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保育アーカイブ

「面白い」「もう一回」が身体を動かす

2026/10/14

赤ちゃんが、少し先にあるものに手を伸ばす。届きそうで届かない。そのものを見つめながら、身体を乗り出したり、床を蹴ったりする。大人が両手を広げて待っていると、笑いながらハイハイで近づいてくる。抱きとめてもらった喜びが、また動き出す楽しみにもなります。

追う、逃げる、跳ぶ、揺れる。乳幼児の身体の動きには、「あれに触りたい」「あの人のところへ行きたい」「こうすると面白い」という気持ちが伴っています。子どもたちは「健康のために」と考えているわけではありません。「面白い」「もう一回」が、その身体を動かしています。

わらべうたに合わせて、大人の膝の上で揺れる。次の動きを待って、大人の顔を見上げる。鬼ごっこで追いかけられ、笑いながら逃げる。友達の跳ぶ姿を見て、自分もやってみたくなる。楽しさのなかから、少し遠くへ、少し高くへ、昨日とは違う動きへの挑戦が生まれます。

こうした姿を見ていると、身体を動かすことには、三つの関わりが重なっていると感じます。

身近なものに関わること。身近な人と気持ちを通わせること。そして、自分自身の身体との関わり方に気づくことです。

手を伸ばすと届く。身体を傾けると揺れる。相手が近づいてきたら、向きを変えて逃げる。子どもは遊びながら、ものや人との関係を感じ取り、自分の身体でできることを知っていきます。これは、乳児保育で大切にする三つの視点や、幼児が身近な環境との関わりを通して、その意味に気づいていくという考え方にも通じます。

今年で8回目になる「親子運動遊びの会」も、これまでの7回と、内容や基本的な考え方は変わりません。わらべうた、音楽に合わせて身体を動かす遊び、さまざまな鬼ごっこ、ダンスなどを、親子で楽しみます。

いくつかの遊びを用意しますが、何をするかは、その場で子どもとやり取りしながら選んでいきます。「これ、やってみる?」「もう一回?」。言葉で答える子もいれば、手を伸ばしたり、身体を揺らしたり、じっと見つめたりして、気持ちを伝える子もいるでしょう。その姿を受け止めることも、親子の対話です。

一緒に遊ぶうちに、大人にも「面白い」「もう一回」が生まれるかもしれません。その楽しさが子どもに伝わり、子どもの楽しさが大人にも伝わる。そんな時間を、親子で過ごしていただきたいと思っています。

なぜ「親子運動遊びの会」なのか

2026/10/13

「運動会」という言葉を聞いて、思い浮かぶ種目はありますか。

私は昭和35年、1960年生まれです。最初の東京オリンピックが開かれたときは4歳でした。その後に通った小学校の運動会では、騎馬戦、棒倒し、組体操が行われていました。もう60年ほど前のことです。でも最近も、小学校の運動会で、帽子を取り合う騎馬戦を見かけました。

こうした種目は、いつ頃から行われているのでしょうか。

調べてみると、騎馬戦や棒倒しは、明治時代の自由民権運動に関係する運動会でも行われていました。民権派と政府側に分かれ、民権派が勝つまで繰り返したこともあったそうです。組体操で見られるピラミッドなども、戦前から「タンブリング」などの名前で披露されていました。

それぞれの由来は異なりますが、学校の運動会そのものには、軍隊との深い関わりがあります。明治期には兵式体操が学校に導入され、行軍や演習をモデルにした行事も広がりました。身体を鍛えることと、集団の規律を身につけることが結びついていたのです。

もちろん、現在の運動会が、そのまま当時の目的で行われているということではありません。騎馬戦や棒倒しの面白さ、組体操を完成させたときの喜びもあるでしょう。

それでも、私が携わった行事で、この三つを取り入れたことは一度もありません。理事長の藤森も、取り入れることには反対でした。

行事を考えるとき、これまで続けてきた種目を出発点にするよりも、今の子どもたちに、どんな経験を届けたいかを考えたいのです。その思いに照らして、内容を選び直す。形を変えることも、大切なものを受け継ぐ方法だと思っています。

