的に作り上げてきたが、私たちの生存を脅かし始めているということです。

もちろん自然も脅威(天変地異など)であることは変わりません。しかし、それに匹敵するほど、あるいはそれに勝るほどの生存の危機(核兵器や環境問題など)をもたらし始めているのも事実でしょう。私たちが作り出すほとんどのものは、一旦人間の表象を通過しているので、つまり人が考えて作り出したものがほとんどなので、何かデザインされているものばかりです。

ソサエティ5.0の時代に、人間が作り出している環境が、もし子どもにとって必要な経験になっていないとしたら?たとえば小児科学会が2歳頃まではテレビを受動的に一人でけで見せないようにと啓発しているように。あるいは、子どもの「遊び」になっていない生活や活動だったりが、増えてしまっているような心配もあります。その境目なり区別なり、本当の正しい問いはなんだろうと考えたり。それは私たち大人に必要な世界の探索なのかもしれませんが、かなり難しい課題だと思います。

 

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