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園長の日記

鬼のイメージ 成長展のためのミニ連載(2)表象と模倣の関係

2021/02/02

◆今日は節分

子どもたちにとっての節分は、やっぱり鬼退治。福は内鬼は外の掛け声で、豆をまいて鬼をやっつけます。でも、今年は感染症対策優先のため、幼児クラスは鬼の登場は無し。また豆まきも「誤食」防止のためにもやめました。厚生労働省から通知も届いてました。豆の誤食による事故が多いそうです。にこにこ組は担任が鬼の役をやる鬼退治ごっこ(クラスブログ)を楽しみました。お昼ご飯は鬼の顔に見立てた鬼ライス。3時のおやつは恵方巻でした。恵方巻は南南東の方を向いて食べました。

私が心惹かれたのは、ぐんぐんさんのおやつの時です。Uちゃんがおかわりを欲しくて、恵方巻を半分にしてあげたのですが、どうしても1個欲しかったらしく、泣きながら訴えるのです。

泣いてでも食べたいと欲しがる気持ち。こんなに思いっきり気持ちが出せてうらやましい。こういうことをやらないようにするのが大人になることだと、私たちは思いすぎているのかもしれません。なんとも微笑ましい素直な気持ちなんでしょう。とりあえず半分食べるように促してみると、食べながら泣きやみました。

◆多様な鬼のイメージ(表象)

子どもたちの生活や遊びは、まるでお伽の国のようです。鬼が出てきては泣き笑い、おいしいものには心を奪われ、絵本や紙芝居の世界に身も心もどっぷりとつかり、面白いと思ったことを絵に描いたり、積み木で再現してみたり。子ども1人ずつ、異なる感情のうねりや起伏や物語が、生活の中で響き合っています。

例えば、今日のことだけでも子だもたちの周りには鬼がいっぱいです。絵本に出てくる鬼、桃太郎の鬼が島の鬼、鬼滅の刃の鬼。・・・お伽の国と言うのは、おとぎ話の国と言う事ですから、現実の世界ではなくて想像の世界、イミテーションの世界、嘘っこの世界です。しかしそれは、子どもにとってはそうでなくてはならないあり方です。子どもが呼吸し生きている世界です。7歳までは夢の中。そんな言い方をするのも、子どもは大人と違って半分は非現実的なファンタジーの世界に住んでいるからでしょう。例え話ではなくて本当にそういうことです。

◆表象と模倣の関係

成長展で模倣と言う切り口で子どもの姿を捉えてみたとき、きっとそこにも成長の足跡が見られるでしょう。こんな図を頭に思い描いてみてください。大きな丸があります。それは子どもが生きている心の世界です。「表象世界」とでも名付けておきましょう。その中にもう一つ丸を書いてください。それが「見立て遊び」や「ごっこ遊び」などと名付けている遊びの世界です。

例えば子どもにとっての鬼のイメージも、年齢によって全く変わっているはずです。成長していくこと、大人になっていく事は、表象世界が広がっていくこと、豊かになっていくことを意味します。外側の大きな丸い円です。それは心の内面ですから、外からは見えません。

ところが見える時があるのです。言葉で話したり、表情や仕草で伝えてくれることもあります。もう少し大きくなれば歌や詩にしたり、大人なら俳諧や小説、映画や能舞台になります。それが、乳幼児にとっては「みたて遊び」や「ごっこ遊び」が言葉や記号では語り尽くせない豊かな象徴的表現行為なのです。内側の丸い円です。内面の豊かなイメージが、みたて遊びやごっこ遊びの姿をして可視化されます。内面の世界が、外側にあふれ出してくるようなものです。まるで地球の中のマグマが火山を作って噴火しているかのようです。子どもの心はそれを取り巻く環境との相互作用によって作られていくと言うのはこういうことです。ですから、みたてるための材料や素材が子どもの身近なところに、置いておかなくてはならないのです。

成長展ではその噴火している遊びの様子を見てもらうことになります。そのそれが何を表しているのか、表象の意味や価値、あるいは民俗学的な意味については、また別の機会に説明したいと思います。

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