当園の会を「親子運動遊びの会」と呼ぶのも、そのためです。

「運動会」と聞けば、自分が経験した種目や、子どもたちが練習の成果を披露する姿を思い浮かべる方もいるでしょう。その期待を含めて、会のあり方を改めて考えていただけるよう、名前から選び直しました。

私たちが大切にしたいのは、親子で身体を動かす楽しさを、ともに味わうことです。

鬼ごっこやダンス、わらべうたを一緒に楽しむ。子どもが演じ、大人が応援するという役割に分かれることも、入場や退場を見せるために動きをそろえることもありません。親も子も、その場で遊ぶ人です。

大人が夢中になって逃げる姿を、子どもが笑って追いかける。子どもの動きに誘われて、大人も踊り出す。そんな時間に、親子で何を感じるでしょうか。

「一緒に遊んで楽しかった」「またやろうね」。会が終わったあとに、その気持ちが残ってくれたらと思います。

「親子」「運動」「遊び」。この名前には、私たちが大切にしたい時間への思いを込めています。

身体を動かすことが好きになる時間

2026/10/12

スポーツの日の今日は、各地で運動会がありました。そこで今日は私たちが使っている「体育」と「スポーツ」という言葉から、身体を動かす時間について考えてみたいと思います。

「体育」は、明治時代に西洋の身体教育を表す訳語として使われるようになった言葉です。身体を育てることを、教育の大切な一つとして位置づけたものでした。一方、「スポーツ」の語源には、遊びや楽しみ、気晴らしという意味があります。

現在、学校には教科としての体育があり、社会ではさまざまなスポーツが親しまれています。そのどちらにも大切な役割がありますが、私は、その時間が「また身体を動かしたい」と思える経験になっているかを、問い続けたいと思っています。

私が新聞記者として、学校の教育実践を取材していた頃、子どもたちが運動を好きになっていく体育の授業に出会いました。新しい動きを面白がり、試し、工夫する。その姿には、自分の身体に出会っている、とでも言いたくなるものがありました。

それは逆立ちの探究でした。マットを壁際に並べ、手と頭で三角形をつくり、腰と足をゆっくり伸ばしていくのですが、そのときの眺め、手や頭にかかる体重、鏡に映る腰の位置などを確かめていく時間でした。できる・できないというものではなく、そのときの体験を感じるだけです。感じて気づく時間でした。自分と世界の関わり方を発見していく時間でした。

しかし、できる・できないが全面にでてくると、身体を動かす時間が、誰にとっても楽しいとは限らなくなってしまいます。ある学校調査では、学年が上がるにつれて体育への好意が低くなるという報告もあります。また、女子児童・生徒を対象にした研究では、評価されることや、自分の運動能力が周囲に知られることなどへの嫌悪感が、上の学年で高くなる傾向が示されています。

身体を動かすこと自体が嫌なのか。それとも、比較されたり、失敗を見られたりすることがつらいのか。そこは丁寧に分けて考える必要があるでしょう。

スポーツについても、競技の技術や勝敗に目が向くと、それだけでは捉えきれない身体の楽しさが見えにくくなることがあります。上手になる喜びや勝つ喜びとともに、動くことそのものの喜びにも目を向けたいのです。

17日に当園で開く「親子運動遊びの会」には、その思いを込めています。

鬼ごっこやダンス、わらべうたなどを、親子で一緒に楽しみます。子どもがする人、大人が応援する人という役割に分かれるのではなく、ともに遊ぶ時間です。

追いかけていたら、思わず夢中になった。相手の動きにつられて、自分の身体も動き出した。声としぐさを交わしているうちに、顔を見合わせて笑った。そんな経験を、親子で味わってもらえたらと思います。

その日に何かができるようになることだけを、成果にしたいのではありません。一緒に身体を動かすことが楽しかった。また遊びたいと思った。その時間そのものを、慈しみたいのです。

なぜ「運動会」ではなく、「親子運動遊びの会」なのか。明日は、その名前に込めた思いを、もう少しお話しします。

乳幼児も「スポーツ」をやっている!

