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園長の日記

リメンバー・ミー

2022/09/17

今週水曜日の朝、事務室の近くで、「これ、かわいい〜」と言い合っている女の子が二人いました。何が可愛いんだろうと気になって話を聞いてみたら、チラシやパンフレットに載っているイラストや写真です。じゃあ、かわいいを探して何ができるか考えてみたら、というと、さ〜っと3階へ向かって昇っていきました。何人かの子どもたちにとって、「かわいい」は、興味関心のテーマになっています。幼児の先生にそれを伝えると、早速、イーゼルのホワイトボードに「かわいい」が真ん中の保育ウェッブを、子どもたちと作っていました。

ちなみにこの子たちは、その日のダンスでもかわいいものを探しているように、私には見えました。ダンスを見ながら、お絵かきをしていたり、参加しないパートでもにっこり笑ってかわいい、と言っていたからです。お支度コーナーには、切り抜かれたチラシが落ちていて、なぜかバーコードも丸く切ってありました。これも可愛いなのかな?と思ったり・・・

今週を振り返ってみると、納涼会の余韻を楽しむ、ということや大規模災害を想定した避難訓練や、子どもの興味関心をいかに「つながるようにするか」という園内研修など、いろんなテーマが並行して流れていた1週間だったなあと思います。その中でも、私にとって一つ共通して「心に刺さった」ことは、子どもも大人も「思い」が物事を前に進めるという当たり前のことです。

というのも、それがどこかで止められたり、誤魔化されたり、無視されてしまったりしていることが多いからです。言い方を変えると、人の思いはしっかり受け止められたり、聞いてもらえたりしないと、この世界で活かされるように「つながらない」ということです。その秘訣は「リメンバー・ミー」、忘れないで覚えてて!ということに尽きます。それがないと、人と人はつながらず、いつも最初からやり直し、ぼんやりと表面的な行動ができる、できないで終わる1日になってしまいます。

今週は人の思いの熱い方、共感力の強い方、情が深い方にお会いして話を伺うことができて、この人間性が保育の前提だなあ、ということを実感しました。他者の思いは思い出の中で生き続けると言うことです。「ねぇ、私の方を見て」と言う思いと、「ねぇ私のこと覚えてるよね」は、同じだと言うことです。しかも、思いの強い人だけに反応するのではなくて、子どもの些細な思いにも共感し、覚えている大人でありたいと思ったのでした。

その「強い思いが世の中を変える」という事実について、不思議なんですが、改めてそのことを受け止め直しているようなことが、私の中で続いています。今月に入って、同じようなことが続いているのです。物事を推し進め、課題を乗り越え、道を切り開くのは、このようは方々なんだな、ということが確認できたとでもいうのでしょうか、このような方々から心を動かされ、インスパイアされて世界が変わっていくんだろうと思います。

このことは、今日17日もある講演を聞いて、またそう思いました。その講演は大好きな西山厚さんという帝塚山大学文学部の客員教授の講演ビデオだったのですが、半蔵門ミュージアムでまた聞く機会を得ました。今日は「ブッダの涅槃図」の解説でした。以前もどこかでこの話をしたかもしれません。お釈迦様の80年の生涯には、誕生、成道、初転法輪、涅槃という、4つの大事なことがあるのですが、その最後の涅槃(ニルバーニャ)についてです。

お釈迦様が亡くなった時の様子を描いた絵「涅槃図」には、お釈迦様といつも一緒に行動した十大弟子の一人阿難(あなん)が、愛するお釈迦様が亡くなって悲しくて悲しくて失神して倒れている姿が必ず描かれています。「悲しさ」が仏教の心情の原点なのです。だから仏教は人に優しい。

母親摩耶夫人はブッダを産んで7日目に亡くなるので、ブッダは母親を知らずに育ちます。私が生まれなかったから母親は死なずにすんだ、私が生まれたから母親は死んだ、そう考えて悲しみ苦しんだに違いない感受性の強いブッダは、人の生の苦悩に共感し、そこから解放される道を探したのでしょう。それが悟り、つまり成道に至るのでした。・

・・そんな話を聞きながら、私たちは誰もがいつか自然に還える存在です、誰でもそれが早いか遅いかの違いでしかなく、死んでも心に残り生きていることを実感します。子どもたちも、そんなことを少しでも感じ考えることができるようになってもらいたいな、と考えたりした今週でもありました。

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