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園長の日記

絵本「ようこそ うみ」へ、ようこそ!

2021/07/14

こんな絵本の楽しみ方は、どこにも書いてないと思うのですが、今日やってみました。プロジェクターに絵本を映し出して、子どもたちと会話しながら、絵の細部を拡大して、確かめながら読み進めたのです。そしたら、かなり受けました。

どうしてそんなことをしたのかというと、絵本がそうしてほしいと訴えていたからです。絵本は、文・中川ひろたか、絵・村上康成のゴールデンコンビによる『ようこそうみ』。

大人2人と子ども8人が砂丘のような丘を駆け上ると、そこに海が開けていることに「おーっ」と驚いたり、サンダルを集めて空に放り投げたら、サンダルやビーチボールが雲に引っかかったり、それを取りに雲に乗って遊んだり・・・こんな他愛のない話なのに、子どもたちはゲラゲラ笑って大満足!ナンセンスなおかしみって、とにかく子どもの心をくすぐってやまないのでした。

 

 

かたつむりくんのうんち

2021/07/13

今日のテーマは見守る保育の「見る」の意味です。

今日のちっち・ぐんぐんのブログを紹介します。顔の写っている写真を外し、名前をイニシャルに変えました。どうしてこのブログを紹介したいのかということは、最後に説明します。

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牧野先生が、ちっちぐんぐん組に かたつむりを連れてきてくれました。
箱をのぞきこんでみんなで観察です。みんな何やら思い思いにおしゃべりしながら眺めています。
・・・と、透明のフタの部分に、なんだか黒いものがついているのを見つけた子どもたちです。

「かたつむりのうんちかもね〜」と話していると、Sくんが早速ティッシュを持ってきました。

そして、ゴシゴシ。

続いて、Aちゃん、Rちゃんも…。

かたつむりのうんちがついていたのは、フタの裏面なので、どれだけ拭いても取れないのですが、それでも、一生懸命拭こうとする姿と、ティッシュで拭いてあげようという その発想がかわいらしい、ぐんぐんさんでした。

7月13日の「ちっち・ぐんぐん」ブログより

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どうして、このブログを紹介したいのかというと、こんなことを感じるからです。

「一生懸命拭こうとする姿と、ティッシュで拭いてあげようという その発想がかわいらしい」

この子どもたちの一途さや健気さ。可愛いですよね。

それにしても、そこまで一生懸命になるのはどうしてなんでしょう?

この行動を支えている心の原動力は、生き物へのケアです。

子どもらしい発想の中に、ケアリングが見えるのです。

かたつむりくんへの愛情、気遣いというものが、ここには息づいているのです。

大人になってしまったらできない(やらない)行動です。

私たち大人が、このような子どもの「心の動き」をキャッチできるかどうか。

こんなところに成長を感じることができるかどうか。

こんな視線で子どもがやろうとしている行為をちゃんと見とっていくこと。

これが「本当はどうなんだろう」を大切にしていく保育精神です。

4回目の緊急事態宣言はじまる

2021/07/12

今日12日(月)から東京都は4回目の緊急事態宣言下に入りました。東京都から千代田区を経由して保育園へ届いた通知の内容は、一言でいうと「基本的にこれまで通りの感染対策を怠りなく!」というものです。それへのコメントは差し控えるとして、私もワクチン接種1回目を受けて左腕が上がらない状態ですが、熱も出ず問題なく出勤できました。こちらについてコメントするなら「過去3回の緊急事態宣言と違うのはワクチン接種をして迎えたが、果たしてデルタ株やラムダ株に効くのかな、という不安は拭えない」ということになります。

もうすぐ梅雨が明けそうですが、今週末に予定していた屋形船乗船会が延期になってもオリンピックはやるのですから、9月には実現させるつもりでいます。多くの人がデータなき空気によるリスク判断に違和感や不気味さを感じていても、曖昧に前に進んでいく日本独特の空気は、やっぱり気持ち悪いものです。声高に煽る人も、背を低くして邁進する人も、命を人質に居丈高に諭す人も、いずれも結論ありきの姿勢ばかりなので、他者への信頼と対話を基本とする「保育の原理」とは、水と油だなあ、と感じています。