2026/10/11

まず、クイズです。次のうち、スポーツはいくつあるでしょう?

① サッカーの試合をする
② 朝、公園でラジオ体操をする
③ お年寄りが、健康のために階段を上り下りする
④ 好きな音楽に合わせて、楽しく踊る
⑤ 子どもたちが、公園で夢中になって鬼ごっこをする
⑥赤ちゃんが、少し先で待つ大人に向かって、うれしそうにハイハイする

答えは、全部、広い意味でスポーツです。

「えっ、体操や階段の上り下りも?」と思われたかもしれません。私も、スポーツ基本法を読み直して、その範囲の広さに気づきました。

法律の前文では、スポーツを、健康や体力の保持増進、心の充足などのために、個人や集団で行う「運動競技その他の身体活動」と説明しています。勝敗を争う競技だけがスポーツではないのです。

ところで、明日は「スポーツの日」です。以前は「体育の日」でした。1964年の東京オリンピックを記念し、開会式が行われた10月10日を「体育の日」としたのが始まりです。その後、日付が10月の第2月曜日となり、2020年から現在の名前になりました。

名前とともに、祝日の趣旨も変わっています。以前の「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」から、現在は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」へ。「楽しむ」「他者を尊重する」という言葉が加わっています。

もしかすると、「うちの子にも、そろそろ何かスポーツをさせたい。でも、まだ早いかな」。そんなふうに考えている保護者の方もいらっしゃるでしょう。

けれども、公園で夢中になって走り回る。それも、幼児期の大切なスポーツです。教室に通ったり、特定の競技を習ったりする前から、子どもたちは身体を動かす楽しさに出会っています。

追いかける。逃げる。登る。跳ぶ。ぶら下がる。同じ場所でも、友達がいると新しい遊びが生まれ、昨日とは違う動きに挑戦することがあります。子どもたちは「健康のために」と考えているわけではありません。「面白い」「もう一回やりたい」が、その身体を動かしています。

さらに、スポーツ基本法の第十六条の三には、「幼児」も含め、それぞれの発達段階に応じて、継続的に多様なスポーツに親しむ機会を確保するよう努めることが書かれています。

これを保育の場で考えると、一つの種目を早く上達させることよりも、さまざまな動きを楽しめる環境をつくることが大切なのだと思います。文部科学省の「幼児期運動指針」も、子どもが自発的に身体を動かして遊び、その楽しさや心地よさを実感することを重視しています。

園庭のない私たちの園では、公園へ出かけたり、3階の運動ジムで遊んだりしながら、そうした機会をつくっています。大人が思いもしなかった遊び方を、子どもたちが見つけることもあります。

「何かスポーツを始めさせようかな」と思ったら、まず、目の前の子どもの遊びを眺めてみてください。夢中になって走る姿のなかに、もうスポーツの楽しさが息づいているかもしれません。

ノーベル化学賞と同じような探究 子どもだってやってまっせ

2026/10/08

ノーベル賞のニュースで探究に注目が集まるけれど、子どもたちも毎日の遊びでやってまっせ!

「え!どういうこと?」「こういうことだよ。ちょっと説明するね」

・・・・・・・

10月7日に発表された今年のノーベル化学賞は、アンリ・カガン氏と、東京理科大学の硤合憲三(そあい・けんそう)氏が受賞しました。対象は「不斉有機合成における非線形効果と自己触媒作用の発見」です。

受賞研究は、化学反応でその片方を優先してつくる仕組みを明らかにしました。とくに硤合氏の研究では、できた分子が、自分と同じ型の分子をつくる反応を促し、最初のわずかな偏りが大きくなります。生命を構成する分子がなぜ一方の型に偏っているのか、その謎を考える手がかりにもなっています。

私が大学が理学部化学科、しかも有機化学だったので、まさに隣接した研究です。記者会見で右手と右手で握手してみせて、分子のL型とR 型の違いと同じ型同士が繋がりやすいという「たとえ話」をしていました。実際の研究プロセスはこうです。

