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2022年 9月

台風14号からの教訓は?

2022/09/20

台風14号は九州に上陸したあと、福岡あたりで進路を北東へカーブしだした頃から、台風の熱量は下がり勢力は低下し始めました。進路も関東直撃を免れた形となって、今日20日(火)は心配した状況を避けることができました。ただ、今回の台風は、備えの再点検を促しました。

千代田区は16(金)から情報連絡体制を構築したそうで、昨日19日(月)の夕方から災害対策課が、その後の夜からは道路公園課が区役所へ参集しています。市街地の点検は、青パトを使って道路や公園、土木事務所などを回り、雨水桝や排水溝を調べて道路冠水や街路樹の倒木などがないかを巡回したといいます。

保育園は、園内への浸水に備えて自動ドアの外側のシーリングと土嚢(水嚢)を用意しています。避難訓練は地震や火事を想定しているのですが今回のような風水害を想定した避難は、ライムラインに沿って、数日前から準備を始めて準備していくことになります。登園しないで自宅待機や遠方への避難などになりますので、計画的な見通しをもった避難行動のシミュレーションをしておくといいですね。

 

過去に例のない大型台風の接近に備えて

2022/09/18

9月18日(日)午後3時8分

保護者の皆さんに連絡アプリで以下の内容をお知らせしました。

「台風14号が関東に接近する明日19日(月)、千代田区は「状況」によっては、区立の全学校・園に休校等の指示をします。そうなったとき千代田せいが保育園も、区と相談のうえ休園とするかもしれません。もし、明日19日の間にその決定に至らなくても、20日(火)の朝6時の時点で、特別警報等が千代田区に発令された場合は、休園になるかもしれません。想定している「状況」とは、園児の通園の安全確保に支障をきたし交通機関の混乱等が予想される場合です。」

 

リメンバー・ミー

2022/09/17

今週水曜日の朝、事務室の近くで、「これ、かわいい〜」と言い合っている女の子が二人いました。何が可愛いんだろうと気になって話を聞いてみたら、チラシやパンフレットに載っているイラストや写真です。じゃあ、かわいいを探して何ができるか考えてみたら、というと、さ〜っと3階へ向かって昇っていきました。何人かの子どもたちにとって、「かわいい」は、興味関心のテーマになっています。幼児の先生にそれを伝えると、早速、イーゼルのホワイトボードに「かわいい」が真ん中の保育ウェッブを、子どもたちと作っていました。

ちなみにこの子たちは、その日のダンスでもかわいいものを探しているように、私には見えました。ダンスを見ながら、お絵かきをしていたり、参加しないパートでもにっこり笑ってかわいい、と言っていたからです。お支度コーナーには、切り抜かれたチラシが落ちていて、なぜかバーコードも丸く切ってありました。これも可愛いなのかな?と思ったり・・・

今週を振り返ってみると、納涼会の余韻を楽しむ、ということや大規模災害を想定した避難訓練や、子どもの興味関心をいかに「つながるようにするか」という園内研修など、いろんなテーマが並行して流れていた1週間だったなあと思います。その中でも、私にとって一つ共通して「心に刺さった」ことは、子どもも大人も「思い」が物事を前に進めるという当たり前のことです。

というのも、それがどこかで止められたり、誤魔化されたり、無視されてしまったりしていることが多いからです。言い方を変えると、人の思いはしっかり受け止められたり、聞いてもらえたりしないと、この世界で活かされるように「つながらない」ということです。その秘訣は「リメンバー・ミー」、忘れないで覚えてて!ということに尽きます。それがないと、人と人はつながらず、いつも最初からやり直し、ぼんやりと表面的な行動ができる、できないで終わる1日になってしまいます。

今週は人の思いの熱い方、共感力の強い方、情が深い方にお会いして話を伺うことができて、この人間性が保育の前提だなあ、ということを実感しました。他者の思いは思い出の中で生き続けると言うことです。「ねぇ、私の方を見て」と言う思いと、「ねぇ私のこと覚えてるよね」は、同じだと言うことです。しかも、思いの強い人だけに反応するのではなくて、子どもの些細な思いにも共感し、覚えている大人でありたいと思ったのでした。

その「強い思いが世の中を変える」という事実について、不思議なんですが、改めてそのことを受け止め直しているようなことが、私の中で続いています。今月に入って、同じようなことが続いているのです。物事を推し進め、課題を乗り越え、道を切り開くのは、このようは方々なんだな、ということが確認できたとでもいうのでしょうか、このような方々から心を動かされ、インスパイアされて世界が変わっていくんだろうと思います。