保育は「本当はどうなんだろう」(DND=佐伯胖)を常に抱えながら、他者と向かい合います。他者とは子どもであり、また大人であり、さらに自分でもあります。子ども理解も自己評価(自己のと対話)も「本当はどうなんだろう」が深いかどうかが、保育の質の差になっていくからです。最初に結論ありきの言説がつまらないのは、本当の気づきや発見に乏しいからです。子どもとの対話が楽しいのは、気づきや発見がたくさんあるからで、子どもの姿にしても子どもの言葉にしても、対話を重ねることで、そこに新しい出会いが生じるから面白いのです。その事例がクラスブログに出てくるので楽しいですね。

取材も深いほどいい意味で裏切られていたものですが、どうも今はストーリーが裏に透けて見えます。「本当はどうなんだろう」がいろんなところで浅くなっている気がします。

 

着がえる家(西尾美也)

2021/07/11

昨日10日の夕方、海老原商店で始まった「着がえる家」を楽しんできました。アーティストの西尾美也さんに案内していただきました。プロジェクト型アートになるのですが、たとえば千代田せいが保育園の年度末の行事「成長展」が子どもの作品展ではなく、子どもの成長そのものが作品であるような展示にしているのと同じように、服が作品であるだけではなくて(服の作品もあります)、服を着ることや着がえること、洗うことや干すこと、或いは服を作ることや服を交換するといった中にある「美」を、物やビデオやファイルや写真や家具や空間で、表現していました。

個人のパーソナルヒストリーからケニアの服屋さんまで、人と人、家族、1人の成長の記憶など、人間の営みの中に見られる服をめぐる様々な表象を体験できるインスタレーションになっています。

1階の奥の和室(山本歯科医さんのミニ講座を開いたところ)の部屋では、服をテーマにした絵本や、西尾さんのお子さんが描いた絵が展示されていて、テーブルに座り込んでお絵描きもできます。

9月5日(日)までの期間中に、いくつものワークショプが予定されているので、保育園でも参加してみようと思います。実際に服を作ってみるもの楽しいはず。服の提供は大歓迎だそうです。

東京ビエンナーレ2020/2021の一環です。チケットは全て体験できるパスポートあるいは個別鑑賞券があります。詳しくは公式ウェブサイトでどうぞ。

今週の「ちょっといい話」

2021/07/10

月曜日。梅雨の長雨で被害を被られた方々は本当にお気の毒でお見舞い申し上げます。その梅雨のせいなのか、神田川側のベランダにカニがお目見え、一旦は玄関の水槽を用意したのですが、狭いところは嫌なのか出ていってしまいました。初めてカニを見た乳児もいました。また来てくれるでしょうか。

屋上のひまわりが咲きました。

和泉橋からよく見えます。このひまわり、昨年咲いたひまわりの種から育ちました。神宮司さんが、せっせと世話してくれたものです。ちょっとした清涼剤ですよね。

カブトムシくんたちも、子どもたちに大事なことを(身お挺して)プレゼントしてくれています。

私だって触れるも〜ん。(左指にご注目^_^)

季節感のある保育園にするには、生き物たちが教えてれてくる季節が一番ですね。

火曜日。アキバ分室の子育てひろば担当の松本さんが来園。永持さんの睡眠講座、アキバ分室でも開くことになりそうです。

子どもたちが作った色とりどり「風鈴」は、いろんなアート技法が取り入れられていて、和みます。

それを見つめてくださっていた親御さんたち。叶えてあげたいなあと寄り添う大人の優しさを感じました。

水曜日。7日の七夕では、笹の葉に願い事がいろいろ。幼な子の思い、きらきらと宝物のようにゆらめいて輝いていました。

絵本タイムは、『としょかんライオン』を読んであげました。

最後の「走ってはいけません」が、どう届くかな?と思ったのですが、子どもなりにウィットが理解できるようになってきたかもしれません。

木曜日。夏の水開きの日でしたが、屋上の野菜もどんどん大きくなっています。

「これな〜に」の指の先には、なす、きゅうり、すいかの花が咲いていました。

(ナスの花)