①「こちらの方が速い。どうしてだろう?」
似た反応を比べていると、一方が速く進むことに気づきました。この違いが、次に確かめたいことを生みました。

②「できたものが、続きを手伝っているのでは?」
反応でできたものが、同じものをさらに作る手助けをしているのではないか。そう考えて実験すると、実際にその働きが確かめられました。ただし、まだ右手型・左手型の片方を増やす働きは十分ではありませんでした。

③「では、片方をもっと増やすこともできるだろうか?」
使う材料の構造を変えながら試すうちに、片方の型が多くできるものが見つかりました。そこで、その偏りをさらに大きくできるか確かめると、できたものが自分と同じ型を増やし、偏りが大きくなることが分かりました。

最初から最後まで、決めた手順を進んだだけではありません。試している途中に現れた違いから、「どうして?」「それなら、こうしたら?」と、次の実験が生まれたのです。

・・・・・・・・・

この①から③までにみられるのは、自分の働きかけで、ものが変わる。その変化が、次の働きかけを誘う。ということの連続です。さらに「試している途中に現れた違いを、次の問いにする」ことが起きています。

ね、どうですか? これと同じようなこと、遊びの中でもよくみられませんか?
たとえば、10月2日(金)に、金槌と釘で「パチンコ」づくり。あの過程でもこうなっていました。

①釘をまっすく板に立てて、軽くトンカチを打つ。あれ、曲がってしまった。どうしてだろう?曲がって釘を直す。

②トンカチの当たる面と釘の頭がうまく当たっていないらしい、と気づく。そこで、トンカチをまっすぐに打ち下ろすようにしてみる。それでも時々失敗して釘が曲がってしまう。

③何本もやっていくうちに、まっすくに板にうまく刺さっていった。回数を重ねるとコツをつかんで曲がらなくなった。

ね、こういうことを、試行錯誤しながら、とか簡単にいうけどね。子どもたちは、こうやって小さな仮説と実験と達成を繰り返していることになってないだろうか?

もちろん、子どもが「仮説を立てて実験しよう」と考えているわけではないでしょう。「あれ?」と手元を見て、当て方を変えたり、曲がった釘を直したり、もう一度打ってみたりする。その動きの中で、やってみた結果が、次にすることを生んでいるのです。科学では、条件をそろえて、同じ結果になるかを確かめていきます。

こういう小さな問題解決プロセスが、遊びの中には入っているんだけどね。だから科学者と同じようなことを遊びの中で探究しているともいえるじゃないかな?・・どう?

ホテルの壁から、石の物語へ ――9月30日 アンモナイトの探究

2026/09/30

散歩で出会った、秋葉原ワシントンホテルの壁にあるアンモナイト。その不思議を追いかけて、今日は子どもたちとホテルへお話を聞きに行きました。支配人の亀井英雄さんが、壁の石について説明してくださいました。

この壁に使われているのは、ドイツから運ばれてきた石灰石。約1億5000万年前の海の底で積み重なったものが、長い年月を経て隆起し、地表に現れ、やがて建築の材料として使われるようになったのだそうです。

いつも歩いている秋葉原の街に、遠い国の、はるか昔の海につながる石がある。そう思うと、見慣れたホテルの壁が、地球の歴史を伝えてくれる場所に見えてきます。

子どもたちは支配人のお話をよく聞いていました。途中のクイズにも、ほとんど正解していました。自分たちが気になっていたものについて、その場所の方から直接お話を聞ける。そんな出会いが、子どもたちの関心を支えてくれているのだと思います。

ただ、教えていただいたことを覚え、正しく答えられたところで、この探究を終わりにしたくはありません。今日のお話が子どもたちの中でどんな物語になったのか。何が心に残り、何をもっと確かめたくなったのか。そこを、これから一緒にたどってみたいと思っています。

実際、ある子は、アンモナイトの「中」に関心を向けていました。中に人がいるのではないか、と想像しているようです。

大人の知識からすると意外な発想ですが、この子にとって、壁に見えている形の向こう側には、まだ見えない世界があるのでしょう。表面を見ることから、内側を知りたいという気持ちへ。そこに、次の探究の入り口を感じます。