このことは、今日17日もある講演を聞いて、またそう思いました。その講演は大好きな西山厚さんという帝塚山大学文学部の客員教授の講演ビデオだったのですが、半蔵門ミュージアムでまた聞く機会を得ました。今日は「ブッダの涅槃図」の解説でした。以前もどこかでこの話をしたかもしれません。お釈迦様の80年の生涯には、誕生、成道、初転法輪、涅槃という、4つの大事なことがあるのですが、その最後の涅槃(ニルバーニャ)についてです。

お釈迦様が亡くなった時の様子を描いた絵「涅槃図」には、お釈迦様といつも一緒に行動した十大弟子の一人阿難(あなん)が、愛するお釈迦様が亡くなって悲しくて悲しくて失神して倒れている姿が必ず描かれています。「悲しさ」が仏教の心情の原点なのです。だから仏教は人に優しい。

母親摩耶夫人はブッダを産んで7日目に亡くなるので、ブッダは母親を知らずに育ちます。私が生まれなかったから母親は死なずにすんだ、私が生まれたから母親は死んだ、そう考えて悲しみ苦しんだに違いない感受性の強いブッダは、人の生の苦悩に共感し、そこから解放される道を探したのでしょう。それが悟り、つまり成道に至るのでした。・

・・そんな話を聞きながら、私たちは誰もがいつか自然に還える存在です、誰でもそれが早いか遅いかの違いでしかなく、死んでも心に残り生きていることを実感します。子どもたちも、そんなことを少しでも感じ考えることができるようになってもらいたいな、と考えたりした今週でもありました。

世界は人の思いの網の目でできている

2022/09/16

私たち人間を突き動かしているエネルギーは、人との関わりやつながりの中で生まれてくるものなんだ、ということを今日16日は体験的に実感しました。やはり人との出会いが感動的な人生を創るのですね。もうこれは間違いない人生の真実です。これがあるから、人生は豊かになるんだということを、実感した1日になりました。

朝は明日で終わる実習生と話し合い、保育士を目指して勉強を始めた専門学校の学生に実習を迎える心構えを伝え、流山市から見学にきた園長先生と主任の先生に保育園を案内しながら、子ども自身が見通しを持って意欲的に生活を作り出すために必要な保育者の意識と役割を見てもらいました。その大事なエッセンスは、今日のぐんぐん組(1歳児クラス)のクラブグログで描かれています。この子ども同士の関わりからうまれる成長の様子をぜひ見てほしいと思います。

その後、大急ぎで医療的ケアでお世話になっているフローレンス(神田神保町)へ。主任と看護師と出かけて、これまでとこれからのことについて、それぞれの思いを分かち合いました。とても有意義で濃密な、忘れられない時間になりました。急いで園に戻り、今週からきている実習生の日誌を読みながらコメントを書き、千代田区主催のブロック園長会にズームで参加して情報交換。小学校との連携、接続のあり方について約1時間話し合いました。

私からは、自分の中にある保育園、小学校、中学校と繋がっていく一人ひとりの学びのイメージに基づき、個別最適な学びのスパイルアップの道筋そのものが、架け橋プランになっていくようなカリキュラムづくりを提案しました。

夕方には区立のこども園を見学させていただき、千代田区のこれからの保育ビジョン作りについて情報交換しました。ちょうど昨日15日に千代田区主催の「就学前カリキュラム策定委員会」が開かれ、千代田区の保育の今後について4つの視点から話し合ったばかりだったので、千代田区が目指そうとしている子ども像と関連する「未来のための今のあり方」に関する保育の考え方を語り合うことになりました。

その後はまた別の場所に移り、保育の仕事を始める前の職場で一緒に仕事をした元同僚を交えての夕食会となり、現在の日本での新しい学校づくりの動向について情報交換したのでした。

1日のうちに園の職員以外の10人を超える保育関係者の、「熱い思い」に接すると、その思いの背景にあるそれぞの人生の重さを感じます。これらの相互作用が実際にどのようなことをこの世界に引き起こしているのかは、それぞれの個人からは俯瞰するはできませんが、世界がビリヤードの台だとしたら、球はダイナミックにぶつかりあって、動いています。目には見えないし音もしないものですが、確実に何かが動いているのだと思えます。よさに向かって修正されながら。今日の日記のタイトルは、副題があります。「そして、思いの強さが網の模様を大きく変える」です。