(キュウリの花)

スイカもぐんぐん大きくなってきました。

園で育てたものではありませんが、とうもろこしの皮むきを楽しんでいる様子は、クラスのブログでご覧ください。

金曜日。林修(はやし・しゅう)さんの作品「チェンソー」が玄関に展示されました。

海老原商店で展示されたものです。扉の廃材がアート作品に生まれ変わったものです。

子どもたちにも「美」の思い込みを揺さぶる「じわじわ効果」があると、いいな。

土曜日。今年1番の暑さ。東京ビエンナーレ開催。園児のMKさんと一緒に尋ねてきました。

詳しくはまたレポートします。

賞状を玄関に展示しました。6月に発表した、東京都社会福祉協議会保育部会の研究大会への貢献です。

ちょっといい話

2021/07/09

例によって朝の運動遊びのことでした。

やったー、園長ライオン、やろう!とはしゃいでいる子たち。上履きと靴下を脱いで、手を洗って、とせっせと準備をはじめました。

やっていい?という声に「どうぞ」というと、ネットやクライミングやトランポリンに一目散です。これ低くして!と、ネットを低くして欲しいという要望にもはいはい、と答えていたら・・

内線電話で「園長先生、お客さんです・・」。

わっ、このタイミングか・・どうしようかな、というわけでみんなに声をかけます。

「みんな、ちょっと大事な話があるから聞いてくれるかな」と言っても、始まったばかりの運動に夢中で通じません。そこで急いでいたので、少し大きな声を出して「強く言いたくないから、ちゃんと聞いてほしい」というと、遊びをやめて私の周りに集まります。シーンとしています。

えらい!内心「すごいね、みんな、やる気満々だから、聞くべき時はちゃんと話を聞くことができるようになったんだなあ」と感心していたら、その時です。

シーンとしている輪の中へ、経緯を知らないKちゃんが鼻歌まじりに、無邪気にらんらん気分で入ってきて遊び始めたので、一瞬「ん!」となったのですが、Kちゃんが自分が場違いなのに気づいた様子がおかしくて、みんな笑い出したのでした。

こんなことあると、ほのぼのとして幸せな気分になります。

映画のワンショットにしたいような出来事でした。

水遊び開き

2021/07/08

今日7月8日(木)から今年の水遊びが始まりました。屋上ではプールを囲んで、わいらんすい(3〜5歳)の子どもたちと一緒に、私が塩とお神酒でお清めをして「どうぞ楽しく水遊びができますように」と安全を祈念しました。

2階のにこにこ(2歳)でも、また1階のちぐん(0〜1歳)でも、水遊びを楽しみました。

政府は今日、東京都に7月12日から22日まで4回目の緊急事態宣言を発することを決めました。屋形船の乗船会は延期することにしました。梅雨前線は線状降水帯を形成して全国各地に大雨をもたらし、大きな被害をもたらしています。被災地の方には心よりお見舞い申し上げます。梅雨が明けると、今度は猛暑が待っていることでしょう。

当園の夏の水遊びは、水と親しくなることや、持続可能な社会づくりとしての「涼の取り方」などを大切にしています。毎日プールに入ることを目指しているものではありません。プールに入らない日があったり、子どもによってはプール遊びを選ばないこともありえます。幅広く「水遊び」を捉えていますので、ご理解のほどよろしくお願いします。

子どもがペープサートで七夕のお話

2021/07/07

織姫と彦星の七夕のお話もまた、現実にはない世界ですが、虚構と現実の境目のない子どもたちにとっては、どれをとっても心動かされる物語です。今日はその話を、年長組すいすいの子どもが紙人形劇で演じました。ペーパー・パペット・シアターを短縮した和製英語で「ペープサート」と呼ばれるようになったのは1970年代以降の話。日本は戦前に紙芝居が誕生する前まで、俳優が演じる劇を人形が代わりに行う人形劇が主流だった時代が長いので、新しく見えるペープサートは、名前が新しいだけで、やっていることはずいぶん古い歴史があります。