明日以降の「すいすいタイム」では、今日教えていただいたことを、子どもたちともう一度振り返ってみようと思います。子ども自身の言葉や表現で石の物語をたどりながら、実際に石に触れたり、その中を確かめたりする方法も考えていきたいと思っています。そこから、どんな疑問や「いいこと思いついた!」が生まれるでしょうか。

子どもが見つけた小さな不思議に、地域の方が応えてくださる。そのお話を受け取って、子どもがまた考え始める。こうしたやりとりを重ねることで、街は子どもたちにとって、ますます親しみのある、知りたいことに満ちた場所になっていくのだと思います。

亀井さん、子どもたちの関心に応えてくださり、ありがとうございました。ホテルの壁から始まった石の物語は、まだまだ続きそうです。

鉄棒は、身体を使って考える遊び

2026/09/16

今日の午前中、年長のすいすい組4人がそろって、「鉄棒をやりたい」と言い出しました。

千代田せいが保育園には園庭がありません。そのため、開園当初から3階に運動ゾーンを設けています。

ここでは、ネット遊び、クライミング、ぶらんこ、赤い球を脚で挟んでぶら下がる遊び、ロデオ、トランポリンなど、都市の中でも子どもたちが多様な身体の動きを経験できるようにしています。

今日は、その一角に鉄棒を用意しました。

子どもたちは、つばめ、前回り、豚の丸焼き、コアラなど、自分たちが知っている動きを始めました。友達がやっている間は、順番を待ちながら、その身体の動きをよく見ています。

鉄棒というと、私たち大人は、前回りや逆上がりが「できるか、できないか」という結果に目を向けがちです。

しかし、子どもたちの姿を丁寧に見てみると、技が完成するまでの過程に、豊かな学びがあることがわかります。

ESさんは、鉄棒の上でつばめの姿勢を取ろうとしました。しかし、自分で跳び上がっても、鉄棒の上まで身体を持ち上げることができません。

すると、鉄棒の横の支えに足を掛け、そこを足場にして登る方法を考えました。自分なりの方法で鉄棒の上に身体を乗せると、腕を伸ばし、つばめの姿勢をつくることができました。

もちろん、鉄棒の支えを踏み台にすることには、安全上の配慮が必要です。今後は、安全に登れる踏み台などを用意する必要があります。

しかし、ここで私が注目したのは、ESさんが「できない」で終わらなかったことです。

「どうしたら、あそこまで登れるだろう」

そう考え、周りにあるものを見渡し、自分なりの方法を試したのです。

◾️探究としての鉄棒遊び

この姿は、まさに探究です。

探究というと、植物を観察したり、地域の不思議を調べたりする活動を思い浮かべるかもしれません。しかし、探究の対象は、自然や社会だけではありません。自分の身体もまた、子どもにとって大切な探究の対象です。

鉄棒を握った手の感覚。
腕にかかる自分の身体の重さ。
胸やお腹が鉄棒に触れたときの痛さ。
身体を丸めると、回り始める感覚。
足が床から離れ、再び着地するまでの感覚。

子どもは、こうした身体からの情報を受け取りながら、次の動きを調整しています。

それは、

「やってみる」
「感じる」
「考える」
「やり方を変える」
「もう一度やってみる」

という、身体を通した探究の循環です。

◾️ 10の姿から育ちを読み取る

今日の姿を「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」から見ると、中心にあるのは「健康な心と体」です。

ここでいう「健康な心と体」とは、単に体力をつけたり、技ができるようになったりすることだけではありません。

自分から身体を動かそうとすること。自分の身体の状態を感じ取ること。安全な動かし方を知ること。そして、自分なりの目標に向かって挑戦することまでが含まれています。

また、一つの姿の中には、ほかの育ちも重なっています。

ESさんが自分で登り方を考えた姿には、「自立心」と「思考力の芽生え」があります。友達の動きを見て、自分も試そうとする姿には「協同性」があります。「つばめ」「順手」「逆手」などの言葉を使って動きを伝える姿は、「言葉による伝え合い」につながっています。