いつものダンス遊びを親子遊びにする「親子運動遊びの会」

2022/09/15

私たちの保育園で大事にしていることを徹底していくと、行事も従来のものとはかなり異なるものになっていきます。大事にしていることとは、まずは「自分らしく」という、一人ひとり違うよね、という部分。これが保育のベースになっていると考えています。小学校以降の学びでは、一斉授業がベースだった時代が長いので、あえて「個性化」といういい方をすることがあります。個性に「化」をつけないといけないあたりが、そもそも個性から出発していないことを表してしまうわけですが、それはともかく、これが大事です。なぜなら、その大事さの根拠は、個人の「尊厳」にたどり着く話だからです。この「自分らしくある」ということを保育の根底に据えます。すると、健康であることも、人との関わり方も、いろんな環境との接し方も、外的文化である言葉の内面化の過程も、そして自分らしさを表す表現も、どれもが自分らしくあることを大切にしていくことになるわけです。

今日からダンスの活動について各クラスのブログに、その様子を紹介しています。それは、このダンスという身体表現も「自分らしくある」ことを大事にするからこそ、実に個性的なものになるのです。誰一人として同じ形の振り付けにはなりません。思い思いの内面が外に現れていくからです。身体の声と言ってもいいものに、私たちは耳を澄ますと、そうなんです、その子らしさが現れていて愛おしい。上手に踊れるって、何を持ってそういうのでしょう。同じ型通りに身体が動くことだとしたら、それはロボットの方が上手ということになってしまうかもしれません。かけがえのない、その瞬間の体の心地よさや、溢れ出てくる楽しさ、面白さ、そういった感情を伴う身体表現は、やりたくてしょうがないからやるという意欲に満ちていて、その繰り返しの中で、自信に溢れてた動きが生まれていくプロセスが、まさに現代アートになっているようなダンスなんです。

その変化の面白さを、今日からのクラスブロクの写真と説明でのドキュメンテーションでお伝えしていきたいと思います。普段のダンスの楽しさを、10月22日の「親子運動遊びの会」では、親子で楽しみたいと思います。

新しいプロジェクト型保育の模索

2022/09/14

今日は夕方から園内研修をしました。テーマは「保育ウェッブマップ」の活用の可能性。保育の見える化のためのツールとその活用方法について、プロジェクト型の保育をモデルにした、ある書籍を読み込むということをしました。保育の可視化、というテーマはこの10年ぐらいでしょうか、日本では「プロジェクト型の保育」を考えるとき、必ず登場するテーマになりました。

保育の可視化は、歴史的に遡ると、イタリアのレッジョ・エミリア市の保育が世界的に注目された時代がその嚆矢と思われますので、かれこれ30年以上も前から、保育界で模索され続けていることになります。その頃ドキュメンテーション、ディスコース、デザインという「3つのD」(秋田喜代美)が注目され、その中でもドキュメンテーションが突出して日本に輸入された経緯があります。

ところが実は、3つのDのうち、残る二つのDがないと、うまくいかないことは当時から指摘されてきたのですが、ここにきて、別の文脈(幼小連携や社会情動的スキルの育成など)から改めて「プロジェクト型の保育」が再評価され始めており、そこにマッチした手法が「保育ウェッブマップ」というわけです。

このテーマは、かなり専門性の高い話に入り込んでしまうのでやめますが、最大のポイントは保育のプロセスが子どもも保育者も保護者も共有できるということにあります。これができると保育が大きく飛躍できます。やり方によっては、いろいろな要素(現代的な新しい保育テーマ)を総合的に含み込むことができるので、学びの質は高まるでしょう。これからの時代に求められる子どもの力の伸長にも役立ちます。この試みに着手するために、今日はその考え方を確認しました。

新しい学校のイメージ

2022/09/13

保護者の皆さんが働いている職場は、働きやすいですか? 机に向かう時間が多い方は、どんな椅子にどんな姿勢で座るかが大きな問題になるはずです。ミーティングの多い方は資料の記録、再生、共有などの方法が大事になるでしょう。また外に出ることが多い方は、移動方法や連絡手段も仕事の効率に影響するでしょう。創造的にアイデアを練る仕事なら、そうなるような環境のデザインが工夫されるでしょう。

保育や教育の場合、子どもがどんな生活や活動をするかによって、室内のレイアウトが変わります。同じ内容を同じ時間に同じ場所で受動的に教えてもらうということなら、教師の声が一斉に届く距離に正面を向いて座る机の配置が効率的だったのでしょう。しかし今は一人ひとりが異なる内容を異なる方法で別々の時間に能動的に学ぶ時代になりました。目的や内容に応じた空間が配置される必要があり、子どもが行き来する動線も考慮したレイアウトにする必要が出てきます。

子どもの興味や関心に基づいた探究活動を展開させたいのなら、そうしたテーマやトピックスに応じた物や場所、空間や人などの環境をデザインする必要が出てきます。そのようなプロジェクト型の学びは、どんなテーマやトピックスであっても、共通する活動の形がありそうです。何が探究のテーマなのかを話し合うこどもかいぎの場。活動の見通しを立てる場所、実際にやってみる多様な活動フィールド、そしてまた振り返り共有する発表や展示のできる空間。

