MENU CLOSE
TEL

園長の日記

身体を動かすことが好きになる時間

2026/10/12

スポーツの日の今日は、各地で運動会がありました。そこで今日は私たちが使っている「体育」と「スポーツ」という言葉から、身体を動かす時間について考えてみたいと思います。

「体育」は、明治時代に西洋の身体教育を表す訳語として使われるようになった言葉です。身体を育てることを、教育の大切な一つとして位置づけたものでした。一方、「スポーツ」の語源には、遊びや楽しみ、気晴らしという意味があります。

現在、学校には教科としての体育があり、社会ではさまざまなスポーツが親しまれています。そのどちらにも大切な役割がありますが、私は、その時間が「また身体を動かしたい」と思える経験になっているかを、問い続けたいと思っています。

私が新聞記者として、学校の教育実践を取材していた頃、子どもたちが運動を好きになっていく体育の授業に出会いました。新しい動きを面白がり、試し、工夫する。その姿には、自分の身体に出会っている、とでも言いたくなるものがありました。

それは逆立ちの探究でした。マットを壁際に並べ、手と頭で三角形をつくり、腰と足をゆっくり伸ばしていくのですが、そのときの眺め、手や頭にかかる体重、鏡に映る腰の位置などを確かめていく時間でした。できる・できないというものではなく、そのときの体験を感じるだけです。感じて気づく時間でした。自分と世界の関わり方を発見していく時間でした。

しかし、できる・できないが全面にでてくると、身体を動かす時間が、誰にとっても楽しいとは限らなくなってしまいます。ある学校調査では、学年が上がるにつれて体育への好意が低くなるという報告もあります。また、女子児童・生徒を対象にした研究では、評価されることや、自分の運動能力が周囲に知られることなどへの嫌悪感が、上の学年で高くなる傾向が示されています。

身体を動かすこと自体が嫌なのか。それとも、比較されたり、失敗を見られたりすることがつらいのか。そこは丁寧に分けて考える必要があるでしょう。

スポーツについても、競技の技術や勝敗に目が向くと、それだけでは捉えきれない身体の楽しさが見えにくくなることがあります。上手になる喜びや勝つ喜びとともに、動くことそのものの喜びにも目を向けたいのです。

17日に当園で開く「親子運動遊びの会」には、その思いを込めています。

鬼ごっこやダンス、わらべうたなどを、親子で一緒に楽しみます。子どもがする人、大人が応援する人という役割に分かれるのではなく、ともに遊ぶ時間です。

追いかけていたら、思わず夢中になった。相手の動きにつられて、自分の身体も動き出した。声としぐさを交わしているうちに、顔を見合わせて笑った。そんな経験を、親子で味わってもらえたらと思います。

その日に何かができるようになることだけを、成果にしたいのではありません。一緒に身体を動かすことが楽しかった。また遊びたいと思った。その時間そのものを、慈しみたいのです。

なぜ「運動会」ではなく、「親子運動遊びの会」なのか。明日は、その名前に込めた思いを、もう少しお話しします。

top