◾️資質・能力の育ちをよみとる

三つの資質・能力で捉えてみることもできます。

鉄棒の握り方や身体の支え方を身につけていくことは、「知識及び技能の基礎」です。

「どうしたら登れるか」「どう身体を動かせば回れるか」を考え、実際に試すことは、「思考力・判断力・表現力等の基礎」です。

うまくいかなくても諦めず、友達の姿から学び、もう一度挑戦することは、「学びに向かう力・人間性等」につながります。

これらは別々に教えられるものではありません。一つの遊びの中で、互いに結びつきながら育っていきます。

◾️私の気づきは・・

今日、私自身にも一つの気づきがありました。

ESさんが鉄棒まで跳び上がることに難しさを感じている姿を見て、ジャンプすることや、両足で床を蹴ることなど、跳ぶ力につながる遊びをもっと用意してみたいと思ったのです。

子どもの姿に保育者が気づき、その気づきによって環境が変わる。そして、変わった環境の中で、子どもの新しい姿が生まれる。

保育とは、この繰り返しなのだと思います。

園庭のない本園にとって、3階の運動ゾーンは、運動不足を補うだけの場所ではありません。

子どもたちが自分の身体と出会い、友達の身体の動きから学び、「できない」を「どうしたらできるだろう」に変えていく場所です。

鉄棒は、身体を鍛える道具であると同時に、身体を使って考えるための探究の環境なのです。

朝顔の探究はじまる!〜すいすいタイム〜

2026/09/16

【朝顔の花のあとに、何かがある!】

9月14日(月)の「すいすいタイム」に、玄関の朝顔を観察しました。

活動の始まりは、スクリーンに映し出された一枚の写真です。

「何が映っていると思う?」

写真の一部分を見た子どもたちからは、なんと「とうもろこし!」という声があがりました。

【写真1:子どもたちに最初に見せた写真】

写真を順番に見ていくと、やがて「あさがおだ!」と気づきました。

そこで、みんなで玄関へ行き、実際の朝顔を見てみることにしました。

【写真2:玄関へ観察に行く子どもたち】

以前咲いていた花はしぼみ、そのあとには緑色の丸いものができています。

「何だろう?」

顔を近づけたり、そっと触れたりしながら、じっくり観察しました。

【写真3:朝顔を観察している様子】


【写真4:花のあとにできた緑色の実】

まだ子どもたちから「種」という言葉は出ていません。

けれども、わからないものに出会い、「何だろう?」と思うところから探究は始まります。

すぐに答えを教えるのではなく、これから朝顔が変化していく様子を、子どもたちと一緒に追いかけていきたいと思います。

あの緑色の丸いものは、これからどうなるのでしょう。

次に見に行ったとき、子どもたちはどんな変化を見つけるでしょうか。

朝顔の探究〜すいすいタイム(STEM編)〜

2026/09/14

【「種」と教えないところから始まる探究】

玄関に咲いていた朝顔を題材に、年長児の「すいすいタイム」が始まりました。

最初から「朝顔を観察しよう」とは言いませんでした。一枚の写真をスクリーンに映し、

「何が映っていると思う?」

と問いかけました。

すると、ある子が「とうもろこし」と答えました。

【写真1:最初に子どもたちへ提示した写真】

大人には朝顔に見える写真でも、その一部分を見ている子どもには、別のものに見えます。これは間違いではありません。その子が、これまでに出会ったものと目の前の像とを結びつけ、懸命に意味をつくろうとした言葉です。