これからの保育室や学校には、このような探究活動を保障するような複合的な場所が必要になります。そこには遠く離れた援助者と話ができるコミュニケーションツールが用意され、活動や探究の軌跡がパッと把握できる共有メディアがあると便利でしょう。そんな時代の新しい学校のイメージは、場所や時間を越えたようなものなので、既存の学校のイメージで捉えると、これからの「学びのスタイル」にそぐわないものになるかもしれません。

活動や探究、遊びのリソース(資源)が分散されてゾーニング化され、それが連動して活用されるとき、学びの軌跡はとてもユニークなものになるでしょう。その学びの軌跡を視覚化して、学びの物語として「子どもの自分史」がどの子にも残せるなら、それが小学校、中学校、高校へと繋がっていく「成長の作品集」のようなものになることでしょう。そこに成績や通信簿などはありません。かけがえのない、宇宙に一つだけの学びのプロセスが、この世に生きた奇跡(キセキ)になるのです。

 

風であそぼう

2022/09/13

保育園では毎年、年間テーマを設けています。今年度は「風と光と・・・」というもので、生活の中の風や光に少し興味を持って、子どもの体験が深まったり広がったりすることにつながるといいな、と思っています。たとえば、13日(火)の2歳児クラスをのぞいてみると、うちわで風船を扇いだり、牛乳パックで作ったものを扇いで倒したりして遊んでいました。この遊びは実習生が考えた「風遊び」ですが、このアイデアは、10日(土)に開いた「納涼会」で遊んだ風の実験からつながっているものです。

この「風の実験」は、机の下から噴きあげるサーキュレーターの上に、筒を置いて、その上にいろんなものを「浮かべてみる」という遊びです。風船やスカーフやカップラーメンの容器とか、「こんなものが本当に浮かぶかな?」というものまで浮かんでしまうので、大人が見ても面白い実験装置です。でも大人が面白いと思うことと、子どもが思うものとは違うかもしれません。

風は見えないし、手で触ることもできないので、どういうものかというイメージも持ちにくいはずです。直接さわったり持ったりできないものだけに、それを感じる場面をいろいろ体験して、子どもは、そこから「風」に要素を抽出してくるのだろうと思います。その時の表現(言葉など)は、その子の感じたリアルな感覚なので、誰一人として他の人と同じものにはなりません。いろんな感じ方や表現になることでしょう。

納涼会では、風車を扇風機に当てて、クルクルと回すという遊びもしました。これらの遊びは、風を使ったものですが、普段の生活の中の風体験とどこかでつながって、いろんな気づきを生んでいるのだろうと想像します。暑いときに扇子やうちわで扇ぐと涼しく感じたり、蝋燭の火をふっと吹いて消す時も、それは同じものと思うことがあるのかどうかわかりません。

ジェット機に乗っている時、私たち乗客は外の風を感じることはありません。台風の最大瞬間風速が50メートルと言われても、きっとそれを実感することはできません。子どもの世界で感じる「風」の世界を、たくさん探して集めたりすることで、見えてくる「風」というものがあるのかもしれません。それは子どもなりに、新しい風の体験になっていくかもしれません。そうしたいろいろな経験を重ねる中で、きっといろいろなものを気づき、子どもなりの好奇心が躍動していくのだろうと思います。

遊びであり食育でありアートでもあるような活動

2022/09/12

最近は夕方に新しい出会いがあります。いろいろな相談を受けたり、紹介されて、いろいろな人に会っています。今日12日は、若いシェフ(料理人)から、社会改革の夢を聞くことができました。まだ22歳。これから会社を作ろうとしている方で、その事業のテーマが食です。海外のレストランで学び、調理の幅が広く、自分でおいしい創作料理ができるので、起業する仕事は調理と保育がミックスされたコーチングです。いったい、どんな事業なんだろうと思われるでしょうが、実に真っ当な社会事業なのです。

この若者の話を聞いているうちに、「そうか、料理というのは、私たちが持っている先入観を壊して、「お、うまい!」「おいしい!」という感動が、食材そのもの、食べるという行為そのものを、それまでとは異なる感動体験へと誘うものなんだ」といことがわかりました。その体験を子どもたちに提供しようというのですから、これまでとは全く異なる保育観、食育のアプローチです。アーティストとしての料理人でありながら、保育者と同じ発想をする方でした。そこで応援することにしました。近く、保育であり遊びであり食育でありアートでもあるような活動を体験できそうです。

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