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園長の日記

「つもり」の世界に生きる子どもたち

2019/11/24

保育って、本当に面白い。何が面白いかというと、人間の面白さに色々と気づくことができるからです。「どうして、そんなことするのかな」とか「もしかしたら、そういうことかな」とか、改めて考えてみると「人間って、不思議だなあ」と思うこともあります。

先週はアロペアレンティングの体験がふた家族あったのですが、その時の子どもたちの反応が面白いです。どうも子どもたちは、もともと「〜のつもり」惑星、「〜ごっこ」星の世界に住んでいる宇宙人じゃないかと思うんですよね。

どういうことかというと、アロペアレンティングの体験と言いましたが、正確にはアロティーチャーの体験ですね。先生だけが保育をするんじゃなくて、保護者の方が先生になってもらうわけですから、いろんな先生が保育に携わるわけです。だから先生だけじゃない、という意味でアロをつけて、アロティーチャー。

それはともかく、子どもたちには「誰々ちゃんのママ先生、パパ先生」と紹介します。それが子どもにとって「誰々ちゃんのママ」とは違って、担任の先生たちによると、子どもたちはちゃんと「先生」なんだと、そのつもりで接してくれているようなのです。そのあたりの子どもの姿は、クラスブログで紹介されています。

私はこれは子どもの「表現」と密接に関わっていると思えて仕方がありません。つまり、子どもは「ママ」「パパ」ではなく、ママやパパが先生になったつもりであることを理解して、子どもも、その「つもり」の世界を自然に受け入れることが好きだとしか思えないのです。

本当に子どもは、何かになったつもりが大好きです。運動ゾーンで、私がネットを海賊船に見たて、台風が来て大波が押し寄せてきたり、大きなサメが船のそこから襲う真似をしたり「見立て遊び」をやると、子どもたちは、生き生きとその「うそっこの世界」にリアルに入り込むことができます。これは子どもが持つ素晴らしい能力です。海の中の魚やタコやイカになることもできます。

12月のお楽しみ会は「千代田せいが演芸場」で行いますが、そこはお家になったり、森になったり、木場公園になったりします。子どもたちはヤギになったり、青虫なったりします。それは、子どもがとても得意な世界です。そのつもりになるという「模倣」は、人間の本質なんです。それが小さいうちは「真似っこ」「うそっこ」という模倣ワールドで精神の翼を広げるのです。

ですから、アロぺで見せる子どもたちの距離感の正体は、きっとこの相手が何のつもりなのか、を即座に理解して、「ママ(パパ)が先生のつもりなら、それなら私は子どもじゃなくて、園児を演じるわ」となるのでしょう。それが、友達のパパママ先生との付き合い方にも見受けられる表現なのではないでしょうか。

ちなみに、その視点でちっちのブログ「いないいない」を説明すると、13ヶ月のYちゃんは「他者の視点を獲得している」発達を意味します。鏡をみても「これは自分だ」とわかります。スカーフで隠れている自分と、出てきて見える自分が、相手からどう見えるかを区別して想像できているからこそ、「ばあ」と出てくるのが「面白いでしょ」と相手にそれを伝えて、共有しようとしていることになります。ここにも共同注意が見られるのです。二者関係の間にスカーフという三者が入り込んで、それを他者とやりとりできるわけですから、指さしができるのと同じように、すでに言葉の機能を獲得できていることがはっきりしますね。

 

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