写真を少しずつ見ていくと、子どもたちは朝顔だと気づきました。そこで、画面の中の朝顔から、玄関にある本物の朝顔へと移動しました。

【写真2:実際の朝顔を見に行く子どもたち】

花が咲いていた場所には、緑色の丸いものができていました。子どもたちは顔を近づけ、触れ、友達と一緒に見ています。

【写真3:花のあとを観察する姿】

 
【写真4:緑色の実の拡大】

このとき、子どもたちの口からは、まだ「種」という言葉は出ませんでした。

保育者が「これは種になるんだよ」と教えれば、活動は短時間で終わります。しかし、名前を教えないことで、

「これは何だろう」
「中には何があるのだろう」
「明日はどうなっているだろう」

という時間が始まります。

探究とは、正解を早く知ることではありません。変化に気づき、自分なりに考え、友達の考えと出会い、もう一度確かめたくなることです。

これから子どもたちは、花のあとにできた緑色の実が乾き、その中から種が現れるまでを追いかけます。

写真、動画、子どもの言葉を残していけば、この小さな朝顔の変化は、年長児と小学一年生をつなぐ「架け橋期」の実践記録にもなります。

一輪の花が終わったところから、子どもたちの探究が始まりました。

(クラスブログ「わらす」にも掲載しています)

「食べてみようかな」が生まれるまで―2歳児の味の探究―(東京すくわく)

2026/09/09

「きのこ、苦手なの」

9月9日(水)に行った、2歳児にこにこ組の「味の探究」は、そんな率直な言葉から始まりました。

今回、子どもたちの前に登場したのは、しいたけ、しめじ、まいたけ、なめこの4種類です。

大人にとってはよく知っているきのこですが、2歳の子どもにとって、「しいたけ」と「しめじ」は名前の響きも似ています。給食では小さく切られて出てくるため、元の姿と結びつけることも簡単ではありません。

だからこそ、丸ごとの食材と出会うことから始めます。

大きなしいたけを持って、かさの表と裏を眺める。まいたけの大きさに驚く。なめこを指先で分けてみる。同じ「きのこ」と呼ばれるものでも、形、硬さ、香り、手触りが違います。

子どもたちは、五感を通して「これは何だろう」と確かめていきました。

今回、もう一つ印象的だったのは、調理が始まる前のことです。午後の振り返りで先生が次のような話をします。

<そら先生が「最初は何を入れる?」と尋ねると、子どもたちから「油」という言葉が出てきました。以前は覚えていなかった言葉です。さらに、油を入れ、きのこを炒め、最後に塩を入れるという順番も分かっていました。>

毎月繰り返してきた経験が、子どもたちの中で少しずつつながり、次に起こることを予想できるようになってきたようです。

見通しを持つことは、主体的に活動に参加するための大切な土台です。前に経験したことを思い出し、「次はこうなる」と予想する。それが確かめられることで、また新しいことを知りたくなる。2歳児にも、こうした探究の循環が生まれていそうです。

フライパンできのこを炒め始めると、子どもたちは音や香りに誘われるように集まりました。色や形が変わっていく様子を、身を乗り出して見つめています。

そして、いよいよ食べ比べです。

初めに「きのこは苦手」と言っていた子も、少しずつ口に運んでみました。ある子は「まいたけがいちばんいい」と自分で選び、大きなまいたけを切ってもらわずにしっかり噛んで食べ、さらにおかわりをしました。

もちろん、全員がすべてのきのこを食べられるようになることが、この活動の目的ではありません。

大切なのは、自分の目で見て、手で触れ、変化する様子を感じ、自分で選び、「少し食べてみようかな」と思うことです。

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食べることは、とても個人的な営みです。だからこそ、無理に食べさせるのではなく、子ども自身の好奇心が「食べてみたい」という意欲へ変わる過程を大切にしたいと思います。

「味の探究」を始めて3年目。毎月の経験を重ねてきた子どもたちは、ただ出されたものを食べるのではなく、食材そのものに関心を持ち、調理の過程を予想し、自分の感覚で選び、味わうようになってきました。

これは、好き嫌いが減ったということだけではありません。

食材と出会い、比べ、考え、予想し、自分で決めて確かめる――食べることを入り口にした、子どもたちの小さな探究です。

「苦手」だったものに、ほんの少し手を伸ばしてみる。

その一口の前には、これまで積み重ねてきたたくさんの経験と、「自分で確かめてみたい」という心の育ちがあるのです。

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