表と裏の絵柄を変えることで、軸を指でくるりと回して、変化をもたらすことができます。人形の一種ですから、手使い人形や指人形、操り人形などと同じように、複数の登場人物の動きと合わせてセリフを語り、物語るのですが、大人がやっているのをみて、それをまた子どもがやりたい!という意欲から、子どもが演じて子どもに見せるということが模倣、再現欲求をかなえた表現活動ということになります。

このような遊びには、演じるという意味で、セリフがあるので、絵本や紙芝居を子どもが読み聞かせるのとの違いは、そのあたりの俳優らしさ、独立したセリフを人形に言わせるという、声のある見立て遊びにもなっているのです。多様な言葉の体験にもなっています。

 

 

 

東京ビエンナーレ2020/2021 もうすぐ開催

2021/07/06

東京から世界へ〜国際芸術祭が7月10日(土)から始まります。2年に一度の芸術祭ですがコロナで1年延期になったイベントです。テーマは「見なれぬ景色へ」。江戸時代、柳原通りは服のリサイクル通りでした。

美術家の西尾美也(にしお・よしなり)さんは、戦前から反物を扱っていた海老原商店をイベント会場に選び、ここで「着がえる」ということをテーマとした展示やワークショップを開きます。開催は9月5日(日)まで。

20210706 東京ビエンナーレ2020:2021

 

ごっこ遊びは「勉強であり復習である!」

2021/07/05

遊びの中には、物を何かに「見立て」たり、自分が何かになった「つもり」になったりと、「ごっこ遊び」がたくさんみられます。積み木が自動車に見立てられたり、その子がウルトラマンになったりしています。その時、子どもたちの頭の中にはその自動車がウルトラマンのイメージが躍動しているのですが、その再現をになっている積み木や子ども自身は、実物の自動車でもウルトラマンでもない「代役」です。これを「表象」といいます。「実物〜イメージ〜表象」の三項関係です。この表象のところには「言葉」でもいいのです。言葉も実物の代わりに指し示す表象なのです。

といったことを大学で説明しているときに、あることに気づきました。子どもにとっての自由遊びは、ほとんとの時間が何かの再現遊びになっているので、実際にリアルな体験よりも、はるかに豊かな経験になっているということです。お店屋さんごっこ、キャンプごっこ、腹べこあおむしごっこ、歯医者さんごっこ・・・数え切れないほどの「ごっこ遊び」が至るところで毎日、繰り広げられています。そのごっこ遊びの最中に、子ども同士の対話もあって、言葉を使ってコミュニケーションをとったり、見立てているものを友達に説明したりと、多くの学びが発生しています。

ごっこ遊び(再現遊び)は、社会的経験の再現であり、縮図です。もし子どもたちが「ごっこ遊び」をしなかったら、社会性の獲得は覚束ないものなってしまうでしょう。例えば、買い物ごっこ、家族ごっこ、お医者さんごっこなどの様子を見ていると、そこでの子ども同士のやりとりは実に豊かで、あたかも実際に起きているかのようです。しかし実際に受診した時にしか体験できないとしたら、経験の量はほんの少ししかないはずです。ごっこ遊びは、限られた実体験を種にして、遊びの中でその体験を広げ、深め、発展させ、活用しているのです。その子どもは学んだこと、知ったことを話したがるし、色々な遊びで再現します。ある子は絵を描いたり、ある子は積み木で建造物を作ったり、そしてごっこ遊びになったりします。いずれの場合も表象活動、ブリコラージュしていることになるのです。

そう考えると、子どもの自由遊びは学んだことを復習しているとも言えます。再現することは学び直しであり、振り返りであり、勉強したことの復習をして知識を定着させていることになるのです。遊びは、学びであり、反芻であり、再現であり、復習にもなっているのです。遊びでありながら勉強の復習と同じだと思うと、もっと自由闊達に「ごっこ遊び」や「再現遊び」を楽しめるようにしてあげたいと思うのです。

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